昭和16年8月27日 富山県氷見市で生まれる。
昭和39年3月 横浜市立大学卒業
平成12年3月 横浜市中央図書館勤務を最後に横浜市定年退職
平成17年から、(株)シェアード・ビジョン チーフアドバイザーとして、指定管理者による千代田区立千代田図書館リニューアルオープンに参画。
先輩諸氏の前で話をするというので大変あがっています。最初にあがっている自分を落ち着かせるための「枕」にお付き合いください。
今日お集まりいただいた皆様は、羊羹の正しい食べ方はご存知でしょうか? (全員沈黙)
簡単なんです。よう噛んで食べればいいんです。 (拍手・笑い)
これで落ち着きました。
私はぎりぎり戦前の生まれです。5人兄妹の5番目で女は1人。兄たちは実家の近くに暮らしていますが、私だけが首都圏に飛び出して来ました。
親が年取ってからの子供でしたので、特に父親に溺愛されました。小学校の2年くらいまでは、雨が降ったり風が吹いたり雪が降ったりしたら、学校へ行かなくてもいいと言われました。朝晴れていて午後雨が降ると、下校時に校門の前に父親が待っていて、背負われて家に帰るような、甘やかされて育った子供でした。
しかし小・中・高等学校時代は極めて真面目な、いわゆる遅れず休まずで過ごして、まず宿題なんかは忘れたことがない、というような生徒でした。高校3年間は無遅刻・無欠席でした。
上に4人もの兄たちがいて、どんな暮らし方をしたのかといいますと、いろんな場面で兄たちが父親に習って、「盾」になってくれました。ですから私が生意気なことを小・中学校で言っても、尻拭いはみんな兄たちが引き受けてくれ、私がいじめられるということはなかったような生活でした。
無遅刻・無欠席の真面目な高校生ですから、教科書しか読まなかったですね。教科書を熱心に読んで暗記して試験に臨んでいましたから、それなりに自分は「出来る人」じゃないかと妄想を抱くに至りまして、大学に入ってしまいました。
父親は富山にも大学はあるのに、何でと言いましたが、富山を出て首都圏の大学に行くというのは実は私の固い決心だったのです。
田舎には色々な制約があります。結婚相手だって親や親戚のコントロールで決められてしまう恐れがありました。
私の運命は自分で選ぶと言う気持ちもありまして、そういう状況を回避するためにも、このまま富山にいてはいけないと思いました。
入学して見ますと周り中が、2浪とか3浪とか半端でない人達が多かったです。
おまえマルクス知っているかとか、長洲一二がどうとか、というような話をされて、実は何も知らない、分からないので、ものすごい劣等感に悩まされました。マルクスも長洲一二も名前だけは知っていましたが、本は勿論読んだことも手に取ったこともない少女でしたから、こんなことが大学での勉強だと言うことになったら、私はいったいどうなるんだろうと思って、入学3日くらいで劣等感のかたまりになってしまいました。
ちょうど入学した年が60年安保の年でした。全国の大学の様子を心配した父からは全学連の「政治集会などには出るな」という手紙がすぐ来ました。父を心配させたくないと思っていましたので、集会やデモに誘われたりしても、怖くてとてもいけませんでしたが、5月の中頃、一回だけと思い、国会デモに参加しました。6月14日の安保自然成立の日にも2回目のデモに行きました。
デモに参加したのはこれだけなんですが、2回目のデモで怖さも薄らぎ、自分を第三者的に見ることも、少し出来るようになったかなという気がしました。
入学早々にとりつかれた劣等感のかたまりはどうして払拭したのか?
勿論、今でも劣等感は山ほどあります。しかし、今思うと大学図書館に足を向けたということが、大きなターニングポイントだったように思います。
ともかく訳もわからず、がむしゃらに文庫本コーナーから始まって事典類も含めて、哲学書、歴史書と日本十進分類表の順番に読みました。
何を読んでいいかは分らなかったものですから、じゃ順番に読んでやろうと思いつき、001のから順番に字面だけを読んでいきました。そうすると意外とこれが読めるものなんです。意味も分らなのですが、字面を目が素通りしてページは繰れる。
とにかく30冊ほど文庫本を読んだ時に、授業に出ても、なんとなく無闇に戸惑わなくなったのです。
例えば「社会学」の講義でシュンペーターの話しを教授がしていましたが、それを聴いても「シュンペーターの本は読んだぞ。分る判る」という暗示みたいなものがあって、講義に姿勢が対峙するようになったのです。
それまでは授業の内容が耳を素通りして「またノートが取れなかったなー」という自己嫌悪の連続だったのですが、整理された講義内容が残るようになりました。
それが図書館のあの本達のおかげと思っちゃったんですね。
それで殆ど毎日大学図書館に足を運び、訳も分らない本をまた順番に読むという生活を1年半くらい続けました。いま思うとよくやったもんだなと思いますが、それが私の人生の大きな「節」だったんだろうと思います。
純真「無垢無垢」だった私が、多少なりと社会に目が開けるようになったのは、図書館のお陰だと思い、図書館というものは、とても人の役にたつものだと固く信じ、図書館に就職をしました。
横浜市立大学図書館に14年間在職していましたが、そのうちの大半は医学部図書館にいて、医学文献検索や雑誌収集などの仕事をしました。
その後、横浜市立図書館(教育委員会)に異動しました。
横浜には18区ありますが、そこの3つの区図書館館長をしました。最後は中央図書館で資料収集業務やサービス業務を担当し定年となりました。
今日のテーマは「本が大好き」としましたが、「本当にあなたは本が大好きなの?」と他人から言われると、ちょっと腰が引ける部分があります。
本が大好きといっても色々なアプローチがありまして、「読むのが大好き」なのか「本を触るのが大好き」なのか「眺めるのが大好き」なのか。
私は本当のところは「本を触る」のが大好きなようです。
私が図書館司書として、30余年を過ごしてきた原点になったと思います。
本を読むのが早い人は沢山います。私はちっとも早くない。一冊の本を通読するのに、一週間から十日もかかってしまうことが多々あります。
それに図書館の仕事と言うのは、例えば小説が好きでも、それだけ読んでいれば仕事が出来るわけではなくて、当然、自然科学の本も読まなければならないし、人名の難しいロシア文学も読まなければならないというもので、多方面の分野の本を読まなくては仕事になりません。嫌いな分野の本も読まなくてはならないのです。
ですから本を読むということは、今思い起こしても決して「楽しいばかりの仕事」ではなかったと思います。
さっき言いましたように、「本を触る」というのが、一番楽しかった。
例えば栃折久美子さんという本の装丁家で有名な方がいらっしゃいます。
その栃折さんの装丁された―― 紬で装丁されているのですが――そういう本を触ると、「この本読んで、読んで」と、本が囁いてくるのです。
栃折さんは一冊の本の装丁に、全霊をかけておられるわけです。
そこまでして本を作るというのは、誰かに手に取ってもらって、触ってもらって、匂いを嗅いでもらって、そして読んでもらいたい、という栃折さんの願いがこもっているのでしょう。
そんな本たちが私に囁きかけてくるのです。
こういう幸せな対話が本と出来たときは、嬉しかったですね。
私が図書館に就職しようと思って、色々勉強したり調べた事と、自分が就職した図書館の現場を照らし合わせて考えますと、図書館の使命がずいぶん変化していることを発見しました。
昔は図書館は勉強する人、学生が受験勉強する所、つまり「勉強の場」ということで、多少敷居が高く、静謐を旨とするというような場所でした。私がよく通った大学図書館もそうでした。
私が図書館に就職したのが昭和40年で、最初着任したのは母校の大学図書館でした。
大学図書館は利用対象者が学生・教職員だけで、卒業後すぐでしたし、そこではあまり変わったとは思いませんでしたが、昭和54年に公共図書館に異動した時、この15年ほどでずいぶん図書館は変わっていました。
1960年代前半に日本図書館協会が『中小都市における公共図書館の運営』(通称「中小レポート」)を出し、図書館は本をしまっておく所として考えるのではなく、図書館のサービスはゼロ歳の赤ちゃんからお年寄りまで、気軽に足を運んでもらえるような場にしなければならない。
「エプロンつけて図書館へ」「赤ちゃんからお年寄りまで」「利用者から求められたものは、草の根をわけても捜して提供する」というのが、大多数の公共図書館のスローガンになっていきました。
赤ちゃんが図書館で泣いても、子どもが少し騒いでもよしとする、図書館には授乳室を作りなさい、おむつを変える所も作る、多目的トイレを作りなさいということで、いわゆる「勉強を主とする場所」から「市民の教養と楽しみの場」に変わっていきました。
本は家に借りて帰って読むものというふうになったのです。
閲覧席の殆どない図書館が出来てきました。
そして図書館の本は「新鮮」でなければいけない、つまり市民の求める新刊をたくさん揃えなさい、新しい本が入ってきて、書棚からはじかれる古いものは廃棄を進める、ということで書庫をほとんど持たない図書館が作られるようになりました。
図書館は敷居がずいぶん低くなって大衆化していったのです。
このような大変化の中で全国の図書館は貸出数を競っています。
貸出数の多いことが、市民(利用者)の支持を得ている証とする発言が続きました。
図書館の現場はどうやって貸出数を増やそうかということに知恵を絞ります。
その結果、図書館の図書の品揃えに変化がでてきます。人気のある作家の本が複数用意され、あまり待たずに市民が希望する本の貸出が受けられるようになってきました。
59歳で横浜市を定年退職し、さてその後をどうするかと、何年かを鬱々と過ごしていた時に、千代田区立図書館が指定管理者を募集するという話しを聞きました。
そしてこれの要求水準書、すなわち千代田区が応募してくる会社に対して、これこれの水準の図書館を作りなさい、その上に図書館運営の色々なアイディアを出すように、と要求していました。
その千代田区の要求水準書には「貸出を年間何十万冊にしなさい」とか「登録率を何パーセントにしなさい」ということがありませんでした。
私はそれを見たときに、日本の図書館もこれを契機に新しい芽を出し、らせん状に発展できるのではないだろうかと思い感激しました。
千代田図書館以前に10館くらい民間経営の手法(PFI・指定管理者制度)を採用したところがありますが、貸出数と登録率の増大を謳わなかったところはなかったのです。
今までは図書館の「外的」な話しをしましたが、もう一つの大きな変化は、図書館内部の仕事の変化です。
多数の図書館には司書の資格を持つ専門職がいます。
目の前の司書が本当に専門職かどうかということは大いに意見があるところでしょうが、つい先程まで図書館の専門職といわれていたのは、本のことを良く知っていた人が多かったからです。図書館で仕事をする以上は、本のことを良く知っていないと、実際に使い物になりません。
私が就職をしたころの図書館は、仕事を通じてまがりなりにも本についての知識を得ることが出来る時代でした。
その頃の司書はNDC(日本十進分類法)の1000区分で、001から999までの分類を全て暗記していたものです。
ですからカウンターである本の質問をうければ、例えば「それは×××の分類番号がある棚を見てください」と瞬時に案内できました。
ところで、現在の日本では年6万タイトルの本が出版されると言われていますが、その中から中規模自治体の図書館は年間に何冊の本を買っていると思われますか?
年間2、000冊〜2、500冊くらいでしょう。
本の取次会社が出版される3日ほど前に、新刊書を手に入れ、それの書誌データMARC(マーク)を作って図書館に流します。図書館はそのMARC、いわゆる電子情報で本を選ぶのです。
「本の顔」をあまり見ないで選んでいるのです。またそれで本が選べると思っている人が多くなっています。
昔も今も、図書館で働くには、どれだけ多く「本」を知っているかが、第一に必要なのです。
ここで笑えない話を一つ。
渡辺淳一の『失楽園』がベストセラーになっていたころ、年配の方から「失楽園はどこにあるのでしょうか」と聞かれたとき、「それは渡辺淳一が著者ですから「ワ」の棚にあります」と案内しました。
しかし、その方はミルトンの『失楽園』を探していたのです。案内した司書は、ミルトンを知らなかった・・・だから『失楽園』と聞いた時、渡辺淳一しか思い浮かばなかったのです。
そういう話は、最初はまさかと思っていましたが、図書館に一回も足を運ばずに卒業論文を書き、大学を卒業する学生がいるという話を聞くと、さもありなんと思ってしまいます。
貸出カウンターでも、バーコードをスキャンする仕事をしていますと、作業者には本のタイトルも目に入ってきません。
貸出の現場がこのように、本を見て買うということ、本を見て貸すということを失ってしまっていますので、司書にはなかなか現場で本の知識を得る機会がなくなってきているのです。
ともかく一冊の本を買うために、ためつすがめつ眺めて、この本がこの図書館に必要だと決めていく間に、仕事をする司書は本を血肉化していくのです。
「あの本がありますか?」と聞かれたら、即座に「その本はあります」と、カウンターの中で胸を張って言えることが必要だったのですが、そういうところがコンピュータ化ということで、殆どなくなってしまったのです。
しかし、コンピュータ化によって、たくさんの人手が省け、人員の合理化ができたのは事実です。
失われたそれらに代わって、私たちはどうすれば本の知識を得ていくことが出来るのか。
私は横浜にいた最後の10年くらいは、とにかく書店に行って平積みになっている本を見るだけでなくて、棚に差してある本を見て来なさい。
それから新聞の書評は必ず読みなさい。それも一紙だけでは駄目。新聞は新聞社によって意見が色々ですから、必ず二紙以上読みなさいと。
書評専門紙にも目を通すこと。
あとは千代田図書館でもコーナーを作っていますが、各出版社が出しているPR誌、これは発売前に出版情報が得られますから、絶対にみること。
この4つだけは、何があっても実行することを熱心に言ってきました。
これを毎週・毎日・毎朝やっていると、2〜3年後には必ず力が付いてきます。つまり本と著者、出版社のことが判るようになってくるのです。
小さいことでも継続することの大切さが良く分った気がいたします。
何割かの人は一生懸命に実行して、「きょうはあれが出ていましたね」とか「先週はこの本の書評があったが、A新聞とB新聞の書評が、切り口・評価が違いますね」など、食事をしながら本の話をする、毎日のそんな時間を大事にしました。
ですから勤務時間中は、事務的な話も勿論しますが、「本漬けの生活」を送ることによって、カウンターで本を中心としたサービスが出来るのだと思います。
これにはかなりの自信をもって、皆に勧めてきました。ただ最近の若い人(こんな言い方は嫌いですが)は、「一つのこと」に熱くならないで、しらけている人が確かに増えてきていると感じています。
ここで唐突ですが著作権問題と複写機の設置の話しをしたいと思います。
今日、皆さんが図書館でコピーをとるとき、殆どの場合、自分でお金をコピーベンダーに入れて、セルフサービスでコピーをとるということになっています。
以前は図書館でコピーをとる手続きがとても煩瑣でした。
なんという雑誌の何ページから何ページまでコピーをとります、云々と言う複写申込書(もしくは複写申請書)を提出して、図書館の職員(司書)がコピーをとる作業をしていました。セルフサービスでコピーをとっても、たしかに申請したとおりコピーをとりました、それ以外の未申請のコピーはとっておりません、ということを、図書館職員がカウンターで検品をしていました。
最新刊の雑誌は、ひとつの論文の半分以下のコピーがとれる――、新聞も朝刊は夕刊が配架されるまで、夕刊は翌朝の朝刊が閲覧に出されるまではコピーができないとか、詳細なコピー取り扱いマニュアルがあります。
これらは図書館においてコピーを行うときの、著作権法による制限です。詳しくは直接「法」の条文をご覧下さい。
コピー問題でイライラした経験はございませんか?(あります。あります)
ありますでしょう?ものすごく腹がたったでしょう?(たちました。それに高いのです。30円)
昔は一枚30円の図書館が多かったですね。
私たちは図書館の現場で発生するトラブル解決のため、あるいは、人手の問題をなんとかならないものだろうかと知恵を絞った結果、利用者・図書館双方にハッピーな、ある「問題解決」法を見つけたと思ったのですが、それはまだ法的には「考えられないこと」という事です。
そんな「問題解決」法を一生懸命に考えた者がいた、という程度で話を止めておきます。
最初に栃折さんの装丁の話をしましたが、内容はもとより「装丁」に限っても、千代田図書館に所蔵している、内田嘉吉文庫に素晴らしい本が沢山あります。
触るだけでドキドキしてくるような本達です。
皮(いろいろあります)装のものが多いのですが、表紙絵の綺麗なものなど、1冊の本を作るのに内容だけではなく、全体として一つの芸術品と考えていたということがよく判ります。
また装丁は持ち主個人が行った時代もありました。手間・暇・金をかけて大切に作り上げていった様子がよく判ります。
最近の本は値段が高価になるからでしょうが、装丁にそんなにお金をかけていないということもありまして、やはり、きれいな本、装丁に気を使った本というのは、触ったり眺めたりしていると内容までが分ると言いますが、本の「品格」を感じます。
千代田図書館では機会を作って、公開していきたい意向と聞いていますので、是非ご覧になって味わってください。
千代田図書館の指定管理者制度導入のための要求水準書を見て、感動したという話しをしましたが、ご縁があって、千代田図書館のリニューアル開館業務に参加出来たということは、私の人生の中で得難い経験であったと思っております。
レジュメに官の限界、民の弱点なんて偉そうなことを書いてありますけれど、指定管理者制度を導入し成功している、千代田図書館の運営を一年見た上での、官の限界、民の弱点について、あくまで私見ですが、ある部分に限って述べてみたいと思います。
私は千代田図書館のハード面だけではなくて、運営つまりソフト面のところで民営化の良いとことが大変出ていると思います。
例えば千代田図書館にはコンシェルジュが「図書館の案内」専門の仕事をしています。
今まで図書館の案内というのは図書館の職員が行っていた所が多く、ピンポイント的な面白くない案内が多かったと思います。
「図書館案内」を中心にすえた業務にはそれなりの案内の仕方のスキルが必要です。
図書館を「見る」「触る」「知識を得る」という、美術館、博物館的に考えるなら、どのように案内してもらうかで、その図書館を理解する深度が違ってくるだろうと思います。
この業務は千代田図書館のゲイトウエイとして「実(じつ)」があがっています。
千代田図書館が掲げる5つのコンセプト(9階に掲げてあります)の入口として、ますます重度が増してくるものと思います。
図書館の案内に閉じこもるのではなく、積極的に「千代田区の中の図書館」を意識していることを、私は評価しているのです。
これは官では出来ません。官では案内を主たる業務とするという人は置けません。
それから展示ひとつするにしても、美術館的な見せる(魅せる)展示が企画・実行出来、よませるキャプションが書けるという力量を持った司書は極めて少なく、図書館として必要な人材なのだけど、中に抱えられないのが官の実情です。
指定管理者制度では、例えば来年度こういう事業をするから、そのことに必要な資格・スキルを持った人を単年度雇用しようと思えばできるのです。
もちろん短期雇用の場合が多いですから、働く側の諸問題は内包しているわけですが、運営する側からは、事業にあわせて人材を抱えられるということは、今までの図書館では望んでも実現できなかった、重大なメリットだと思います。
民の弱点はなにか。
千代田図書館で仕事をしている人は、千代田図書館に職を得る前に、色々な職場・図書館を経験した人達が殆どです。
その人達が前のA区図書館にいたときの経験が、そのまま千代田区図書館で100パーセント役に立つかといえば、私はそれはそうであるとは言い切れません。
本当に素晴らしいスキルを持つ経験者を、指定管理者制度を採用した――つまり、従来の図書館と違う運営をしようとしている千代田図書館に合致したサービスができる人になっていってもらう為には、人事・労務・研修等はどうあるのがより良いのか、まだまだ解決していかなければならないことを、焙り出していかなければなりません。
この部分は勿論、官営の大多数の図書館にも、そっくり当てはまることでもあります。
折角集まってくださった方々に聞いていただくには、話は煮詰め足りないものになりましたが、「兎に角本が大好き人」の呟きとして、本日お話しようとした内容は以上です。
ご静聴ありがとうございました。 (拍手)
文責:臼井良雄 ・ 写真撮影:橋本 曜 ・ HTML制作:臼井良雄