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NPO神田雑学大学 第430回講座 学位授与 記念講演


2008年10月31日 会場・千代田区九段生涯学習会館
学位授与 記念講演・授与式 18:00〜19:00
祝賀パーティ 19:30〜20:00

「犬・蕎麦・俳句 わたしの雑学的人生」、講師、吉田悦子 (吉田 悦花) 
    



目次

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1、講師プロフィール
2、私と雑学大学
3、雑学的人生?
4、失われた人間性を取り戻せというメッセージを伝える使者
5、ニッポンの風土や文化、日本人の生き方・精神性を色濃く反映
6、八つ裂きにされた木の記憶から
7、草や木や山や雲にも名前がある
8、素朴でシンプルで無限の魅力
9、道草を繰り返し、いつのまにか一本の道を歩いている



吉田悦子講師
1、講師プロフィール

*下線をクリックしてご覧下さい。

吉田 悦子 千葉県出身。作家。

吉田 悦花

主宰サイト

雑学大学 主な講演記録


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  • 私と雑学大学

私と神田雑学大学とのご縁も、おかげさまで長くなりました。神田雑学大学が、ここ神田に創立された1999年、11月19日に開催された第2回講座で「私が犬と暮らす理由」というテーマでお話させていただきました。その後も、犬について、俳句について、そして食についてなど、私が著書を出すたびに、さまざまなテーマでお話させていただきました。

私の講演デビューは、神田雑学大学の創立より、さらに数年さかのぼり、吉祥寺村立雑学大学なのです。これは、神田雑学大学の三上卓治学長のお世話で実現したものです。当時、三上さんは、吉祥寺村立雑学大学の世話人をなさっておられました。1994年11月20日の「感動の愛犬物語」という講座が、みなさまの前でお話させていただいた、まさに初講座でした。

そのとき私は、まだほんとうに若くて、おっかなびっくりでした。三上さんの記憶によると、「受講生は20余名、質疑応答のとき、見知らぬおばさんが発言を求め、愛犬の思い出を語り出したら、涙が止まらなくなったことがありましたね」とのこと。「貴女は、話を引き出すのが巧みで、相手はついつい喋ってしまうのです。話をしても、決して嫌な顔をせずに聞いてくれるから、癒しの空間が、そこで生まれるのですね」という、過分なお言葉もいただきました。

それから10年余り、雑学大学のおかげで、修練を積ませていただいて、面の皮もちょっぴり厚くなって度胸もついたのか、いただいた時間の中で、自分なりにお話をさせていただくということができるようになってまいりました。

講演のほかに、もう1つ、私が神田雑学大学に心から感謝していることがあります。それはホームページです。わたくしのホームページは、2003年夏、神田雑学大学の理事の和田節子さんこと「さといも」さんに、すべて作成していただいたものです。「吉田悦子」で検索していただけますと、すぐわかりますので、1度ご覧いただければと思います。個人のホームページとしては、開設当初からコンテンツが非常に充実していたので、訪ねてくださったみなさんは「スゴイですね」とびっくりされます。

その名も「吉田悦子アーカイブス」。私が、これまで新聞・雑誌に発表したコラムやエッセイやインタビュー記事や講演録など、大小さまざまな原稿を載せております。これも自分の仕事全体からすれば、ほんの一部なのですけれど、著書の紹介から犬についての取材記事、俳句作品もあり、蕎麦についてのブログにもリンクしていたりと、ありとあらゆる内容が、ぎゅーっと詰め込まれています。さといもさんは、私のそれぞれの記事をとても美しくビジュアルにまとめてくださいました。何度もリニューアルしていただき、折ごとに記事の更新もお願いするなど、現在に至るまでたいへんお世話になっております。

おかげさまで、私のホームページやブログ、さらに、こちら神田雑学大学の講演録をご覧なった方から、本やコラムの執筆やインタビュー取材、講師や番組出演の依頼など、実にさまざまなご依頼をいただくことも多くなっております。まさに、ホームページに「吉田悦子」または「吉田悦花」という人間が、まるごと表現されているのですね。

講演会場風景、大勢の受講生、後ろの方にはテレビカメラもスタンバイ

このように、多くのみなさまにアピールするホームページをつくってくださったさといもさんは、神田雑学大学のホームページの作成を担っておられる中心的存在でもあります。神田雑学大学の素晴らしいところは、毎週金曜日に、さまざまな分野の第一線の方を講師にお招きして、2時間講義をするだけでなく、毎回の講座の抄録と画像をホームページにきちんと記録し、蓄積されていること。私は、神田雑学大学の頭脳をそのままお借りして、その多大な恩恵に欲しているといえるでしょう。

こうして、神田雑学大学の創立直後にお話させていただいてから、またたく間に10年近い歳月が流れました。現在、生涯学習のオーソリティーとして注目を集め、全国に雑学大学が生まれ、続々開講しているとのこと。これも、毎週の実に多岐にわたる講座を開設し、維持管理するために、骨身を削って尽力されているみなさまのおかげと、心より敬意を表したいと思います。
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  • 雑学的人生?

そしてこのたび、思いがけず、この私が博士号を授与されることになりました。まことに光栄でございます。これから1時間ほど「わたしの雑学的人生」というテーマでお話させていただきたいと思います。

「講座のテーマをどうしますか?」といわれて、「雑学的人生」ではいかがでしょうか?と安易に申しあげてしまったのですけれど、実は少し後悔しております。私のような若輩ものが「人生」なんてことを、しかも、知のアーカイブスである神田雑学大学で、「雑学」を語ろうなんて、畏れ多くて10年どころか、50年早いといった感じです。

でも「雑学」と「人生」のまんなかに「的」を入れておいてよかったかな、とも思います。よく若者ことばで、「わたし的には〜」とか「気持ち的には〜」とか、「○○みたいな」といったいい方があります。「なんとかです」とか「なんとかだ」と言い切らない、若者を中心に多用される、ぼかし言葉の代表格といわれる表現ですね。私は、「雑学的」とあえて「的」を入れたことで、「雑学的人生」という、わかるような、わからないような、「一体なんなの?」という感じになったのではないかしら、と思います。

で、「犬、蕎麦、俳句」ということです。ふだんあまり意識していないのですけれど、私には、いくつかの「顔」があるようなんですね。たとえば、私は、犬などについて執筆する場合は「吉田悦子」を用いて、俳句や蕎麦については「吉田悦花」を名乗るというように、いつのまにか、名前を使い分けるようになっております。

吉田悦花というのは、よろこびの花と書くのですけれど、俳句の号、つまり俳号です。俳句を始めてから15年余り、ずっと使っております。ご参考までに、吉田悦子の場合と、吉田悦花の場合のプロフィールを2種類掲げてみました。犬についての取材や執筆を始めて、また俳句を詠むようになって約15年、「江戸ソバリエ」として蕎麦に関係するようになって5年くらいになります。それぞれについて、活動の幅もどんどん広がっているような気がしています。

考えてみると、犬も蕎麦も俳句も、いずれも「和」モノなんですね。私は、もともと生きものが好きで、植物、昆虫を問わず、自然一般が好きです。とくに犬は、雑種であろうと、どんな種類であろうと興味がありますし、何でも好きです。連載記事では、15年くらい各地の日本犬の取材を続けています。

吉田悦子著書、日本犬、犬ときらめく女たち

そのほかの人気犬種については、やる方はたくさんおられると思いますけれど、どちらかというかマイナーな犬種であるニッポンの犬を長いこと追っている女性の物書きというのは、たぶんあまりいないと思います。不思議なことに、犬についての取材を始めたのと、俳句を詠むようになったのは、いずれも20代のほとんど同時期なんですね。
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  • 失われた人間性を取り戻せという
      メッセージを伝える使者

私は犬の中では、日本犬、そして俳句、蕎麦と、いずれも日本固有の文化です。
えっ、日本犬も日本の文化なの?と思われるかもしれませんけれど、そうなんです。わたくしの単行本デビュー作で『日本犬 血統を守るたたかい』という、新人物往来社から初版が出て、のちに小学館文庫になった著作があります。これについて、横浜・ズーラシアの増井光子園長が、「日本犬は、日本人とともに何千人も日本の風土の中で生きてきた日本の文化遺産なのです」ということばを寄せてくださっています。

昭和以前は、柴犬や秋田犬や甲斐犬や北海道犬や四国犬や紀州犬といった日本犬の価値を認める人はほとんどいなかったのですね。その結果、海外から入ってきた洋犬との掛け合わせなどで、雑種化が進んで、絶滅してしまった日本犬も少なくありません。

ペット(愛玩動物)ということばは、勝手気ままに改良するといった人間のエゴイズムが見え隠れします。その中で日本犬は、人為的な改良をほとんど加えられないまま、日本の風土が長い間守り育ててきた、原始的で素朴で野性的な犬です。つまり、日本犬という犬種には、原始性、原種性、野性という、犬という生きものの性質の原点が、かなり色濃く残っているんですね。

犬のルーツといわれるオオカミの性質を受け継いでいるというと、凶暴とか野蛮といったことを連想するかもしれません。本来、野性とは、自然そのままの性質、つまり自然界でほかの助けに頼らず、自力で生き抜く性質のことでしょう。とくに、甲斐犬、北海道犬、四国犬、紀州犬などの中型日本犬と長く暮らしている人は、日本犬のことを「人によくなつく性質を持ち、人と気持ちを通じ合わせることができる野獣」と理解しているようです。

吉田悦子著書、うちの犬がぼけた、イヌ好きが気になる50の疑問

約1万年を経ても、日本犬はほとんど変っておりません。数ある犬の中でも日本犬は、いまだに犬の原型ともいえる体型と性質を根強く残しています。世界的に貴重な犬種といえます。そうした日本犬の形態や性質に、日本人はもっと畏敬の念を持ち、日本犬を守り相棒としてきたことに、もっと誇りを持ってよいのではないでしょうか?

日本犬と向き合っていると、心安らぐという人は多いですね。人間は昔、田畑を耕し、馬や牛や山羊や鶏などの家畜を飼って暮らしてきました。その中で、人間ではない生きものの命を感じ、慈しんできたのだと思います。犬の多くが愛玩犬といわれる現在、猟犬としての本能を残す日本犬は、人間が遠く失ってしまった野性や自然を感じさせてくれる最も身近な生きものです。でも、現代人には、心身ともに強靭な日本犬を飼いならすことは難しくなってきていることも、また事実です。自然から切り離されてしまった私たちに、日本犬は、失われた人間性を取り戻せ、原点に還れ、というメッセージを伝えてくれる使者なのかもしれません。
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  • ニッポンの風土や文化、
      日本人の生き方・精神性を色濃く反映

話は、がらりと変わりますけれど、私が、「江戸ソバリエ」を通して蕎麦に開眼したとき、「あっ、蕎麦って日本犬と似ている、同質なものだな」と感じました。それで、蕎麦を極めるソバのソムリエのオフィシォル・ハンドブックとして『江戸ソバリエ』という本にまとめさせていただいたとき、そのあとがきに、次のように記したのです。

「私は日本の風土の中で生き抜いてきた日本固有の文化遺産である日本犬をテーマに、一〇年以上にわたり取材を続けています。拙著『日本犬 血統を守るたたかい』のあとがきで、「日本犬という犬種には、ニッポンの風土や文化、日本人の生き方・精神性というものが、かなり色濃く反映されている」と記しました。ここで、この一文の「犬」を「蕎麦」に置き変えてみてください。蕎麦という食べ物を端的に表した文章にならないでしょうか。」

このあとがきを見て、「なんで蕎麦の本に日本犬が出てくるのか?」という方がいらっしゃいました。しかし、これは、こじつけでもなんでもありません。それまで日本犬について追ってきた私の目には、蕎麦も「ニッポンの風土や文化、日本人の生き方・精神性というものが、かなり色濃く反映されている」と映り、共通点を見出していたのです。でも、この直感は、はずれてはいなかったと、それから4年ほど経つ現在も感じております。

犬、蕎麦、俳句、いずれも「和」モノで、日本固有の文化であると申しました。私の中には、どうやら、できるだけ自然に近づきたいというか、原始信仰みたいなものが隠れているようです。自分の命を生かしてくれる自然に対する崇拝の気持ちといいますか。・・・・・

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  • 八つ裂きにされた木の記憶から

人間は、自然の恵みなしでは生きられません。私たちの生活は、何らかの犠牲のうえに成り立っています。人間の生命を支え、生命の糧を恵んでくれる自然や、さまざまな生物の命を犠牲にしてきたことに深く感謝しなければならない。自然を犠牲にして人間だけを生かすということは、人間性そのものを喪失することになるのではないかと思います。

そういえば、私の自宅の近くに、この夏、マンションが建ちました。そこを更地にするに当たって、何本かの大きな木が倒されました。それが、ただ切り倒されたのではなく、工事現場の重機で、一本の木が八つ裂きのように、めちゃくちゃに切り裂かれてしまった。その様子を目にしたとき、私はびっくりしました。

木だって生きて、そこに存在しているのです。経済効率が率先される現場では、木に対する配慮など考えられないのでしょうが、塀を壊すように木を切り裂くというのは、いくらなんでも乱暴な気がしました。乱開発など、もっと大規模なもの、地球規模でどこでも見られることなのでしょうけれども、住宅街の一角、小学生の通学路の前で、こうしたことが無造作に行われていることに、私は少なからざる衝撃といいますか、戦慄を覚えました。

昔の日本人は、草木にも人間と同じ生命があるということから、草木を伐採したとき、人間と同じように樹霊を弔い、石を祭って供養したそうです。大切にしなければならない精神を置き忘れてしまった日本人の、現在のこころの貧しさの一端を目の当たりにしたような気がいたしました。

日本人は、もともと、太陽、水、山、木、石、生きものなど、すべての自然に、人智の及ばない大きな力や魂が宿り、神が宿っているとして、崇拝してきました。とても素朴でシンプルあったわけですね。そうした素朴な心を育むものは、原始信仰なのかなあと思います。

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講演風景

  • 草や木や山や雲にも名前がある

私は、俳句は詠むようになって、言葉に敏感になったと思います。「自然を大切にしましょう」といいながら、野山の草花や鳥の名前を知らない、ということがあるかと思います。平気で雑草といういい方をしたりします。しかし、雑草なんていう草はないんですね。オミナエシ、アワダチソウ、ツユクサなど、草や木や鳥や虫や魚、川や山、雲にも一つひとつ名前がついています。

まず、そうした植物を認識することが、自然を愛する、愛でるということだと思います。歳時記は、俳句をつくる場合の辞書のような役割を持っていますけれど、歳時記は季節のインデックスだと呼ぶ人もいます。それくらい季語には、日本人の季節感や生活感が凝縮されているものです。

私と俳句の出会いについては、これまで雑誌のインタビューなどでも申しあげているので、ここではとくにふれませんけれど、20代の若い頃に俳句と出会ってよかったな、と思います。俳句を通して、昔の日本人の感性や自然との付き合い方や自然に根ざした美しいことばを知ることができました。

もちろん、最初はちょっと古めかしいなあ、と違和感もありましたけれど、自分の言葉を広げるのも冒険ですから、新しい聞きなれない言葉を用いることは楽しいと思うようになりました。新しい言葉を使うことは、新しい自分と出会うことでもあります。

ですから、俳句をやっていると、お金持ちにはならないかもしれませんけれど、言葉をたくさん蓄えることができます。俳句で言葉を選び凝縮する作業を繰り返していることが、私の場合、散文を書く場合にも役立っていると思います。

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  • 素朴でシンプルで無限の魅力

俳句の魅力は五七五という限られた音でさまざまな世界や宇宙をも表現できる、素朴でシンプルでありながら、無限であるということです。素朴でシンプルといえば、蕎麦です。世の中には、おいしい食べ物や料理はたくさんありますが、蕎麦は素朴でシンプルな、無理ムダのない食べ物です。この点も無駄のない非常にシンプルなフォルムで、犬の原型を今に伝える日本犬とよく似ています。

それだけに、ごまかしのきかない、微妙な違いはすぐにわかります。おいしい蕎麦には、作り手と食べ手の間に無言の会話が生まれ、一期一会の感動があります。作り手の心意気が体中に伝わり、すがすがしさに包まれます。

ときおり拝見する蕎麦打ちの様子も魅力的です。清潔な身なりで、一心に蕎麦を打っている姿は、どこか修行僧にも似て、独得の間や型や美意識を感じます。また、蕎麦の花は可憐ですよね。しかし、荒地に生えるたくましさを持ち、その実は香り高く、野性味と気高ささえ感じさせます。ほんとうに、たかが蕎麦、されど蕎麦、です。

俳句というと、最近はそうでもありませんが、以前はよく、俳句イコール侘び寂びということがいわれました。「侘び」といえば、千利休の茶がよく知られています。私は無作法で、お茶についてよく存じませんけれど、茶の本質は、独創性、自然性、精神性という三つではないかと思います。茶室は、空間を小さく凝縮して濃い密度の中で、精神性を高めてきました。

どこの国でも、自分たちの国の歴史や文化や伝統というものに誇りと知識を持っています。中国には、「十年木を植える。百年人を育てる」という言葉があります。日本は、良き伝統や習慣を守ることより、物欲を満たすことのほうが先になってしまったようです。

「閉塞感」という言葉がはやりましたが、自分は何のためにこの世の中の生まれてきたのか、どうやって自分の人生を生きるのか、たしかにそうした考えや志は失ってはならないと思います。何になるかということも大切でしょうが、それを通じて自分は、社会のためにどれだけ貢献できるかを考える。大げさかもしれませんが、それを認識することが大切であり、生きる原動力にもなると私は思います。

人間というのは、おカネのあるなしには関係ない。若年期の自分探し、中年期の自己実現、老年期の社会貢献の三つに大きく分けられるという指摘もあります。神田雑学大学は、その自己実現と社会貢献において、大きな役割を担っていると思います。

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  • 道草を繰り返し、
     いつのまにか一本の道を歩いている

私は、これまで、できるだけ何事もプラス思考で対処して、「いい加減」に生きてきたことが、心身の健康に結びついたかなあと思います。これからの抱負を少し述べさせていただくと、まず第一に、健康で元気でありたいなと思います。そして、またお目にかかったときに、「吉田は、いい顔になったな」といってもらえるようになりたいです。

やはり、顔は履歴書ですから。よきにつけあしきにつけ、その人の生き方のすべてが表れてしまうと思います。わたくしは、とくに物を書くという表現に携わっていますから、自分の内面が現れる顔も大切にしたい。「いい顔になったな」と思えるように、さまざまなみなさんと出会い、切磋琢磨する中で自分を磨いていきたいと切に願うのです。

わたくしは20代のとき、自分はこれといった才能もないけれど、できるだけ長生きすることにしようと思いました。白洲正子さんや加藤シズエさんや吉行あぐりさんや新内の岡本文弥さんといった方にインタビューするうち、長生きも才能のうちなんだなと、実感いたしました。

とくに、当時百歳現役だった岡本文弥さんは、谷中のご自宅で「人間は誰でも自分に与えられた仕事に専心し、生涯を賭ける情熱を持てば幸せになり、長生きできるんですよ。あとは運か縁まかせと悟って、暢気に生きればいい」とおっしゃいました。

そして著書に、「コツコツ生きて仕事する」とサインしてくださいました。みなさんの親切に報いて、楽しく生きる。あっちこっち寄り道して、夢中になって、道草を繰り返し、なんとなく、それらが収斂されて、いつのまにか一本の道を歩いている、そんな生き方に憧れているのかもしれません。

花束を抱えた吉田悦子さんと、コメントする和田さん いろいろ述べてまいりましたけれど、私はいま、犬・蕎麦・俳句を通して、「雑学的人生」のほんの入口に立ったところです。お集まりのみなさまと、今日の授与式の記念講座を良きご縁に、犬・蕎麦・俳句、いずれを通してでも結構ですから、長く愉しく親しんでおつきあいさせていただきたいものです。

これからも、すばらしい出会いを求めて、素敵なみなさまと、より豊かなおつきあいができますよう、私自身、研鑚につとめていけたらと思っております。

最後になりましたが、やがて10周年を迎えられる神田雑学大学のますますのご発展を祈念しつつ、私のお話を終らせていただきます。ありがとうございます。


江戸ソバリエとして、CS放送「日テレG+(ジータス)」の情報番組「おとな館」特集「粋に新そば」(2008年11月15日放映)ゲスト出演した様子は、読売新聞HPの「映像」サイトでも番組をすべて視聴できます。
<<↓↓動画はコチラ↓↓>>      http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_otona/otona176.htm





文責:吉田 悦子(悦花)
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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