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神田雑学大学 平成19年7月6日 講座No366

草木染ひとすじ・山崎家三代の軌跡


講 師 山崎 和樹 

 

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山崎和樹プロフィール

はじめに

染色の歴史

平安時代の染色

鎌倉、室町、安土桃山時代

江戸の染色

天然染色の復興

草木染の魅力

質疑応答


講師の山崎和樹さん

山崎和樹プロフィール

草木工房(草木染研究所柿生工房)主宰、染色工芸家。草木染の研究、作品制作を行い、展覧会、講習会を開催。2002年、信州大学工学系研究科博士後期課程修了、草木染の色彩的特徴と風合いに関する研究により学術博士取得。国際天然染色会議で草木染について発表(韓国、インドネシア、アメリカ、インド)、ミラノで草木染展とワークショップを開催。

著書:「草木染 麻を染める」美術出版社、「草木染 四季の自然を染める」山と渓谷社 「やさしい草木染」日本放送出版協会、「草木染の絵本」農文協


1.はじめに

今ご紹介にあずかりましたように、祖父山崎斌が当時殆んど滅びかかっていた草木染を体系的に復興することを始め、父山崎青樹、叔父山崎桃麿、それから私や私の兄弟、従姉妹と山崎の家は三代で草木染の世界にどっぷりつかって生きてきました。

今日は我が家と草木染めの関わりとの話ということですが、私としては草木染という言葉であらわされる日本古来の染色文化、そしてその魅力についてまずお話させて頂きたいと思います。 そういうとずいぶん難しそうに聞こえますが、実際昔はどんな染料が使われてどんなものを染めていた可能性があるかと言う話をしながら、草木染に取り組んできた我々の研究を紹介したいと思います。


2.染色の歴史

古代の染色は世界中どこでも例えば赤土などをボディペインティングしたりした儀式のようなものに使われたところから始まったようです。 日本は幸いにも古くから中国から絹という繊維が入ってきました。絹、麻、木綿というのが代表的な古代の天然繊維ですが、 絹は動物性の繊維で植物性の繊維である木綿や麻より非常に良く天然の色素に染まるのです。

推古天皇十一年(603年)には、聖徳太子によって、冠の色で位階(いかい)をあらわす冠位十二階が制定されました。 「紫、青、赤、黄、白、黒」の順に定められ、紫が最上位となりました。これは中国の五行説に従って青、赤、黄、白、黒が決められ、 それにその当時中国に伝えられていた、ローマ帝国で最も尊重されていた紫が一番上に付け加えられたと言われています。 ローマで尊重された紫は貝紫で動物の貝から採りましたが、中国や日本の紫は植物の紫草の紫根から採られたのです。

これらの色の冠をそめる染料がなくてはいけません。その冠は絹製だったと言われています。これらの染色は千数百年経ていますが 正倉院で実際に見ることが出来ます。 これは素晴らしい色が残っている聖武天皇のご愛用の一品です。

染料、青は藍、赤は茜 この青は藍で、 この赤は茜ではないかと思います。こういうきれいな色を実際に何でどうして染めたかと言うのが我々の関心事であります。 平安時代に編纂された書物「延喜式」の中の「縫殿寮雑染用度(ぬいとのりょうざつせんようど)」の項に色名と染色材料の量が示され、 古代の染色が推測できる貴重な資料となっています。

例えば天皇の晴れの儀式に着用の泡袍の色は黄櫨染(こうろぜん)で、櫨(はぜ)と蘇芳と酢と灰が記載されています。 染め方は残念ながら書いてありません。媒染剤としては明礬(みょうばん)の記載がなく灰が使用され、この灰は椿灰と言われています。 櫨(はぜ)は黄色、蘇芳は赤に染まります。

皆様ご記憶でしょうが天皇陛下の即位の礼の時の袍(ほう)の色、ちょっと茶味のある赤の黄櫨染でした。 皇太子様の色は黄丹(おうに)という色、これも立太子の礼の時に曙の太陽の色のようなオレンジ色の袍を お召しになっていたのをご記憶の方がいらっしゃると思います。これは梔子(くちなし)と紅花(べにばな)が使われています。

梔子は赤味の黄色です。紅花は澄んだ赤です。これをふたつ重ねると曙の太陽の色になるのです。 次世代を担う皇太子様の色ですからそういう色が選ばれたのだと思います。面白いのは梔子も紅花も蛍光色を発します。 ある波長の光があたると布のそこから異なった光が湧き出るような感じです。

一位が深紫(こきむらさき)、二位が浅紫(あさきむらさき)、次が深緋(こきあけ)、浅緋(あさきあけ)とあって、 こきあけは紫根と茜の重ねですね、あさきあけは茜単独で染めました。深緑(こきみどり)は藍と苅安、それから浅緑(あさきみどり)は 藍と黄蘗(きはだ)を使ったと書いてあります。 難しい漢字の植物名を言ってもぴんとこないでしょうから写真をお見せします。
植物名の写真・左が紫草
左が紫草です。なんだこんな花かと思われるでしょうが、この花の根からきれいな紫が出てくるのです。 花期は意外と長くて5月下旬からかれんな花が咲きますが、栽培は大変な花です。 2年位前に父、母、私、弟・樹彦(たてひこ)がNHKの人間ドキュメントという番組に出演しました。

高松塚古墳の女子群像の袍の色は、壁画の一番手前の女人が黄色で次が緑その次が赤でその奥は壁の色と同じ、 白に見えます。古代の服飾から白の袍というのはありえないと父は考えていました。 壁画の白の部分に紫の痕跡があるという東京文化財研究所の分析結果を聞いて、 その紫の袍の再現に挑戦した経緯を記録した番組でした。

その時、埼玉県の国立武蔵丘陵森林公園・都市緑化植物園で提供していただいて、 国産の紫草を約2000鉢で絹糸を紫色に染めました。感動的な澄んだうす紫色が染まりました。 国産の紫根は栽培が凄く難しくて、なかなか大量に入手することが出来ません。

そのとなりにあるのが日本茜ですが日本茜の根はだいたい3年くらいで使えると言われています。 これも市販されていないので栽培するしかないのです。うちでも少しずつ畑に植えたりして増やしています。 一般には西洋茜が地中海沿岸で多く栽培されており、またインドで栽培されているインド茜が日本の染色工芸の世界では主流になっています。 
紅花から採られた色・左側は紅花・右隣は藍
左側は紅花ですね。山形に行くと7月に紅花祭りとかありますが、最上紅と言いまして紅花の産地でした。紅花染めというのは、 花で染めるのですが、その花の中には赤い色素と黄色い色素が存在しので、黄色の色素を分離してから赤を染めるのです。

これは普通の染色のように花を煮出しただけでは染料は出てきません。 染料が分解してしまいます。花をまず水に浸して黄色を出してから、 今度は藁灰汁という灰汁のなかにつけます。こうして初めて赤い色素が抽出されるわけです。 青梅を黒焼きにした烏梅(うばい)や酢でこの染料液を中和して染色します。
右隣は藍です。皆さんご存知のようにジャパンブルーという言葉があるように、江戸時代末にヨーロッパ人が来たときに、 日本人は青い木綿の絣や型染め、絞りの着物を着て、さらに暖簾も青で座布団も青で、日本中青だということでジャパンブルーという言葉が 出来たと言われます。木綿の普及とともに藍染めが庶民にも普及していたことがよくわかります。

左側は梔子・右側は日本では見られないマメ科の蘇芳

左側は梔子です。梔子はみなさん栗きんとんを作るときに使うかと思いますが、そのまま染めても色がつきます。媒染しなくても染まる染料です。色自体は弱い色です。

右側は日本では見られないマメ科の蘇芳です。日本は江戸時代鎖国をしていながら蘇芳という染料が頻繁に使われていました。 赤という貴重な色を出すものが皆高価で、無かったのでしょうか、奢侈禁止令で紅を使うことを幕府が禁止したこともあって、 蘇芳が良く使われたようです。

左側は黄色の代表的な染料で苅安・右側は黄蘗(きはだ)
左側は黄色の代表的な染料で苅安といいます。苅安は近江苅安といって滋賀県のものが一番いいと言われていますが、 その他に八丈島の八丈苅安といって黄八丈の黄色を染めるものがあります。

八丈島に行くと山下さんと言う素晴らしい人がいて、今でも江戸時代と同じ方法で染めていらっしゃるのです。 苅安の液の中に何回も糸を漬けて最後に椿の灰汁で染めているのです。

右側は黄蘗(きはだ)です。皆さんも胃健薬として飲まれたことがあるかもしれませんが千振(せんぶり)のように苦いものです。 陀羅尼助といってお坊さんが眠い時にこれを口に含んだといいます。 こうやって基本的な染料植物による染め技法が確立された奈良時代から時代は平安時代に移ります。


3.平安時代の染色

平安時代になると、中国風の唐風文化から日本独自の国風文化へと移り、色彩においても貴族を中心とする華麗な服飾文化が起こります。 後世、十二単(ひとえ)の名で知られる単の上に何枚もの袿(うちき)を重ね着する独特の装束がこの時代に生まれるのです。 これは日本のオリジナルだと思います。

これは季節感を表しているのではないかといわれています。源氏物語絵巻の衣装を見ると袖や裾のところに何枚も色が見えますね。 この色の重ねの配色を襲色目と言い、同色で上が濃く、下が薄い配色を匂(におい)といいます。 たとえば「紅の匂」というのは紅花のグラデーションで、この配色の妙を和歌と同じように競ったようです。

日本人の色彩感覚には独特のものがあって、その背景は日本の気候風土にあるものと思われます。 四季の変化を俊敏に捉えるということで、平安時代は奈良時代と比べると、染料はほぼ同じ種類でも、 染料の重ね染めや織色によって中間色や色の濃淡を使い微妙に異なる色を求めたと思われます。

冠位制度から始まった色の格付けも、黒い袍が増えてきます。 平安末期には1位、2位、3位、4位までの色が黒に変わって5位が赤になるのですが、その黒染めは、 最初は白樫という植物で染められ、その後、五倍子の鉄媒染というものが使われるようになったと言われます。 五倍子は白膠(ぬるで)に付く虫こぶで赤みの紫鼠色に染まります。今でも良く使う染料です。 そして時代は武士の台頭する鎌倉、室町に変わって行きます。


4.鎌倉、室町、安土桃山時代

平安時代末からの武士の台頭により、鎌倉、室町、安土桃山時代にかけて工芸技術を集積した晴れの装束、戦衣として発展し、 独創的で斬新なデザインや色彩の世界が広がっていきます。 平安時代末、源頼朝の忠臣畠山重忠が奉納したと言われる武蔵御嶽神社の赤糸威鎧は、現在でもあざやかな赤が残っており、 この鎧の赤は日本茜で染めたことが分析されています。これは公開されていますから奥多摩にこられた際には是非ご覧になってください。

鎧の威糸が赤いところは平安末期のもので茜染です。色が薄く桃色のところは明治以降化学染料で修復したところらしいです。 江戸時代には茜染めの技法は失われてしまい、八代将軍吉宗が茜の染を復元しようとして、御岳神社の赤糸威鎧を江戸城へ運ばせ、 茜染めの研究を命じたそうです。また、「延喜式」に掲載された染め方を再現させ、その研究結果をまとめたのが 「式内染鑑(しきないそめかがみ)」という本です。

赤という色で見ると安土桃山時代には陣羽織が盛んに作られます。室町末期以降に南蛮人らによってもたらされた 真赤な毛織物で猩々緋羅紗(しょうじょうひらしゃ)は、最近の研究から、ラック、コチニールなどの介殻虫で染めたこともわかってきました。 有名な小早川秀秋が着ていた真っ赤な字に黒で交差する鎌をあしらった陣羽織をご覧になった方もあるでしょう。 この赤はケルメスであると言われています。ケルメスもラック、コチニール以上に貴重といわれる介殻虫です。 こういう真っ赤な戦衣を着けて武将たちが戦場を駆け巡った姿のイメージが湧き上がってきますね。
豊臣秀吉が南部信直に与えた「桐矢襖文様胴服」
戦乱から天下が統一され、その中から安土桃山時代の斬新で華やかな装飾性のある技法として生まれてきたのが「辻が花」です。 絞り染めの中に墨書きをしたりするのです。これは豊臣秀吉が南部信直に与えた「桐矢襖文様胴服」で、 この紫は紫根染めと言われますが、紫の色が残っていることと、素晴らしいデザインだと思います。


5.江戸の染色

江戸時代になると糊防染の技法がさらに発展し、麻地に糊糸目、伏せ糊の技法で藍染する茶屋四郎次郎が創始した茶屋染があり、 この糊防染の技法が後に優雅な友禅染を生み出したと言われます。 江戸前期から中期に活躍した絵師宮崎友禅斎は日本画の技法を色挿し染に持ち込み、染料や顔料を使い鮮やかで多彩な色で染め上げました。

その特徴は絵画的な方法を使った色挿しやぼかしにありますが、そこで使われた染料はラックという介殻虫を沁み込ませた臙脂綿というもの、藍ろうという藍の顔料みたいなもの、熱帯の染料である雌黄(ガンボージといわれる熱帯植物の樹脂)なども使われています。 そのころ経済力を持った町人は、競って華美な衣裳を作るようになりました。

幕府は町人に対して奢侈禁止令を出して、紫染めや紅花染めを禁じたため、安価な蘇芳の鉄媒染で紫に似せて染めた「似せ紫」、 蘇芳で紅花に似せて染めた「甚三紅(じんざもみ)」が開発されたのです。 また、この奢侈禁止令では色のうちでは茶と鼠は規制がなかったので、「四十八茶百鼠」といわれるように茶味や鼠かかった色が流行し、 多くの色合いが生まれました。江戸前期には、黄海松茶(きみるちゃ)、唐茶(からちゃ)、柳煤竹(やなぎすすたけ)、鶸茶(ひわちゃ)など。

中期には御納戸茶(おなんどちゃ)、路考茶(ろこうちゃ)藍鼠、銀鼠、桜鼠など。後期には、利休白茶、梅幸茶(ばいこうちゃ)、 柳鼠、鳩羽鼠などが挙げられます。これらの染めに使われた染料として、楊梅、蘇芳、藍、苅安、夜叉附子、梅、栗、桑、墨など、 媒染剤として明礬、鉄漿、緑礬、石灰、木灰が挙げられます。

木綿地藍鎧段絞り着物 これらの染料と媒染剤の組み合わせ、 重ね染めによって、多くの茶や鼠色が染められたのです。また室町時代に栽培が始まった木綿の栽培が盛んになり、 木綿は藍によく染まることから庶民に藍染めの衣服が普及しました。

紺屋という藍染をするところが日本各地に出来ます。絞り、絣、型染の中型の需要が増し、筒描きも行なわれ各種染色技法も発展します。 藍というのは濃淡の妙で作品が映えるのです。これは僕が気に入っている非常に藍染らしい着物の作品です。


6.天然染色の復興 山崎三代、 斌・青樹・和樹

1856年、イギリス人のパーキンがコールタールを原料として、最初の合成染料として紫色の染料であるモーブを発見します。 実はマラリアに効くような薬を開発していたら色がきれいな赤紫だったので、貝紫の代わりの染料に応用したといわれています。 貝紫の染料1gを採るのに一万個の貝殻が必要と言われ、高価な染料だったのです。

その後、茜の主成分アリザニンや藍の主成分インジゴなどの合成染料も開発されました。19世紀後半から人造繊維も開発されました。 現在、この恩恵を受け、街ではカラフルで自由な衣服をまとった人々であふれています。 しかし、明治以降、この合成染料の輸入によって、日本の天然染色は急激に衰退してしまいました。
祖父・山崎 斌(あきら)さん
祖父・山崎 斌(あきら)は明治25年長野県麻績村に生まれ、文学を志していた農村青年でしたが、色々な素晴らしい方との出会いの中で、 伝統染色の復興や養蚕農家の不況の対策のために、絹糸を天然染料で染め、手機による織物(紬)を復興する運動を昭和4年に始めました。

繭をご存知の方もいらっしゃるでしょうが細くて良い糸は機械でも製糸することが出来る。ところがくず繭といったサイズが合わないもの、 簡単に言うと曲がったきゅうりがマーケットに出せないように、くず繭は機械にかからないから売れないのです。 その繭は結局農家に残ってしまう。これを使って昔から自分の家で使う、家族の為に自分で糸をつむいで、 染めて手機で織ったという日本の歴史があるのです。祖父は子供の頃そういう環境にあったと思われます。

その風合いの良さ、羽二重みたいにすごくいい糸を使ったやわらかいものに比べてごつごつした風合いがありますね。 この独特の風合い、色彩、着心地というのはたぶん着た人でないと分からないものです。 祖父はそういうくず繭からとった糸を使うといいものが作れることを知っていたのでしょう。 当時は手機も機械織機の時代になって手機で織るのは恥ずかしいという時代だったらしいですが、 そのなかで機械よりは手で織るものの良さを普及しようと始まったと聞いています。

昭和5年、支援者の方々の薦めで合成染料と区別するために、天然染料による染色を「草木染」と命名し、 昭和7年に「草木」を商標登録しています(10年ほど前、本物の草木染を行っている人に使ってほしいという願いから、 この商標登録を更新しませんでした)
祖父と島崎藤村
これは祖父と島崎藤村です。藤村などの支援により山崎斌は昭和5年第一回の草木染織り展を銀座資生堂で行なうことになります。 これがその草木染月明織り展のポスターです。これは前川千帆が作っています。

これは協力を頂いたその時の発起人の方々の名前が記載されている趣意書です。島崎藤村や有島生馬、富本憲吉、竹下夢二、 水谷川忠麿、中村柊花などの当時一流の文化人が発起人になって協力してくれています。

織りは長野で農業をやっていた平林穀一・千鶴子夫妻が行ない、染色は浜茂人さんという 松本で藍染めを残していた方が中心になって行なわれました。 この方々が昔の伝統技能を残して残していた方が中心になって行なわれました。この浜さん いたお陰でこういうことが出来たのだと父が常々感謝して言っていました。
池田町立池田美術館で一昨年山崎斌の展覧会があったとき、出されていたもの


これが当時出展されたと思われる作品です。池田町立池田美術館で一昨年山崎斌の展覧会があったとき、出されていたものです。 黄緑色の天蚕の糸を節として使っています。この展覧会で、天蚕糸と草木染の色が調和している紬織を見て、 祖父の作品の原点を見たような気がしました。


長野県飯田で草木染の講習会をしている祖父です
これは長野県飯田で草木染の講習会をしている祖父です。当時少しずつでしょうが、 昔からの染色を学ぼうという機運が長野県では出てきたことが分かりますね。

その復興運動の成果を祖父は「日本固有草木染色譜」、「草木染色鑑」、「草木染手織抄」、「日本草木染譜」として発刊し、世に問いました。 全部手漉き和紙で出来ている豪華本で原料となる植物の写真、実物標本が貼りこまれている限定版です。

また祖父は生活文化雑誌「月明」という雑誌をずっと出版してきまして、ともかく日本の伝統的な生活文化を見直そうという運動をずっとしてきた人だと思います。 歌を詠み染色もして和紙も作って、自然の食べ物を工夫する、そんな生活風景がこの雑誌には沢山入っています。
父・青樹さん
この「草木染」の技術は父・青樹によって受け継がれ、各種の作品が制作され、展覧会の開催が続けられました。 父は大正12年に渋谷で生まれましたが、祖父・斌の草木染事業の進展にともなって各地を転々としつつも、日本画家を志していたのですが、 長男ですから否応なく草木染の世界に入ったということです。

自ら植物を栽培し、新しい染料を探索するとともに、絵も描けたので、草木染作家として活躍してきました。これらは父の作品です。
父・青樹さんの作品
父は自分では織らないのでこれは自分で縞割り、デザインをし、信州で昔から協力してくれている農家の方に織っていただいてものです。手前は自分でデザインして制作した蝋纈、奥は型染めです。

父は新たな染料植物や実用的な染色法の研究もこつこつと行なって、その結果、染料植物は約500種迄に増加しました。灰汁で緑の生葉を煎じて単独の植物から緑色に染色する「緑染め」は、父が始めて行ったものです。

これらの成果は限定版「草木染日本の色」、「草木染日本の縞」、「草木染型染の色」、「草木染百二十色」などの多くの著書にまとめられ公開されています。父は草木染の作品を展覧会で展示すること、そして多くの草木染の著書によって草木染の研究を発表し続け、その技術をオープンにすることで草木染を普及してきました。現在群馬県高崎市にある高崎市染料植物園に開園以来関与し続けていることなどもこの普及活動の一貫です。

私も父と同様に研究したことを秘伝にして隠したりしないで、すぐオープンにして草木染の素晴らしさを多くの人に知ってほしいと思っています。 私は大学を出てこの道に入ったときから、草木染は化学染色と比べてどう違うのかということを知りたいと思っています。

草木染の染料は単純な色素ではないので、複数の成分が絡み合って計算できない美しさみたいなものが現れてきているのではないかと思います。色だけではなくてその中に含まれている成分は風合いを良くするもの、抗菌作用があるものなどがあり、それが化学染料とは違うところです。最近思うのは心地よい色というのはなんだろうかと?ということです。

感性工学という学問が最近はあって、脳が心地よいと感じる機構などを研究している人がいて、僕もそういう研究をしてみたいと思っていますが、ともかく多くの方が好きとか気持ちいいと感じるものがよいのだと思います。なるべく皆さんに実際に色を見てもらって、風合いを味わってもらっていたいと思っています。

例えば柿渋というのがあり、これは塗料として使われたものです。擬麻加工といって綿糸を麻みたいにする加工があるのですが、 絹を柿渋で染めるとすごくシャリっとして、麻みたいに硬くなって評判が良かったりするのです。 そういうシャリ感とか染料の持っている性質に着目してみたいと思っています。
色見本・僕が一番好きなのは裏葉柳という色

私の好きな色のご紹介をしましょう。黄緑でも色は萌黄とか苗色とか鶸色とか苔色とか松葉色とかいろいろあります。 僕が一番好きなのは裏葉柳という色。柳の葉っぱの裏の色で、白っぽいグレーがかっている黄緑ですね。 緑でもこんなに色々な名前がある。それは自然の名前というか、植物や生物の名前が反映されているのですが、そういう名前を見ても日本は自然が豊かだと感じるのです。

色見本・ 藍染
藍染ではいちばん薄い色は甕覗(かめのぞき)という色名があるのですが、覗くというのはちょっと浸すという意味らしいです。 次が水浅葱、浅葱色は発芽してくる葱の一部分が緑っぽいような青っぽいような色をしていますね、あの色です。 水というのは薄いという意味の形容語だと思います。





色度図にプロットしてみるとどんな範囲なのかという図 草木染の色の範囲は実際に測色して色度図にプロットしてみるとどんな範囲なのかという図です。 この色座標はa*,b*という座標軸で出来ており、a*がプラスになると赤味が出てマイナスになると緑になってきます。b*がプラスになると黄色くなってマイナスになると青くなります。染料の分布をみることが出来ます。数字の絶対値が大きくなると彩度が高くなります。

これで見ると黄色は鮮やかなものが結構あります。外側に大きくふくらんでいるところですね。赤にも彩度の高いものもある。それは赤と黄色の重ね染めがあるからです。真ん中は黒とか茶色とかが集まっていて、左側の△が緑です。緑と青の範囲が少なく、となりの紫も範囲が狭くて、一番多いのがa*が0から20、b*が0から30の範囲に茶とか鼠色が集まっています。

1982年、私がこの草木染の仕事を始めたころ、日本の着物(呉服)の需要は減少し始めていました。このまま作品を創作して一人でこつこつ研究して行くだけでは祖父や父などの先人の伝統を守り続けることは難しいと考え、より多くの人に草木染の魅力を体感して頂こうと1985年から草木染の技法を広めるための草木染の講習会を始めました。藍や茜などの伝統的な染料や梅、栗など四季折々、季節に適した染料で糸や布で染めるというこの講習会は約20年経た現在でも続いており、受講者は増加しています。


7.草木染の魅力

私は自分の仕事として、草木染の講習をして皆さんに実際に体験してもらうことが大事だと思っています。 講習内容は草木染の染料の種類によってどのような色に染まるかということと、個々の染料の性質、扱い方を知っていただくことです。化学染料は光に対しても汗にも洗濯にも強いですが、草木染は化学染料と比べると性能が低いものが多いのです。

草木染は特に汗に弱いものが多く、伝統があるからといっても、一度着ただけで色が変わってしまったというのでは大変です。 昔の人は個々の染料の扱い方をよく知っていたので、上手に着こなし、手入れをし、さらに染直しをすることで大切に使っていたと思います。

私が目指しているのは自分で畑を耕して染料植物を栽培して、それを摘み取って染めるということで、それが自分にとってとても大切というか楽しい事なので、この楽しさを出来るだけ多くの人に伝えたいと思うのです。こんな毎日の生活から生まれてきたものがこのような色です。

絹のオーガンジー
これは絹のオーガンジーです。オーガンジーは練っていない生糸で織り上げたものです。先ほどの十二単のように、重ねたときの色の配色の妙を競ったのが平安貴族だとすると、我々も色を並べてその配色を季節ごとに楽しんだらいいと思うのです。

こちらには平安時代のような薄くてきれいな色を並べてみました。 この染料は何で染めたかというのを端から言います。これは黄蘗、次は茜ですが日本茜ではなくてインド茜を使ったものです。

ここで媒染剤の話を少ししますと、媒染というのは染料を繊維に固着させることで、このための材料を媒染剤といい、これは実はドイツ語のバイセンが語源と言われています。普通、黄蘗は染着性の高い染料でそのまま媒染剤なしで染まります。ところが茜は媒染剤が必要です。

この媒染剤は椿の葉を燃やした灰です。椿灰の中には、アルミニウムが普通の植物よりも多く含まれて、アルミ媒染と灰汁媒染の微妙なバランスの上で成り立っているのがこの茜染めの色です。この紫染めも同様に昔から椿灰を媒染剤として使いました。

これは紅花染です。染色法は先ほど述べように、花を水に浸し、黄色色素を抽出した後に炭酸カリウムで赤色素を抽出し、クエン酸で中和して染色したものです。炭酸カリウムは藁灰の主成分と同様なアルカリです。クエン酸は烏梅の主成分です。この紅花染めと茜染めを比較すると紅花染めに蛍光色を感じませんか?蛍光があると暗くても明るく見えるのです。平安時代の貴族は寝殿作りに住んでいて、昼でも薄暗く、夜に行事が行われたことから、夜映える薄色で蛍光を発するような彩度の高い色が好まれたのではないかと思います。

これは藍ですが藍の生葉で染めた藍です。藍染はすくもといって藍の葉を乾燥させて、それを腐葉土みたいにして発酵させて作るのです。このすくもというのはどうも室町時代くらいに作られたのではないかと言われています。では平安時代はどうしたのか?これは仮説ですが、平安時代は生葉で染めのではないかと思います。

父は藍の生葉染めをずいぶん研究してきました。生葉染めの技法はたぶん中世には途絶えていたらしく、それをもう一度復活させたのが、父ではないかと思います。藍のフレッシュな葉で染めると絹は青く染まるのです。木綿は染まりません。普通あれだけ木綿に染まりのよい藍だというのにフレッシュな葉っぱの青汁では木綿に染まらないのです。でも絹には染まるのです。

これは染色のメカニズムが違うのです。もともとの生葉にあるインジゴの前駆体で染めるのが生葉染めであって、甕に入れて発酵させ、インジゴを還元して染める発酵建てとは全然違うメカニズムなのです。昔日本は絹の文化圏でした。ですから藍の生葉でも染まり、だからこんなに多彩な色が出たのだと思います。木綿の国だったらこうは多彩な色は出なかったでしょう。

これは生葉染めの300%、生地の重さの3倍の葉を使っています。これは5倍くらい使っています。このように濃度が違えば濃さが違ってきます。これはすくもを使った発酵建てで何回も染めたものです。藍染というのは一回の染色時間を長くしても濃く染まらないので、染め重ねてだんだん濃くしていくのです。勝色といい濃くて黒に近いような藍ですが、これは20回くらい染めないと出ません。

色々な材料を重ね染めすることで色彩の範囲を広めようとしているもの
続いてこちら側のもの。これは江戸時代の染というわけではないのですが、色々な材料を重ね染めすることで色彩の範囲を広めようとしているもので、 江戸時代には広く行なわれました。 染料の材料は限られているので、茶色、薄茶色、鼠色は単独の染料で染まるのですが、 赤味の茶を出したいような時は、赤の染料と重ね染めしないと色は出ません。

このように、微妙な中間の色を出すには、いろいろな染料、媒染の組み合わせの工夫がなされたのです。この組み合わせの方法は江戸時代の文書を参考にしています。

これは私のオリジナル配合ですが、古代よく使われた黄蘗という染料に苅安という染料を重ねて染めたものです。黄蘗は蛍光色があって苅安は日光に強いのです。ですからその二つを重ねて実用性の高い色が出ないかを研究しているものです。

藍の生葉染は水色と藍の茎染は鼠色に染まります。その二つを重ねるとなんとも言えない青みの鼠色になります。昔、深川鼠というのは青みの鼠色のことをいったのですが、この色に近い色に染まります。私はともかく自分で染料植物を栽培すると、何でも全部使いたい。葉だけではなく残った茎も無駄にしたくないのでこんな組み合わせの色も出るようになりました。

これはコチニールという染料に白樫という染料をかけたもので、蘇芳の代わりに、堅牢度のことを考えてコチニールという強い染料を使ったものです。

これは同じく蘇芳を使っているのですが、蘇芳だけでは弱いので茜をかけています。

この茶は楊梅のアルミ媒染と蘇芳の鉄媒染をかけあわせたものです。

これは刈安の黄色と茜をかけた色です。

この色は最近気に入っている色ですが、五倍子という染料と楊梅の染料の重ねで、千歳茶(せんざいちゃ)という色です。

  まあ江戸時代の色というのはこういう風に色々な組み合わせがあったと思います。 媒染剤と染料の組み合わせがあって、またそれぞれの重ね染めがあって、色彩的に独特の渋い色が出るようになっていますね。皆さんは草木染というと平安時代のきれいな単色のものよりも、この江戸時代の渋い色合いのものを連想すると思います。

草木染の布は使わなくても、ただ色を見ているだけで楽しくなると思います。このような視点から室内インテリアなどの展開も今後の課題としたいと思っています。それと性能が化学染料とどのように違うのかは大きな研究テーマで、いろいろな組み合わせでの堅牢度試験もはじめています。

さらに抗菌作用、UVカットの効果も研究したいと思います。植物成分には色々なものがあって、昔からうこんで染めた木綿で着物を包んだり、大切なお経を守る為に和紙を黄蘗で染めたりしています。昔の人の知恵を学ぶという視点でいろいろなものを検討すると、現代の生活にも役にたつことがいっぱいあるのではないかと思います。  〔拍手〕


8.質疑応答

熱心に聞き入る聴講生のみなさん 質問:これからの草木染はどうなっていくのでしょう。

答え:地球との共生が叫ばれる時代になって、現在、日本各地には染織、木工、陶芸、金工などの手仕事による伝統工芸が継承され、手仕事で生まれたものに対して高く評価する伝統が残っています。

草木染を行う現代的意義は、日本の伝統染色の技法を継承し、現代の生活に生かせるように発展させることで、それは少なからずの方々に支持されるようになってきたと考えています。

草木染の染色技術は染織品だけではなく、髪の毛のカラーリング剤への利用がすでに始まり、シックハウスをおこさない壁紙や家具などの天然の塗料としての応用も始まっています。自然と共存してきた伝統染色技法が環境に適した染色として再評価される時代になったと思っています。

質問:草木染も目の前で触ってみると非常に深みのある色でこんな色を出すのは大変じゃないかと思うのですが、なにか秘訣のようなものはあるのですか?

答え:私たちは全部技術を公開していますから別に秘訣と言うものはないのですが、強いて言えば染料の素材でも良いもの、フレッシュなものを使うということだと思  います。「買ってきた染料は、乾燥や保管の間に酸化が進んでいる。酸化された染料をいくら煎じても良い色は出ない」と父がよく言っていました。

それで植物が好きな父は染料植物を自分の家の庭に植え、季節ごとに剪定して、それを染めはじめたのです。フレッシュな生葉を使う藍の生葉染めは、まさに自分で栽培した鮮度の高いものでないと駄目です。この素材のよさが私たちの染がきれいだと言われている理由の一つだと思います。



文責:臼井 良雄  写真撮影:橋本 曜  HTML制作:上野 治子


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