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平成22年4月30日 神田雑学大学定例講座NO504

   講義名 オーストラリアに長期滞在
    〜毎日が日曜日〜


講師名 小倉陽子

 

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プロフィール

初めに

1.動 機

2.準備:下見・土地購入

3.オーストラリアとパース

4.パースの生活がはじまる

5.自 然

6.産 物

7.人間模様

8.私の日常

9.生活費

10.帰 国

質疑応答




小倉陽子さん

プロフィール

1.東京都立日比谷高校卒

2.Bank of America NT&SA勤務

3.英語教室主宰20年

4.オーストラリア滞在10年

5.2003年日本向け英語発音法「アルファベット70音」を考案   現在、「あなたも、あなたも英語の発音の先生になれる」      「英語の発音はカンタン」の考えを広めたいと努力中

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初めに

これは第二の人生の始まりを海外で過ごした顛末記です。
オーストラリアに滞在しましたのは、1991年から2001年の10年間です。 20年前に端を発し10年前に完結した古い話なので、一瞬このタイトルの講演を躊躇しました。でも、すぐ思い直しました。といいますのは、政治・経済は様変わりますが、自然も人間性もそんなに変わるものではないと考えたからです。

移り住んだところは、旅行家兼高かおるが「世界一住んでみたい町」といったパースです。住み心地の良さ悪さは自然や人間関係が大きく影響すると考えます。オーストラリアの自然と人間、否応無しに日本のそれと比べることになりました。日本の国際化が叫ばれる中、多民族国家のオーストラリアに其のヒントがあるかもしれません。

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1.動 機 

動機は日々の生活の中にあったと思います。70年代、80年代の毎日は充実していましたがとても忙しかったんです。このままでは働きつづけて、人生を終えてしまう、と考えるようになりました。犬2匹、猫1匹、子ども2人、夫という家族のための主婦業と、飛び込んできた塾の仕事をこなす日々でした。  

ある奇遇で、娘の通っていた英語塾を引き継ぎました。其の塾は、アメリカ人と日本人がペアを組んで主に小学生に英語を教えていました。生徒が約40名ぐらいで家庭の主婦が自宅を開放してレッスンをしていました。

突然のことで、お断りをしましたが、ある生徒の母親が、それを聞き及んで、一緒にやろうということになりました。20名づつ引き受け、お互いの家を教室にして始めました。彼女の提案でチラシ広告を新聞に入れましたら、200名の生徒で溢れました。以後20年、常時100名が在籍することになります。1971年のことです。当時は子供向けの英語教材が全然なかったので教材作りに、忙しさが募りました。私のクラスは小学生向けから、数年後中学生向けの教室に変わりました。

単なるアルバイトではなく、収入はそれなりにありました。しかし、仕事を全部一人で抱え込まないで、頼めることは人頼み。家事の一部をパートさんにお願いしたり、塾生のプリント物の採点は大学生に頼んだりして、たくさん入る月謝は、右から左に出て行きます。 お金がたまらなかったことも決心を容易にしました。

残りの人生は自分のために! 私にも停年を! 忙しい、忙しいで毎日が過ぎていきます。たった一度の人生、定年を決め残りの人生は自分のために使おうと、海外で暮らす選択をしました。 時間に束縛されないで、やりたいこと、やってみたかったことを実行に移すために、また今までのしがらみを絶つためにも、と第2の人生の住まいを海外に移すことにしました。

エイゴ・ゴルフ・イゴ
やりたいことって、たったのこれです。「3ゴ」に打ち込むことでした。英語のリスニングを極める。仕事の合間を見て練習に励むけれど、思うようにならないゴルフを自分なりに極める。碁敵を負かすために碁を極める。極めるって、少し大袈裟ですね!でも一寸気取っていえば、こんなところに定年を決めて自由になりたい動機がありました。

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2.準備 候補地の下見と決定

オーストラリアの地図

1、下見

  3年後に引退を決めてみたが、どこに下見にいこうか、特別行きたいところもない。なんとなく、オーストラリア、カナダ、スペインが、退職者を受け入れることを知っていました。まず時差もないオーストラリアに白羽の矢を立てました。

1988年、いよいよ行動を起こしました。通産省のある部局がシルバーコロンビア計画といって、リタイア層の第2の人生を海外で送る支援プログラムを策定していました。老人の輸出といわれ其の計画は頓挫しましたが、それの影響を受けてか、上記の3カ国がリタイア層の受け入れを表明していました。シルバーは、髪の色で年寄りを、コロンビアは冒険家コロンブスの名を借りて命名したということです。  

オーストラリアに決めたものの、具体的な場所は決めかねていました。そうこうしているうちに「世界一住んでみたい街」旅行家兼高かおるさんのあの言葉を思い出し、パースに行くことにしました。

2、下見のつもりが一変!

パースの空港に降り立つと、なんともいえない清浄感の漂う空気に、ホッとするというか、安らぎを感じましたね。まず兼高かおるのセリフを実感。レンタカーで、街中を走りました。町を歩いている人、お店の人との会話、食べ物、違和感がないんです。そこで、もうここに住んでもいいような気持になりました。消去法でこれ以上いいところがないような気になりました。          

3、リゾートゴルフ場内の宅地

とんとん拍子に決まるときに決まりますね。パースへの出発を2,3日後に控えた或る日雑誌「オーストラリア」を買ってきました。日本人相手の不動産屋の広告を目にしました。その場で不動産屋にアポイントをとりパース到着早々、現場を見せてもらいました。

ゴルフ場の敷地内の住宅を希望していましたところ、お誂え向きの造成販売中の現場がありました。2007年のオーストラリアリゾートコースNo1になったゴルフ場の敷地を紹介されました。息子に衝動買いをしないように言われたのが一瞬あたまを掠めましたが、一発で契約をしてしまいました。土地購入の条件は1年以内に家を建てる。ただそれだけでした。 

前後してビザを取得しました。ビザ取得の条件は家の建築費用1500万円。年収350万円の収入証明書。警察で発行する無犯罪証明です。それに仕事をしないことが条件でした。

現在の移民受け入れですが、オーストラリア大使館のHPによりますと、 2010年現在75万オーストラリアドル。(75万ドル)を入国時に持参。週20時間の仕事は可となっています。詳しくはオーストラリア大使館に問合わせを。

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3.オーストラリアとパース

オーストラリアの地図

1、人口密度

  オーストラリアの面積は日本の20倍、人口は日本の8分の1.人口密度は1:160。 1km平方にオーストラリア人は2人、日本人は327人住んでいることなんです。 国全体が過疎地みたいです

パースは陸の孤島
パースは西オーストラリアの州都で、西海岸に面した都市です。現在は航空術の発達で世界中どこにもカンタンにいけますが、以前、パースは陸の孤島といわれていました。となりの州都のアデレイドまでの距離は2600km、東海岸のシドニーまでは4300kmの距離があります。陸の孤島といわれてもうなずけますね。

パースに駐在していた友人が、私がパースに移住するのを知って、退屈でする人が多いけど、あなたなら大丈夫と変な太鼓判を押してくれました。 

文化  映画、演劇世界の話題作は楽しむことが出来ます。ロミオとジュリエット、オペラ座の怪人など、本場の西洋人の配役で見ましたが、すばらしい舞台でした。雰囲気は十分。独自の文化ってあるのかなと目を転じると、原住民のアボリジニの人々の絵画は、他では見ない独特のものです。  

   スポーツ 英国発祥のスポーツは盛んです。ホッケー、フットボール、クリケット、ラグビーなど。しかしアメリカで人気のある野球はあまり好まれていません。 オーストラリア人の多くは旅行を楽しみに暮らしています。お隣のジョンさん夫妻は定年後、キャンピングカーを買ってオーストラリア1周のたびに出ました。

2、政治

オーストラリアはイギリス国王を元首とした立憲君主制で、大統領はいません。 信じられないほど社会保障は充実しています。失業保険は期限なくもらえます。夫婦で失業保険をもらって家を建てたなんて話を聞きました。 ホームレスなんていません。オーストラリアから遊びに来た隣のミセスは東京駅で通路に寝ていたホームレスを見て、言葉を失っていました。

3、民族構成

オーストラリアは多民族国家です。国民の50%が外国生まれだそうです。移民を受け入れた結果ですが、世界の情勢、国の経済情勢によって移民政策がかわるようです。私もビザの申請した時点ではパーマネントビザをもらえるはずだったのですが、実際に移り住んだのは、仕事の関係もあって、3年後になりました。パーマネントビザはいただけませんでした。

実際ご近所はインターナショナル。お向かいは、クロアチ出身、お隣はシンガポールというように実にいろいろの国から来ています。英語の先生は、インド人、ゴルフの仲間も、オランダ、ポーランド、オーストラア、いろいろな国からの人がいました。

パースの市内で日本人はほとんど見かけません。たまに東洋人を見るので、通りすがりに耳を澄ますと日本人ではない。食事に入った中華料理店のウエイトレスが、私たちが日本人と知って両手を挙げて驚かれました。そのくらい日本人は少ないんです。それでも私たちが帰国するころは語学留学生が随分目に付くようになりました。

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4.パースの生活がはじまる 

1、到着時の印象:

部屋と家の周り  家々ばかり!  レンタカーを借りて走るんですが、先に進んでも、住宅が連なっているだけです。所々に公園があるが店らしい店が見えません。工場もありません。湾岸戦争のあおりを受け、3ヶ月前に送った荷物がまだ届いていないので、タオルを買おうにも、店がありません。

後でわかってことですが、住宅地で商売はしてはいけないこと、商店街は各町の真ん中につくられ、車の走る通りからは見えないことが分かりました。宅地と工場地帯もはっきり別れています。それだけに住宅環境抜群! どの家も玄関前に庭があり、家と庭があって、なるほど、家庭!ッテ、納得をしました。

  街づくり 2kmごとに道路で区切られた地域に郊外名がつけられ、其の中心にスーパーマーケットがあり、酒屋、ファーストフード、花やなど、10件ほどのお店があります。これが街作りの基本をなしています。一方10キロ四方に大型ショッピイング センターがありました。大型ショッピングセンターはでは入り口が複数あり、それぞれに駐車場があります。一度、車を止めたところが分からなくなり、あわてたこともあります。

2、衣食住

衣:真冬でも、半そで、ベストでゴルフが出来る。合着、夏物で十分。

住: 街作りの基本は住宅の建築に規定がありました。強風地帯なので、壁は2重壁が指定されています。家の屋根の色は3色が決められていました。色彩的に調和の取れた街作りはこんな規制の基に作られているのがわかりました。 私の街は、家を建てるとき、道路から6メーターセットバックして立てること、お向かいの家まで、道路幅4メーターを足すと16メーターの間隔ができます。前庭を花が彩ります。

食:  魚介類は豊富。しいて言えば、青みの魚はあまりない。魚屋の店頭でマグロが1匹デンと並んでおかれていて切り売りをしていたのですが、部位の指定は出来ません。 日本食、そば、うどんなど、値段は日本の3倍しますが、カンタンに手に入ります。 回転寿司も出来ました。

野菜も果物も豊富。香野菜はない。肉、野菜は飛び切り安いが、日本食は高くつくので、食費は、日本食を頻繁に取りいれると日本での金額と大差ありませんでした。肉は牛のヒレを塊で買って冷凍し、スライサーで薄切りにします、スキヤキもできる。シュウマイの皮で餃子を作り、セロリを炒め煮すれば、蕗の佃煮に似る。工夫次第で、結構楽しめました。

 
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自然

5.自 然 

住み心地は、その条件は辺りを取り巻く自然環境が大きな役割を果たすと思います。オーストラリアの自然を気候、植生、地形で見てみます。

1、気 候 

夏涼しく、冬暖かい そんなことがあるのかな、って、1年間記録をとりました。そうしましたら、旅行案内書に載っている数字とほとんど同じ数字が出て、驚きました。地中海性気候といって、夏涼しく冬暖かい、其の通りでした。エアコンの要らない生活です。

夏の朝晩18度、日中34度と暑い真夏も、ゆうがた、海風が拭いて心地良く 寝苦しい夜はありません。ほとんどの家庭に冷房はありません。 冬は朝晩5度、日中は15度で東京の3月、4月の気温です。1年に1,2回、0度があって、ピリッとした日本の冬の寒さを味わったことがあります。

雨  東京の半分、其の半分が6月、7月にふります。感覚的には300日、秋晴れ
風  世界3大強風地帯。そのため、家は壁が2重のレンガ造りです。    時には雨が横から降ってきます。
パースのよさは来て見なければ分からない!
日本の山野の美しさは世界一
湿気の少ないパースは、生活するには最適ですが、四季の移ろいをあまり感じることがあまりないので、日本の冬の寒さ、春、秋の自然の美しさを懐かしく思うことがありました。もちろんパースは、青い海、青い空、清浄な空気、それは素晴らしいところです。遊びに来た方がおっしゃる言葉に【パースのよさは来てみなければ分からない】があります。

でも、ないものねだりで、日本の山野の美しさが恋しくなります。日本の自然は世界一と思うようになりました。特に日本の植生は、たまらなく魅力があります。花の季節、新緑の候、紅葉、冬木立と世界でこれ以上美しい物はないのでは、とオーストラリアで実感しました。日本の樹木の枝振りに今も感激しています。          

2、花と鳥と月

世界の花13000種の70%が咲くそうです。一日の温度差があり、日本の高山植物のような花をよく見かけました。身近な動物といえば、カンガルーですが、どのゴルフにも住んでいます。オームの種類と思いますが、ピンクとグレーのツートンカラーの鳩を少し大きくしたおしゃれな鳥や、同じくグリーンと黄緑の物、真っ白の物など、笑いカワセミなどがたくさんいます。鳥歌い花咲くパースは文字通り天国?なんておもったこともありました。

お日様は北を向いて、右手から出るんです。お日様が赤道を中心にまわっているのがわかりました。三日月は左舷の月で、日本では見たことのない月でした。バス旅行した時、スウエーデンの女の人が月の形が違うって大笑いをしてました。

3、地 形

  パース近郊の地形は、緩やかな起伏が続いています。住宅街を変化のある光景にしています。我が家から10分、20分車で走ると、オーストラリアの大自然が眼に飛びこんできます。なだらかな坂を上り詰めると又、一直線の道はv字に下って、上る坂道です。

そんな光景が時には、あきるほど続くときがあります。左右も起伏のある牧草地、遠くに米粒みたいに見えるのが、羊や牛です。 春には、タンポポの黄色や、蓮華のようなピンクの花が広がり、牛や馬が足を半分もぐらせて草を食んでいました。其の広さは写真に納まらないなと思ったことでした。

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6.産 物 

所有権は地下1m!
金、ボーキサイト、ニッケル、鉄鉱石 ダイアモンド、オパールと、地面を掘れば、金銀財宝がザックザク。家の売買契約書に所有権は、地下1メートルと記載されていました。庭を掘ったらゴールドが出てきても、所有権は国の物だよってことです。

産業別人口:工場らしい工場もなく、いったい皆さんどこで働いているのか、気にしていましたら、公務員が3割と聞きました。では、産業別人口はどのようか、インターネットで調べましたら、次の数字が出ていました。

オーストラリア 農業 (3.4%) 、鉱業 (4.9%) 、工業 (23.2%) 、サービス業 (68.4%)
日本 1次 4.9% 2次 30% 3次 64%
あまり違いがないので、少しがっかり。日本でもサービス業が思ったよりおおいのですね。

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7.人間模様

1、Smile と thank youで育つオーストラリア人

部屋の様子 オーストラリアでは、道行く人でも目が合えば、大人も子どももニコッと笑顔が返ってきます。Smile と thank youで彼らは育てられます。そしてユーモアがあります。 空気を和やかにしてくれます。周りに知人のいない私たちの居心地をよくしてくれました。

こんなことがありました。ゴルフの練習場でアルバイトをしている10才と12さいの兄弟がいました。「君たちのお父さんもゴルフするの」って聞きましたら「死んだ」って言うので本気にしていたら、あるとき、父親が迎えに来た。大笑いをしました。また私の息子が一時遊びに来ていて彼らと仲良くなったらしい。時々、「you sonyはどうしている?」なんて10才の子供に聞かれます。なんか親しみを感じますね。

それに比べ日本人の無愛想ッたらありません。話しかけても、胡散臭そうにするばかり。これでは、国際化なんて出来ません。今、諸外国では、海外からの留学生が自国に帰ってから 留学先の国をひいきにしてもらう、宣伝してもらうという機運が高まっています。 日本でも、そのような留学生を育てようとしているようですが、インタービューに応じた留学生は、日本での、就職に乗り気でないと応えていました。無愛想な上に、英語が不得手では、いい加減、いやになりますよね。          

2、道徳心・公徳心

彼らは、規則、マナーを共有しよく守ります。日本人にとって、規則は破るためにあるようで、大人が率先して破っていますので、子どももそのように育っていきます。

1.食事のマナー 食べ物を口に入れて話さない。クチャクチャ、音を立てて食べない。これは、背中に虫酸が走るほど、いやだそうです。気をつけてください。郷に入ったら、郷に従えです。

2.子供は公の場で騒がせない。公の場、ホテル、デパート、ゴルフの練習場、子供連れの親は子どもが大声で話したり、騒いだりするのを厳しく注意します。

3.招待したり、されたりのマナー:呼ばれない人への気配りがありました。

4.やめさせたい人への対応:日本人が食事中の作法に欠けると、彼らは我慢できません。やんわりやめていただくこともあるようです。例えば、(連絡したけど、通じなかった)電話番号や、住所を意図的に間違える。

5.ゴルフ場での決まり:彼は、ゴルフ場での決まりを守ります。日本人会のレディスのゴルフコンペでの出来事です。ワイルド・フラワーをとったら、400ドルの罰金が科せられる。其のワイルド・フラワーを日本人がコソコソと採集していたのを見ました。又、2人のりのカートに日本人男子が3人のりをしていたのを見ました。バンカーで打った後、そのままでプレーをしている。 日本人会のゴルフコンペは、ある年から、そこでのコンペを受けてもらえなくなりました。なんとも情けない話です。

6.犬の散歩時のマナー:ある時、ポストにはがき大のメモがはいていました。犬が人に噛み付いて事故が報道された。其の直後のことです。其のメモが入りました。明日から、「犬の散歩は綱をつけるように」とありました。其の日から、街を行く犬を連れた人は、100%綱をつけて散歩をしていた。

7.電車の優待席:たっている人がちらほらいる電車の中でのことです。中年のご婦人が、優待席に座っている、12,2歳の男の子にあなたが座る席でないと告げていた。其の子は立ち上がった。もちろん、彼女も座らなかった。

3、人情味

親の愛:家庭の主婦は自分の意見を持ち、夫の言うことに盲従してはいけない。「陽子、そんな奥さんがいたら教育しなさい」、なんて普段気丈な隣家の夫人がしみじみ、娘を案じて、「陽子、娘たちがはやくかたづくといいねー。」って。

兄弟愛:帰国に際し、家を売りました。イギリス人の娘と母親が買ってくれました。女所帯の大きな買い物を心配した母親のお兄さんが心配してわざわざイギリスから、ついてきました。何か一昔前の日本の風景を見るようでした。

隣人愛:私の隣人は私たちのために大きなライトバンを用意してくれていたようです。たびたび、其の車であちこち連れて行ってくれました。私たちがオーストラリアを離れた後、彼らは、普通の乗用車に変えたのです。



4、自分を持つ

  何事に関しても、自分の確固たる考えを持っている。いい意味で、自分があり、他人に左右されない。発言が活発である。意見を言ってまとまる。 毎週あるレディースのゴルフコンペは居心地が良かった。

*人の持ち物、着るものに干渉しない。

穴の開いた、ゴルフバックに使い古したクラブを持っている人と、新しいクラブは直ぐ手に入れるリッチな人が仲良くプレイをします。日本人の悪口は言いたくないのですが、 これまた、日本人会のレディースのコンペでの話しです。「あの人は同じ物を着ている」 私は、直ちに退会しました。本当に、男も女も情けない。恥ずかしい。 オーストラリアで居心地の良かったのは、彼らが規側を守り、常識であることでした。

        

5、人のなす業:泥棒3態 

講演中の小倉陽子さん 例1 風のように入って風のように出て行く泥棒  

ゴルフ仲間が就寝中に泥棒に入られた。彼女少し耳が遠かったので幸いしたかなと思うのです就寝中に枕元に置いた財布がなくなっていた。

カジノ好きの友人は、カジノで大もうけした夜、ドロボーにはいられたそうです。 話に聞くと風のように入ってどこからどのように入ったのか、首を傾げていました。  

例2 白昼堂々の泥棒

  たまたま外をのぞいていたら、白い車が向かいの家の玄関先に止まった。直ぐバックして通りすぎた。しばらくしたら、ブザーがなって左隣の奥さんが今泥棒に入られたと知らせにきた。立ち去ったと思った白い車には、泥棒がのっていた。お向かいの奥さんが左の家から荷物を運び出されているのを不審に思い職場に連絡してくれたということだった。 白昼堂々の盗難劇でした。  

例3 大型商店街の泥棒

駐車していた車から、掃除機を盗まれたと、大騒ぎをしていたら、中古品売り場で、泥棒と被害者が鉢合わせ。泥棒いわく、家賃がなかった。被害者いわく、仕事が出来ない【彼女掃除機持参でパートの仕事】日本では、考えられませんね。

日本人の嫌な面をいろいろ申しあげましたが、ここに出席の皆さんには、このような方はいらっしゃらない、紳士ばかりと思います。世界で通用する皆さんばかりだと思います。神田雑学の皆さんは紳士ばかりで、私はとても幸せに通わさせていただいています。

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8 私の日常

隣人の方々と 1.隣人とのお付き合い 
お隣とは、親しくお付き合いしました。オーストラリアの冠婚葬祭に呼んでいただいたり、あちこち連れていっていただいたり、親戚のようにしていただきました。こちらからは、隔週おきに日本食らしきものを用意して、楽しみました。 彼らは、自分たちでオーストラリアの親戚なんていっています。

2.自由時間
ゴルフ、英語、囲碁を私なりに極めようとやって来たから自由時間は飽きることなく、練習に励みました。成果はほどほど。

ゴルフ
年会費1000ドル、100円で換算すると10万円で、1年間やりたい放題ラウンドできます。打ちっぱなしの練習場はマットなんか使いません。芝の上で打てます。バンカーの練習場、アプローチの練習場も整っています。ゴルフ天国です。 プロショップには、日本語の話せるプロが居て「石の上にも3年」ってはげまされました。 ゴルフの先生あまりいい効果はありませんでしたね。わたしは、ドライバーも、アプローチも、練習場で練習しているおじさんたちに習った技がスコアを纏めてくれています。

英語
ろくに勉強しないのに、いろいろ稼がせていただいたので、もう一度やり直し、特にリスニング。一日何時間英語のリスニングに費やしたかって、恥ずかしくいえません。聞けば話せる、なんて嘘でした。聞いて話せるのなら、まじめな日本人はとっくに英語の達人になっています。


碁をやる暇はありませんでした。足腰たたなくなったら、碁の勉強をすることに決めています。 ゴルフも英語も思うように上達せず、そのため、10年もあきずにオーストラリアに滞在できました
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9.生活費

1997年の支出です。旅行、個人が使う小遣いは含まれていません。 数字はオーストラリアドルです。
                              【月平均】

自動車保険   1037.    ガソリン 2076. (173)

警察ライセンス  245.    ゴルフ  1836. (153)

上水道      100.     食費、他 7800. (650)

ゴルフ年会費  2000.    ガス    363. (30)

ゴルフ年会費  1200.    電話    223. (19)

下水道      534.     電気    897.  (75)

火災保険     596.     雑    2000. (167)

市民税      800.

  (ゴルフ年会費は2ヵ所 2人分)
__________________

年払い ドル 6512.  月経費 ドル 16315.(1360)  

合計   AUドル 22,827.

1オーストラリアドルを100円とすると、年合計228万円、月経費13万6千円 の支出でした。 為替レートは1988年120円、2001年70円でした。100円は其の中間を取りました。

1988年に1ドル123円で家を建て、2001年、70円で帰国しました。 為替の変動は恐ろしい物がありますが、この経験はお金で変えないと、偉そうにしています。  

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熱心に聞き入る受講生

10.帰国 

1、早目の帰国
夫にも、私にも、健康にトラブルがない間は、オーストラリアに住み続けるつもりでいました。が、ある年、夫が熱を出しました。単なる、風邪でしたが、普段病気らしい病気をした事がありませんでしたので、入院するような病気になった時のことを考え、帰国もやむなしと考えました。すでに9年を過ぎていました。風邪ぐらいで、お隣のご夫婦を頼ってしまい、今後のことを考えての帰国でした。

2、不動産は狼? 
帰国に当たり不動産を売らなければなりません。信頼していた不動産屋に日本に帰るつもりであることを話しましたら、一向に客を連れてきません。私たちが業を煮やして、値を引くのを待っていたのです。離婚や病気で家を売る人は、仕方なく、値を引いて不動産を始末する、それを待っていたのです。不動産屋を変え、いい具合に売買成立を見ました。用心、用心です。
 
3、締めくくり
上達を測ったゴルフも英語も大して向上しなかったのですが、それに変わる大きなものを得ました。目の色、髪の色が違っても、心は通じ合う物と知りました。人生の7分の1を過ごしたオーストラリアは今や私の第2のふるさとになっています。 そして、いろいろ学んだことは今生きています。     終わり

ご静聴有難うございました。 

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質疑応答

質問

 医療費は健康保険のようなものがあるのですか。

 パーマネントビザがあればオーストラリアのけんこうほけんにはいれますが、私の場合は、個人でAIUに掛けました。

質問

 第二次世界大戦で日本とオーストラリアは交戦国だったわけですが、対日感情どうでしょうか。 

 一度だけ嫌な思いをしたことがありますが、一般の人は非常に好意的で戦争の記憶というのはほとんど持っていないようです。特にオーストラリアは東洋人の移民が多くて、日本人だからという意識は持っていません。
 




文 責: 得猪 外明・小倉 陽子  写真撮影: 橋本 曜  HTML制作: 上野 治子


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