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2010年7月9日 神田雑学大学定例講座No.513

―虹の色は何色か?―

虹の色は何色か? 講師、草場 純

講師 草場 純



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1.はじめに
2.虹の色は何色(なんしょく)か?
3.虹の色は何色(なにいろ)か?
4.虹ができるしくみ



1.はじめに

草場講師の写真  今回お話してくださる草場純先生は、元小学校の先生であり、現在の趣味はトランプゲームという多彩な才能をお持ちである。また、トランプゲームでは新聞にも載るくらい知名度の高い草場先生。今回はそんな草場先生が、皆さんが一度は見たことがあるだろう「虹」についてお話してくれます。
 虹には、あまり知らされていないいろいろな謎が含まれている。「虹の色は何色(なんしょく)か」、「虹の色は何色か(なにいろ)か」について、元小学校の先生の草場先生が質問や実験を交えてお話してくれるので、とても興味を引き立てられるような内容である。

 このお話を聞くと、皆さんの「虹」に対する考え方がまるまるひっくり返されるだろう。

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2.虹の色は何色(なんしょく)か?

 ※これからお話する「虹の色は何色(なんしょく)か」は、ネタ本がある。これは「板倉聖宣著『虹の色は六色か七色か』仮説社」である。

 問題1
 唐突な質問ですが、あなたは、虹の色は何色(なんしょく)だと思いますか。なにも難しいことを聞いているのではありません。「小さい子どもから、<虹の色って色がいくつあるの?>」と聞かれたら、あなたは何色(なんしょく)と答えますか?」というのです。
予想
ア.七色
イ.六色
ウ.五色
エ.八色
オ.その他

 やはり日本人の中だと「七色と答える人が一番多いようである。
 なんでこんな質問をしたのかというと、1985年ごろ虹は何色(なんしょく)かということが、日本を代表する4人の学者たち(鈴木孝夫、日高敏隆、村上陽一郎、桜井邦朋)の間でそれぞれほぼ独立に話題になったのである。
 以下は1978年に日高敏隆が出した『犬のことば』という本の中で、ふれている内容だ。

 [以下引用>
 「虹の色はいくつあるか?」先日、ふとこんなことをあるアメリカ人にたずねてみた。答は意外だった。彼は即座に「六つ」と答えたのである。「六つ?」「そうでしょう。だって、レッド、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー、バイオレット。これで六つじゃないですか。」「そんなことはない。虹は七色っていうでしょう。七つですよ。」「じゃあ、何が加わるんですか?」「ブルーの次にインディゴ(あい)があるでしょう。ブルー、インディゴ、バイオレットですよ。」ぼくは、これで彼がうなずくと思った。ところがそうはいかなかった。彼はインディゴはブルーの一種だといってきかなかったのである。  <以上引用]

光の3原色  日本人では、半分以上の人が「虹の色は七つだ」と答えるだろう。しかし、何名かのアメリカ人に聞いたら「虹の色は六つだ」と答えるという。これは、鈴木、日高、村上、桜井の四人とも同じように本の中でふれているという。アメリカと日本の文化(?)の違いというものなのか。
 このアメリカ人の話を聞いて、虹の色は七色と思っていた人の中で、考えが変わった人もいるのではないか。ということでもう一度質問してみよう。今度は何が「正しい答えなのか」ということにこだわって考えてみてほしい。

問題2
 「虹は何色(なんしょく)からなっている」というのが正しいと思いますか。
ア.七色
イ.六色
ウ.五色
エ.八色
オ.その他

 会場の結果を見ると、少し「ア.七色」以外の回答が増えたようだ。そもそもでは、その結論は後回しにして、話を先に進めることにする。

問題3
 それでは、先程の日本を代表する四人の学者たちは、「日本では<虹は七色>が常識なのに、アメリカではどうして六色と思われているのか」ということについて、どう考えたと思いますか。
 予想
ア.<言われてみれば、虹は六色と言ったほうがよさそうだ>と考えた。
イ.<そんなことはない。日本の七色のほうが正しいのだ>と考えた。
ウ.<アメリカ人は色の言葉が不足しているから、虹の中の藍色を識別できずに、虹は六色と思うだけなのだろう>と考えた。」
エ.その他

 日高敏隆の『犬のことば』という本の続きでは、このようなことが書いてある。

 [以下引用>  今度は、フレミッシュ系のベルギー人に、同じこと「虹の色はいくつあるか」というのを聞いてみた。その人はたいへんインテレクチュアルな人で、彼と話していたら飽きることがなかった。ところがまたまた意外なことに、彼は虹は五色だと答えたのである。「ロート、オランヘ、ヘルプ、フルーン、ブラーウ。この五つですよ。」珍しく彼は母国語のオランダ語で答えたが、要するに、赤、橙、黄、緑、青の五つしか数えなかったのだ。「日本ではその先にインディホ(あい)とフィオレット(すみれ色)がありますよ」といったら、一応なるほどという顔はした。けれど彼は、「インディホもフィオレットも、要するに濃いブラーウにすぎませんね」と主張して、五色説をまげなかった。
 そもそも虹の色などというものは連続しているのだから、どこで区切ろうと勝手なのだ。けれど、日本では七色の虹がアメリカでは六色になり、ベルギーでは五色になってしまうのは、たいへんおもしろかった。日本語の表現は世界一こまやかだ」という話を、今でもよく耳にする。これがばかげた俗説にすぎないのは当然だが、フランス人がフランス語について同じようなことを得意気にいうのを聞いていると、人間とはなんともわかりの悪い動物なのか、と改めて感心してしまう。自分の持っている概念の枠の中でしか物は見えないのだということを、すぐ忘れてしまうからである。
 <以上引用]

 つまり、この本の内容から「国によって色の認識は違うのだ」ということが言える。
 なぜ、色の認識が違うのかということを、いろいろな本を読んで調べてみると、板倉聖宜がこのことについて考察した『虹は七色か六色か』という本にはこう書いてある。

 [以下引用>
 四人の学者は意見が一致していた。四人の学者は言語学者、動物生態学者、科学史学者、宇宙物理学者と研究分野が大きく違っています。ですから、その意見が大きく違っていてもよかったと思われます。ところが、この問題3の意見はほぼ同じでした。そしてその四人の学者の回答は、ウ.<アメリカ人は色の言葉が不足しているから、虹の中の藍色を識別できずに、虹は六色と思うだけなのだろう>と考えた。」である。これは科学上心理やその国の文化や伝統の言葉の違いによって変わることもあるだろうという証拠だ。だからアメリカでは「虹は六色(しょく)」、日本では「虹は七色(しょく)」と違った意見でもいいのだ。  <以上引用]

 さて四人の学者は国の文化や伝統の言葉の違いであると考えているのだが、これは本当なのだろうか。本当に文化や言語の違いによって「虹の色は何色(なんしょく)か。」という認識が違うのだろうか。
 そこで、本当に文化の違いなのかを考えてみる。
 鈴木孝雄著『日本語と外国語』では、鈴木が各国で虹を何色(なんしょく)と考えているのか聞き歩いて調べた結果が書いてある。

イギリス 色々
フランス 7色
ドイツ  5色
ロシア  色々
ショナ語 3色
    バサ語  2色
アメリカ 6色

 鈴木は、ショナ文化やバサ文化は「色の言葉が少ない」ので3色、2色と少な目であり、アメリカは「“インディゴ”という言葉はあるがあまり使わない。」といったような認識から、6色であると考えている。本当だろうか。やはり、このように言語や文化の違いというものが関係しているのだろうか。しかしこれを証明するのも反証するのもむずかしい。

 そこで、これらのことを昔にさかのぼって考えてみよう。

問題4.アメリカ人は、ずっと以前から<虹は六色>と考えていたのでしょうか。

 例えば、南北戦争(1861〜65、今から約150年前)のころのアメリカ人は、虹を何色(なんしょく)と考えていたと思いますか。
予想
1.そのころから<六色>と考えていた。
2.そのころは、<七色>と考えていた。
3.そのころは、<五色またはそれ以下>と考えていた。
4.その他

 みなさんはいかが思われるだろうか。
 日本の明治維新は、ペリーの率いるアメリカの艦隊が1853年に浦賀にきて、開港を要求したのを契機として1868=明治元年に起きたのですが、アメリカではそれから南北戦争が起きていたのです。そしてその頃の認識は今と違うようなのです。

滝にかかる虹

 アメリカ人も昔、日本の開国のころには、虹は七色だと思っていました。たとえば、慶応三年=1867年に日本で翻訳されて、明治維新前後の日本の教育にも圧倒的に影響を与えた本に『理学初歩』という本があります。ミス・メアリースフィフトという女性が1833年に著した本で、1859年に増補改訂されてロングセラーを続けた『子どものための科学入門』という本を、表題だけを日本語にして英語のまま翻訳した本です。この本はキリスト教を元に書かれた本ですが、虹はキリスト教の成立神話とも繋がりが深いというので、とくに詳しく扱っているのです。で、その本の中には、虹の色をはっきり七色と書いてあります。その七色の中には、もちろん「藍=インディゴ」もあるのです。

 というように、なんと今から150年前(日本の開国のころ)には、アメリカ人も虹は七色だと思っていたという。というと、日本の四人の学者たちが「虹が何色(なんしょく)かというのは文化の違いによって決まる」と言っていたことがおかしくはならないでしょうか。文化とか伝統とか言語というのは、変化はするが150年という短い期間では変わらないだろうということを前提とするなら、意外にもこれは文化の問題ではないのかもしれない・・・。
 少なくてもアメリカでは文化の問題ではないようなので、次は日本に焦点をおいて考えてみよう。

問題5
 それでは、日本人はずっと以前から<虹は七色>と思っていたのでしょうか。もしかすると、日本人はアメリカその他から近代科学を全面的に取り入れるようになって初めて、<虹は七色>と考えるようになったのかもしれません。  それなら、<江戸時代の日本人=近代科学を知る前の日本人>は、虹を何色(なんしょく)と考えていたと思いますか。

1.そのころから<七色>と考えていた。
2.そのころは、<六色>と考えていた。
3.そのころは、<五色またはそれ以下>と考えていた。
4.人によって、まったくまちまちだった。
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 さて、司馬江漢著の『コペルニク天文図解』を見ると

 [以下引用>
水ヲ噴テ虹ノカタチヲ見ル
日光映ジテ五彩(イツツノイロドリ)ヲナス
 <以上引用]

というように、少なくとも司馬江漢は虹を、五彩(イツツノイロドリ)、つまり五色だと思っていたようだ。  あるいは、「五彩」というのは少し違う意味合いかもしれない。七夕の時、「五色の短冊」と言うが、実際は沢山の色がある。そういう意味では、日本人が言っている「虹は七色」というのは「いろんな色」という意味で使っているのではないかという考え方もありそうだ。なので、本当に「五彩」というのを「五つの色」というようにとらえていいのかどうかは問題である。

 はっきりしている事は、意見はかなりまちまちであるということだ。
 そこで、結論から言うと、問題5の選択肢の
  3.そのころは、<五色またはそれ以下>と考えていた。
  4.人によって、まったくまちまちだった。
は両方とも正解であると言うべきだろう。
 それを踏まえて、先程取り上げた鈴木孝雄が書いた、「各国で虹を何色(なんしょく)と考えているのか調べた統計的結果」が書いてある『日本語と外国語』の内容をふりかえってみよう。

  フランス 7色
  ドイツ  5色
  ロシア  色々
  ショナ語 3色
     バサ語  2色
  アメリカ 6色

 この内容も、実はよく考えてみたら本当かどうかあやしい。なぜかというと次のようなことが考えられるからだ。

講演中の草場講師  私が以前とあるドイツ人に会ったとき、「虹の色は何色(なんしょく)か」という質問をした所、「色々だね。」という答えが返ってきたことがある。そもそも私たち日本人は「虹の色は七色」と教えられてきたから「七色」なのである。つまり、例えばロシアの「色々」という結果は、「あまり、虹の色が何色(なんしょく)ということは意識しない」「虹の色は色々あるので、何色(なんしょく)と言う考えを固定しない」という含意があるのではなかろうか。このようなロシアとは反対に、フランスの7色、アメリカの6色という答えは、それぞれの国の多くの人が答える。つまり、世界には二通りある。「虹の色は何色(なんしょく)か」という質問に対し、フランスやアメリカのように決まってすぐに答えるグループと、ロシアのように「まあ、聞かれれば6色かな」というような答えをするグループと二通りあるのだ。それなのに「虹の色は何色(なんしょく)か」という質問に対する答えを「統計的」にみるのは問題ではないのか。すなわち「虹の色は何色(なんしょく)か」という質問自体が「文化的な前提」があるような感じがするのである。

 では、どうして日本人は虹の色が七色だと思ったのだろうか。そもそも虹の色が七色だと言い始めたのは、一体誰なのであろうか。
 結論から言うと、虹の色が七色だと言い出したのはアイザック・ニュートンである。当時、はっきり虹の色が七色であると認識するのは普通ではなかった。かつての日本や今のロシア、ドイツ人の一部のように、あんまり当時はそんなことを考えていなかったようである。考えようと思ったら七色あるような感じもするが、六色か五色のような気もする、というのが正直なところであるのだ。

 先程取り上げた日本の四人の学者たちも自分で虹の色が何色(なんしょく)あるか実際に数えたことはないという。「日本では七色であると言っているが、アメリカでは六色である。私が数えてみたら七色であった。だからアメリカ人は違っている。」というならまだわかる。しかし、彼らの思考はそこから一つ飛ばして「文化の問題」に行き着いてしまった。「その国の文化によって虹が何色(なんしょく)かの認識が違うと」いう結論になった。ところが、今見てきたように、本当に虹の色が何色あるのかどうかという認識が、文化の違いであるのかどうかはかなり怪いのだ。どうやら、日本では明治期に近代科学の祖のニュートンを学んだから虹は七色なのである。つまり文化の問題ではなく、教育の問題であったわけだ。
 そこで元をたどって、壁に穴をあけて分光器にかけて虹が何色あるか実験をしていたニュートンが、どうして虹が七色だと言い出したのか、考えてみよう。

問題6
 それなら、ニュートンが分光学の研究をはじめた当時のイギリスでは、<虹は七色>が常識化していたのでしょうか。
予想
1.その頃のイギリスでは<虹は七色>が常識となっていた。
2.<虹は七色>は常識ではなかったが、ニュートンは<虹は七色>と思っていた。
3.ニュートンも、はじめは<虹は七色>とは思っていなかった。

 正解は3.である。ニュートンは最初、虹は五色だと思っていたのである。
 しかし、ニュートンが書いた円の図にはレッド、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー、インディゴ、バイオレットと、虹を七色に円上に表現している。ニュートンは自分も虹は五色だと思っていたのに、七色だと言い出したのである。ではなぜニュートンは虹は七色だと言い出したのだろうか。どうやら、ニュートンは七つある音階の「ドレミファソラシ」に合わせたらしい。

 スフィフト著『子どものための科学入門』に虹の絵がある。その虹は上から、「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」と色が並んでいる。その虹をよく見てみると、橙色と藍色は他の色より少し線の幅が細い。そもそも虹の色は途中で線があるわけではないのだが、そのように表現されているのも面白い。
 ニュートンの書いた円には、更にA、B、C、D、E、F、Gと書いてある。Aはグリーンとブルーの間、Bはブルーとインディゴの間、Cはインディゴとバイオレットの間、というように、D、レッド、E、オレンジ、F、イエロー、G、グリーン、A、ブルー、B、インディゴ、C、バイオレット、D、レッド、・・・と円環上にならんで示している。

 なぜこのように並んでいるのだろうか。普通だったら、DではなくAから始めるだろう。
 実は、これは音楽の世界なのである。音楽の世界では、C(ド)、D(レ)、E(ミ)、F(ファ)、G(ソ)、A(ラ)、H(シ)であるので、このように並んでいるのである。
 ニュートンが虹を七色にしたかったのは、C(ド)、D(レ)、E(ミ)、F(ファ)、G(ソ)、A(ラ)、H(シ)というような七つの「音階」と対応させたかったからと考えられる。自分は五色のような気がするんだが、インディゴとオレンジを音階の半音のように見立てて、七色あればうまくいくのではないのかという発想である。

なので、先程とりあげたスフィフト著『子どものための科学入門』にある虹の絵のオレンジとインディゴが他の色より少し線の幅が細いのは、オレンジとインディゴが半音であるからである。静養音階的にその位置を半音にするには、Dから始めればよい。どうやらニュートンは音程との対比をもって、色彩を考えていたらしい。しかしこれは根拠がない。ニュートンの単なる仮説である。もっとも、音程も色彩も波長の違いなのであるから、ある意味慧眼であるとも言える。(後に光の粒子説を採るニュートンには不本意かも知れないが。) しかし実態としては、音程と色彩の直接的関係はない。今から見ればニュートンは誤った発想で考えたということになる。

 しかし、ニュートンはご存じのとおり偉い学者であるので、「ニュートン先生の仰ることにまちがいはない。」とばかりに、「虹は七色」と教科書にのってしまった。
 ニュートンは「音階は七つ」というのと同じように、「一週間は七日」ということも考慮して、「虹は七色」考えたという説もある。ともあれ、近代科学の摂取に忙しい幕末・明治期の日本に、虹の七色説は、無批判に取り入れられてしまった。以来百年、日本では「虹の色は何色か?」と聞かれると「七色」と答える人が多いのである。

 しかしそれでは逆に「虹の色は六色」というアメリカ人の、その根拠はどこにあるのだろう。
 今から150年前は「虹の色は七色だ」と多くのアメリカ人も考えていた。しかし、最近のアメリカ人の多くは「虹の色は六色だ」というように答える人が多いという。問題はなぜ最近になってアメリカ人が「虹の色は六色」と考えるようになったかである。

問題7
 それなら、アメリカ人はどうして「虹は七色ではなく六色と考えたほうがいい」と考えるようになったのだと思いますか。
 予想
1.アメリカの科学界の大御所が<虹の七色説は間違っている>と指摘して変わった。
2.理科教育の研究者が、<虹の七色>説の間違いを教育実験的に明らかにして転換した。

 私は、板倉聖宜の書いた「虹の色は七色か六色か」という本を読み、権威によって言われたものも、そのまま信じないで、自分の目で確かめろということを教えられた。だから、権威によって言われたのではないだろうということで、私の予想は[1.理科教育の研究者が、<虹の七色>説の間違いを教育実験的に明らかにして転換した。]であった。ところが『虹の色は七色か六色か』には以下のように述べられている。

 [以下引用>
 『B.M.パーカー先生の教育実験』
 アメリカの小中学校の理科教科書は、1940年までは、みな「虹は七色」と書いてあります。しかし、1941年に発行されたB.M.パーカー著の単元別教科書『雲と雨と雪』は不思議な書き方をしています。その教科書の<虹>の部分の最初には、本書のような虹の絵が多きくカラー印刷されていますが、そこには上から<red, orange, … violet>と七色の文字が書き込まれています。

 そこで、「この教科書は<虹は七色>と教えているのか」と思うと、そうではありません。上の絵のすぐ下の本文には、まず、「もし虹の絵を描くことになったら、六色が必要です。それは、<violet, bule, green, yello, orange, red>です。それは、次のページの絵のようなプリズムを通して見たときの色と同じです。・・・・・・
 あなたは、<虹には七色ある>と聞いたことがあるかもしれません。ときには、indigoが虹の色の一つとしてあげられることがあります。indigoというのは、赤みがかかった青です。あなたが特に<青と藍の両方の名を挙げたい>というのでなければ、両方の名を挙げる必要はありません。
と明記されているのです。
 <以上引用]

 ここまで読むと、正解は[ア.アメリカの科学界の大御所が<虹の七色説は間違っている>と指摘して変わった。] にあたる気がしてくる。ところが、そうでもない。その後にはこう書いてある。

 [以下引用>
 すなわちこの教科書は indigo=藍 を忘れているのではなしに、それを十分承知のうえで、その色はほとんど見えないから、挙げる必要がないとしているのです。これは押し付けでしょうか。そうではありません。そのことはこの教科書の教師用の章を見るとわかります。そこにはその部分の授業の展開のやり方が次のように書いてあるのです。プリズムを設置して壁に虹色の帯を写します。そして、その帯の上の色帯を下の図に示してある色の帯と見比べさせ、さらに壁の上の虹色の帯を前の虹の絵とも見比べさせます。そしてその、虹の絵の上に書き込まれている色のうち、「どれか壁の上の色の帯につけるのがむずかしい色がありますか?」という質問などをして、虹を七色と考えるのは無理で、六色と考える方がいいと子ども自身に納得するようにできている。
 <以上引用]

 この実験は、実際私も小学校の授業でやったことがある。するとやはり「七色は無理かな」というようになる。でもその中でも「僕は七色見えた。」「八色見えた。」という子も中にはでてくる。私は、その考え方を子ども自身に任せている。いろんな見方があっていいんだよという話をするようにしている。

 このように、実際にアメリカ人は『B.M.パーカー先生の教育実験』に書かれているような実験をして試しているとも言えるし、ある意味では権威によってそうなっていると言ってもいいかもしれない。  ということで、問題7については
  1.アメリカの科学界の大御所が<虹の七色説は間違っている>と指摘して変わった。
  2.理科教育の研究者が、<虹の七色>説の間違いを教育実験的に明らかにして転換した。
のうち、両方とも正解という言い方ができる。また、これをきっかけに、アメリカでは「虹は六色」と教科書に載るようになったのは事実である。従ってこの教科書が発行された1941年以降に教育を受けたアメリカ人は、「虹は六色」と思う人が多い、ということになる。

 色々とこれを調べてみると、フランスの教科書は七色と書いてある。フランスは今も多くの人が「虹は七色」と答える。従って、「虹の色は何色か」ということも、教科書に出るとかなり染み渡り、人々が深く影響を受けてきたことがわかる。実に文化の問題と見えたものは、教育の問題だったのである。

 結論として、「虹の色は何色(なんしょく)か?」ということについては時代によって、また、人によってもいろいろな考え方ができる。どれが正解かを信じるかは人によって違ってもいいと私は考える。
というわけで前半の「虹の色は何色(なんしょく)か?」という話はこれで終わりにする。

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3.虹の色は何色(なにいろ)か?

 「虹の色は何色(なにいろ)か?」と聞いたら、「変なことを聞くなあ。」と思われるのが関の山だろう。虹にはいろいろな色があって当然だと思われているからだ。
 しかしかのニュートンは、「光には色がない」と言った。ニュートンは色がわからなかったわけではない。ニュートンが言った真意はどこにあるのだろうか。

滝の虹2

●虹の色々
・主虹(しゅこう)と副虹(ふくこう)
 みなさんは二重の虹を見たことがあるだろうか。二重の虹というのは、いわゆる虹の外側にうすく、もう一つの虹が出ている現象である。この二重の虹の濃い方を主虹、薄い方を副虹という。
主虹と副虹を見比べると、主虹の方がずっと明るい。しかし幅は、副虹の方が広い。角度でいっても主虹がほぼ2度、副虹がほぼ4度と副虹の方が色はうすいけど、幅は広い。
また虹が七色(ななしょく)であるとしたら、主虹は外側から「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」と並んでいる。副虹は逆で内側から「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」と並んでいる。色が向かい合いになっているのである。

 もう一つみなさんに確かめてもらいたいことがある。虹の内側より外側(主虹と副虹の間)の方が空が暗いということだ。この暗い部分を、「アレキサンダーの暗部」という。ここの暗くなっている部分の光が虹に集中し虹ができるのである。今度は虹をみるときよく見てほしい。
 副虹に気づかない人が多いが、実は虹が出るほとんどの場合、副虹もでているので、今度虹を見つけたら、その外側をよく見てほしい。角度にすると主虹の10度外側に副虹はある。背後の太陽と正反対に延ばした自分の目線を中心にして、想像上に円を描く。円の中心から42度の所に主虹、10度外側の52度の所に副虹がある。というわけで、次に虹を見るときは副虹をぜひ発見してほしい。

・虹(こう)と霓(げい)
 その主虹と副虹を、中国では雄と雌と考えていたというから面白い。
 虹という字は虫偏である。なぜだろう。『山海経海外東経』という中国の古い書物がある。そのなかに虹の挿絵が書いてある。この本には中国人が昔考えた古い怪物がたくさん出ていて、その中に虹も出てくるのである。その絵の虹は蛇にも見える。そう、かの国では、「虹は水を飲んで育つ「蛇」なのである。だから「虹」には虫偏がついている。(虫偏は虫だけではなく爬虫類なども表す。)
 つまり「虹」は一種のドラゴンであって、しかも雄である。では、雌はなんと言うかといえば「?(げい)」という。そして虹は主虹、 ?は副虹を指したのである。

・白虹
白虹と呼ばれる白い虹を見たことある人はいるだろうか。白虹には何種類かある。月虹(げっこう)、霧虹(むこう)、霞虹(かこう)、天頂アークなど。  月虹というのは、満月(前後)の光によって夜に出る白い虹である。私は残念ながら今まで一回も月虹を見たことがない。アリストテレスは生涯に2回月虹を見たことがあるそうである。アリストテレスのようによく観察している人間ですら、生涯で2回しか見たことがないというのだから、月虹というのは珍しい現象である。ところが現在では写真で簡単に見られる。

 もっとも私は月虹を写真で見て、感動もしたが、がっかりもした。なぜなら、月虹を実際に見た人の話では、それは白く、実に幻想的だったという。しかし、写真を通して見ると写真の感度が強いので、白い幻想的な虹ではなく、ちゃんとした色のある虹に見えてしまうのである。
 実際に一番月虹をよく見ることのできる場所はハワイである。ハワイは月虹の名所で、ハワイ島の山側に「ここが月虹を見るポイント」と書いてある場所があるそうである。

 私は白虹の中で、月虹は見たことはないが、「霧虹」なら見たことがある。「霧虹」にも二種類あり、私が見たのは「霞虹」とも呼ばれる霧虹である。「霧虹」というのは、雨粒の粒子が0.01ミリを下回ると、光線を水滴がしっかり分光できずに白い虹が出る現象だ。それを「霧虹」という。それに対し「霞虹」というのは、虹の手前に霧がある場合で、虹が霧を通して白っぽく見える現象である。両方併せて霧虹とも言うが、厳密には違う現象である。

 私は、「霞虹」を那須で中学生の時に見たのであるが、素晴らしく幻想的だった。霧は音を吸収するので、とても静かだった。昼間だったのだが、霧が出ていた。雨が止んで太陽が出て虹が出たのだが、その手前に霧がきて虹がモクモクとした白い柱に見えた。これが「霞虹」である。当時はなんでこのようなものが見えるのかよくわからなったが、本当に感動したのを今でもよく覚えている。

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4.虹ができるしくみ

 雨粒の中で太陽の光は屈折・反射する。一回反射した角度が42度。屈折する時に屈折の角度が波長によって違うので分光する。紫色光はほぼ40度の屈折・反射、赤色光は42度の屈折・反射。分光して色が見えるのである。
 今から、このフラスコに入れた水を水滴に、この部屋の後ろに置いた電球を太陽にみたてて虹を作る実験をする。あの電球の光と自分の目線から42度の場所に、水が入っているフラスコをすりガラスがある方を手前になるようにして持ち上げる。こうやってフラスコを持ち上げてかざしていると、光点が二か所ほど見える。角度を変えてゆっくり上げていくと、この二つの光点が一致する。一致した瞬間に色が出る。まず最初に赤色が出る。赤い色が出たら、少しだけ下にフラスコをずらしていき、うまくいくと黄色、緑、青と順番に色が見える。

虹を作る実験  しかし、ここの電球は太陽ほど光がないのでうまくいかないかもしれない…。また、よくこの実験が一番失敗する理由としてフラスコ内に泡が入っていることがある。泡が入ると見えないので、もう一度水を入れなおす必要がある。そして、もしまた二つの光が見えたら、上の方を手でふたをすると、消える。,br>  これはフラスコと栓と水さえあれば、家庭でも教室でもできるので実際に試して欲しい。

 ニュートンが「光に色はない」と言ったことの真意は、ニュートンの混色の実験を説明しないと分からないのだが、今回は時間が足らず、混色の実験まで話が及ばなかった。またの機会に。
 前半でやった「虹の色は何色(なんしょく)か」という所で、世間で一般的に言われている「七色」ということが、よく調べてみると実態がいろいろ違うんだということがわかっていただけたら幸いである。(終り)

謝辞
 本文中の虹の写真2点は真島文夫氏(長野県上田在住の写真家)撮影のものを借用しました。厚く御礼申し上げます。


文責:松尾 寛子(日本女子大生)
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:大野令治


本文はここまでです


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