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神田雑学大学 平成22年11月26日 講座 No533

アマゾンからの贈り物、矢毒クラーレの遥かな旅、講師 天木嘉清



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画鋲
プロフィル
どこからクラーレが来たか?
クラーレ矢毒の特性
クラーレが体内に入ったらどうなるか?
麻酔は18世紀の半ばに発見された。
エーテル麻酔は、そのあとに開発されました。




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あまきよしきよ講師プロフィル 
1938年東京生まれ。東京慈恵会医科大学卒、同大学麻酔科学講座主任教授を経て
現在帝京平成大学教授、東京慈恵医科大学客員教授、専門は筋弛緩薬の研究。
  
「遥かな旅」
私は、40年間慈恵医大で麻酔医として働いてきました。私のライフワークは、クラーレという麻酔薬の研究です。私が麻酔を始めたまだ、手術室の薬剤室の中にクラーレがありました。私は入局したばかり。クラーレは全く知りませんでした。先輩医師に尋ねました。
「これ何ですか?」
「それは矢毒だよ」と先輩。

手術室に矢毒?「これはどういう事だ!」これがクラーレについて研究のきっかけになった始まりです。調べてみるとさすがにクラーレは名前を変えて、今はほかの薬の名前になっていますが、アマゾンのジャングルから出て近代的な病院の手術室に至るまでは、とんでもなく長い年月がかかっています。こんな薬は他にはありません。これは面白い。そこから私の研究が始まりました。

「アマゾンからの贈り物・矢毒クラーレの旅」天木よしきよ著書
矢毒クラーレの話を始める前に、クラーレ文化を生んだアマゾンの熱帯雨林とインディオの「遥かな旅の始まり」についてお話しましょう。南アメリカ大陸のアマゾン川流域は、世界最大の熱帯雨林であります。そこには、約250種類の哺乳類、約1800種類の鳥類、昆虫は100万種以上が生息し、1ヘクタール当たり300種の植物が群生する動植物の宝庫です。

起源前2万年頃、シベリアに住んでいたアジア系の人類がベーリング海峡を渡り、アラスカから北アメリカ大陸に渡った。遺跡を調べると、人類はさらに南アメリカに到達し、最初のインディオがアマゾンに住み着いたのは、1万1千年前といわれています。

南アメリカ大陸に到達したインディオ達は、その後何世代にもわたり密林の木の実を取り、自ら耕した畑からの農作を採り、川からの漁獲を得、自然より得た矢毒で狩猟を行い、病気になれば薬草を用いるという、まさに自然との共生の生活をしていました。

そこに19世紀の初め頃、ヨーロッパの探検家達(ドラッグハンター)が訪れ、インディオが樹皮から採った矢毒を使って鳥を獲ったり、猿を獲ったりする様を見て、非常に驚きました。彼らは、何とかその矢毒を手に入れ、ヨーロッパに持ち帰りました。そして薬への利用を研究しました。色々あって最終的には、これは麻酔に使えるのではないかと麻酔の専門家の手に渡って、手術室に入ってきたという経緯があったのです。

「遥かな旅」というのは、最初アマゾン流域の樹皮にあったそれが、インディオの手に渡って、ヨーロッパに行き着き、アメリカ、カナダの手術室に至った。そして現在もクラーレは活躍しているというプロセスを述べているのであります。

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どこからクラーレが来たか?
これは南米大陸の地図です。アマゾン川が流れています。川の流域にはインディオが沢山住んでいます。大陸の北側のオリノコ川にもインディオが大勢住んでいます。いずれも流域には密林が多くて、道路が作れない。鉄道もないから19世紀の初めまでは、全く未知の世界だったのです。交通手段は川だけでしたから、川沿いに沢山の集落があり、その中でインディオによる独特の文化を築きあげてきました。そのうちに、ヨーロッパの白人が南アメリカ大陸に入りこみ、鉱物資源、動植物、文化などを貪欲に吸収し、持ち帰った。そして、他の大陸では近代文明が花開き、時代とともに発展したのですが、アマゾン流域では近代文明が入るのが遥かに遅れました。

吹矢50年位前までは大分少なくなってはいましたがインディオの生活がのこっていました。 その当時でも原住民インディオは狩猟に吹き矢を使っていました
画像はヤノマモ族が使っていた吹き矢とクラーレ採取の様子です。この樹はマチン科ストリキノス属のストリキノス・トキシフェラで、綺麗な潅木の樹皮にクラーレが含まれている。ンデォに、どうし てこんなモノが判ったのか?と尋ねたところ。

樹皮を突っついて嘴に樹液を塗ってる「鳥が飛んできて、樹皮を突っついて嘴に樹液を塗り、それから小動物に嘴を刺すと、その小動物は(例えば蛙)はすぐ死ぬ。ということを観察して、インディオは樹皮に何かがあるのでは無いか?」と答えました。

こんなことからクラーレの力を知ったのではないだろうか。インディオも、その樹皮から採った汁を矢に塗って、狩猟に使った。そういう話を、文字を持たないインディオの古老が、若い人たちには口頭で伝えたのです。

この絵は、樹皮を削いでいる様子です。樹皮の粉をコーヒーのサイフォンのように、濾斗の上に載せ、熱湯をかけます。煮詰まった汁を吹き矢の先端に塗る。狩猟する動物の種類(猿、鳥など)によって、弓ならば矢尻に塗るとか、使い分けていました。熱帯雨林は、風が無いから吹き矢の狩猟に向いている。

アフリカにも、ストリキニーネを用いた矢毒の文化があります。
日本にもアイヌが「とりかぶと」を矢毒に使った例があります。日本のアイヌは「とりかぶと」を矢毒にして、熊を殺しただけでなく、海で鯨まで捕っています。

インドネシアには、イポー毒があります。第二次世界大戦のとき戦場で使用する毒として研究が行われました。それはさておき、アメリカのニューヨークブロンクス動物園の博物館には吹き矢が残っています。矢の先端にギザギザがついていますが、矢が獲物に刺さっても、抜けないようにピラニアの歯によってつけたものです。

ヨーロッパから来た探険家たちは、このような簡単な狩猟具で、高い樹の上にいる猿などの大きい動物を殺せるのかと、驚き、その毒の成分を調べた。ところが、アマゾンのインディオは、絶対に教えてくれない。それは何故か?クラーレはインディオにとっては、神聖なる「宝物」で、部族間で物々交換する際には非常に貴重なモノとして使える存在であります。

また、白人などにこれを教えたら、根こそぎ持っていかれる恐れがある。というようなことで、教えてくれない。その中で、探検家リチャード・ギルは、西エクアドルのパスタザ渓谷に牧場を有し、何十年にも渡ってインデォとの交流を持ち、土地の古老と親密になり、やっとクラーレ製造の儀式を目にすることができました。この模様は彼の著書[White water and black magic]の中に詳しく記載され、ヨーロッパに紹介されました。

天木講師クラーレは学術用語では、d-tubocurarine(ツボクラリン)とよびます。この言葉はtube(竹筒)よりきています。竹筒とはクラーレを入れておく容器です。インディオはサルを狩猟の獲物にしました。サルは矢毒によって死ぬわけですが、その死に方に特徴があります。アフリカ辺りではサルに矢があたって暫くすると、死ぬのですが、尻尾を枝に絡ませて落下しない。ところが、クラーレは後に述べるように筋弛緩作用がつよいために絡ませることが出来ず、クラーレを塗った矢に当たったサルは、ポトンと落下する。良く観察すると、まだ呼吸をしている。生きている。しかし、逃げられない。叫び声も上げないし、噛み付きもしない。静かに死んでいくのです。

白人ドラッグハンターは、それを不思議に思う。なぜだろう。
矢毒を使わない場合は、獲物の心臓とか、肺などに矢が当たらないと致命的にならない。
クラーレの場合、獲物の体の何処に当たっても、死ぬ。それほど、弓や、吹き矢の腕がよくなくても、収穫は得られる。体にさえ当たれば、毒が回って獲物は死ぬ。ドラッグハンターは、その効果を目の当たりにした。しかも、矢毒クラーレは簡単に樹皮から採れる。

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クラーレ矢毒の特性
1.クラーレで獲った獲物は、どこを食べても大丈夫なのです。
一般的には毒物で殺した動物の体内には、毒物は残留しており、それを摂取すれば危険です。矢毒のトリカブト、ストリキニーレで殺した獲物の肉は、矢の周囲の肉は一番毒性が強いので食べられない。しかし、クラーレで殺した獲物の肉は、どこを食べても安全です。狩猟に矢毒を用いるなら、この特徴は非常に重要であります。

それは、ヒトの胃液に秘密がある。胃液は強い酸性で、その濃度はPH1.0~2.0。そのためクラーレが強い酸性の胃液と反応を起こし、吸収を悪くしているのではないかと考えられる。胃の粘膜からは吸収されない。つまり食べても安全なのです。

2.死んだ獲物の肉が新鮮です。
クラーレで仕止めた獲物は、手足や尻尾が動かなくなっても、呼吸は最後まで残っていることがあります。そのため、筋肉に血流が残っています。体には、手足の筋肉のほかに、姿勢を保つ背中の筋肉、呼吸を補助する腹筋、呼吸運動する肋間筋、横隔膜などがあります。クラーレがこれらの筋肉に作用を及ぼす時、作用の及ぼし方が、一様ではないのです。

熱心に話を聞いている受講生

まず、最初に作用するのは、手足の筋肉。次に手足の筋肉、それから腹筋、最後に呼吸筋である肋間筋、横隔膜筋の順序で、生命を司る呼吸筋は最後までクラーレに対して抵抗性を示す。このことから、生物は毒物からわが身を守る機構を、元から持っていると言えます。クラーレで射られた獲物は、最初、手、足、羽などを動かす筋肉が犯され、運動機能が麻痺し、あるものは空中より、あるものは樹上より落下し、また、あるものは歩行不能となり倒れる。しかし、この段階では呼吸筋までは麻痺せず、意識も残存している。インディオは動かなくなった獲物を、小さな獲物はバスケットに入れ、大きな獲物は四本足を縛り、それに太い枝を通して自宅に向かう。

その間に、呼吸筋は徐々に犯されていき、酸素を摂取できず死んでしまうが、ある程度の時間は呼吸が残存し、そのため、手足は動かないが心臓は動いており、血液も流れている。体を動かすことは出来ないが、筋肉そのものは生きている状態にある。したがって、筋肉は新鮮であり、現地直送の鮮魚のような状態が、ある程度の時間保たれているというわけです。

3.クラーレは簡単に手に入る。
南米大陸のアマゾン川、オリノコ川周辺にクラーレ含有の潅木は自生している。この豊富な原料から作る事ができた。

クラーレは学問的には「筋弛緩薬」と呼ばれている。脊椎動物では、筋肉が働くためには、
脳から命令が発せられ、その命令が神経を介して筋肉に伝わり、筋肉が収縮したり、弛緩したりする。この筋肉の働きによって、物を持ち上げたり、運んだり、歩行したりすることが出来る。神経の線維は全身の筋肉まで行き届いているが、最後の筋肉との接合部(=終板)にはほんの僅かな隙間がある。この隙間の筋肉側には、脳からの命令を待ち受ける受容体(リセプター)が表面に存在しています。

神経筋接合部(図)

神経を伝わってきた脳からの命令はこの隙間を越えることができない。そこで、命令が神経の末端まで伝わってくると、神経の末端から伝達物質(アセチルコリン)が分泌され、その物質がリセプターと結合(橋渡し)し、脳の命令が筋肉に伝えられる。これが、生理的な筋収縮のメカニズムであります。このメカニズムは、19世紀半ばにオランダのライデン大学で発見されている。クラーレはこれ等の研究の手助けをしました。クラーレの研究によって、ヨーロッパの生理学が急速に発展した。

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クラーレが体内に入ったらどうなるか?
クラーレはこの筋肉にあるリセプターと結合し、受容体がクラーレによってよって結合されて(塞がっている)状態が起こる。そのために伝達物(アセチルコリン)が神経の末端から分泌されても受容体と結合できなくなり、脳からの命令が筋肉に届かない。

簡単にいうと、脳からの伝令がクラーレによって阻害され、全く筋肉に伝わらず、筋肉が収縮しない。脳には筋肉がないので、クラーレが結合、付着する所がない。クラーレで射られた鳥やサルは、脳の働きが正常で、意識も残っており、痛みもあり、命令も出している。しかし、筋肉を動かすことが出来ず、「何だか変だぞ!身体が動かない。ああ、どうしよう」。そんな感覚のままで、樹から落下してしまうのです。

ドラッグハンター達は、クラーレの使い道が判らないまま、ヨーロッパに持ち帰りました。
18世紀から19世紀初め頃、ロンドンで破傷風という病気が流行ったことがあります。破傷風の病原菌は土の中にある。おの菌が神経に付着すると、身体が痙攣し、高熱を発する。死亡率も高い。

馬の糞の中には、破傷風菌が沢山含まれている。草の中に破傷風菌があるから、草を食べる馬の糞に、それが含まれるのは当然です。はだしで歩き回る子供たちの足に、撒き散らした菌が付着することで、病気が蔓延する。この病気の痙攣だけでも止めたいと、筋弛緩作用のあるクラーレ、これを痙攣防止にと考えたのが、クラーレの医療使用の始まりとなりました。

19世紀の初め、癲癇(テンカン)の患者の脳に電気ショックを与えて治療したことがあります。その時、患者は痙攣を起こす。痙攣が猛烈な場合は患者が骨折することがある。そこで、電気ショックに換えて、クラーレを使用したところ、いい結果が出ました。それを見た麻酔の先生と、製薬会社の研究員が、手術室で使う麻酔にクラーレを使ったらどうかという提案をしました。破傷風は、その後いい薬(ワクチネーション)が開発されて、根絶しました。しかし、その存在が薄かったクラーレを麻酔に使うことを、製薬会社の研究員は麻酔医に進めたのですが、医師はあまり乗り気ではなかった。もともとは矢毒であることに拘りをもっていたからであります。
ここで、当時の麻酔の話を致します。

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手術の鐘麻酔は18世紀の半ばに発見された。
クリミヤ戦争や、英仏100年戦争で傷ついた兵士は、野戦病院で、切開によって弾丸を抜き取り、腕や脚を切り落とされていました。手術が始まる前に、病院の中でベルが鳴る。

オペレーション・ベルという屈強の若者が集める合図でした。痛みに耐え切れず暴れる兵士は、大勢の看護人に押さえつけられ、手術が進行する。そのベルの音が鳴るときは、患者のみならず、多くの病院関係者をも恐怖に陥れたと言われていました。今でも、ロンドン市内にあるロンドン病院には1791年の刻印がおしてある「手術の鐘」

が保存されています。進化論のダーインは、スコットランドの医者の息子でした。ロンドンで医者になるつもりで修行していた時、子供の手術を見て、医者になることを断念して、地質学者、生物学者の道を選んだと言われています。この手術を見てなかったら、あの進化論はうまれなかったでしょう。

しかし、医療手術に痛みを和らげることが、絶対的に必要であるとして、催眠療法が採用されていました。「あなたは眠くなる。眠くなる・・・・・・。メスは痛くない。痛くない・・・・・・」と。ですが、実際に手術が始まると「ギャ!」で、外科手術には効果がない。当時の麻酔薬は、大研究の結果製造されたものではなく、サーカスもどきに発表されたのです。「笑気ガス(Laughin gas)」がそれです。主に歯医者さんの抜歯の際に使われました。

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エーテル麻酔は、そのあとに開発されました。
画像は、ボストンのマサチューセッツ総合病院で、初めてエーテル麻酔の公開手術が歯科医ウイリアム・モルトンによって行われたときの情景です。このエーテルもサーカスの出し物に使われていた。男が二人殴り合いをしている。エーテルを嗅がすと、痛い痛いといっていた男が、何でもないや、という見世物を見ていた歯科医モルトンが、手術に使って成功しました。しかし、正式に手術に使うためには、みんなが納得しないと使用できない。そこで、モルトンは公開の手術をしたのであります。
始めてエーテル麻酔(絵)
始めてエーテル麻酔絵を見ると、フロックコートやスーツを着た医師が、大学に教室の公開手術を見守っています。“準備ができましたよ!”と述べているのがモルトンです。
このエーテルによる全身麻酔手術の成功が、アメリカからヨーロッパに伝えられ、大反響を呼び、以来各地でエーテル麻酔が行われるようになりました。

わが国においては、モルトンの全身麻酔より42年前に、既に全身麻酔が行われています。それを行ったのは、和歌山の医師、華岡青洲であります。彼は1804年に通仙散と呼ばれる漢方薬による全身麻酔で、乳がんの手術に成功しています。マンダラゲ(朝鮮朝顔)を主成分に草鳥頭その他を混合したもので、20年にもわたる犬を使った動物実験、臨床試験を行い、この麻酔法を成功させています。臨床試験では実母と妻に行った人体実験が有名です。有吉佐和子が小説「華岡青洲の妻」を書き、芥川賞を受賞しました。この素晴らしい業績が、世界的になぜ評価をされなかったか。それは当時、日本は鎖国の時代であって、世界に対して情報発信の方法がなかったからであります。

麻酔について要求されることは、第一に痛みを止めること。次に反射の抑制、三番目に筋弛緩である。この筋弛緩は、本講座の主題であるクラーレによっています。
我々人間の筋肉は多種ありますが、この筋肉は重力によって引っ張られています。我々の筋肉は重力に対抗するために、常に緊張している。したがって、手術をする場合は、この緊張を解かなければならない。緊張したまま切開すると、手術野が狭くなり、手術がやりにくく、時間がかかり、出血も多くなります。そこでクラーレを使って、筋肉緊張を解き、弛緩させてから手術する。クラーレが麻酔剤として使われることになりました。しかし、筋弛緩薬は手術箇所の筋肉だけを弛緩するのではないから、呼吸するに使う筋肉まで弛緩させてしまうので、人工呼吸器によって生命維持をするのです。その当時人工呼吸はむずかしく、クラーレの臨床への応用は失敗の連続でした。それを成功させたのがカナダ、モントリオールの麻酔科医のハルルド・グリフィス

麻酔科医のハルルド・グリフィス

とエニッド・ジョンソンでした。数々の研究者が挑戦し、多くの失敗をしました。
しかし失敗のすぐ傍に“幸運”が待ち構えていて、彼らは幸運を捕まえることが出来たのです。ここでアマゾンのインディオが狩猟に用いた“矢毒・クラーレ”は、アメリカ大陸の発見と探検の時代にヨーロッパに渡り、長い研究を経て“筋弛緩薬”として花開いたのであります。
クラーレの歴史を顧みると、時代が麻酔薬を待っていたともいえます。
植物は医薬品の製造に必要な資源であります。その意味ではアマゾンの流域は、製薬工場のような存在なのです。この貴重なアマゾンを殺すということは、後世に悔いを残すことになります。これから出てくる各種の新薬に、アマゾンは限りない可能性を秘めているのです。終わり




文責:三上卓治 
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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