神田雑学大学講演抄録 第348回 平成19年2月23日
へび博士の大巷談(パートV)
講 師:高田 榮一
1.誰も言わないアメリカの本当の顔
最近、なにかアメリカのことを評論家が何故か不思議にアメリカ批判ばかりやっています。イラクの問題があるとしても、原爆がどうだ、ベトナムがどうだ、といいますが、私はアメリカはいい国だと思っています。何回かアメリカを歩きまして感じたことは「アメリカほど素晴らしい国はない」というのが私の実感です。」
ニューヨーク港の入り口に、自由の女神が立っています。その台座に無名の女流詩人の詩が、刻み込んであるのをご存知でしょうか。
祖国を追われ
嵐に打ちのめされ
疲れ果てた幾多の者たち
自由を求める者たちよ
我がもとに来たれ
稲妻の火のように
歓迎の火を掲げ
我は立って待つ
黄金に煌く
この入り口に
悲しいことに、旅行ガイドたちは殆どこれを紹介していません。この詩に書かれている精神そのものが、アメリカだと思うのですが。
もうひとつ感動したことは、アメリカの憲法です。
大統領は、全て我々は自由なのだといって、フリーダムという言葉をよく使います。これは、全てが自由なんだということをいっているわけです。
アメリカという国は、モザイクのようにいろんな人間が混ざり合って生きています。
言語も肌の色も国籍も、世界のあらゆるところから集まってきています。
ニューヨークを歩いてみると、私を含めて全部が変な外人といっていいでしょう。いわゆる、純粋なアメリカ人というのはいません。
そういうアメリカが、「いざ鎌倉」というときにはまとまるんです。この理由を知りたくて、アメリカ憲法の本を買って読んでみたのですが、前文に自由にそうとうするフリーダムということばはありません。あるのはリバティ(Liberty)という言葉です。
これは「我々は全て自由なのだ、何事にも束縛されない」ということをいっているのです。アメリカをまとめているのが、この「自由」です。
これは国家という約束のもとの自由なのです。だから、星条旗の下にまとまることができるのです。
市中でタクシーに乗ると、バックミラーが落ちていたり、ドアが閉まらなかったり、ずいぶんいい加減なのがあります。車検のようなものはあるとしても、その運用はきわめていい加減です。タクシードライバーも、何処かの難民が翌日から地理もわからないで仕事を始めるという出鱈目ぶりですが、その背景に何をやってもいいという自由の意識があるのです。このアバウトがいいのです。
ちょっと食事に行こうという距離が、東京〜熱海に相当する距離だったりして、アメリカ人はそれを全然気にしないおおらかさがあります。
アメリカ人の女子学生と話することもありますが、なんとなくアメリカ人というのは愛国的に生きているのがわかります。アメリカに住むと、そのおおらかさ、アバウトさが好きになるのです。
アバウトさの例として、あちこちに切手の自動販売機がりますが、これがよくこわれています。置いてある店に文句をいっても、とりあってくれない。客もそれ以上怒らないといったふうがあります。
煙草でもそんなことがあります。
いま、世界を眺めてアメリカが一番安心できる国かと思います。過去を振り返ると、日本はアメリカの恩恵を受けてきた国であることに気がつきます。
徳川幕府が崩壊するきっかけをつくってくれたのは、ペリーの黒船です。ペリーが来なかったら、まだ藩閥体制が続いていたかもしれません。
それとハワイ、アメリカ西海岸への移民をどんどん受け入れてくれた。つぎに日露戦争では、ポーツマスでルーズベルト大統領が仲裁をしてくれた。このとき日本は金がなくて、イギリス、アメリカから借金をして戦争をやった。日露戦争では、勝った勝ったと大騒ぎしましたが、日本海海戦にしてもバルチック艦隊が大航海をしてきて、ヘトヘトに疲れていたときだったので、たまたま勝てたのです。
太平洋戦争で、もし日本が変に勝っていたら、軍閥がたいへんなことになったと思います。私の家は、ある日突然軍がきて強制疎開になってしまいました。そのようにのさばった軍閥を打ち砕いて、いまのような自由な国を作ってくれた恩義はあると思います。
アメリカは沖縄も返してくれましたが、ロシヤはいっぺん奪った島を返そうともしません。
戦勝国が戦後の日本をどうするか協議したとき、ロシアは北海道と東北を領土にすることを提案しましたが、アメリカは断固反対してくれました。マッカーサーがよくやってくれたと思います。
さらに、アメリカは日本の経済復興を助けてくれた。ララ物資や、フルブライト留学生などで、日本はどれほどの恩恵をうけたかわかりません。
いま日本が輸入している主要穀類大豆、小麦、とうもろこしなど、殆どアメリカからの輸入です。アメリカは工業国でなくて、農業国といってもいいほどの生産力を持っています。評論家はアメリカ批判をやっていますが、こういった背景も考えなければならない点だと思います。
一つの例ですが、寒い一月にニューヨークに向う飛行機が、大雪でシカゴにおりてしまった。
ニューヨークに飛ぶ飛行機の案内が、6時間もまったくないのに乗客は辛抱強く待っています。日本人はすぐ騒ぎ出しますが、私は興味があってカウンターで聞いてみました。担当は「運行関係は知りません」の一言だけです。このへんの割り切り方が非常に面白いと思いました。
もう一つは、マイアミから十人乗りの飛行機に乗ったとき、ついたら荷物が着いていないのです。さっそくカウンターで聞いたら「重量オーバーなので積み残してきました。多分次の便で着くでしょう。人間優先です」と澄ましたものです。乗客も納得して文句をいいません。おおらかなものです。
サンディエゴ動物園へ行ったとき、コアラを見たのですがオーストラリヤは白豪主義で、昔は一切そとに出さなかった。初めてサンディエゴへ来たのですが、別に大騒ぎをするわけでもなく、動物園関係者も汚い柵のなかにいれて、特別扱いは全然しません。パンダも同様です
アメリカ人は、たいへんユーモアとウイットに富んだ国民です。ある街で、年に一回虫とり大会をやっています。虫はなんとゴキブリです。この辺のおおらかさにも感心させられます。レーガン大統領が、二期目の選挙にたったとき対抗馬がモンデールでした。テレビ討論は重要なイベントですが、始まる前にレーガンが「年齢のことと、政治的未熟なことの話題はやめましょう」といって笑わせました。レーガンが年を取りすぎているという批判をさいしょにやんわりかわして、モンデールの政治的未熟をついたわけです。いろいろお話しましたが、私はアメリカが、いま一番安定して豊かな国だと思っています。
2.血肉を分けた風狂の虫〜そのドラマ
風狂(ふうきょう)ということばがあります。これは、風流を求める心が物凄く強いことをいいます。風流というのは、浮世のややこしさを忘れて風を愛で自然を愛でるといったことですが、風狂になるとそれが行き過ぎとおもわれるとこまで行く。
風狂の世界で、血肉を分けた虫といえば蚤、虱、蚊、ダニ、南京虫など私は全部経験しました。今免疫になっていますが懐かしい奴らです。
私の蚊に対する価値観というのは、「蚊というのは素晴らしいもの」ということです。
蚊に食われると痒くなります。これを掻くのが快感なのです。この快感を蚊が教えてくれたのです。
串田孫一先生のお宅にお邪魔した際のこと、自然派といわれるだけに窓には網戸もなく、戸は開けっぱなし、当然蚊も入ってきます。蚊は誘引物質にさそわれて血を吸いにいきます。老人は炭酸ガスがあまり出なくなるので、蚊はやってきません。若い人には蚊を呼び寄せる誘引物質があるのです。当時、私は若かったので当然蚊が寄ってきます。これに敢えて血を吸わせてあとを掻くのが、気持ちがいいのです。
同じ痒いのでも、ダニには参ってしまいます。一番小さい家ダニは鼠の巣に巣食っていますが、これは吸い口が弱くて日皮膚の柔らかいところにしか刺せません。私がやられたのは、男性のみの器官の一番柔らかいところ、即ち、袋の部分にとりついたのです。
ここをやられると人前で掻くわけにもいかず、ポケットの上から揉むより仕方がないのですが、これがまた快感です。ご婦人の場合、どこを刺すかというと、おへそのまわりや腋の下など柔らかいところがやられます。
へびにもマダニというダニがつきます。これはゴマ粒の三分の一ぐらいの大きさですが鱗の間に寄生します。虱は一点集中でなく、ある部分がボワーッと痒くなります。虱は手足が弱いので、何かに掴って身体を固定できず、下着の縫い目などにもぐりこんでから肌を刺します。縫い目に並んで潜んでいることから、虱つぶしというんです。
現代の人は、こういった風流心を失っているのではないでしょうか。
南京虫というのはわりとインテリ層が好きなようです。かって神田界隈に南京虫が凄かったのです。これは古本に寄生しているからです。小豆粒ぐらいの大きさで紙のように薄いのです。昼はかくれていて、夜な夜な現れ、ご丁寧に2度刺します。弱点は水に弱いということです。
蚤は、川柳にもでてくるように親しい虫でした。夫婦仲を良くさせるとかいわれて、お互いの蚤をとりあっている光景などありました。昔、大道芸で蚤の曲芸というのをやっていました。私も小さいときは、蚤や蝿を捕まえて遊んでいました。
台湾の本屋でみつけた漢字のエロ本というのは、日本語とちがって独特の思わせぶりな表現があります。想像をめぐらして味わうのが風流の道ともいえます。
以前、九龍虫というのが流行って私も飼ったことがありますが、これを椎名誠が書いています。椎名誠は私が専務をやっていた会社の入社試験に来たのを採用したことから小説を買きはじめ、私を主人公にした「新橋烏森青春日記」は彼の処女作です。
これがNHKで劇化されて、私の役をやったのが伊藤司郎です。
終わり
(文責 得猪外明)
会場撮影 橋本 曜 HTML作成 上野治子
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