現在位置: ホーム(1)講義録一覧(2) >私の世界旅
WEBアクセシビリティ対応
ページの先頭です

平成22年5月28日
神田雑学大学定例講座N0508


私の世界旅  芳野健二


目次
イラスト画像の画像
メニューの先頭です 講師プロフィール
1.はじめに
2.先人の旅 関野さんのグレイトジャーニー
3.先人の旅 イブン・バツータ
4.岩倉使節団の米欧回覧
5.裕仁皇太子の欧州修学旅行
6.私の旅の楽しみ方
7.私の旅の小道具
8.私の旅の世界旅
8−1.エジプト
8−2.ケニア
8−3.南アフリカ
8−4.モロッコ
8−5.ギリシャ
8−6.イタリア
8−7.フランス



メニューに戻る(M)

講師プロフィール

芳野健二講師 京都生まれの京都育ち
鉄鋼メーカーで全国を巡った後、やや早めのリタイアー、少年に還る 
旅行、スケッチ、映画、歴史書などの趣味に徹するとともに、地域社会のボランティアに工夫を凝らす日々をおくる

メニューに戻る(M)

1.はじめに

芳野健二です。
先日吉祥寺村立雑学大学を聴講していましたら姓名のことを研究していらっしゃる講師の話で、姓名で質 問があれば何でもと言われましたので、私の芳野という姓について質問しましたら、愛媛県と福岡県に分布していますと見事に当てられてしまいました。 ルーツはその二つの県だけで、あとは東京に出稼ぎの人間がちょろちょろいるだけだそうです。

私の場合はおやじがその愛媛県から青雲の志をいだいて京都に出てきて、大学は出たけれど職がなく仕方なく京都に居ついて女房を貰い、子供を2人、つまり兄貴と私を産んだのです。よく言われますように加茂川の水で産湯を使った京都っ子で学校でるまでずっと京都におりまして、それから出稼ぎ人生で約40年、途中からベースを東京に移しまして、単身赴任 約9年も経験しました。
仕事そのものは楽しくやったんですが、どちらかというと自由人でありまして会社では原則として残業しない、有給休暇は殆ど取る、100%とるとおそらく人事評価がマイナスが付くだろうと予想される古い体質の企業でしたから、95%くらい 取るということをずっと続けてやっていまして、おかげで45歳頃から、言ってみれば出世を諦めるというか、見切り発車というか、そろそろリタイアーだなと意識して助走を始め、60歳晴れて無罪放免と言う訳で、45歳くらいから旅を始めました。
芳野さん講座風景
といっても部下などもいましたので、会社時代は連休を利用していました。8日間の連休をパック利用でぱっと行って帰ってきて翌日から会社に行く、それに夏休みにまた行く、これを重ねているうちに約40回、50カ国の旅をすることが出来ま した。
途中から色々なノウハウを身につけましたので、やや口はばったいですが今日話す中に旅のノウハウをお感じになって「 これ採用してやろう」という方があれば私としては幸せであります。
それから歴史が大好きなんで、どうしても旅を歴史と重ね合わせて楽しむくせがありまして、私の旅の話しより、先人の旅の話に脱線してしまう癖があります。
つまり歴史上の色々な方々の有名な旅の話を色々漁っており、その話をするのが大好きなのです。今日はそういうことに ならないように、先人の旅は4人くらいにとどめて、自分の旅の話をメインにさせていただこうと思っていますが、それましたらまた始まったと思ってお許しください。
メニューに戻る(M)

2.先人の旅 関野さんのグレイトジャーニー

人類のあゆみという事からスタートしたいと思います。
人類はケニアあるいはタンザニアあたりの木の上から下りて、そこで地上生活をしばらくして、それからとことこと北に行き、一部は南に行き、そしてユーラシア大陸をうろうろしつつ約3万年くらい前にベーリング海峡に辿りつき、新大陸に 入り、カナダやパナマのあたりは1万1000年くらい前に通り過ぎて、アルゼンチンの南、パタゴニアにたどりついたのは約 1万年くらい前だそうですね。これが人類のたどった道と言うことです。

私が尊敬している冒険家では植村さんは圧倒的な存在ですが、文化人類学的な意味での冒険家として尊敬している人に関野吉晴さんという方がいます。
この方は1949年生まれの一橋の社会学部を出た方ですが、世界の旅をするにあたり医者の資格があった方がいいということで医者にもなった人です。
関野さんのグレイトジャーニーある時思い立って、人類が辿った道を汽車とか飛行機とか文明の利器を使わないで、カヤックと自転車、犬ぞり、カヌー、ラクダ、トナカイなどだけを使ってみようということで、グレイトジャーニーと名付けて1993年にパタゴニアをスタートして、途中でちょっと 日本に戻ったりしましたが、2002年の2月にタンザニアに到着する旅をしています。本も文庫本で全5巻で出ています。興味のある方はお読みになってください。
メニューに戻る(M)

3.先人の旅 イブン・バツータ(世界記録保持者)

時間があればアレキサンダーなどの歴史上に有名な旅を話したいのですが、そのあとアレキサンダーの世界記録を大幅に塗り替えた人物がイブン・バツータという人です。
アラブ系の人でイスラム教徒です。生れはモロッコ、タンジールです 。
当時イスラム圏が確立しまたジンギスカン由来の元が確立していました。このように非常に大きな世界帝国があったと いうことが彼の旅に幸いしています。
イブン・バツータの長距離世界記録旅
東洋文庫に『世界大旅行記』というのが全8巻出ていますが、ものすごいディーテイルが書いてあります。凄い探検家です 。
まずアフリカのナイジェリアに入り、トンプクトなんていう大帝国がかってあったんですね、ここも訪れていますし、 モザンビークの方にも行っています。当然メッカ、メディアにも行き、トルコにも行き、ブルガリアにも行き、インドを 周り、東南アジアはベトナムを周り中国の南から北、そして当時の元の首都大都に行っています。これはモンゴルでしょうかね。
メニューに戻る(M)

4.岩倉使節団の米欧回覧(日本のグランド・デザイン)

次はぐっと直近になりまして、明治4年、実に632日間かけて、当時の政府の半分が海外に出かけて行ったという、まあ無茶くちゃというか壯挙というか、興味のある方には岩波文庫で『米欧回覧実記』という久米邦武の著になる本があります 。
実はこの『米欧回覧実記』を読む会と言うのが六本木の国際文化会館でありまして、一昨年の秋から私も入って、ゼミナ ール形式で1年に1,2回担当が回ってきて、発表をしたりしています。
彼らはアメリカをスタートに出かけるのですが、ソルトレークシティなんかで何故か頓挫したりしてアメリカに200日もいるんです。その理由は忘れ物があったのです。明治の初期ですから忘れ物を取りに行って帰るのにものすごく時間がかかります。
忘れ物は何だったのでしょうか?それは不平等条約の改定をしようというのに、お前達は全権委任状を持っていないじゃないかと言われて、しようがないから大久保利通など重要人物2人が日本に取って返して、その間彼らはアメリカで待機しているんです。そういう時代だったんですかね。
色々見聞して、ヨーロッパに渡り、今度はイギリスに120日います。この旅は大英帝国の息のかかったところをずっと周っていますから、スポンサーはアングロサクソンであるアメリカ、イギリスが自分達の威勢を見せたいという思いがあったんでしょうね。

岩倉使節団の米欧回覧旅

実際色々周ってみますと、当時破竹の勢いだったドイツのビスマルクがやや小僧っ子であるような大久保や伊藤や桂に「 俺達を見習え、絶対王権でこうしてやっていけば、国は隆盛する」と言うんです。
ビスマルクに会ったのが、ラッキーだったのかアンラッキーだったのか、これは分かりませんが、ビスマルク路線を歩んで日清日露の戦争に勝ち太平洋戦争に突入し、ドイツと同じように破滅したというのが岩倉使節団の総決算と言えるのではないでしょうか。
この岩波文庫で注釈を書いたりしている田中さんという人が「小国主義」ということを岩波新書に書いていますが、岩倉 使節団が大国を見習おうとした。しかし彼らは当時スウェーデンに行ったりデンマークに行ったりスイスにも行っています。そういう小国のあり様はあまり参考にしないで目は大国に向いていたんですね。
メニューに戻る(M)

5.裕仁皇太子の欧州修学旅行(歴史のIf 米中を訪問していたら)

次は昭和天皇が若いころの大旅行です。
私は古本屋を歩くのが大好きなんですが、裕仁皇太子が帰ってきてすぐに出版された分厚い本を手に入れたんです。すごく面白いんです。
皇太子は19歳でした。婚約は成ったがまだ結婚前、そして大正天皇の具合が悪くなる前、武者修行のために出して貰っているのですね。これには大英帝国の意図があったと思います。 大英帝国の力を見せつけたいという思いでしょうね。イギリスの息のかかったところばかりを歩いています。

裕仁皇太子の欧州修学旅行旅

これをゆっくり話すとすごく面白いんですが、時間の関係で省略します。ゴルフを途中でやったとか、小さな猿と遊んだとか、最初はガツガツと洋食を食べたら、それは顰蹙を買うから止めなさいと言われたとかいろいろ人間くさい話が出て きます。
結局ヨーロッパだけだったんですね。敗戦後初めてアメリカに行かれましたが中国には行かなかったですね。
私なりの解 釈で歴史のIfと言うことで書いたんですが、昭和天皇が若い時にあの広大なアメリカ大陸を見ていれば、アメリカと戦争 をすることの無謀さとか、中国大陸を見ていれば、中国を点と線だけで攻めても日本は疲れるだけだということが理解できたかもしれないと思うのです。まあ立憲君主制ですから天皇だけが気づいても駄目だったかもしれませんがね。
メニューに戻る(M)

6.私の旅の楽しみ方(空間軸と時間軸を楽しむ)

これ何か分かりますか?これはオーストラリアで買った世界地図です。
オーストラリアの人から見ればこれアップサイド ダウンの世界観ですね。この中で赤いポチポチを入れているのは私が旅した国々で50あります。
お配りしました資料を見てください。かってからこういう資料を自分なりに作っていたんです。この一表で人類古今東西 の歴史、世界全部知ろうと言う非常に野心的な表だと思うのです。(笑い)

芳野さん作製人類文明5000年の流れマップ

誰が攻めたのか、国が大きくなったのか小さくなったのか、今後どこが大きくなるかまで書いてあります。
だいたい人類の歴史は1万年くらい前に農耕・牧畜が始まって、ようやく文字が出来、そして支配者が国を作り、5000年くらい前から我々が今見ることが出来るものが出来てくるのです。有名なものがピラミッドですね。
歴史にはターニングポイントがあって、第一ターニングポイントは5000年くらい前の「文明と文字」、第二ターニングポ イントは「思想」、これはソクラテスや釈迦だとかいろいろ出てきますね。
第三ターニングポイントは「古代帝国の出現」ですね。
そして言いたかったのは一番右の欄に書いた事で、ビッグバンから始まった宇宙の歴史の中で人類はほんの短い存在でしかないこと、しかし人口的には長い間、わずか数億だった人口が20世紀になって大爆発していることです。
19世紀はまだ全世界で9億人だったのです。私が少年の時はまだ24億だった。老年になったいまは67億だと。「えー!」 という感じですね。かつてのマルサスの『人口論』の幾何級数的に人口は増えると言う言葉を思い出させられます。

それとこれも私の持論ですが「ほどよい距離が必要だ」と言うことです。地球と太陽の距離はほどよいのですね。金星で は近くて熱すぎる、火星では遠すぎて寒すぎる、ラッキーですね。
同じことが日本にも言えます。もし日本と中国がもっと近かったなら、古代に中国文化圏の中にドーンと突っ込まれてい たでしょうが、ほどほどだったので聖徳太子などが「日出る国の天子ここに・・」などと独立性を主張できたんですね。
その後、近世、近代になっても西洋との距離がほどほどだったおかげで、蹂躙されずにすんだという訳です。
そして次が先祖の数です。これは今日雑学として仕入れて帰っていただきたいのですが、ワンジェネレーション30年とし て10代遡ると2046人のおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが各人にいると言うことです 。20代遡ると約1億人、30代遡りますと約21億人も自分自身の先祖がいるということですから、人類はみな親戚ということです。そういう人生観でいけばいいのかもしれないと思っています。
このように旅は空間と時間の縦軸横軸、空間は文化や国の違いですね。そして時間は歴史です。これを総合的に味わいながら旅すると楽しいと思っています。
こうやって見ますと国々の消長なんかはかないものですね。時間軸で考えると国家なんてものははかないものです。
メニューに戻る(M)

7.私の旅の小道具

これはなんだか分かりますか?
これには何が入っているのでしょう?旅のスーツです。
こんなに小さくなってしまうのですが、実は私の旅の愛用品で30年間愛用しています。実は背広なんです
。いまはいているズボンとコンビです。旅の時に使うのですが皺にならないんです。ものすごく軽い。上下で500gです。500gスーツとい う名前で30年前に買いましたものです。簡単に洗えます。すぐ乾きます。実はこれを来て会社にもずっと行っていました 。(笑い)
このズボンの脇にはこんなチャック付きのポケットがあります。パスポート入れです。これはさりげなく入れられますのでとても便利です。カードなんかも入れますね。
このベルトには100ドル札が畳んで10枚入るんです。
これは同じく買ったベルトです。
これも旅で愛用していまして、ここに切り込みがあって、万札や100ドル札が畳んで10枚くらい入れることが出来ます。
だいたいホールドアップになったらアウトでしょう。ですから万一のためにここにお金を 入れています。
それからこれ、単眼鏡、これをいつも持ち歩いています。
双眼鏡は倍率が高くてぶれるし、大きくて重いからめんどくさいのです。これは4倍なんです。これをポケットに入れてい ます。
たとえば空港なら時刻表なんて見るのに楽勝です。神社仏閣の屋根やローマのミケランジェロの天井画なんかを見る時はとても便利です。ゴローンと横になりながら見ていると最高の気分です。
更にこれは美術館巡りの時はとても便利です。署名捺印なんかもきちんと追いかけられますし、更にいいのは美しいラファエルの裸婦なんかをこれで見ると核心に迫って、感動が迫ってきますよ。(笑い)
顔なんかじっと見ていると生きているような感じになります。
単眼鏡はすごく便利なんです。
それからこれ、あたりまえですけれど磁石です。
磁石は必須です。磁石を持っていないと都会でもパニックになることが あります。店を出てもう左か右か分からない、全然違う所へ行ってしまう経験がありますでしょう。ところが地下でも店内でも北か南かが分かっていれば大丈夫です。
ある程度語学が出来るからといって、他人に道を聞いても、外国人はいい加減ですからあっているとは限りません。いい加減でも答えるのが親切だと言う国民性もあるのです。僕は必ず2回聞くことにしています。そして磁石と地図で確認しま す。
それから今日これからお見せする私のスケッチと写真を作る道具ですが、これが20年愛用しているコンベンショナルカメラ、アナログです。デジカメを持っていないのです。これは全く単純でぱっと押すだけでいいのです。
これがスケッチブック用の道具です。さくらペンテルのパステル36色セットです。
出だしは50色のものを持って行きましたが重くて嫌になって、次に20色を持ちましたが色が足りない。結局36色になりましたが、これだけあればどんな絵でも描けます。
油絵と同じように色を混ぜて出すことも可能です。使い込みすぎた空色とか緑色などは一本100円くらいで補充するのです 。
水彩画をする人は多いですが、私はあまりお勧めしませんね。水がめんどくさい。それからタッチが弱い。アッピール力が少ない。まあ女性には向いているかもしれませんね。
このスケッチ袋に入れてあるトイレットペーパー、これも必需品です。これがあってずいぶん助かりました。色汚れをなじませたり汚れを拭ったりする時ばかりでなく、トイレに行ったら紙が無かったということが海外では多いでしょう?( 笑い)
これは100円のサインペン。これで縁取りをします。 そして最後がこれはスケッチ立て。
描いた絵をこれに載せて、実際に描いた背景の前において、一緒に写真を撮るのです 。後で写真が出てきます。自分が描いた景色と描いたその絵を一緒に写真に撮っておくのです。楽しいですよ。
メニューに戻る(M)

8.私の世界旅

これは私の旅した場所です。
太平洋なんかは縮めてデフォルメして描いてあります。赤が私が動いた場所です。黄色が行 った国です。
私の歩いた世界地図

雑学ですが、世界中で一番観光客の多いのはフランスです。次はアメリカ、スペイン、中国、イタリア、イギリス、オー ストリー、メキシコ、ドイツ、カナダ、ハンガリー、香港、ギリシャなどが並びます。日本は28位です。
私自身の感動順位は、1位エジプト、2位フランス、3位イタリア、4位中国、5位ギリシャ、次にスペイン、モロッコ、ペ ルー、アメリカ、インド、メキシコ、ケニア、トルコ、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、ベトナム、ロシア、スウェー デン、チェコで20傑です。イギリスは22位ですね。
今日は残りの時間、アフリカから始まってヨーロッパへの旅のスケッチと写真、70セット、一セット2枚ずつとして140枚 の手造り材料を利用してその時々の印象などを俳句などと一緒にお話したいと思います。
トルコ以降亜細亜、オセアニア までが60セット120枚も持ってきましたがこれは時間の関係で今日はお見せできないと思います。

笑いに溢れた講座風景
メニューに戻る(M)

8−1.エジプト

では1枚づつ見て行きましょう。
私はエジプトにすごく感動したからエジプトから始めましょう。
この写真を見たことある人いますか?A.ベアトウとサインがありますがイタリア人の写真家です。
Fベアトウという人は日 本の古い侍なんかを写している人ですが、その人の兄貴なんです。
そんな縁で使節団に同行したんでしょうか、写ってい るのは先程話した岩倉使節団よりもっと前の侍達です。
1864年かな、スフインクスの前で並んで撮っています。なかには おっちょこちょいな人もいて並んでいないでスフインクスに登っている人もいますね。
ヨーロッパへ最初に行った日本人は天正時代の少年使節とその後の支倉常長使節がありますが幕末での最初は文久2年です 。
この写真は池田使節団で2回目の使節です。ややマイナーで実績ゼロ。条約改正に行ったけれど相手をしてもらえなかった使節団でした。
私が同じ現場で描いた絵がこれです。スフインクスです。あまりうまく描けていないですね。
そばにいる可愛い少女に描いた絵を持ってもらって描いた風景をバックに写真をとるというのも私の趣味で、この少女はイラクから来た子でした。

スフインクスの前で描いた絵と写真

これはピラミッドの傍のホテルでなのですが、何日かいましたから大道芸人と親しくなりまして、描いたものです。
2枚描 いて1枚あげました。彼らは私の絵を家宝にしているんじゃないかと思います。(笑い)
ここにこういうサインをさせました。なかなか面がまえがいいでしょう?この人たちはベルベル人だと思います。
次はカイロ美術館での絵です。僕は美術館に行くのも大好きなので次の日のフリータイムにカイロ美術館に行きました。 良かったです。これは彫像です。
記憶していらっしゃる人がいるかもしれませんが平山郁夫が同じ場所に座って同じ絵を描いています。どちらが値打ちが 出るかは後世の判断に待ちますが。(笑い)
これはハトシェプト女王でエジプトで初めて女性で王になった方です。
彼女を記念したルクソールのハトシェプト葬祭殿で日本人を含む観光客がテロにあって殺された事件がありましたね。あのハトシェプト女王です。

カイロ美術館でハトシェプト女王を描く

次はアスワンダムのあるアスワンです。ナイル川も少し狭くなります。その隣が私が大好きなルクソール、昔の名前では テーベという場所です。100柱の都と言われていて、その豪快さがこの絵では出ていませんが、ここに描かれている観光客 の小ささと林立する柱の巨大さを比較して下さい。 となりはネフェルティティという人です。エジプト歴史上最高の美人だと言われた王妃です。ベルリンにもうひとつ素晴 らしい彫像があって、最近返却要求が出ているようですね。 次はアレキサンドリアです。左側はアレキサンドリア美術館の中にあったミイラの棺の中に描かれた少女の絵なんです。 それを私が現場で描いたんです。
それをお棺をカバーしているガラスの上に載せて写真を撮ったんですがバカチョンカメラだから上手く写りません。それで出てきたらまさに生き返ったような美しい少女がいたので、「ちょっと持ってくれへんか?」と京都弁で言って撮ったのがこれです。
アレキサンドリアはアレキサンダー大王が作った都市です。
アレキサンダーはイブン・バッータが旅をするまでは長旅の世界記録保持者です。もともとギリシャの中の田舎者。田舎者だから力がある。ペルシャの方が先進国でした。ペルシャに4万人対21万人の戦いなのに勝って、どんどん攻めて行って インド中国の境まで行っています。
でもこれは本人は良いけれど従者はたまらなかったでしょうね。
彼は22歳から33歳まで11年間遠征に次ぐ遠征です。すべ て現地調達です。妻も現地調達。正妻はバクトリアの娘ロクサーナ、それからダリウス王の娘も貰いますね。するとロク サーナが怒ってこれを殺すという有名な戯曲がありますね。
メニューに戻る(M)

8−2.ケニア

次がケニアです。 ケニアで眺めた大地溝帯とキリマンジャロ
これは大地溝帯です。地球の大きな裂け目がこの付近からスエズに向かって伸びているのです。紅海は 割れ目そのものでスエズ地峡も割れ目なんです。これは年間に5mmづつ離れて行くようです。
ここはキリマンジャロの傍でここをジープで地溝帯に沿って走り旅しました。ですからこれを描いた時は本当に感動をしていたんです。「ああ地球ってこんなに大きな溝が連なっているのか」という感動でしたね。
この写真はナイロビの北にあるナイバシャ湖かな?たまたまケニア人の夫婦が「あれが大地溝帯だよ」と言っているような図じゃないですか。そう言っていたかどうかは分からないんですがね。(笑い)
メニューに戻る(M)

8−3南アフリカ

次は私の得意種目のひとつの映画に関連します。南アに行きました。
先日NHKでマンデラさんの海外ドキュメンタリーをやっていて見ましたが、マンデラという人は凄いですね。20世紀の奇跡です。 旅をしていて感じるのですが、マンデラやガンジー、トルコのケマルパシャ等がいるから人間は信用できると言う気がしますね。
「こういう人物に学ぶ」と言う雑学シリーズをいつか語りたいですね。
映画は1987年「遠い夜明け」イギリスのアッテンボローという監督の作品です。題名が示しているように南アのアパルトヘイトを描いたものです。
次の「マンデラの名もなき看守」これもマンデラの人格力が看守を感化してしまう話ですね。
これは南アで描いた花です。ディエゴです。
南アフリカで描いた花の絵 名前がyesterday today tomorrow
面白かったのはこちらの花の名前は何と言うのですか?」と聞きましたら、 「yesterday today tomorrow」という花だと言うのです。
「昨日今日明日」という名前なんですね。
私が行ったのはマンデラ政権の最初の年なんです。「ああそうかいい名前なんだな」と思い、描いて、一句出来ましたね 。
「この国の姿現す花の名は、昨日今日明日 云々」というような歌でしたね。
歌を作るのはお金がかかりませんからね。 いいですよ。
メニューに戻る(M)

8−4.モロッコ

次はモロッコです。
若きゲイリークーパーが主演の1925年の映画がありましたね。これはトーキーの最初の作品でしたね。
モロッコは絵になるしすごくいいところですね。 カサブランカもモロッコですね。 これはモロッコの魚市場です。ものすごい人でしょう。
芳野さん大好きモロッコで、名画を思い出しながら これはマラケシの広場での大道芸です。これは路地の写真です。路地が沢山あって歩くとすごく楽しいんです。
これなんだか分かりますか?ドアの取っ手です。そこで一句。
「狭き路地 歩めば不思議 虫や手が 板戸の上でわれを招けり」
これはアイトベンハットウという古いお城っぽい街です。映画のロケ地になったりしますがあまり人は住んでおらず廃屋が多いのですが、すごくいいところです。

これには「南京すだれインモロッコ」と書いてありますが(笑い)、習い始めた技をモロッコのホテルで披露しました。
玉すだれは色々な形に変化します。これは東京タワーですが、海外ではエッフェルタワーと言い換えます。これは「お釈 迦様か釈迦無二か後光が見えたらお慰み」と言うのですが、海外では「マリア様の後光」に変えるのです。

これはサハラ砂漠です。サハラ砂漠の入口がモロッコにかかっているのです。
朝です。まだ明るくならない前にここに来て太陽に向かって立っているのです。そこで一句。
「朝まだき 砂漠の砂を踏みしめて 寒気の中に旭日を待つ」
ずいぶん寒かったです。トイレが無いんです。困りましたね。

サハラ砂漠で日の出を待つ

これはそこで会ったベドウィンの親子のテントで会った少女に絵を持ってもらって撮った写真です。
アラブ系の女性は目が凄いですね。引き込まれるような深い目をしていますね。
フランスあたりではいまこういうかぶり物をするのが問題になっています。
かぶりものにはブルカ、ニカブ、チャドル、へジャブと4種類あるそうですね。ブルカはすっぽりかぶるもの、ニカブは眼 だけ出すのも、シャドルは顔だけ出すもの、へジャブは髪だけ隠すものだそうです。いちばんすっぽりがアフガン、眼だけがサウジです。

アラブの女性の目に魅せられて

メニューに戻る(M)

8−5.ギリシャ

さてヨーロッパに行きましょう。これはパルティノン、アクロポリスの丘ですね。
私のスケッチは13分勝負なんです。現地では13分で描きあげます。夜部屋に帰って若干付け足します。
空の色なんかは決まっていますからあとでもいいのです。でも建物の色なんかは思い出せないことがあるからぱっと描いてしまいます。
これは大変気に入ったもので、アテネ国立博物館にあるサントリーニ島出土のBC500年くらいの少年の拳闘場面、私の模写です。これは大きな壁画なんです。素晴らしいものです。

アテネ国立博物館で見た素晴らしい壁画

これはミケーネの遺跡の古い写真です。これがシュリーマンです。そしてこれはシュリーマンの妻です。
これが私が現場に行って描いた絵です。これは獅子の門と言われてライオンらしいのが二匹います。
シュリーマンも語ると面白い人ですね。性格的にはちょっとエキセントリックなところがあって毀誉褒貶がありますが、 すごい努力家ですね。
彼はトロイは49歳のとき、ミケーネは54歳の時に掘っています。彼はロシアで商人として成功するのです。その金でこういう仕事をしています。
実は1865年、幕末ですが日本に来ています。講談社学術文庫に『シュリーマン日本旅行記』というのがあります。これお勧めです。読みやすいし面白いです。その前に中国にも行っています。当時の中国と日本がどういう状況だったか、どちらも旧体制ですが日本の方がしっかりしていると書いています。

ミケーネの遺跡でシュリーマンを想う

これはコリント運河です。飛行機がアテネを出ると良く見えます。昔地峡だったところです。
これはアテネの北の方のメテオラの修道院です。面白いですね。岩の上に修道院を作っています。
日本もわざと難しい山の上にお寺を作ったりしますね。あれと同じで苦しければ苦しいほど神に届くという発想でしょうかね?
これはエーゲ海クルーズでの絵です。これは一番好きになったイドラ島です。
左から右から真ん中からの3枚を繋げました 。3Dテレビみたいでしょう?立体感を感じていただけますか?(笑い)
メニューに戻る(M)

8−6.イタリア

イタリアに入りました。
これはバチカンやコロッセオを上から描いたものです。コロッセオは朝出発前に行って描いたも のです。
ご存じのようにバチカンには天正年間、九州の大名が4少年を派遣しますね。
これはバリアー二というカソリックの高僧が企画したんです。ですから少年達は人形のように従っただけかもしれませんが、しかし彼らは13歳に出発して21歳まで世界を旅しているのです。
これに関しては松田さんと言う人、それから若桑みどりさんという美術評論家が本を書いています。興味があれば読んでください。
この4人の少年のその後というのは面白いですね。
同じように見、同じように考えたはずが、伊東マンショと中浜ジュリアは言われた通りにキリスト教徒として迫害の中で頑張る。
いっぽう千々岩ミゲルは、途中で考え方を変えるんです。彼は 棄教して弾圧側にかわるんです。
おそらく彼はクレバーな男だったですから、旅の途中で見た白人支配的な土地と人々を見て感ずるところがあったのかなあーということを語る人もいます。
この図は京大の資料館にあるものですが、当時のアウグスブルグの新聞に載っていたものだそうです。

スケッチをなさる人にお勧めなのが、ホテルのキーを描くことです。
これがそれですがものすごく個性的なキーでしょう ?
これがフィレンツェ、これがベネチア、これがミラノ、いずれもキーが個性的だったと言う記憶があります。
メニューに戻る(M)

8−7.フランス

次はフランスです。フランスには長女が留学して8年ほどいたものですから、そこを根拠地にしてだいぶ歩きました。
「パリの空の下セーヌは流れる」という映画がありましたが、これはそういう雰囲気のスケッチです。
パリの空の下セーヌは流れるの映画を想い出しながら描く
こうやって描いていますとスケッチをする人間には悪人はいないように相手も思ってくれるんです。だから近寄ってくるんです。
これはパリジャンです。なにか話しかけてくるわけです。

これは町を歩いているとこういういい場面があるという例で、ショーウィンドーに女性の背中、コントラバスをかたどった女体です。
アングルの絵みたいですね。それらしいものを探しましたが、これはマン・レイの写真です。ちょっとイメ ージに合うでしょう?このモデルは藤田嗣治なんかも描いたモデルです。

シャルトル大聖堂の上から見た風景

パリ近郊でシャルトルと言う村はお勧めですね。
小川が流れていて街が奇麗で、シャルトル大聖堂が野原のなかにぽつんとあって、地平線が奇麗に見えます。ここで一句。
「はるかなる 地平のかなた緑なり うまし国原 しばし呆然」
次はアビニオンの橋の上で。歌はご存知ですね。これは橋の上から描いたもの。これは描いた絵をいれて撮ったものです 。

アビニオンからちょっと南にあるアルルもお勧めですね。
ご承知のようにゴッホが日本にあこがれて、日本は遠くて行けないので行った町です。日本の詩人は「フランスは遠くていけない」と悩んだけれどゴッホは日本が遠いので代用品でアルルに行ったのです。
「ああ素晴らしい。南はいい。日本のようだ」そして仲間になりつつあるゴーギャンを呼ぶ。どちらも個性が強い。ある時かっとなって殺そうとする。しかしゴーギャンの方が強い。そこでしょうがないから自分の耳をはねる。よせばいいのにその切った耳を自分の親しい娼婦のところに持って行ってプレゼントするというちょっと狂気の場面がありました。
ここには汽車で行ったんです。降りたらこんな景色でした。
旅をすると美しい少女や女性に会うというのも楽しみですね。ただ見るだけですがね。
これはモンペリエというあまり有名ではないですがアルルに近い街です。

アルル風景

可愛い少女ですね。父親も母親もいたんですが、少女に焦点を当てています。
最近は少女を撮ったりすると親が怒ったりします。昔はそんなことはなかったですがね。

これはセザンヌのエクスアンプロバンス、下がセザンヌの絵、上が私の絵で比べて貰おうと出したんです。
アスパラと洋梨です。ここでも一句。
「ミストラル 吹く朝 市に 洋梨と アスパラ買いて 絵に描くぞ良し」
セザンヌの故郷を訪ねて
もう時間ですね。地球の四分の一あたり周ったと言うあたりですが、時間切れとなりました。続きは次の機会で。(拍手 )

(三上神田雑学大学学長)楽しい話でなにか別れがたい感じがしますね。次回は是非亜細亜以東の続きの話を講座に企画しますのでお聴きにきて下さい。(拍手)






文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:臼井良雄


本文はここまでです



このページの 先頭へ(0)

現在位置: ホーム(1) 講義録一覧 2010〜2012(2) >私の世界旅



個人情報保護方針アクセシ ビリティ・ポリシィ著作権、掲載情報等の転載、リ ンクについて連絡先

Copyright (c) 2005-2007 kandazatsugaku Organization. All rights reserved.