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平成22年5月21日 神田雑学大学定例講座NO507 

日本語は乱れているか?〜若者の言語力が危ない〜、講師 磯浦康二(元NHKアナウンサー)



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画鋲
(1)日本語の話しことばの歴史
2.若者の言語力は危ないか?
3.話し言葉教育はなぜ必要か
4.話し聞く力は技術である
5.「話し言葉教育」の実際




磯浦康二 講師皆さん 今日は。
神田雑学大学には3回目の登板ですが、今日は私の本業のお話を致します。講演に先立って、アンケートをお願いしてあります。

一枚目には、今日の講演に何を期待して来られたか、という問いかけがあります。なるべく、皆さんのご要望に沿ったお話をしたいという気持ちからです。「あなたは、日本語が乱れていると思いますか?」挙手をお願いします。35名中25名すなわち7割の方が挙手されました。5名の方は乱れていない方に手を上げました。判らないという方が数名です。

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(1)日本語の話しことばの歴史

2000年に文化庁が、国語についての調査をしました。「乱れている」と答えた方は、6割。「どちらかと言えば乱れている」と答えた方は1割5分くらいでした。さて「乱れている」と答えた方は、どういう風に乱れていると感じたでしょうか?

会場から
「若い人たちが言っている言葉が、理解できない」
「バライティ番組を見ても、言っていることが判らない」
「乱れてなければいけないと、私は思う。平安時代には奈良時代の言葉が乱れていると思われた。明治時代には、今の日本の言葉は判らないと言われた。時代ごとに乱れに乱れた結果、日本語の表現力が増し、現在の言葉になったのではないか。それが当然であると思います」

講師
小学校・中学校・高校に「国語」の時間があります。これは「国語」というべきか「日本語」というべきかですが、皆さんの意見は「日本語」のようです。明治以来日本の教育界は「国語」でやってきましたが、国際環境は大きく変化しております。むかし標準語という言葉がありましたが、話し言葉も変化していますから、共通語という言葉になりました。フランス語の標準語(Standard Language)にはアカデミーが定めた基準があって、
基準に合うとか合わないとかの論議がやかましいのですが、これは国によって事情がことなります。英語は、いまや世界の共通語ですが、現地対応の融通性に富んでいます。

日本語の特徴はどういうものかというと、一口に言えば文字に書けば、漢字かなまじり文です。話し言葉でいうと漢語と大和ことばです。例えば、今日は皆さん講座に集まっていますが、これは「会合」でしょう。片カナで言えばミーティング。大和ことばでは「つどい」でしょう。など、表現には微妙な差がありますが、使い分けています。「若い人の言葉は判らない」との回答がありましたが、先ほどの文化庁の調査でも判らないのは、片カナ言葉でした。次は敬語でした。

では皆さん。「カスタマイズ」するという言葉を自分で使ったことがありますか?5名挙手。
どういう意味で使いましたか?

受講者「なじむように」という意味で使いました。
講師「カスタマイズ」という言葉は、日本語には概念としてありませんでした。

「段ボール」という言葉があります。これも日本語にはありませんでしたが、段ボールが目の前に現れてから片カナの「ダンボール」として、日常的に使い始めました。これは国民性です。漢字がそうでした。漢音とか呉音とかがありますが、もともと大和ことばに概念が無かった場合、わが民族はその言葉の音をそのまま使用したのです。新しい言葉や概念が入ってくると、それもそのまま使用する。その繰り返しです。

明治維新政府の「言語政策」(標準語普及 方言撲滅)
平安時代から江戸時代までは、ひら仮名、片カナもありましたが、漢字が文化の主流でした。それが明治時代になって方言の問題が出てきます。300年以上諸藩で使われていたことば、その地域の言葉、すなわち「方言」でした。「お国ことば」は「お国手形」という言葉があるくらいです。ほかの藩の人にはわからない。朝の連続テレビドラマ「げげの女房」では、しきりに「だんだん」といいます。「有難う」という意味ですが島根県の方言です。

私は昭和32年に山形市のNHK山形放送局に転勤しましたが、放送局に電話がかかってきても「・・・・・」殆ど判りませんでした。取材に行ってもお年寄りが相手だと、こちらの言うことは判るんですが、お年寄りの言うことがさっぱり判りませんでした。それで地元出身のNHKの運転手さんに通訳してもらいました。半年位経った頃に半分くらい判るようになり、1年ほど経ったら大体判るようになりました。

昭和32年の山形でそのくらいでしたから、100年前の明治初年は大変だったろうと思います。青森の人と鹿児島の人が方言で会話したら、お互いに意味不明です。東京で会議をやろうと思っても、全国から集まった出席者に話が通じないわけです。
そこで、国家事業として「標準語」を作ろうということなりました。

明治の半ば過ぎ、東京帝国大学国語研究室の初代主任教授 上田万年(うえだかずとし)が、『国語のため』ではじめて日本語において「標準語」の必要を説いたのが明治28年、これを受けて文部省に国語調査委員会が設置されたのが明治35年でありました。この時、
「標準語とは東京山の手に住む、中流の教養ある人の言葉」と定義したのです。

井上ひさしの戯曲『国語元年』は明治初期に薩摩出身の下級官吏が「国語取調方」として標準語の普及に悪戦苦闘する物語です。主人公南郷清之輔は試行錯誤を重ねた後に失敗、最後には気が触れて精神病院東京顛狂院に収容され、3年後に死ぬという筋です
ことほど左様に標準語の普及は困難を極めたのでした。何故か?それは伝達手段が無かったからです。

日本語の「話し言葉」と放送の関係
当時、伝達手段は、学校で国語の読み方や書き言葉しかなかった。例えば「おとうさま」などは、むかしの言葉には無かった。「おかあさま」も同様です。それまでは「ととさま」「かかさま」「おっとう」「おっかあ」の世界でした。そうした標準語を決めても、全国民に伝える手段が当時はありません。特に「標準語の音声」を伝えるのが困難でした。

更に、標準語を広めようという運動は、同時に「方言撲滅運動」になりました。極端な例を挙げると琉球では、学校で琉球ことばで話すと罰として「方言札」という札を胸に下げて廊下に立たされたのです。山梨県にもあったという話を聞いたことがあります。そういう風にしてまで、方言を撲滅しようとした。これは明治政府の言語政策の失敗だったと思います。これで、地方の人々の口が「凍った」のです。

方言と言うのは英語で、Mother tongue(お母さんの舌)と言います。胎児が母親のお腹の中では母親の声を聞いて育ちます。皆さん。胸に手を当て、「アー」と言ってみてください。手の平に響くのが判るでしょう。喉には声帯があり、ここが音源ですが人体は楽器と同じです。ギターでもヴァイオリンでも、弦だけを空中に張って弾いても「ピン」という小さい音しか出ませんね。でもギターの胴に弦を張って弾くと、小さい音が胴に響いて大きい良い音になります。

同じように人体の場合は、声帯からの小さい音の振動が楽器の胴にあたるのが頭蓋骨と胸郭と骨盤で、これが響いて人の「声」になるのです。からだが響くのですから、当然母親の胎内の子供にもその響きが伝わります。ですから、母親の胎内にいる時から子どもは「母親の声」を「聞いている」のです。更に、生まれてから周りの音を「耳」で聞いて言葉を覚えますが、多くの場合は母親の声を聞いて育ちます。これがMother tongueであり結果として「方言」ということになります。

それを否定されることは人格を否定されたようなもので、話ができなくなります。
そして方言を否定されると、大きなコンプレックスを持つようになります。つまり、訛りを指摘されることで、次第に無口になってしまうのです。そしてコミュニケーションがうまくいかなくなるのです。

私とほぼ同年輩で、鹿児島県出身の中学校の校長先生とお話したことがあります。この先生は東京に出てきて大学に入ってから友人に訛りを指摘され、とても嫌な思いをしたそうです。「私は言葉で非常に苦労しました。ですから、鹿児島弁を「標準語」に変えるのに頑張りました。今の私の言葉には、訛りがないでしょう」とおっしゃるのです。確かに完全な標準語と言っても良く訛りがないのです。

しかし、この先生には申し訳ないのですが、敢えて言うなら、どこか「蒸留水的」であって人間味が薄いように思いました。「すばらしいですね!」と申し上げましたが、その人の固有の言葉ではない感じがしたのです。訛りをあまり一生懸命に「直す」と本来の個性が失われる恐れがあるのです。

ですからMother Tongue(母語)を「撲滅」しようなどと考えた明治政府の言語政策は、完全に誤りだったと思います。より広くコミュニケーションを行うためには、別に「標準語」を教えれば良かったのです。今でいえば「共通語」ですね。これを習得すればよいのです。私たちは日本語を話しますが英語を学べば英語が話せるようになります。中国語を学べば中国語で話が出来るようになります。同じように「方言」の他に「標準語」を話せるようにすれば良かったのです。しかし、明治政府にはそうした「言語」についての理解のある人がいなかったのでしょう。それで「方言」を「撲滅」すれば「標準語」に直せる(矯正できる)と思ったのです。でも結局それは失敗に終わりました。

その後、標準語の普及が本格的になったのは、大正14年(1924年)にラジオ放送が始まってからです。しかし、日本中に放送網(約7〜8割)が普及したのは昭和10年(1935年)くらいからです。昭和10年代、私が小学校に入った頃は、第一放送は一般ニュース。第二放送は学校放送などを放送していました。その頃に、NHKのアナウンサーがニュースを読む「言葉」が「標準語」の発音だと、初めて日本国民が知ったのです。

明治20年代に始まった「標準語普及運動」は、ここから音の世界で始まりました。私が小学校に入学したのは昭和14年(1939年)ですが、そのころNHK(社団法人日本放送協会)のアナウンサーは標準語のお手本と言われていました。後年、自分がNHKのアナウンサーになろうとは思わなかった頃です。

戦後、日本語の表現方法がいろいろと変わりました。「旧仮名遣い」は「新仮名遣い」に、制限漢字も出来ました。特に漢字は明治初年から漢字制限をしようという文部省の方針がありました。漢字が多いと教育の普及の妨げになるという理由からです。

面白い話があります。森有礼(初代文部大臣)という人は、幕末にアメリカへ留学しましたが、日本語は方言が多く教育の普及が難しいから、日本の国語を英語にすべきだと考えて、アメリカの学者に相談したところ、そんなことをすべきでないし出来もしないと言われたというのです。明治時代の指導的な人の言語に対する理解はそんなものだったのでしょう。勿論、明治維新直後の日本は各地の方言が入り乱れており、標準語はまだ無い状態で、情報の伝達などコミニケーションには大きな困難な事情があったことは事実です。

日本語は乱れていない
今日の講座のテーマ「日本語が乱れているか?」の主題に対して、何を申し上げたいかというと、実は、「今が一番乱れていない」ということであります。私自身が、昭和30年代の半ば頃、NHK山形放送局に勤務していた時、方言の電話応対に困ったと申し上げましたが、その50年程前を振り返ってみると、その後のラジオやテレビの発達によって、全国民が標準語を理解し話すことができるようになりました。ですから明治維新以来初めて、今こそ日本語が一番乱れていない時代を迎えたのです。

現在、各種のコミュニケーションツールが発達し、また、いろいろの概念が言葉として使われるようになりました。その概念を表す言葉をいちいち翻訳することなく、先ほどコンピューター用語のお話しをしましたが、大体間違わずに皆さんは使っておられます。コンピュータについて、こんな話があります。日本では、コンピュータを日本語に訳した時「電子計算機」としました。つまり「計算機」という理解です。これが中国では「電脳」と訳されました。電子的な「脳」ですね。今になって考えるとコンピュ−タは「電脳」の方がピッタリしますね。

熱心に話を聞いている受講生

二番目のアンケートの設問。
「日本語は言葉遊びができます。かけ言葉、駄じゃれなど、をどう考えますか?」

会場から
・「言葉は変化する。意味も変化する。特に最近変化が激しい」
・「若い人の言葉遣いがおかしい」
・「丁寧語の用法がおかしい」
・「優しさが欠けている」
・「用語が乱れているのか、ゆれなのか、変化にすぎないのかを知りたい」
・「誰が正しい言葉を教えればいいのか」
・「いろは歌の成立」

いろは歌(いろはうた)は、全ての仮名の音を使って作られている歌で、手習い歌の一つです。七五調四句の今様(いまよう)形式になっていて、手習い歌として最も著名なものであり、近代に至るまで長く使われました。そのため、全ての仮名を使って作る歌の総称としても使われる場合があります。また、かなの配列順は「いろは順」として中世〜近世の辞書類等に広く利用されています。10世紀から11世紀頃に作られたと言われています。

あいうえお(五十音図)
最古の五十音図は、京都の醍醐寺所蔵で平安時代中期の『孔雀経音義』(1004年〜1027年頃に成立)にあります。現在のように整然と構図が出来ているわけではありませんが、悉曇文字(シッタン文字=梵語)で書かれたお経を読むために「振りがな」として開発されたもので、いわば発音記号ですね。その五十音図は現在と少し違っています。

一例をあげましょう。室町時代には、五十音の中にある「ハヒフヘホ」は「ファフィフフェフォ」でした。これは室町時代に出来た「なぞなぞ」に「母には二度会うが父には会わない」というものがあり答えは「唇」(くちびる)なのです。ですから室町時代には「ファフィフフェフォ」という発音だったことが判ります。現在「フ」だけが「ハ行」に残っています。

日本語は、もともと「縄文人」が住んでいたところに「弥生人」が渡来して、原日本人になったと言われますが、それぞれが、どこから来たのかが判らないというのが定説です。
万葉集と引き合わせてみると「朝鮮語」との関わりが非常に多いという説もあります。
音韻の面から見ると、日本語は「アイウエオ」という五つの母音から構成されています。単語の末尾には必ず母音がきます。ツクエ(tsukue)、イス(isu)、マド(mado)など、必ず母音で終ります。イタリー語、スペイン語も母音が多いですね。英語はほとんどの言葉がDesk、Chair、Windowのように子音で終わります。。

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2.若者の言語力は危ないか?

「若い人の日本語は、汚く、下品に感じます」(アンケートの答え)
確かに、そのように思います。これは言葉だけではなく、気持ちの問題でもあります。
全ての若い人が下品だという訳ではありませんが、言葉には気持ちが反映します。相手を敬う気持ちがあれば言葉もそうなります。一つには敬語の問題がありますね。

5年前に文化庁が敬語について指針を出しましたが、その中で言葉だけではなく言い方について触れています。例えば、「いかがなさいましたか」という場合「末尾を少し上げることによって敬意の気持ちを表す」と表現しています。つまり言葉そのものではなく、それを使う場合の言い方を示したのは初めてです。そうした表現方法が、特に若い人たちに定着していないのでしょう。

講義中の磯浦講師丁寧語(敬語)の乱れ
これは一言で言うなら「社会構造」が変わってしましったということです。私がNHKに入った昭和30年代の初め頃、宴会をやる時にも「席順」が大きな問題でした。

初任地で、ある町で公開放送をした時のことを覚えていますが、放送終了後、地元の町長さんさんが、
「皆さん、お食事でも」と言って一席設けて下さいました。NHK側は、は局長、放送部長、プロデューサー、技術担当、私です。先方は町長、助役、役場職員など全部で30人くらいが部屋に集まりました。

まず席の譲り合いが始まって「まあ局長さんがこちらへ」「いやいや町長さんがこちらへ」などと「上座をめぐって」譲り合い、全員が席に収まるまでには10分くらいかかりました。アナウンサーというのは目立つ存在ですから、町長さんが「どうぞこちらへ」と言われましたが「あ、そうですか」とそこに座ったら大変。新人は末席に座ってお酌などする存在でした。うっかり言われるままに若造が上席になど座ると「あいつはものを知らない」と言って非難されるのです。それが当時の「空気」であり、みな当然のことと受け止めていました。

つまり、社会を構成する人々には整然とした見えない序列があって、それぞれの「分に応じた」行動をとることを要求されました。言葉遣いも当然その序列に従い、上の人には「尊敬語」「謙譲語」で話すことが、大人の振る舞いとされていました。つまり100人の人がいれば1番から100番まで順番がつく社会だったのです。

当時は、そのような社会構造でした。さらにいうなら士農工商の日本の階層社会が江戸時代、明治時代から昭和まで続いていたのです。また男言葉と女言葉もそうですし、商人の中でも大商人と小商人で言葉遣いが違っていました。農民も違いました。社会全体に上下関係、身分、職種別、外と内に関わる言葉が厳然としてありました。

戦後、昭和27年に当時の国語審議会が文部省に対して「これからの敬語」という答申を出しました。「これからの敬語は、それぞれの個人がお互いに尊敬しあうという意味で、敬語を使いましょう」それが、尊敬語、謙譲語、丁寧語についての現在の敬語に関する基準となりました。しかし政府が出した一片の通達や指針で、長年続いた慣習が一遍に変わる訳ではありません。昭和30年代頃までは、今申し上げたような状態だったのです。

しかし、戦後教育を受けた世代が徐々に増えていくと、人々の意識が変わり始めました。
それと同時に社会構造も変わり、言葉遣いも変化してきたのです。特に「男ことば」「女ことば」の違いが急速に無くなりました。でも年寄の多くは、それに違和感を持っています。
上下関係も変わりました。しかし若い人でも違和感を持っている人もいると思います・つまり今は変化している途中で、その意味で日本語は「発展途上語」であるとも言えます。

最近気になるのは過剰敬語と変な敬語表現です。先日、床屋さんへ散髪に行きました。洗髪の時、床屋さんは「下を向いてください」を「下を向いてもらっていいですか?」といいました。「もらって」はやや敬語的ですが「いいですか?」は敬語ではありません。変な敬語表現ですね。ではどうすればいいかというと、これは難しいですね。

明治以来、我々が使っている言葉は変化しています。日本語はまだ完成していないということでしょう。ですから「発展途上語」と言えるのではないでしょうか。言葉は生きています。誰かが「これはいい言葉だから、これを使おう」と言っても、皆が遣わなければ普及しません。

日本人が皆で「言語感覚」を磨いて「良い言葉遣い」を残し「良くない言葉遣い」をやめるしか方法はありません。そうして自然に新しい「日本語の形」を創ることが必要ではないかと思います。それは政府がやることではなく、私たち皆で作るよりしかないのです。もっとも、マスコミの責任は大きいでしょうね。影響力がありますから・・・。しかしこれまでもいろいろの「流行語」「はやり言葉」がマスコミで作られ流されましたが、その多くはすたれて遣われなくなっています。結構、多くの人々の感覚は正しい方向を向いていると思います。

古い友達にNHKが何とかしろと言われますが困ってしまいます。かつて、NHKが放送開始してから20年ほどはアナウンサーの言葉が日本語の「標準」とされたことがあったことは間違いないのですが、現在はそうではありません。

最近、関西弁が話題になることが多いのですが、特にアクセントが問題です。日本語にはアクセントが二通りあり、関東アクセントと関西アクセントは全く反対のケースが多いのです。例えば雨、飴、橋、箸、などですね。

戦前までの「標準語」では関東アクセントが「標準語」とされ、その流れで現在も関東アクセントが「共通語」ということになっています。でも関西弁のアクセントが「間違っている」とは言えません。関西弁の方が歴史は古いし、文化的な伝統もあります。日本語として立派に通じているわけですから、そういうものも取り込んで上品で響きも良い日本語を私たちで創って、それを次世代に伝えて行くという方向が良いのだろうと思います。いずれにしても「言葉は生きている」のですから変化し続けることは確かでしょう。

「子供には何歳から誰が正しい言葉を教えればいいのか?」
これは、やはりお母さんですね。教えるということではなくお母さんの自然な「話ことば」を子どもは覚えていくのです。人間の言語形成期は12歳頃と言われています。小学校6年、中学1年あたりまでに、その人が一生使う言葉の基礎ができ、あとは経験を積んだり外国語を覚えたりして、その人の言葉となります。

「日本語の基本は七五調」
お店で買いものをする時、大きい金額の紙幣を出すと「5千円からお預かりします」と言われたことはありませんか?あるいは「五千円のホウを預かりします」と言われることもあると思います。なぜそうなるか、お考えになったことはありませんか?良く識者と言われる方が「から」とか「ほう」はおかしい「五千円を預かりします」でいいではないかなどとおっしゃっています。皆さんはどうお考えになりますか?

会場の声〜おかしいと、思いますが何故そうなったかは判らない〜など。
私の考えでは、日本人の言葉の基本は「五七調」なんですね。「ごせんえん」では三音節ですが「から」を入れると五音節になります。つまり日本人の「息」(呼吸)が五七になじむようになっていて、三音節では「ズッコケル」感覚になるのです。ですから五七になるように「から」や「ほう」をいれるのです。これが私の説ですが、言葉を文字で解釈している限り、そのことには気付かないのです。

文字は、二千年から三千年前頃からありますが、日本で一般的に誰でも文字を読めるようになったのは、ごく最近のことで、百数十年前の明治維新以後のことです。しかし、声の
「話しことば」は、人類の初期から数万年前から続いてきたのです。ですから文字情報が使われようになった歴史より「話し言葉」の歴史の方が圧倒的に長いのです。

現代の私たちは、それを忘れて、つい文字情報に頼り過ぎる生活をしています。やはり「ことば」は「話し言葉」が主流なのです。「話し言葉」大切にすることが必要と思います。
私は、NHK文化センターで「朗読」の講師をしていますが、そこで使ったテキストの中からいくつかを読んでみましょう。古いものから順に読んでみます。
皆さん、言葉は「文字」ではなく「音」です。目を閉じて音を聞いてください。

源氏物語 桐壺。
いづれの御時にか 女御 更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふありけり はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた めざましきものにおとしめ嫉みたまふ 同じほど それより下臈の更衣たちは ましてやすからず 朝夕の宮仕へにつけても 人の心をのみ動かし 恨みを負ふ積もりに
やありけむ いと篤しくなりゆき もの心細げに里がちなるを いよいよあかずあはれなるものに思ほして 人のそしりをもえ憚らせたまはず 世のためしにもなりぬべき御もてなしなり 上達部 上人なども 、あいなく目を側めつつ いとまばゆき人の御おぼえなり

平家物語
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ 遠く異朝をとぶらへば 秦の趙高(てうかう) 漢の王莽(わうまう) 梁の朱イ 唐の禄山 これらは皆旧主先皇の政(まつりごと)にもしたがはず 楽しみをきはめ 諌(いさ)めをも思ひ入れず 天下の乱れん事を悟らずして 民間の愁(うれ)ふるところを知らざつしかば 久しからずして 亡じにし者どもなり。

近く本朝をうかがふに 承平の将門 天慶の純友 康和の義親 平治の信頼 おごれる心もたけき事も 皆とりどりにこそありしかども まぢかくは六波羅の入道 前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま 伝へ承るこそ心もことばも及ばれね

おくのほそ道 松尾芭蕉
月日は百代の過客にして 行かふ年も又旅人也 舟の上に生涯をうかべ 馬の口とらえて老をむかふる物は日々旅にして旅を栖(すみか)とす 古人も多く旅に死せるあり 予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて 漂泊の思ひやまず 海浜にさすらへ去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて やゝ年も暮 春立る霞の空に白川の関こえんと そゞろ神の物につきて心をくるはせ 道祖神のまねきにあひて 取もの手につかず もゝ引の破をつゞり笠の緒付かえて三里に灸するより松嶋の月先心にかゝりて住る方は人に譲り 杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに草の戸も住替る代ぞひなの家面八句を庵の柱に懸置

五重塔 幸田露伴
其一 木目美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて翠の匂い床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗ひ髪をぐるぐると酷く丸めて引裂紙をあしらひに一簪でぐいと留めを刺した色気無の様はつくれど、憎いほど烏黒にて艶ある髪の毛の一綜二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかゝれる趣きは、年増嫌ひでも褒めずには置かれまじき風体、我がものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢が随分頼まれもせぬ詮議を蔭では為べきに、さりとは外見を捨てゝ堅義を自慢にした身の装り方、柄の選択こそ野暮ならね高が二子の綿入れに繻子襟かけたを着て何所に紅くさいところもなく、引つ掛けたねんねこばかりは往時何なりしやら疎い縞の糸織なれど、此とて幾度か水を潜つて来た奴なるべし。

走れメロス 太宰 治
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。

メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。

たそがれ清兵衛 藤沢周平
「夜も更けると、いかがなものかな。年寄りも多いことゆえ、会議はこのあたりで切り上げては」「お待ちあれ。いま一項の不審がござる」と杉山が言った。杉山は成瀬重左衛門と寺内権兵衛と素早く目をかわした。樋口平兵衛はまだ姿を見せていないが、ここで会議を散らしてしまえば、反堀派の敗北であった。このあと、堀は必ず報復の人事を発動して、杉山達を執政職から追放することは明らかである。堀を弾劾している間に、清兵衛が間に合わぬものでもない。と杉山田頼母はその一点に賭けた。だが、清兵衛が間に合わねば、恐らくは負け。

思い出トランプ 向田邦子
「かわうそ」指先からタバコが落ちたのは、月曜の夕方だった。宅次は縁側に腰掛けて、庭を眺めながら煙草を喫い、妻の厚子は座敷で洗濯物をたたみながら、いつものはなしを蒸し返していたときである。二百坪ばかりの庭にマンションを建てる建てないで、夫婦の意見はわかれていた。厚子は不動産屋の勧めに乗って建てるほうにまわり、宅次は定年後になってからでいいじゃないかと言っていた。停年にはまだ三年あった。植木道楽だった父親の遺したものだけに、うちはたいしたことはないが、庭だけはちょっとしたものである。宅次は勤めが終わると真直ぐに家に帰り、縁側に坐って一服やりながら庭を眺めるのが毎日のきまりになっていた。

朗読を終わります。(拍手)
講師:何か、お感じになりましたでしょうか?
会場:時代時代で文章が変わる様子が、良くわかりました。
  :源氏物語は標準語で読まれたのですが、宮廷の物語なら紫式部は京都弁で書いたのではないかと思いました。
  :自分で読んだときより、よく判りました。
  (:・・・・・・・あとは聞き取れず)

講師:古い文章の特徴は、句読点がないから、切れ目がわからない。源氏物語の特徴は主語がないことです。芭蕉の文章もそうでした。実は、話にも句読点がないと言う点では同じです。日本語の場合、現代文でも英語や中国語に比べて主語が少ない。それが日本語の特徴でもあります。そうです、源氏物語は京都弁でしょうね、

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3.話し言葉教育はなぜ必要か

〜本の若者の「言語力」を向上させるには〜
今日の話のもう一つの柱は「書き言葉」ではなく「話しことば」が人と人とのコミニケ
ーションの基本だということです。それなのに、日本では「話ことば」について訓練する「トレーニングメソッド」がないのです。

例えばアメリカのですと「パブリック・スピーキング」という「話し言葉」の訓練システムがあります。小学校、中学校、高校、大学、大学院を通じて大きな教育カリキュラムがあるのです。幼稚園児には「Show and Tel」lといって「モノを見せながら説明する」訓練システムがあります。例えば、幼稚園児が手にコップを持ちながら「このコップはお婆ちゃんが僕の誕生日のプレゼントに買ってくれました。毎朝使っています。水を飲むとき、ミルクを飲むとき
・・・・・・・・・・」と説明します。質問があると、その場で受け答えします。

モノを見せながら話し方のトレーニングをしているのです。これは、プレゼンテーションの練習ですね。そしてそれ以上の年齢になると「パブリック・スピーキング」の授業があり、人前で話をするときの立ちかた足の位置、上半身の構え、スピーチの準備の仕方上がらない方法など話し方について小、中、高、大学まで体系的な学習をしているのです。そういう国の人たちと日本人が交渉すると、初めから敵わないのです。太刀打ちが出来ないのです。

「話し言葉教育」を小、中、高、大学教育の中に取り入れる必要性
しかし、日本の文部省は、日本人の交渉力がないのは「英語力」だと捉えて小学校から英語教育に力を入れようとしています。これは全くの勘違いです。母国語である日本語で自分の意思をチャンと伝えることができなければ、いくらNative並みに英語が話せたとしてもコミュニケーション力は向上しないのです。日本語の話し言葉によるコミュニケーション訓練の方が先でなければならないのに、順序が逆なのです。

「自分が生まれた国の言葉で、自分が思うことを相手に判るように筋道をたてて、なるべく短い時間で話す」これがコミュニケーションの最低限の目標です。日本では、これを早く、小、中、高のうちからきちんと行わないと、国際社会で通用する交渉力を養うことはできません。それには、まず学校の先生が「話し言葉」を教える技術を持たなくてはなりません。

しかし、教員の免許取得のカリキュラムの中に「話し方」という項目はありません。日本の社会がいつまでも「書き言葉」重視で「話し言葉」を軽視していれば、日本の若者の「言語力」は更に低下して、国際社会での「交渉力」が更に落ち込むのではないかと心配しているのです。一刻も早く「話し言葉教育」を小、中、高、大学教育の中に取り入れる必要があると思います。
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4.話し聞く力は技術である。

後輩の大学生が就職活動の前に、面接対策のアドバイスを求めてよく訪ねてきます。
その場合は20年前に自分で作った「音声表現の構造」を示してアドバイスします。
この表は人と人のコミュニケーションの構造を表したものです。

「音声表現の構造」

人と人のコミュニケーション、身体によるコミュニケーション、音声によるコミュニケーション、ノンバーバル・コミュケーション(アクセントなど)、身体以外のコミュニケーション(文字、記号、音)
身体以外のコミュニケーション、話は音声によるコミュニケーション、聞く、見る、、読む、感じる
ることを頭の中で瞬時に編集して、自分の声で話しをするというアウトプットを行う。
文字でアウトプットするのは文章です。
話を聞く力は技術です。どのように訓練するか、次の段階で進みます。

話し方訓練法

身体をほぐす

呼吸法発声法

口を開く
          ↓       
 
   対話座談スピーチ講演読む司会討論インタビュー

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5.「話し言葉教育」の実際

話し言葉の「声」自体にメッセージ性があります。ご自身の良い声を見つけましょう。
良い声とは、からだが良く響く声です。ギターのいい音の元は弦から出ますが、胴に共鳴するから「いい音」になるのです。人間の「からだ」はギターの胴と同じ働きをします。声帯の振動で出来る小さい音を「からだ」全体に共鳴させると大きい音、つまり「声」になります。

共鳴する場所は、頭、胸郭と骨盤ですが、緊張すると筋肉が固まり良く響く空洞ではなくなります。丁度、ギターの胴に砂をつめたような状態になるのです。
大きい声を出そうとして喉に力を入れると喉を傷めます。昔から、幼稚園や小学校の低学年担当の先生には「音声障害」が多いのです。そのために、正しい呼吸法や発声法の知識と、訓練がが必要になるのです。では発声と発音の実習をやってみましょう。

「音声表現(話し方)練習法の例」
◎ 音としての日本語に興味をもつ
◎ 「早口ことば」「ハ行で笑う」「ア行で泣く」「カ行で怒る」など
◎ ショウ アンド テル「モノを示しながら説明する」(プレゼンテーション)
◎ 見たものやことを、言葉で表現する「写真や絵、現実の場面」
◎ 要約ゲーム「他の人の話を聞いて、短くまとめる」
◎ 録音した自分の声を聞く
◎ 聞き手に「声」を届けるという感覚で話す
◎ 聞き方(一言で要約する。キーワードを見つける)

「発音練習」をして終了。
                             終わり


文責:三上卓司
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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