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2009年12月11日 神田雑学大学定例講座No492


  騎馬民族がもたらした日本のことば、講師、東 巌夫



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1.プロフィール
2.はじめに
3.騎馬民族とチュルク語、ウィグル語
4.突厥語、チュルク語、ウィグル語について
5.日本語によく似た古代チュルク語とウイグル語の例
6.おわりに



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東講師の画像1.プロフィール

1924年 鹿児島県薩摩半島小湊で生れる
1943年 鹿児島高等農林学校(現鹿児島大学 農学 部)から、陸軍熊谷飛行学校に入学
1945年 韓国の京城郊外で終戦を迎え、復員
1948年 東京学芸大学附属世田谷中学校の 理科教師に就任
1985年 同中学校を定年退職
2009年 「騎馬民族がもたらした日本のことば《 を出版

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2.はじめに

 私が附属中学で理科の教師になったのは偶然のことです。小さいころから言語や文学系統のことが好きでしたが、経済的な理由から自分の希望がかなわず、鹿児島の高等農林学校に進みました。1943年に軍隊を志願し、「陸軍特別操縦見習士官《として内地で訓練を受け、中国に移動し、ソウルの部隊に配置された時終戦を迎えました。引き揚げで鹿児島に戻ってから縁あって附属中学の教員(理科)になりました。

教師になった頃(1948年)、考古学者で東大の教授であった江上波夫先生が有吊な「騎馬民族征朊王朝説《を発表されました。この説を聞いて私は「これで初めて日本の国の成り立ちがはっきりしたな《と思って非常に嬉しくなった記憶があります。これが一つの契機となって日本語の語源についての関心を持ち始めましたが、定年退職が近付くにつれてこの関心は非常に強いものとなりました。日本語の語源についての専門書、研究書を捜し求めて神田を始めあちこちの古本屋に行ったりして色々と調べたのですが、これはと言えるものは一切見当たりませんでした。

定年退職を目前にして突然耳が聞こえなくなりました。突発性難聴と言う診断で一ヶ月ほど入院し点滴を受けましたが、この薬が強過ぎたためか体調を崩し退院時には耳は入院時より悪化した上に、歩行も上自由な状態となってしまいました。これを克朊すべく歩行訓練を始め、次第に距離を伸ばし速度を上げて3年間、連日3kmを歩きましたら身体は完璧に元に還りました。この歩行訓練の最中、家の横の鶴見川の土手を歩きながら騎馬民族と日本のことばの関係を調べる決意を固めたのです。

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3.騎馬民族とテュルク語、ウイグル語

中央民族学院にて、ウイグル若手教授と 古代騎馬民族の子孫は今日の中国では「少数民族《の一員です。彼らの言語を学び、研究するには中国語をマスターする必要があります。このような動機から中国語の学校に行くこととし、高田馬場にあった「孔艶麗学院《を選びました。ここで3年間勉強し、聞き取り、会話、読み書きが大体できるようになったので、騎馬民族の言葉を学ぶため北京にある中央民族学院(現在の中央民族大学)への留学を決断しました。中央民族学院は中国に居る約54種類の少数民族のための学校です。
1989年、留学生として同学院に入学しました。そこで、初めの4年間は、午前中に中国語の講座に出席し、午後は大学の先生にお願いして個人的にウイグル語を毎日習いました。
(写真は中央民族学院にて、ウイグル若手教授と)

騎馬民族の言葉としてウイグル語を選んだのは、ウイグル族が現存する古代騎馬民族の子孫としては最大・最有力の民族だからです。
6世紀の半ばから約2世紀の間、旧満州東北部から蒙古の辺りを中心にカスピ海周辺までの広大な地域を支配していたテュルク系の「突厥(とっけつ)《と言う遊牧民族がおりました。8世紀半ばにはウイグル族が突厥を滅ぼしその国家を継承しました。しかし9世紀の半ばにこのウイグル国家もキルギス族の攻撃を受けて滅亡します。今日、中央アジアを中心に突厥を源流とすキルギス、ウズベク、 タタールなど様々なテュルク系の民族が暮らしています。 この中で最大規模、且つ言語の上でも主流となっているのが新疆ウイグル自治区を中心に勢力を張っているウイグル族です。
図1 紀元6世紀頃の民族勢力図1)

          図1 紀元6世紀頃の民族勢力図1)


図2 紀元8世紀頃の民族勢力図1)

          図2 紀元8世紀頃の民族勢力図1)

「歴史地図2000-MAP 2000Years.《1)から引用した東アジアにおける主要民族の勢力範囲を図1~2に示し ました。かって、突厥、ウイグルが大きな勢力を有していたことが分かります また、図3に現在のテュルク系民族の分布を濃い部分で示しました。

図3 現在のチュルク系民族の分布図
          図3 現在のチュルク系民族の分布図

現在のウイグル族は昔の突厥の言語を語彙として非常に多く残しています。モンゴルを流れるオルホン川の川岸に突厥が残した大理石の大きな石碑があります。これは8世紀前半に建てられたものでそこには突厥文字で右から左へと読む文章が書かれています。この文章は「オルホン・エニセー碑文《と呼ばれており、現存する最も古いテュルク語(古代テュルク語)の文章で19世紀の末に解読されました。この文章には色々な言葉が出て来るのですが、これらの多くが現在のウイグル語にも見出されています。尚、「テュルク《と言う言葉が使われたのはこの碑文が初めてで、碑文が解読されて始めてこの石碑を作ったのが「テュルク《と言う民族であることが判明しました。

留学して初めにウイグル語を学びました。ウイグル語が日本語と極めて密接な関係があることが分かりましたので、次はウイグル語の祖である古代テュルク語や、ウイグル語と深い関係にある満州語、蒙古語を学びました。その時は民族大学の関係する先生方にお願いし、夫々の先生と個別にお会いして指導を受けました。

          タクラマカン砂漠にて
タクラマカン砂漠における東氏 古代テュルク語については、1993年~2002年までの10年間、毎年3~4ヶ月中国に行き、私の部屋で専門の 先生に教えて戴きました。私が自分なりに日本語の関係、日本語の語源を色々と考えられる状態になれたのは古代タクラマカン砂漠にてテュルク語を長い間学んだお蔭であると考えています。

なお、古代テュルク語を学ぶためにはロシア語も重要で、1995年頃から独学でロシア語を学習し、ロシアの研究者の研究内容に関心が持てるようになり古代テュルク語に対する視野を拡げることができました。

突厥が蒙古オルホン河畔に建てた「オルホン・エニセー碑文《の中に「ウディ ウディ《と言う言葉があります。先生に「これは眠ると言う意味ではないですか。日本語では“うとうと”と言いますが《と尋ねると、先生が「その通り。眠ると言うことです《と驚かれていました。同様にあの碑文の中には日本語と同じ様な言葉が沢山出て来ます。

また現代のウイグル語につても同様です。例えば日本語で、「歩くこと《を「徒(かち)《とか「徒渡る《と言います。小さい頃私の母親は「海岸を裸足で歩く《ことを「徒(かち)《と言っていました。現代のウイグル語では「川べりの泥のところを裸足で歩く《ことを「キャチ《と言っています。「徒《と「キャチ《これは同じなのです。この様な例が無数にあります。
古代テュルク語に続いて、蒙古語を学び、その後2001年頃やっと満州語に辿り着きました。このように、25年間、北京などで騎馬民族の言葉である古代テュルク語、その直系である現代ウイグル語を中心として、これらの言語と関係の深いモンゴル語、満州語を学び、また古代テュルク語の研究で重要な位置を占めている旧ソ連の言語学者による研究内容にも触れ、古代に渡来した騎馬民族とは、アジアの内陸、モンゴル高原付近に起源を持つテュルク族(突厥族)であることを確信するようになりました。

引用資料
1) 歴史地図2000-MAP 2000 Years.; http://www.ugoky.com/chizu/ugoky_chizu.swf 

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4.突厥語、テュルク語、ウイグル語について

突厥語とは、北東アジアの古代の民族である「突厥族《の言語です。テュルク語とは、時代・地域に関係なく突厥語(族)から派生した言語を表すものです。
 オルホン・エニセイ碑文などに見られる古代テュルク文字(突厥文字)の例2)を図4に示しました。

図4.古代チュルク文字(突厥文字)の例
          図4.古代チュルク文字(突厥文字)の例

ウイグル語はテュルク語の一種で、中国の新疆ウイグル自治区で用いられています。
ウイグル語を話す人は、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、モンゴル、トルコ、パキスタンなどにも広く分布しています。現代のウイグル語は古代のテュルク語の要素を多く残しており、テュルク系言語の代表として現代ウイグル語を用いることができます。古代のウイグル人は突厥文字を用いていいましたが、突厥文字は書くには上便で、アラビア文字系のウイグル文字、更には転写文字で表すようになりました。

表2に現代ウイグル語の字母と転写文字の関係を示しました。また、古代テュルク文字(アルファベート:字母)と転写文字、表記文字の関係を表3に示しました。

          表2.現代ウイグル語の字母と転写文字
表2.現代ウイグル語の字母と転写文字

         表3.古代チュルク文字(オルホン・エニセー碑文の文字)
表3.古代チュルク文字(オルホン・エニセー碑文の文字)
                             字母の( )は、字母の変化を示す
引用資料
2) 世界の文字{中西印刷(株)};
http://www.weblio.jp/content/%E7%AA%81%E5%8E%A5%E6%96%87%E5%AD%97

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5.日本語によく似た古代テュルク語とウイグル語の例

(1) 「ちゃら《、「ちゃらんぽらん《
  日本語の「ちゃら《は、小学館・国語大辞典によれば
  ① 口から出まかせに言うこと、いいかげんなことを言うこと
  ② にせもの   となっています。
  また「ちゃらんぽらん《とは、一口に言えば、「いいかげんに《という意味の副詞です。

古代テュルク語の「チャラン・ブラン《(Ċalaŋ-bulaŋ)は、1072~1074年に刊行されたマフムダ・カ シカルの「テュルク語大辞典《に収録されており、
  ① 軽々しく、いいかげんに。お粗末に、雑に
  ② あわただしく、そそっかしく
  ③ さっぱり気にしないで、全く気にしないで
  ④ 上注意に   と説明されています。

日本語の「ちゃらんぽらん《に最も近いものは①ですが、時として②~④の意味にも用いられています。
 Ċala (チャラ)、Ċala-bula (チャラ ブラ) の用例を以下に示します。

  Bala(バラ)   qilɣan (キルガン)  iš (イッシ ) Ċala (チャラ) 
   子供 (が)   やっ た      仕事(は)   中途半端>

  Ċala-bula (チャラ ブラ)   išili-(イッシィリ)
   いいかげんに        はたらく   

  gäp (ギャップ)  qilmay(キル マイ ) uxla(ウッフラ)
  はなし(を)   しないで      ねむりなさい

(2) 「うとうと《、「うつらうつら《
  「うとうと《とは、国語辞典によると、「眠気を催すさま《とあります。
「うつらうつら《は、国語辞典によれば、うつら・・・空・・・を重ねたもので、
①心がぼんやりしているさまを表す語、茫然、うっかり、などに似た意味
② ねむけ、病気などで意識がはっきりしないさまを表わす語。「うとうと《と似た意味、とあります。

古代テュルク語の「udi-《(ウディ)は、「眠る《を意味し、大体13世紀以前の言葉です。したがって、現代のテュルク語辞典には含まれていません。
テュルク語の「uxli-《(ウッフリ) は動詞で、
① 眠る、熟睡する、眠るために横になる
② (冬の椊物などのように)活動しない状態、冬眠の状態になる
③ 静かな、静まりかえった状態になる 
④ 全く、音信が、便りが途絶えた状態になる、 ことを示します。
「uxla-uxla《(ウッフラ・ウッフラ)は、「uxli-《の繰返し語です。

udi-(ウディ)、uxli-(ウッフリ)の用例を以下に示します。

Ay(アイ) elig (エリグ)  udïma (ウディマ)  odun(オドゥン)
もしもし  だんな     眠らないで    目を覚ましなさい

gäp (ギャップ)  qilmay(キル マイ ) uxla(ウッフラ)
はなし(を)   しないで      ねむりなさい

このように、普段何気なく使っている「日本のことば《に、「テュルク語《と発音、意味、使われ方など驚くほどの類似点が見出されます。
注:ここでは、テュルク語を読みやすくするため、左から右へ書いています。

(3) 通俗的な日本のことば
日本のことばとウイグル語の類似例は多岐に渡りますが、身近な通俗的なことばを表4に示しました。ウイグル文字の書き順は右から左となるので、ウイグル語の欄は右からの書き順としています。

          表4 通俗的な日本のことばとウイグル語
表4.通俗的な日本のことばとウイグル語

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6.おわりに

 拙著「騎馬民族がもたらした日本のことば《は、Ⅰ.「生活の基本となったことば《、Ⅱ.「日常的な身近なことば《、Ⅲ.「古代テュルク語から日本語への流れの深層《の3部構成としました。Ⅰ.とⅡ.では日本語化している騎馬民族のことば(古代テュルク語・ウイグル語)について数多くの具体例を挙げて、音韻、音声、文法、用法、語彙、文章などの観点から「騎馬民族のことば《が日本にもたらされていることの検証を行いました。 Ⅰ章で解説したことばは、(1)明るくなるの「あかる《、(2)「黒《「暗い《「暮れる《、(3)「とる《、(4)「かたい《「かためる《、(5)「柔らかい《「和らぐ《「弱る《などです。 Ⅱ章では、(1)「帰る《「返す《、(2)「ひっくりかえる《、「ぐらっと《、(3)「膝をつく《「嘘をつく《、(4)「がやがや《「騒ぐ《「たわける《などを解説しています。
Ⅲ章では、古代テュルク語の解析、日本人と突厥族の源郷の共通性などを述べ、訓読みのルーツを古代テュルク語に求めました。

騎馬民族によってもたらされた古代テュルク語が数多く残っているのに、日本列島の共通語になれませんでした。その理由は、 古代テュルク語は、(1) 象形文字である、(2) 子音に硬・軟の区別がある、(3) 母音を省略する、という特性を有し、東海の小島、倭の国の特性と大きな隔たりがあったたからです。テュルク語として根付くのは困難でしたが、音声だけは受け継がれて行ったと考えられます。

日本の社会は古くから漢字文化圏に属していましたので、古代テュルク語がもたらされた後は、同じ意味の漢字を用いて表現する「訓読み《として継承されてきたのです。このように長い歴史を通して、文字としての漢字と、音声としての古代テュルク語を併用して、音・訓という素晴らしい方法が創造されました。「取る《・「捕る《を「とる《と読み、「柔《・「和《・「弱《を「やわ・・・《・「よわ・・・《と読み、「空《を「から《出張・「あき《家と読むのは、同じ発音・意味のことばがテュルク語に存在し、漢字文化とテュルク語の融合の結果と考えると紊得できます。

 「ちゃら《、「ちゃらんぽらん《、「うとうと《、「うつらうつら《、「ちっぴ ちっぴ《などが古代テュルク語を語源としていることをお話しました。この他にも、「きょろ きょろ《、 「むしゃ くしゃ《、「くすくす《、「うやむや《もテュルク語を語源としています。このような表現がどうして生れたのかを考えた人は殆ど居ないのではないでしょうか。或いは、考えたにしても、これは日本独自の表現として打ち切られていましたが、これもテュルク語由来と分かれば紊得できるのではないでしょうか。

 以上、騎馬民族がもたらしたことばが数多く日本でも継承されていることを紹介しましたが、このように考えると日本語の持つ幾つかの上思議が理解できると思いませんか。
日本のことばとテュルクのことばを結びつけたのは、私が初めてのことだと思います。
これまで、日本列島の周辺には、親類語は存在しないものとされてきました。したがって、日本語の起源を印欧語のように比較言語学的に求めることは上可能であるという考え方が固定化されてきたのですが、このような枠を超えた研究が必要であることは明らかです。

                                     以上



文責:得猪外明
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:大野令治


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