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2010年1月11日 神田雑学大学定例講座No490

母校の襷をつないだランナーたち、講師:碓井哲雄



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講師プロファイル
1)マラソンと駅伝の違い
2)駅伝とは
3)箱根駅伝の歴史
4)箱根駅伝、人気の理由




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碓井講師

講師プロファイル

1941年、東京生まれ、東京都久松中学―中央大学杉並高校―東急電鉄―中央大学―名古屋鉄道―本田技研工業。中学、高校、大学、社会人を通じて長距離走、駅伝、マラソンを選手として走り、中学時代全国通信大会3000mで東京都優勝、高校2、3年に高校駅伝に連続出場。2年時には4区で区間賞(区間新)に輝く。東急時代に中村清先生に師事し日本選手権、5000m10、000m第2位、全日本実業団駅伝優勝メンバー(東急チーム)として貢献する。
大学では主力ランナーとして箱根駅伝に3度出場し、5連覇、6連覇に貢献する。

卒業後は駅伝、マラソンの指導者としての道を歩みナショナルチームの選手育成にもたずさわる。また解説者として箱根駅伝などテレビでも解説している。

*最高記録 
5000m 14分20秒4 (1964)
10000m 30分02秒4 (1964)
マラソン 2時間18分43秒 (1966)

先週2日3日 第86回の箱根駅伝が終わりました。新記録は出ませんでしたが、柏原君という山登りの怪物がいて、昨年に引き続き東洋大学が優勝しました。沿道の応援も二日間合わせて110万人(昨年は100万人)視聴率も昨年より上がって27.8%に達するという日本的なイベントになっています。
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1)マラソンと駅伝の違い

マランと駅伝は根本的に違い、駅伝は陸上競技の種目に入っていません。マラソンというのは、ご承知のように42.195Kmを走る正式種目です。マラソンの語源は紀元前490年に第2回のペルシャ戦争がギリシャのマラトンというところで戦われ、ペルシャの大軍をギリシャのアテネ軍が打ち破り、一人の兵士がマラトンからアテネまで走り、戦勝を報告するや息が絶えたのが語源になったといわれます。

その距離がだいたい40Kmだったそうです。第一回オリンピックのマラソンコースの距離は39.99Kmだったそうですが、2回、3回はだいたい40Kmぐらいで競われたようです。
1908年ロンドン大会のときに、イギリスのウインザー城からロンドン市内まで40Kmのコースを用意したのですが、王様のエドワード七世が、スタートを王宮の庭から見たいとわがままをいいだして、2195メートル出発点を下げたことに起因します。

当時の記録は2時間55分18秒でした。現在世界記録はエチオピアのハイチ・ゲブレシュラセが持つ2時間3分59秒、日本記録は高岡選手が持つ2時間6分16秒です。本来マラソンはアマチュアの競技ですが、現在はプロ化して大きなマラソン大会はほとんど賞金レースです。優勝賞金は500万円とか1千万円といわれますが、10着まで賞金がでるようになっています。

大きな大会では盛り上げるために、優秀な選手に支度金を積んで出場を依頼するのが普通です。相場として、オリンピックのメダリストを呼ぶには、5百万から1千万かかるといわれます。 今マラソンは記録を狙う大会になっていて、記録がでるとボーナスがでます。そのためにラビットといわれるペースメーカーをつけます。ラビットは20キロ、30キロなど一定のペースで競技を引っ張りますが、それ以上は走りません。大会をみますと、ナンバーカードが少ないのが招待選手、50番台がラビット、一般の人は100番台以降をつけているのが普通です。
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2)駅伝とは

これは日本古来のもので、大正6年に首都変遷50年を記念して京都三条大橋から東京の上野の忍ばずの池まで約514キロを、関東、関西の対抗戦で3日間昼夜走りっぱなしで、42時間43分で関東軍が勝ったという記録が残っています。その時のゴールには、現在の箱根駅伝のゴールに匹敵するほど見物人が集まったそうです。

なぜ駅伝という名前になったかというと、奈良時代に駅制といって役人に馬と宿を用意するため、駅馬をつくったことに由来するといわれます。駅伝競技は、決まった距離がなく大体5〜10名ぐらいの選手が襷をつなぎながら勝負を競う方式です。ちなみに箱根駅伝は、10名の選手で約217.9キロです。

熱心に聞き入る受講生たち

昭和30〜40年代は東京青森駅伝とか東京大阪駅伝、大阪下関駅伝などありましたが
車の数が増えて開催が困難になり、現在残っている長距離駅伝は九州一周(10日間)だけになりました。 箱根駅伝も、安全の保証ができないのでやめてくれという意見もありましたが、国民的行事になっていることもあり、なんとか続けてくれということで現在に至っています。

駅伝の面白さは、トラックとちがって各区で抜きつ抜かれつの展開があり、早い選手だけをあつめても優勝できないというところにあります。今年の出場校で1万メートルの持ちタイムの合計が一番良かった日本体育大学が、結果的に総合10位、2番目に良かった城西大学が6位に終わったのががいい例です。このように、なにが起こるか分からないのがいいところで、この人気は今後も続いていくのではないかと思っています。

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3)箱根駅伝の歴史

箱根駅伝の歴史を辿りますと、大正元年(1910)オリンピックマラソンに出場した金栗四三(高等師範いまの筑波大学出身)の提唱で、駅伝を通じて長距離の選手を育てようと各大学、専門学校に声をかけて、大正9年に四大学駅伝という名称で参加したのが、東京師範、早稲田、慶応、明治大学。その後参加校がどんどん増えてしまったので、昭和55年から参加校を15校にシード、9校以外は予選で選ぶという方式となりました。これが、79回大会から20校となり、シード10校予選会上位9校、選抜チーム1校となりました。

正式名称は、東京箱根間往復大学駅伝競走という関東の大学の対抗戦で、関東以外に強い大学があっても出場できません。したがって、全国の高校の優秀な長距離選手は、殆んど関東に集まってしまいます。昔は留年して5回も6回も走った選手がいたのですが、いまは4回までと決められています。人気がでるにしたがって、各校が早い選手に拘るあまりアフリカなどの留学生を増やしたこともありましたが、現在は一校一名までとなっています。

各大学は選手の強化のために推薦入学、入学金授業料免除、合宿費無料、怪我の治療費負担など、いろいろなインセンティヴをあたえて選手をあつめています。
そのため各大学の監督、コーチもプロ化し、全国の有望な高校生を求めて日夜飛び回っています。いま駅伝に出場するような大学は、一校で40名から100名程度の部員がいます。この中から箱根を走れるのは僅か10名です。監督が悩むのは、練習で早い選手が必ずしも強くないということです。期待した選手がブレーキで、あてが外れるということはしょっちゅうです。

熱弁を奮う講師高校生で5000メートル15分以内のの記録を持っていれば、殆んどどこかの大学でも入学できるでしょう。それでも選手に選ばれて箱根を走れる人はごく一部分です。逆に弱い大学に入れば出場できて、テレビで中継される機会もあるというので、それを狙う学生もでてくる始末です。昨年柏原君という怪物がでて、東洋大学が二連覇しましたが、彼は高校時代無名で殆んど知られていませんでした。

他の大学は推薦入学の枠を使い切っていましたので、たまたま枠が残っていた東洋大学に入ったといううわさです。箱根の登りで二位に4分も差をつけて走れるというのは凄いことで、当分こんな選手はでてこないと思います。いま、高校駅伝を走っている選手で500メートル持ちタイム上位500名ぐらいは、駅伝の推薦入学枠で学校を選ばなければ入学できると思います。

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4)箱根駅伝、人気の理由

箱根駅伝の人気があるのは、まず86年の歴史のあること、コースが大手町から国号1号線を箱根の山を登り下りを走ることで、沿道に多くの観衆が集まること、正月2日、3日で会社、学校も休みであること、充実したテレビの実況中継で臨場感を味わえることなどがあげられます。

ちなみに今年の視聴率は往路27.2%復路27.9%で昨年よりあがっています。
最近は地元の強い要望で、日本橋を経由してゴールすることになったので、ますます人が増えました。以前は日大、中央大、早大、明治大など伝統校が強かったのですが、昭和40年代に順天堂大、日体大などの体育系大学が頭角を現し、50年代には駅伝だけのために有力選手を集めた 新興の大東文化大、神奈川大、山梨学院大などが活躍し、最近は亜細亜大、城西大、上武大などが力をいれ、この2年、東洋大が優勝しております。

平成22年(第86回)出場校
学校名 出場回数
東洋大学 8大会連続68回目
早稲田大学 34大会連続79回目
大東文化大学 43大会連続43回目
日本大学 13大会連続81回目
明治大学 2大会連続52回目
中央大学 81大会連続84回目
上武大学 2大会連続2回目
日本体育大学 62大会連続62回目
帝京大学 3大会連続11回目
青山学院大学 2大会連続15回目
東海大学 38大会連続38回目
亜細亜大学 9大会連続33回目
中央学院大学 8大会連続11回目
山梨学院大学 24大会24回目
駒澤大学 24大会24回目
東京農業大学 3大会連続65回目
城西大学 7大会連続7回目
専修大学 6大会連続66回目
法政大学 2年ぶり73回目
関東学連選抜 前回9位

このように人気が出過ぎた影響で、いろいろな商品にロゴマークが使われたり
各大学がスポーツビジネスと割り切ってか、出場するには金に糸目をつけないという   弊害がでています。その一つが外国選手の採用です。ケニヤ、エチオピアの選手が速いというのは、もともと2000mほどの高地に住んでいて、酸素が薄いのに慣れているので、低地にくると酸素がたくさん吸収できて運動能力が強化されるのです。
 最近の選手は期待が多すぎて、プレッシャーがかかり、思わぬランナーがブレーキになったり、棄権という現象もここ数年増えています。
                   

講座企画・運営:吉田源司
文責:得猪外明
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


本文はここまでです


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