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神田雑学大学 平成22年10月29日 講座 No529

私の世界旅 バート2、講師 芳野 健二




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画鋲
講師プロフィール
1.はじめに
2.前回の復習
3.世界の人達とネイティブ言語
4.スペイン・ポルトガルの旅
5.イギリスの旅
6.アイルランド
7.ベルギー・オランダ
8.スイス・ドイツ・オーストリー・東欧
9.北欧3国 スウェーデン・フィンランド・ノルウェー
10.ロシア
11.世界の人達とネイティブ言語 補足




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笑顔で講義をしている芳野講師
講師プロフィール
京都生まれの京都育ち
鉄鋼メーカーで全国を巡った後、やや早めのリタイアー、少年に還る旅行、スケッチ、映画、歴史書などの趣味に徹するとともに、地域社会のボランティアに工夫を凝らす日々をおくる


1.はじめに
芳野健二です。前回は5月の下旬に第一回目の話をさせて頂いています。
今日は2回目ですが初めての方もいらっしゃるようなので若干のイントロダクションの後、前回アフリカからフランスまで来て終ってしまいましたので今日はその続きのスペイン・ポルトガルから、イギリスを周って、ヨーロッパに入り、トルコからアジアに入るあたりまでが話せたら良いと思います。そんなに慌てて世界一周をしなくてもいいのかなという気持ちもあって、その旅での私の感想や旅行前後に学習した知識などを含めた話をじっくり話したいと思っています。

私のネタは本です。先人の旅を本で逍遥するのが好きで、自分が旅した場所でそういうものを振りかえって見るということと、自分の旅での経験、それから自分は絵が好きで旅先で必ず絵を描いていますからその絵のご披露、さらに、つたない自己流の短歌が主体ですが、時には長歌、時には俳句が出てきます。私は旅の玄人でもなく、絵の玄人でもなく、歌作の玄人でもない人間ですが、それでも旅を楽しめるということを参考にしていただければと思います。

前回に色々な世界旅の先人の話や私の旅行のノウハウなどを話させていただきました。もし今回の話と関係してご覧になろうと言う方は下記をクリックして見てください。
http://www.kanda-zatsugaku.com/100528/0528.html
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2.前回の復習
前回モロッコの話をしましたが、その時私が現地の方々と仲良くなるために玉すだれをやった話をしましたね。今日は実技を披露し皆様にも楽しんでいただこうと思っています。

皿回し私はまた、日本に来る外国の方々に「私の小さな国際貢献」と名前を付けて、外国の人を魚河岸を案内したり、神社をに案内したりして楽しんでいます。この人はフランス人で日本のアニメの研究家です。たまたま我が家に来まして、なにか変ったことをマスターして貰えればと思って、お教えしたのが自家製の皿回しです。

大道芸を私がやりはじめた動機は61歳でリタイアーしましていまちょうど70歳になりましたが、1、2年試行錯誤の中で地域社会の中で貢献出来るネタはないかということで児童館だとか、知的障害者の方の施設あるいは介護施設、こういう所に行きますと「語る」とか「絵を見せる」とかよりも「動作」がとても魅力があるということが分かりました。

玉すだれを教えて貰って児童館でやっていたら、そこに来ていた先輩のおじさんが皿回しをやっていて教えてくれたんです。簡単に作れるのです。今日はそれをお教えします。これだけで10分くらいかかってしまいますが、まあ人生そんなに急ぐ旅ではなし、楽しんでください。
南京玉すだれの様子出だしはまず玉すだれです。テレビなんかでご存じでしょう?「あ、さて、あ、さて、さても南京玉すだれ・・・・」と始まるやつです。10何番まであるのですが一番見栄えが良くて簡単なのはこれです。「阿弥陀如来か釈迦無二か、後光が見えたらお慰み」ですね。海外でやる時は「阿弥陀様でなくてマリア様の後光」にするのです。

それからこれは「東京タワーによく似たり」です。海外でやる時は「エッフェルタワーによく似たり」とやるのです。これをこう返すとお魚です。英語でフィッシュ、スペイン語はぺスカードですね。この二つ知っていれば海外の三分の一くらいで通じます。(笑い)
この写真はモロッコでやった時の写真です。では会場で初めての方にやっていただきましょう。これがお魚、そしてこれで東京タワーですね。これで充分です。お上手でした。簡単でしょう?(拍手)

皿回し次は皿回しをやってみましょう。この自家製のお皿を使うと物すごく簡単に周るんです。最初お手伝いしてちょっと勢いを付けてまわしてあげましょう。ほら周るでしょう。あとは指先で棒の先を小さく回るようにコントロールしてやればよい。そうです。上手いものですね。結構感動するでしょう。(拍手。感動しました。)

材料はダンボール3枚です。これを重ねて下2枚には缶ビールの底が入るだけの穴をあけるのです。ビール缶は薄いですから簡単にハサミで切れて展開も出来ますね。
それでビニールテープで張り付けて形を作るのです。棒は園芸用の支え棒が適切です。
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3.世界の人達とネイティブ言語
今日お配りした資料はこの画像のコピーです。(画像をクリックすると画像が拡大されます。)

拡大画像へジャンプします。

世界の言語の樹

人類がスタートしたアフリカの人達、文明のスタートのセム・ハムの人達の国を追ってヨーロッパに入りインドに至りアジアに来てポリネシア、メラネシア、そして南北アメリカという形で旅をするわけですが、そこの人達と言語をまとめてみた資料です。現在人間は70億人くらいいるのですが、その人のグループ分けをネイティブラングエッジから辿ってみたものです。定説はなく色々な説があるんですが、私の10数冊の本を読んだ結果の最大公約数です。旅行をする時にこんなことも頭にあると一層旅を深く楽しめると思っています。
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イメージ4.スペイン・ポルトガルの旅
ではスペインから行きましょう。89年にスペインに行きまして、その後北の方のバスク地方にもう一回行きました。スペインは美しい国で世界遺産も多い素晴らしい所ですよね。
これはトレドです。川に囲まれた美しい城砦のような町で世界遺産ですよね。エル・グレコの絵でも有名なところですね。「美しき、ひな壇状に展開す、トレドの街を、川は囲めり」と詠みました。

グラナダのアルハンブラ宮殿これは少し南に行ったグラナダのアルハンブラ宮殿です。「アルハンブラの想い出」という曲を若い頃から好きでした。5月ですが後ろに雪山が見えますね。シエラネバダという山脈です。私は定年後ボケ防止にスペイン語を習い始めたんですが、このシエラネバダのシエラは山脈でネバダは雪という意味です。なんということはない雪山という普通名詞みたいな名前なんですね。昔スペイン領だったカリフォルニアにも同じ名があります。
「雪山を 眺めつ愛でる 宮殿に『アルハンブラの思い出』の曲」。

次はプラダ美術館にあるゴヤの「着衣のマハ」ですね。スペイン語では粋な男をマホ、その女性形で粋な女ですとマハになります。右は「裸のマハ」です。この二つはカルロス4世の宰相、ゴトイの邸宅にあったものです。

着衣のマハと裸のマハ

彼は相当悪辣な男で、王妃とも繋がり権力を振るい、ゴヤに絵を描かせてこの絵を温存し、人によっては着衣を、あるいは裸の方を見せたりしていたと言われます。堀田善衛が『ゴヤ』という題で4冊の膨大な本を書いていますが、ゴヤについては私も非常に興味があります。若い頃から出世して宮廷画家になりそして途中で耳が聞こえなくなる。そうするとかなりどきっとするような、「黒い絵の時代」と言われる絵を描くようになります。

スペインの北の方はバスク地方です。バスクと言うのはスペイン語と全く違う言語のバスク語を話し、人種も違うそうです。ケルト系でもない。古いヨーロッパ人種だそうですが、こちらにポスターがありますサンセバスチャンへ行きましたが、相当風俗習慣が違いますね。ベレー帽やザビエルなんかもバスクです。

これはポルトガルのリスボンの港で右の写真の場所で描いたものです。

絵と写真

ポルトガルも私は大好きで、経済とかはあまり振るわないんですが、日本人にぴったりくるような、少し田舎っぽいところもあるが落ち着いた感じがしました。私は旅行には34色くらいのパステルを持ち歩いていまして、だいたい13分くらいで描き上げます。ホテルに帰って、空とか建物の色なんかを後から追加するみたいな感じで仕上げています。

今まで50カ国くらい旅をしましたのでそのスケッチが1000枚近く残り、私なりの財産です。うまいとか下手ではなくて私にとってとても懐かしいものです。自分が描いたところの記憶は鮮明に残ります。この舳先のトップに立つのはエンリケ・ザ・ナビゲーター、エンリケ航海王です。彼の後ろにはバスコ・ダ・ガマ、マゼランなどポルトガルの大航海時代に貢献した人々が並んでいますが、何故かその後ろにザビエルがいるんです。

この中にザビエルがいると言うことは、我々はザビエルが単に布教の為に来たと思っていますが、メキシコやペルーの歴史をみると宣教師と侵略は不可分で、布教を足がかりに簡単に征服してしまうということもあったのかなと、歴史のIFということですが思いました。
「エンリケやダ・ガマと共に 立ち並ぶ ザビエル彼は 何を意図せり」

これはポルトガルのリスボンです。きれいな街でしょう。どなたかファドをお聴きになった方はいらっしゃいますか?あれはいいですね。

リスボン

日本の民謡酒場のような雰囲気で非常に安い料金で楽しめます。有名な店が二つあるんです。ひとつはこのアデカ・マシャードという所で、1937年と書いてありますように当時の創立で、独特のボルトガルギターというのでしょうか、丸いギターで延々と7時半ごろから12時頃までやってくれるのです。

私は一人で来て、延々と居て、結局ワインボトルを一本空けてかなり酔っ払いました。タクシーでホテルに帰ったんですが、途中で寝てしまったにも関わらず運転手がちゃんとホテルまで届けてくれた嬉しい記憶があります。『火宅の人』を書いた檀一雄は亡くなる数年前、居をポルトガルの小さな漁村に移しました。彼が愛したワインがDAO(ダン)という銘柄です。私が選んだのもそれでしたが、いいワインでした。
「檀愛でし ダンなるワイン飲み干しつ ファドゆるゆると 夜は更けゆく」

それからご承知の藤原正彦、彼の父は新田次郎ですよね。彼が最後に書きたかったのはポルトガル人で日本の徳島で死んだモラエスの生涯だったそうです。かれはその取材をかなり進めていたようです。藤原正彦はおやじのやり残したことということでそれを仕上げたいということで取り組んでいるようです。まだ出てきませんがいずれは彼も小説を書くものと思われます。NHKの「我が心の旅」という番組で見た話です。キーワードはサウダーデ(郷愁)でした。

ユーラシア大陸これはユーラシア大陸の一番西のはずれ、ロカ岬です。有名なカモンエスという16世紀の詩人の詩で「ここに陸が尽きて大海がはじまる」という詩がありましたので私も一首。
「陸尽きて、海はじまると詠われし、断崖のもと、はじく白波」

話は途中ですが私は詩吟を趣味にしています。リタイアー後、スペイン語と同時期に詩吟もやり出しました。詩吟は健康にいいですし、気持ちがいいです。お薦めです。5、7、5、7、7の句が出来ると詩吟で歌えるのです。2度繰り返すんです。ちょっとやってみましょう。
 (朗々と歌う。)「陸尽きて、海はじまると詠われし、断崖のもと、はじく白波~   陸尽きて、海はじまると詠われし、断崖のもと、はじく白波~」

これはポルトで描いた絵です。

ポルトで描いた三枚の絵

ポルトは北の方の大きな街です。我々になじみのある女性マラソンランナーでロサモタはここの出身です。強いはずだな―と思ったのはこの街は坂だらけなんです。(笑い)おそらく小さい頃から坂を駆けていたんでしょう。

芳野講師と絵右は恰好つけて写して貰っていますが、横に今書いたばかりの絵を置いて写して貰っています。こうやって自分と絵や人物と絵を風景に入れた写真をよく撮っています。こうすると記憶の助けになります。手前がワインの工場でこの船はワインを運んでいた船です。

んどはポルトガルのナザレという街です。イエスの育ったのはイスラエルのナザレですが、ポルトガルにも雰囲気が似ているのか宗教的な理由か知りませんがナザレと言う街があるのです。うらさびれた漁港ですが静かで非常に好きになりました。アマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」のファドでも有名です。
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ロンドンで撮った板の絵5.イギリスの旅
こんどはイギリスです。これはロンドンで撮った写真ですがロンドンにはこういう板の絵が看板風にあるんです。パブの看板です。イギリスはパブ文化というのでしょうか、パブが多く楽しいですね。グラスゴーでは学生たちと語り、インバネスでは土地のおじさんと語りました。

リスの絵ロンドンには大きな公園も多く、これは泊まったホテルの近くにあったグリーンパークです。リスなんかが沢山いて静かな風情です。

「旅立ちの朝早々と公園へ、人影まばらリスの活躍」
「大都市と思えぬ広き公園の リスと目が合い 別れを告げる」

ドキッとするような絵これはちょっとドキッとするような絵ですが、これは普通に売られているんです。イギリスの王室と国民の間の距離みたいなものをちょっと感じさせられましたね。おそらくロンドン子の中にも特に下町の人達は王室に対して批判的な人が多いんじゃないかと思います。題は「オーディナリー・ピープル」(普通の人々)というのです。

一方北欧のフィンランドは王制ではありませんが他の3カ国の王室は国民に人気があるようですね。王室を見る目は日本人にかなり近いように思います。

左がスウェーデンのグスタフ何世かですが、名君だと言われています。この中で次女の王女がものすごく人気があります。美人ですしね。王様の位を継ぐのはスウェーデンは男子女子を問わず長子相続だそうで、今度は女王になるようです。右隣はノルウェーの皇太子夫妻、一番右はデンマークの王室です。

王室の写真数枚の張り合わせ

王室の話が出ましたからヨーロッパにおける日本の皇室の写真もちょっとご紹介しましょう。
若き日の昭和天皇、皇太子殿下、妃殿下

左は昭和天皇が裕仁皇太子時代時代19歳の時ヨーロッパへ武者修行といいますか修学旅行といいますか、出かけられたのです。アメリカには行かなかったんです。私は古本屋で皇太子殿下の訪欧旅行記という分厚い本を買ってきて読んだんですが非常に面白い本でした。

左がイギリスの陸軍大将の制服を着て撮った写真。右側はフランスで撮った写真です。右側のモノクロ写真は同じく19歳の今の天皇陛下の皇太子時代の訪欧米旅行の写真です。大義名分はエリザベス女王の戴冠式でしたね。皇太子はこの時アメリカ周りで行っています。握手しているこの女性誰だか分かりますか?ミスユニバースの伊東絹子です。その左は新婚旅行の訪欧米旅行、美智子妃殿下と一緒です。

講義中の部屋の様子

前回は岩倉使節団の話をしましたが、忘れてならないのは明治維新前に徳川幕府の送った使節団が万延元年にアメリカに行き、そのすぐ後文久2年にヨーロッパへ行っています。その中には明治以降学者になった人もいるわけです。そうやって見聞を広め、「ああなんだ蒸気機関車ってこんな程度か。うん大体分かる。」というような具合で見聞を持ちかえったのです。福澤諭吉なんかはハードではなくむしろソフト、つまり議会制度とかに感動していますね。

文久2年の遣欧使節は1862年から約1年間、38名、384日と長く、経費的にもかなり大変だったと思います。もっとも岩倉使節団はもっと大変でしょう。のべ100人くらいが六百数十日ですから、成立まもない明治政府としては大変な出費だったでしょう。今の事業仕分けだったらたちまち日数も人数も削られてしまいますね。

文久使節団は竹内下野守56歳が引率です。福澤諭吉も27歳でいます。森山多吉郎42歳は英語の使い手のNO-1ですね。そして面白い人がいます。マグドナルド38歳です。彼はお雇い通訳みたいな存在ですね。実は最近マクドナルドのことを書いた本を古本屋で仕入れてきたんですが、面白い人物ですね。マグドナルドはアメリカ人なんです。江戸の末期に意図的に自ら漂流を装って日本に潜入するんです。

地図

それは国家の命によりではないんです。自分としてやってきた。彼のルーツは父親はスコットランド系のアメリカ人なのですが、母親がアメリカインディアンの酋長の娘なんです。彼としてはアメリカ社会に対する若干の違和感があって、はるか東洋あたりが自分のルーツなんじゃないかということで来るのです。日本の官憲につかまり利尻から松前、そして長崎へまわされますが、クレバーな人物でしたから軟禁の身でありながら英語の先生をするのです。それで森山多吉郎は英語を学ぶのです。ですから福澤はマクドナルドの孫弟子みたいなものでしょうね。

グラスゴーさてまたイギリスにもどりますが、これはスコットランド地方のグラスゴーです。グラスゴーがあってエジンバラがあってそこからずっとまだまだスコットランドはあるのですが、私の最初のイギリスの旅はスコットランドを主体の良い旅でした。グレートブリテンを我々はイギリスと称していますが、イングランドとスコットランドにはかなり対抗意識があります。行って吃驚したのは93年紙幣が違うのです。これには驚きました。

バンク オブ イングランドとバンク オブ スコットランドがはりあっていて紙幣の図柄が違うのです。両方とも通用し、同じレートで動いているようですが。私達が親しい「女王陛下の007」のショーン・コネリーは、実はかなり強烈なスコットランド独立運動の闘士だそうです。

ネス湖のほとり北の方に行ってインバネスという駅です。昔の旧制高校生がインバネスと言う外套を羽織っていたことをご存知ですね。このあたりがスタートのようです。ここはネス湖のほとりです。ネス湖は「レイク ネス」ではなくて「ロッホ ネス」と言うんですね。

古いケルト語表示だそうです。ネス湖の湖畔には古いお城があります。アーカット城といいます。静かで美しい私の好きなスポットです。残念ながらネッシーを見ることは出来ませんでした。
「静寂の 湖面にカヌー近づきぬ 壊れし古城 独り見守る」
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6.アイルランド
アイルランドは最近ようやく行けました。アイルランドに対しては司馬遼太郎が執着しており、また松本清張しかりです。これはどうも敗者の魅力というのでしょうか、徹底的にイングランドにやっつけられても誇りは失わない歴史が魅力なんですね。司馬遼太郎は『街道を行く』で『愛蘭土紀行』を書いています。この巻はなかなか良いです。

『ガリバー旅行記』のスイフトこの左側は『ガリバー旅行記』のスイフトです。彼はイングランド系アイルランド人と言うことですが彼の『ガリバー旅行記』は真面目に読みますとかなり面白いです。文明批評、先進国批判みたいなものもありまして、巨人の国、小人の国、天空のラピュタ、家畜人ヤフー、これは馬が主人で人間が家畜になっている話ですが、最後にちらっと日本が出てきます。
こちらはジェームス・ジョイスの銅像で、街の真ん中です。ここにアイルランドと日本の類似点を挙げました。

懐かしさと親しさ。世界の果ての島国。お化け(妖精)が好き。(これはケルト文化の輪廻転生みたいな考え方が残っているからでしょう。)軽薄にしてしぶとい。文学好き、音楽好き。政治下手。ころころ変わるお天気、したがってしかたがないという気持ち。限られた耕地、したがって人が元手。といったところでしょうか。

アイルランドからほうほうのていでアメリカに逃げた人達の子孫がケネディでありレーガンでありジョン・フォードです。ビートルズはリバプール出身ですよね。リバプールは食糧危機の時アイルランド人が逃げていく先が対岸のリバプールだったんですね。そこから船賃が手当て出来てアメリカに行ったのがケネディやレーガンの先祖、船賃がなくてリバプールに沈殿してしまったのがビートルズの先祖ということでしょうかね。

楽器を弾いてる絵とパブラフカディオ・ハーンはお母さんがギリシャ人で父親がアイルランド人です。彼は放浪の末、日本に初めて安らぎを見出します。アイルランドには古いお城の中で古い伝統楽器を使って音楽を聞かせてくれるところがあって、楽しいですね。それに彼らはかなりの酒好きでして、そこらじゅうで酒を飲みます。ですから右の絵のようなパブが沢山あるのです。
「中世の 城にフィドルとハープの音壁に響きて 時甦る」

これはアイルランドのアラン島です。

アラン島、酒瓶

アイルランドそのものがかなりはずれにあって大変厳しい環境のところですが、その先にアラン島ってあるんです。1930年ころ「アラン島」という有名な記録映画もありまして、土がないんです。掘ると泥炭か石ころしか出てきません。石も鬼の洗濯板みたいな石ばかりで、こんなところに人間が住めるのかというような所です。
それにすぐ雨になりましてびしょぬれになって酒でも飲まないと寒くてしょうがない。ということで私も酒場で酒瓶を描いています。イギリスではウィスキーはWhisky とkyですがアイルランドではWhiskeyと書きます。まさに命の水です。

これはアイルランドの本島の中ですがモハ―の海岸というのがあって、そこはまさにこの世の終わりみたいな感じの断崖絶壁でした。

断崖絶壁

「唐突に大地は果てて 波荒き 大海原の果ては見えざり」
「断崖の先は遥かな新天地 飢饉をバネに流亡せし民」
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マウリッツハイツ美術館7.ベルギー・オランダ
またヨーロッパ大陸に入りましてこれはベルギーのアントワープです。非常に洒落たフランスっぽい街です。
「不思議なる 装飾などにふと出会うアントワープの街の角々」

これはオランダのデンハーグという古都でマウリッツハイツ美術館です。素晴らしい絵が沢山あります。例の「デルフトの眺望」これは私の模写ですがありましたし、フェルメールの「青いターバンの女」もここでしたね。
「デルフトの眺望』眺め 時過ぎぬ古都の絵室に時は止まりぬ」フェルメールは作品が少なくて世界中で見れるのは全部で36点しかないのです。

青いターバンの女、オランダライデンの風景

これはオランダのライデンでの風景です。突然建物にこれが現れたんです。「荒海や 佐渡によこたふ 天の川 芭蕉」と書いてあります。ここはライデン大学日本語学科の外壁だったのです。
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アルプス8.スイス・ドイツ・オーストリー・東欧

これはスイスアルプスです。有名なアイガー、メッシュ、ユングフラウが並びます。
ここは登山電車があってユングフラウの8合目くらいまで電車で行きました。
「陽を浴びて 自己主張せり それぞれに アイガー、メッシュ、ユングフラウと」

リューベックの街並み、ベルリンの壁今度はドイツです。左の写真はたまたま行きましたリューベック、古い街です。そして右側が有名なベルリンの壁です。これ面白いですね。戯画的に誰かが描いたんでしょうが、左側の顔がブレジネフ、右側がホーネッカーの熱い抱擁です。一種の皮肉というか捓揄ですね。思わずシャッターを押しました。


これはハイデルベルグです。「皇太子の恋」なんて映画があったハイデルベルグです。
左側がお城や大学があって、哲学の道が手前の山にあります。京都にも哲学の小道がありますね。

ハイデルベルグ、ハンブルグ

「哲学の小径を行けば 目の下に流れる川と古き橋あり」
これはハンブルグです。ハンブルグは街の真ん中に大きな湖があります。
「窓辺より 夕日に映える湖と塔 トーマス・マンのゆかりの街に」

今度は隣のオーストリアです。
「森ゆきつ 古き歴史に縛られし 王や王妃の悲劇を想う」
オーストリアは政治的にどんどん失敗を重ねていくわけです。フランツ・ヨーゼフは20歳くらいで王になって亡くなる時は70歳くらいですか、50年間くらい実に真面目に執務をするのですが、残念ながら全体観が良くなかったようで、ビスマルクにやられ、なににやられ、かれにやられとオーストリー・ハンガリー帝国は縮小して行ったのです。妻は絶世の美女であるエリザベート、この人を日本人は大好きでデパートで展覧会もありましたし映画もヒットしました。


それから「うたかたの恋」という映画で有名な彼らの息子、ルドルフ皇太子は街の娘と心中をしてしまうんです。それで後継ぎがいなくなる。そんな悲しい王族たちの物語がオーストリアでは印象的です。

ブタペストこれはハンガリーのブダペストです。川を隔てて左が議事堂右が王宮で、ブダの街とペストの街があります。美しくて素晴らしい街です。

「鎖橋 ドナウのなかに 朝日浴びブダに王宮 ペストに議事堂」
早朝散歩しながら詠んだものです。


これはブダペストで偶然会った美女です。旅は時として美女に会えるのがいいですねえ。


美女
下の絵と写真はスロバキアです。少年に描きたての絵を持ってもらい写真を撮りました。
昔はチェコスロバキアでしたが、行った時は分かれて二つの国になっていました。人種も違い言葉も若干違いますね。


 チェコのプラハにも行きました。「橋上に人集い居て それぞれにプラハの春をいま満喫す」と詠ったのですが、あの悲劇のプラハも今では人々がカレル橋に大勢のんびり集っていて印象的でした。パリのアレクサンドル3世橋、このカレル橋が世界で最も美しい橋ではないでしょうか。



さて下の写真を見てください。左が東欧諸国の旅で描いたスケッチ、右がその時々に詠んだ短歌です。


短歌には簡単な絵も添えてあります。短歌の方は体調が良いと沢山出来ます。現地で整理するため描きたまると並べて写真を撮っておくのです。
「東欧の 旅をまとめし2冊なる 安野光雅 俵万智ふう」
スケッチは安野光雅を短歌は俵万智を意識しながら。
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9.北欧3国 スウェーデン・フィンランド・ノルウェー
今度はスウェーデンです。ここにも岩倉使節団が行っているんです。著者の久米邦武が感想を書いているんですが「ロシアはひどい国だ。それにひきかえスウェーデンはしっかりしている。農村も非常に良い。」と高く評価しています。デンマークからストックホルムに行く列車があるんですが、その同じ線に私も乗りまして「ああ岩倉使節団はここを通ったんだな」と感じました。

そこで詠んだのが「使節等が 眺め過ぎにし 森行きつ 明治昭和の激動想う」です。なぜか大正が入っていないんです。大正は激動ではなく小春日和の時代だったからです。
これはストックホルムで描いた絵です。船で行くと湾がものすごく深くて、松島みたいに島が次々に現れるのです。1時間くらいずっと両側に島が現れ続けます。実に美しいストックホルムの湾でした。船の中から描きました。


これは何だと思いますか?この写真はノルウェーのオスロ空港です。これは非常に気に入りました。ステンレス製でしょうかチタン製でしょうか、巨人が紙飛行機を飛ばしているということで、ここに飛行機の原点ありということでしょう。飛行場のシンボルマークとして凄くいいなあと思います。安上がりですしね。


ここはまるでローカル駅みたいな感じで、女性がゆったりと座って本を読んでいたりして成田や羽田とは全然風景が違います。スウェーデンもいいが、ノルウェーはいい国だと思いましたね。森があるし、フィヨルドの村もあるし、オスロも静かで、王宮なんていってもそんなに大げさなものではないし、国会議事堂もどこかのビルみたいな感じで、好感を持ちました。

こちらはフィンランドのヘルシンキです。ウスペンスキ寺院よりヘルシンキ大聖堂を望むという題です。これはノルウェーのフィヨルドの奥のホテルの1930年頃の観光用の古いポスターです。このホテルの上から私は描いているんです。


「フィヨルドの 山入り来れば たたなづく 八重山こもる氷河もなくに」と詠みました。

ノルウェーのオスロにはヴィーゲラン公園という公園がありまして、ここにはヴィーゲランというロダンに匹敵する彫刻家の作品で溢れています。ノルウェーでは国民的彫刻家です。


全部自分で作り上げた彫刻が100体くらいあるんです。人間の「生、老、病、死」「老、若、男、女」をテーマにしています。じっと見ているうちに、平和にやって行かなくてはいけないし、若い時代もあれば年をとる時代もある、人間はいがみ合う時もあるんだなということを感じました。

紫陽花これは紫陽花をノルウェーで描いたものです。種を持ってオランダのライデンに江戸末期シーボルトが戻ってきますね。このアジサイは日本原産なんです。

ですからシーボルトはこの学名を自分の日本妻だったオタキさんから採って付けています。この人は長崎の丸山芸者だった人です。その紫陽花がノルウェーという北国にもあったと、感動を覚えて描いたものです。「その昔おタクさ(ん)とて 持たれこしあじさいの花 ベルゲンに咲く」と詠みました。

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10.ロシア
今度はロシアに入ります。レニングラードです。水の都とも言われる奇麗な街です。
左下はピョートル大帝の別荘、上の絵の向こう側は有名なエルミタージュ美術館です。


「ピョートルが 威光示せし 宮殿の 噴水の彼方 海は開ける」
「新しき 門出寿ぎ 人々が ネバの河畔に 集い騒ぎぬ」
「脚ながき 乙女ら丘に髪ながく なびかせ眺む 古都の夕暮れ」

これは置物などを描いたんですが、なんとなくヨーロッパというよりは、ややアジアっぽいでしょう。それがスラブ民族の雰囲気でしょう。モスクワ郊外の丘では、ナポレオンを偲びつつ、「冬迫る 丘に佇み予期せざる 大敗北を彼は知らざり」と詠みました。私と同じ9月に来ているのですが、敵将軍の撤退作戦と冬将軍に敗退するのです。

これはスズダリの街です。モスクワの北東210kmのところにある古い街です。自然がきれいな風情のある街で気に入りました。露国 鈴足(スズダリ)の朝と題してこんな歌を作りました。「鳥は鳴き 小川は語り 白樺はささやきかける 鈴足の朝」
「スズダリの の道を行けば 大和なる み寺の塔を 拝む心地す」

日本人でロシアと深い関係がある人といえば大黒屋光太夫でしょう。彼はシベリアから最後はレニングラードに行って賢帝と言われたエカテリーナ2世に会い、日本に戻して貰うのです。この話は井上靖の小説『おろしゃ国酔夢譚』で有名になりましたが、原点としては江戸末期、桂川甫周がヒアリングして書いた『北槎聞略』があります。

地図

光太夫は31歳の時に伊勢の白子から船出して遭難し、どこか分からないところ迄流されてしまいます。それがアムチトカという、現在ではロシア領ではなくてアメリカ領でアッツ・キスカの隣くらいです。ここに光太夫は4年くらいいるんです。それからカムチャッカに来て、オホーツクを通り、ヤクーツク、そしてシベリヤの中心であるユクーツクに来て、そこでラックスマンというインテリの探検家に会うのです。

ラックスマンが、それならエカテリーナ女王に会ってお願いして見ようと進めてくれるのです。その裏にはそういうことを口実に日本と交渉を持ちたいと考えたのだと思います。話は戻りますが、このオホーツクで光太夫はレセップスという人に会っているのです。この人は探検家のラベルーズという人の部下なんですが、例のスエズ運河で有名なレセップスのおじさんに当たる人です。彼が日記を残しておりまして、光太夫について「彼の洞察力は実に鋭い。溌剌として自然で考え方を隠そうとはしない。人づきあいが良く、気分にむらがない。節制をし、敏捷にして活発、優しい性格である。彼は正確な日記を付けていた。ロシア語を早口でしゃべった。」というんです。

大変クレバーな大黒屋光太夫の横顔がレセップスという人を通じて我々が今知ることが出来るのですね。私なんかが非常に感動するのは、現代の政治家のチョンボとか節操のなさみたいな対極に、かつては不幸に会った人がものすごく知恵と努力で頑張るという事です。その代表が大黒屋光太夫であり、あとでアメリカのとこジョン万次郎とか、ジョセフ彦だとかです。そういう人達は偶然の不幸をバネにして非常にクレバーな対応をする、日本人も捨てたもんじゃないなーと感動させられます。

もう時間が来てしまいました。ロシアまで来たところで今日は終わりにしましょう。後はパート3でのお話にしましょう。(拍手)
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10.世界の人達とネイティブ言語補足
先に述べました配布資料の説明をしろというご質問が出ましたので少し説明します。

前回申し上げましたが、ワンジェネレーション30年とし て10代遡ると2046人のおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが各人にいると言うことです 。20代遡ると約1億人、30代遡りますと約21億人も自分自身の先祖がいるということですから、人類はみな親戚ということです。

このシリーズも最後日本に帰って来たところで日本人のルーツだとか日本語の変遷みたいなことも語りたいと思っているのですが、そんなこともあって、70億の人々を言葉でグルーピングしたものです。左から行きますとアフリカ、ここで一番有名な言語はスワヒリ語です。約5000万人の人が話しています。次がセム・ハムです。この人達が人類文明の創始者みたいなもんです。古代エジプト人、フェニキア人、ヘブライ人たちの言葉がハム語でありセム語です。

ここでは分からなかったのでアラム語とヘブライ語を分けているんですが、最近読んだ本でヘブライ語は今から6000年前に存在したそうです。しかしその後アラム語になっているのですね。ですからイエスはアラム語をしゃべっていた筈です。旧約聖書はヘブライ語です。新約聖書はギリシャ語です。何故かと言うとあの頃パウロを中心に広めた時代、国際用語がギリシャ語だったからです。インド・ヨーロッパの言葉が共通だということを1850年ころ学者が考えたんです。これは大変な発見だったようです。

インドでも南の方の言葉はドラビダ語で支那・チベット系なんです。そして例の大野さんが言っている「日本語のルーツはタミール語」のタミールは南インドとセイロン島にある言葉でドラビダ系の言葉です。そのほか中国語もヨーロッパの各国言語と同じくらい地域によって違っているそうですが北京、上海、広東、福建はドイツ語と英語くらい違っているそうです。
我々日本人はウラル・アルタイ語に属します。この中にはフィンランド語、エストニア語、ハンガリー語が入り、アジア系統の人々がこれらの国に移ったことを示しています。

家に帰りましてじっと眺めてください。興味がおありでしたら、例えば新潮選書で『ベルリッツの世界言語』という本があります。これはお薦めです。言語と人種は分散(樹の枝)と統合(川の流れ)の両面から見る必要があります。次回は日本語、日本人のルーツを川の流れにたとえて考えてみたいと思います。
以上です。(拍手)





文責:臼井良雄 
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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