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平成22年12月10日神田雑学大学定例講座NO535 

神田祭の現在・過去・未来~都市における祭礼の役割~、講師 清水よしひこ(神田神社ねぎ)



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画鋲
プロフィル
はじめに
(1)祭りとは何か?
祭りの語源と意義
(2)日本人の宗教観
(3)擬似宗教文化と無縁社会
アノミー現象
(4)都市と地霊
(5)宗教都市・江戸の空間構造
(6)神田明神のご祭神
(7)神田祭りの特色
祭りは、常に新しく、美しい
(8)能の祭りから山車の祭りへ
(9)ディズニーパレードとの比較
(10)附け祭りの文化
(11)神田祭古写真と戦後の復興祭
(12)現代の神輿を中心とした神田祭




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清水よしひこ講師(神田神社ねぎ)プロフィル
自己紹介:生まれも育ちも下町の葛飾です。今年50歳。國學院大学を卒業して、神主の資格を得ました。ご縁があって神田神社に奉職しまして、禰宜ねぎという立場でお勤めさせていただいております。

はじめに
最初に皆さんに質問いたします。神田明神にお参りされたことのある方は挙手をお願いします。全員手を挙げる。次に日頃お祭りに参加したことがある方?若干名挙手。

日本はお祭りの国と言われるくらい、年中沢山のお祭りが行われているのですが、お祭りには関わらないという方が、特に若い方に増えております。お子様はそうでもないようですが、町会で準備するお菓子の魅力に魅かれて参加するのでしょうか。中高生になるとほとんどお祭りには参加しません。それがお年を召されると、また地元の町会やお祭りに参加する方が増える傾向があります。

前置きが長くなりましたが、お祭りとはいったいどういうものなのか、皆様には改めてお祭りに対する考えを見つめなおして戴きたいと思います。

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(1) 祭りとは何か?
「祭は非日常的な社会劇であり、そこには潜在的な神話的世界が、一定の儀礼様式のなかで再現され、喜びと安堵の実感を人々が共有する時間である」ことを先ずもってご理解いただきたいと思います。とかくお祭りというと、馬鹿騒ぎをしたり、お酒の乱痴気騒ぎや乱暴狼藉をしたりするイメージがありますが、私たちは一つの社会劇として、祖先から継承してきた神話的な文化・世界観を現代の社会に再現することが、祭りの本質的な意味であることを皆様に知って戴きたいのです。

祭りの語源と意義
まつり=待つ=神の訪れを待つ という意味があります。
すなわち 古代から連綿と受け継いできた神話的世界観を集団で確認する儀礼であります。
神田祭は、神田・日本橋の人々による文化的創造とコミュニケーションの場であり、洗練された都市の粋な文化でもあります。
祭りは文化=アートとも言えるでしょう。

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(2)日本人の宗教観
最近、宗教という言葉を口にすると、若い世代の方から避けられてしまいます。
人前で、私は宗教家ですというと、怪しい人ではないかと、皆さん一歩引かれてしまうのです。オウム真理教の影響ではないかと思いますが、その他にもキリスト教やイスラム教のような一神教的な教えを持つ宗教などが入り混じったことによって、日本人の宗教観は混迷しております。

新聞のリサーチで「あなたは宗教を信じていますか?」と訊ねると、皆さん回答はどの位だと思いますか。「信じていない」の回答が72%。「信じている」が26%です。

では、日本人の約70%が無神論者なのか、と思うと、そうでもない。
ご存知のように、お寺にお墓があってご先祖を敬う方は94%。お彼岸、お盆にお墓参りをする方は80%に達するのです。初詣に行かれる方は73%。このデータによれば、日本人は宗教を信じていない訳ではないのです。質問の仕方にも問題があるかも知れませんが、日本人の宗教観を浮き彫りにするものです。

ただ怖いと思うのは、宗教でお葬式をしないと回答した方34%、3人に一人。特に20代の半数以上の方が、お葬式にお坊さんは要らないという現代の実情です。このような現実を、ご年配の皆様はどのように捉えられるか、お考え頂きたいのです。

NHK放送文化研究所の調査によれば、仏様に対して信仰されている方は、2008年の数字では42%。神様は33%でした。何も信じていない方は24%でした。次の図は、奇跡、お守り、来世、占い、経典の教え・・・を信じるかどうかの質問に、6%~18%まで信じているという回答でした。日本人にとって3人に1人という割合でしか、神を信じていないという結果ですが、それにしては初詣にあんなに殺到するとは、一体どういう気持ちなのかと考えてしまします。

日本国内だけの調査では片手落ちですから、神の存在を世界標準で見て見ますと、
死者の国、ピラミッドのエジプトでは神の存在をほぼ100%信じています。ヨルダン、ナイジェリア、インドネシアなど、イスラム系の国でも純粋に神の存在を信じています。日本はデータ上では末席に近く、30数%です。日本以下はチェコ、ベトナム等の共産主義の影響が強い国しかありません。残念ながら中国のデータはありません。

先進国と言われるアメリカ。
あれだけ人の心が荒んでいると思われる国でも、90%以上の人が神の存在を信じています。死後の世界についても同じです。ピラミッドのミイラで有名なエジプトの国民は100%信じています。日本はブービー賞に近いところです。日本人の宗教観、神仏に対する理解度、文化度、親近性などが、世界標準から見てもかなり問題があることを認識して頂くために、これらのデータをお出ししました。

アメリカの国務省の年次報告によりますと、日本の総人口は1億2千8百万人です。ところが日本の文化庁の報告によれば、日本の宗教人口は2億1千3百82万人になります。
宗教を信じる人が26%しかいないのに、なぜこういう数字が出るのか、不思議です。
キリスト教の国であれば、国民の70%が神を信じていえば、当然人口の70%が宗教を信じているという数字が出るわけですが、日本の場合は異常としかいえません。仏教もキリスト教も、その他の宗教教団も、ほとんどダブルカウントされているのでしょう。世界的に日本は、益々謎の国となるでしょう。

しかし、私たち自身は、さほど不思議に思っていませんね。そろそろ、クリスマスです。お孫さんのためにクリスマスツリーを飾られることと思います。そして、キリスト像を飾ったり、サンタさんになったり、12月25日はクリスチャンになります。ところが、31日になると除夜の鐘で108の煩悩を無くす仏教徒、明けて正月は神社に初詣、これは神道です。暮れから正月にかけて、皆さんは三つの宗教のハシゴをされる訳です。日本ではそれが当たり前で、欧米のキリスト教諸国やイスラム教の国々では考えられない宗教観でしょう。

笑い話で済むうちはよろしいのですが、日本人の宗教に対して大らかである反面、真剣に考えていない、それと共に、生と死にまつわる感覚を含めて、それを見つめることを避けているともいえます。・・・というようなことがデータ上から読み取れるのです。

いま首都圏では、結婚式の70~80%をチャペルで挙げています。お孫さんやお嬢さんのチャペル結婚式に参列された方も多いのではないかと思います。でも実際のクリスチャンは100人の中の1人でしょう。そんな事も含めて、私たちは改めて宗教観を考えなおすことが必要です。

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(3) 擬似宗教文化と無縁社会
ここに宗教心のあり方に関する国民の世代別統計があります。
20代の方は14%しか信仰心を持っていません。
60代の方がピークで66%
70代63%。

通常信仰心は右肩上がりに上がっていくのが、従来のパターンでした。
ころが、2008年のデータによりますと、右肩上がりが随分なだらかになっています。
高齢者の皆さんの数字は、あまり変化はないのですが、全体がそういう傾向にあるのです。これが大きな問題です。お年寄りがあの世を信じているのは判るのですが、今や若い人の方があの世を信じているのです。そのような時代になっているのです。
ジェネレーションの違いを認識して頂きたいと思います。そこには擬似宗教文化がどんどん発展進行しているのです。

熱心に話を聞く受講生

若い人たちは、ニューサイエンス、スピリチュアリズム、アロマテラピー、ヒーリング、ロハス、パワースポットなど精神文化の横文字を身近に感じる時代を迎えました。商業テレビでスピリチャルな番組が高い視聴率を上げているようですが、本来公共放送であるテレビで宗教的な意味を持つ番組を積極的に放映するのは、問題があると一部の識者からは指摘されています。

ところが、パワースポットとか、スピリチャリティで有名人が活躍する番組は、宗教ではないのに宗教的側面から話を進め、個人主義的な内容で構成されていますから、擬似宗教文化そのもので、これが若者にどんどんと浸透していることに、改めて着目してください。

日本人は、組織として何を頼っているかについて、社会調査資料があります。日本人に最も信頼度が高いのは、新聞・雑誌などマスコミ関係で、それは70%という数値があります。ジャヤーナリズムに最も信頼を寄せているのですね。アメリカを見て頂くと、テレビ・新聞雑誌は26%で、4人に1人しか信頼していません。日本人ってほんとに善良なんです。テレビに映されたモノ、新聞雑誌に書かれたモノを直ぐ信じてしまう国民です。テレビで報道された。新聞に書いてあるから、論説欄の誰々の発言だからと信じてしまいます。
欧米の人たちは、そうではありません。

イギリスの対ジャーナリズムへの信頼は、14%という数字が、それを物語っています。私が申しあげたいのは、グラフでは末席の宗教団体のことです。日本ではたった9%で、10人に1人しか信じていません。アメリカでは75%の人達が宗教団体を信頼しております。軍隊を信頼している数字80%とほぼ同じです。フィリピンに至っては、軍隊の73%に対し、宗教団体は91%の国民が信じているのです。このような日本人の宗教意識を、お年を重ねられた皆さんにこそ、改めてご認識戴き、日本の個人主義社会がこのような宗教文化を築いて来たことを振り返って戴きたいと思います。

「おくりびと」という映画をご覧になりましたでしょうか。挙手で約半数の方がご覧になっていますね。今、直葬(ちょくそう)というお葬式をなされない方が増えているようです。亡くなられた場所から火葬場へ直行すると方式の方が、30%もいるそうです。3人に1人の割合で葬式にお坊さんや宗教者が関与していないのです。

「おくりびと」の主人公はチェロ弾きです。葬儀屋の映画ですが、お坊さん、牧師さんなどの宗教家は一人も出てきません。宗教の介在する場面は全く描かれていません。その代わりに納棺夫がセレモニーを荘厳に執り行うことによって、心の癒しや空白を埋めようとしています。お坊さんが般若心経を唱えることで、遺族を慰めるようなシーンは全くありません。世界で高い評価を得た映画ですが、こうした死に対する日本人の在り方が、世界に浸透してしまうのも問題です。それだけで、いいのでしょうか。

また「千の風になって」という歌をお聞きになったでしょうか。
♪私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません♪
この歌に感動する方がたくさんいて、マスコミでも大いに囃されました。私もこの歌を聴いて、ちょっといいなと思いました。ちょっとです。でも、よくよく考えたら私にもお墓があります。両親は健在ですが、祖父母はお墓の中です。よくお参りに行きます。

お墓の前で泣かないで下さい・・・・といわれて、おじいちゃん・おばあちゃんを墓前で追慕することを否定してしまって、いいのかと思うのです。祖先のことをお墓を通して敬慕する文化を失うことが、私たちにとって、いいことなのか、正しいことなのか。お祭りをする前に、皆さんとともに考えてみたいと思うのです。

これは葬儀屋さんの直葬プランです。安いですね。157、000円であの世に無事に送って戴けるのですから、確かに安い。お車、布団、ドライアイス、諸手続き代行も含まれています。ただし、宗教者の讀経、戒名、埋葬費は含まれておりません。こういったものが売り物になってしまう時代なんですね。それでいいのか、どうか。

NHKで去年、無縁社会というドキュメント(菊池寛賞をとった)を放映していました。年間32,000人以上の方が無縁死をしているといわれています。家族との縁を切って上京した男性が、行旅死亡人という形で誰にも看取られずに死んで、弔いもされずに火葬されてしまう。官報には、行旅死亡人として生命不詳、性別、推定年齢、死亡場所、年月日だけが記載されるだけ。こういう社会って、私たちにとっていい社会なのかどうか。疑問が残ります。
自殺者が三万人を超えることも大変なことでますが、これらもお祭りを考える上でも、見逃すことができない大きな事柄ではないかと思います。

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アノミー現象
社会が不安定になっていることは、日々報道される暴力事件・殺人事件などで感じていることですが、社会が近代化し、合理化し、どんどん仕組みも変わって、そこからはじかれた人々が、焦り、欲求不満を抱えながら肩を接して生きているのが現実です。電車の中で足を踏んだだけで、いきなり殴りあいになってしまう。これをアノミー現象(社会の急激な変動が、社会的規範の弛緩を招き、焦燥や欲求不満が激しく起こる現象)といいます。社会は確かに豊かになっています。

講義中の清水氏不況といっても、日本では飢え死する人はいません。しかし、不安定な社会になっていることは否めません。そこで、もう一度検証して戴きたいのが、宗教であり、神社であり、お寺であります。社会の安定装置としての役割を果たしているか、どうかであります。道徳的な指針は学校で教えているのですが、倫理・社会というものは、教師が学校で教えるには限界があります。神様や仏様の教えなど、人間としての生き様の根本の部分は、学校の先生には教えることができない。そうした部分は、これまで神社やお寺が担ってきたのです。それが社会のスタビライザー(安定化装置)になっていたことを、改めて認識して戴きたいのです。

私たちが生きている東京は、これまで都市の文化を発展させてきました。都市の文化というのは、精神的なエネルギーの発散。それが集積して文化を作り上げてきたのですが、それが、:ある意味でお祭りと一体化しているのです。都市にどんどん流れこんでくる人々。西欧人・中国人・韓国人・東南アジア人の流入は異文化との接触でもあります。地域文化の特徴はどんどん無くなってきます。

結果はグローバルスタンダード化になります。その中に新しい融合や創造が生まれますが、それだけが人間の歩みなのか、どうか。都市の変化だけではなく、もう一度古いストックとか、江戸の香りや、味わいを再評価して、私たちの社会を見直す必要があるのではないでしょうか。江戸の市街地としての空間構造は、現在と基本的に変わっていないのです。

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(4)都市と地霊
ゲニウス・ロキ(ラテン語)という言葉があります。古代ローマ人の概念です。
本来土地が持っている目に見えないパフォーマンスをいいます。ある学者は場所の可能性とも表現します。夫々の土地には、様々な可能性がある。それを地霊と呼びます。東京には、様々な歴史が刻みこまれており、目には見えない様々な地霊の文化があります。東京の古地図を見て戴くと判ります。神田明神は江戸時代には大手町にありました。大田道灌は江戸城を築城し、さらに江戸の都市計画の基本を策定したとされるのが徳川家康、徳川家光、天海僧正の三人です。

(5)宗教都市・江戸の空間構造
この図は方位盤です。日本人は、子丑寅卯辰巳・・・という伝統的な方位を今でも使用しています。なかでも丑寅(うしとら)の方向には、鬼門という目に見えないメッセージを定め、未申(ひつじさる)の方向を裏鬼門としました。東京の地霊としては、江戸城を中心にして鬼門には神田明神、上野寛永寺。裏鬼門には赤坂の日枝神社、増上寺を配しました。徳川家にとって最も大切な神社とされたのは、神田明神と、日枝神社であります。
この二つの神社は、祭礼で江戸城に入ることが許されていました。そしてお祭りも将軍の上覧を受けました。

徳川15代それぞれの将軍の墓所は何処にあるかご存知でしょうか?
6名は上野寛永寺、あとの6名が増上寺。日光の東照宮に家康と家光。上野公園墓地に最後の将軍慶喜。徳川歴代将軍は、死してなお鬼門と裏鬼門を封じて、江戸城を守っているという目に見えない地霊のメッセージがあるのです。

余談ですが鬼門の鬼について申し上げますと、丑の角(つの)、寅のパンツを穿いている格好から判る通り、丑寅のイメージそのものです。ですから丑寅は鬼が入ってくる方向=鬼門なのです。そして鬼退治に行く桃太郎のお供は、申(サル)、酉(トリ)、戌(イヌ)でした。
日本の民俗文化には、暦と方位の影響が強く残っています。

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大黒様(6)神田明神のご祭神
ところで、皆さん。神田明神にはどんな神様が祀られているか、ご存知ですか?
実は、三柱といいまして、三人の神様を祭っています。

一の宮は、大國様。正式名称は大己貴命(オオナムチノミコト)。
七福神の一人で、家内安全、縁結びの神。幽冥界(よみの国=死後の世界)の主祭神。

二の宮は、えびす様。正式名称は少彦名命(スクナヒコナノミコト)。
商売繁昌と健康の神。会社の繁栄を願って社長さんが良くお参りに来られます。神話では木の実の小船に乗ってきて、海の彼方から優れた文化を伝えた神。

三の宮は、平将門命。将門公の首塚は今も大手町三井物産本社の隣にあります。江戸城拡張のために神社は現在地に移転しましたが、三井物産では未だに塚には尻を向けないよう机を配置するとか。お花と線香が絶えないパワースポットとしても知られています。

平将門命

画像は、平将門公の木像。平安末期、律令制度を崩壊させた関東の英雄でもありました。彼の生き様が京の朝廷に対する謀反、反乱と受けとられ、天皇中心の戦前の教科書では逆賊扱いでした。しかし、関東の人からは、強きを挫き、弱きを助ける英雄として称えられ、特に江戸っ子の共感を呼びました。京都の朝廷からすれば、徳川家康は官位の低い武官でした。江戸城に居する徳川将軍は、自己の権力を江戸市民に印象付けるために、敢えて鬼門に平将門を祭る神田明神を置き、江戸総鎮守とした。そこで、江戸という安定した社会の百万都市を築くことができたといわれております。
江戸幕府にとって、神田明神は非常に大きな意味を持った存在だったことをご理解ください。

将門の首と神田

この錦絵でお解かり戴けるように、将門公が大きなパフォーマンスを持って描かれており、江戸の人々には親しまれた神様でした。将門公は様々な錦絵に描かれ、歌舞伎のヒーローとしても活躍しております。次の絵は将門公の娘(滝夜叉姫)の歌舞伎演目ですが、将門の首が飛んで、石をがりがり齧っている図です。巷では、将門公が石を噛んだということから『神田』という地名になったと洒落ています。

このように、人々と神仏のあり方、その政治のあり方などは、切っても切れない仲になっており、それが大きな影響力になって皆様の心に残っているのです。東京都内にも首塚のほか、ゆかりの遺跡がたくさんあります。築土神社、兜町神社、鳥越神社などにも将門公の伝説が伝えられています。

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(7)神田祭りの特色
先ず、徳川政権の精神的基盤を支えた祭礼が、神田祭です。明治維新のとき徳川慶喜が大政奉還して身をひいたのですが、一部の幕臣彰義隊が寛永寺に立て篭もりました。江戸の人々は幕府軍と新政府軍のどちらを支持したでしょうか。魚河岸の人々は260年の恩義のある徳川家びいきでしたから官軍に対して竹槍を持って刃向かおうとしたのです。徳川様あっての江戸市民は、寛永寺に立て篭もった彰義隊を憐れんだといわれています。

幕府の巧みな宗教政策を含めて、巧みな政治手腕がそこにはあったのであります。政治と宗教は切っても切れないということの例証です。その原点には徳川将軍上覧の祭りということの意味が深く刻まれています。徳川家と江戸庶民は上覧の神田祭を通しての心の繋がりがあったのです。徳川政権にとって、神田祭りが大切だったという意味がお解かり戴けたでしょうか。

江戸時代は武家社会ですから、通常は庶民が将軍の前に行くことなどはできません。ただ、庶民が山車とともに江戸城内に入ることができた神田祭を誇りとした伝統は今もなお受け継がれています。

祭りは、常に新しく、美しい
私の好きな言葉があります。
「伝統とは、絶えざる変革の積み重ねであり、自己変革に成功した文化のこと」
「伝統とは、形骸を受け継ぐものにあらず、その精神を継ぐものなり」 ロダン
神田の町には、何百年も続いている老舗があります。しかし、その店は昔とまったく同じことをやっているのではなく、時代とともに商売の内容が微妙に変化しているのです。
神田祭りも、時代に合わせてどんどん変化してきました。

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(8)能の祭りから山車の祭りへ
江戸名所図屏風(出光美術館所蔵)に描かれた神田祭は、能を上演していました。当時の神田祭は、江戸時代中期の享保年間までは、能を演じる静かな神田祭だったのです。秋葉原の大きな能舞台の錦絵をご覧下さい。江戸中期以降になりますと、庶民の賑やかな祭礼に変わっていきます。はじめお神輿は、船で渡御しております。江戸は水運の都でした。

山車祭り

神田祭の最も華やかな時代は、山車祭りでした。様々な形の山車が40~50台も連なって江戸市中を練り歩きました。明治の初め頃までは、神田祭すなわち山車祭でした。明治中期になりますと、日本は富国強兵の近代国家に変わり情報インフラと動力インフラを確保するために、東京市内には電線がくまなく張り巡らされました。電柱は高さが5、6mですが、山車は7、8mもあるので、運行に障碍が発生しました。神田っ子はどうしたかというと、当然電線を切って山車を巡行させたのですが、そうした輩はすぐ逮捕されてしまいました。

江戸は東京になり、政権は薩長連合。神田祭は徳川将軍の祭りですから、こんな祭りは擁護するはずもなく、祭りそのものが低調になりました。美しい文化財のような山車は、栃木や青梅や鴨川などの関東各地の都市にどんどん売却されてしまいました。そこで、小江戸と呼ばれる地方の祭礼文化が発展していきました。江戸市民は、山車に変えて電線を潜れる神輿を神田祭に採用していきました。

大江山の酒呑童子の鬼首の山車、今昔

そして現代の神田祭、神輿が中心となりました。このように時代とともに変化してきたのが神田祭の文化です。江戸時代には附け祭という華やかな祭礼が発展しました。これは、大江山の酒呑童子の鬼首の山車です。また色々なパフォーマンスの楽しいお祭り姿が描かれています。畳の上に正座して、畳から下に足が出ています。蝶々の格好で踊りまくる娘さん。現代のコスプレと変わりありません。大きな張りぼてをかぶった庶民。着ぐるみ縫いぐるみを着た人たち。欽ちゃんの仮装大賞と変わりありません。・・・・・・というように神田祭の演し物は常に変化し、庶民もそれを楽しんでいたのです。

神田祭、昔と現代

ところで、現代の神田祭に復活出現した大鯰の山車です。これが神田の町を練り歩いたときには、みんな度肝を抜かれ、のちに拍手喝采を受けました。山伏もでました。源 頼光、渡邊 綱なども行進していました。私たちは、日本の古い物語りをあまりにも、忘れていませんか?と皆さんに問いかけたいために、この画像をご覧いただきました。こんなに豊かな物語りに基づく祭礼文化があるのに、それらを日本人は喪失してしまっているのです。

歌麿錦絵

これは三代歌麿の神田祭の錦絵です。歌麿は美人画だけではありません、神田祭も描きました。対比するのは、現在の神田祭です。形こそ変われ本質はまったく同じことが判ると思います。だからこそ、伝統は受け継がれているのです。江戸時代には、神輿は二基しかありませんでした。あとはほとんど山車と附け祭が中心でした。ところが、現在は神輿が百基以上出て、山車はほとんど無くなってしまいました。伝統もどんどん変わっているのです。街の人たちも派手な衣装で神田祭は、まさしくアートの世界です。

こんな錦絵を見ていると、江戸時代の日本人のデザイン感覚がほんとに素晴らしいと思うのです。このような斬新なデザインは、ヨーロッパではピカソにならないと出てこないのに、日本では江戸時代に、すでに錦絵に出現しているのです錦絵の主人公は歌舞伎役者でそれぞれがブロマイドを神田祭を題材にして作っているのです。商業的な絵画として錦絵を大量生産していたわけですが、当時はイギリスでもフランスでも、絵画は一点ものの油絵が中心ですから、このようなことは出来ませんでした。お祭りの文化は、常に新しいものを生み出す力があるのです。

これは団十郎です。江戸っ子にとっては、彼の「にらみ」は正に神の世界だったのです。
団十郎は成田山を意味する「成田屋」でありながら、ちゃっかり神田祭の錦絵になっているとは・・・・・。祭りと歌舞伎、錦絵。様々な文化が混淆しながら時代は変化していきます。

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(9)ディズニーパレードとの比較
「東京ディズニーランド」はご存じの通り365日がお祭りで、歌あり踊りありの女の子が憧れる幸せなファンタジーランドです。ところが、江戸時代の神田祭はディズニーランドのパレードと同じような構成であったということに、お気付きでしょうか。寛政5年、今から2百数十年前、神田祭りでは、諌鼓(かんこ)の山車から始まって、住吉明神、熊坂長範、牛若丸、金太郎に山姥、三国志・・・・・といった物語りの山車や附け祭が36番登場します。

ディズニーパレードとの比較

この中で、皆さん、お孫さんに幾つの物語を語ることができますでしょうか?当時のおじいちゃんたちは、山車を見て主人公の物語をお孫さんに話すのが楽しみだったのですよ。子供たちは興味しんしん目を輝かせて、おじいちゃんの話を聴いていたと思うのです。ところが、今は、ほとんどの親御さんは日本の物語を喪失してしまったのではないでしょうか。昔々あるところに・・・・・で始まる語りの世界。日本人としての物語りと文化を失ってしまったということに気がついて戴きたいのです。本来、欧米童話の白雪姫やピーターパン、グリム童話などより、もっと素晴らしい物語があった筈です。日本人としての、アイデンテイティを失っているのではないでしょうか。

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(10)附け祭りの文化

附け祭り・大江山凱陣

絵巻物に画かれているように江戸時代には、華麗な山車が36基も勢ぞろいしましたが、附け祭りの牽き物「大鯰と要石」は、江戸っ子にとっては、「地震雷火事親父」と、地震を防ぐための欠かせない祭りのテーマだったのです。そのことを子供たちに知って貰うために、現代版のアートとして附け祭りに登場させたのであります。

大鯰と要石


215年ぶりにこの文化を再現して、伝統とは何かを含めて皆様に訴えたのです。
附け祭を復活しだしたのは約10年前です。まず地元千代田区の小中学校の先生に、神田祭に子供たちを参加させてくださいとお願いに上りました。ところが皆断られました。唯一参加してくれたのは、一ツ橋中学校だけでした。当時小学校では慶応義塾幼稚舎のみが参加してくれました。私学の慶応だけが子供たちに、このような素晴らしい伝統文化を体験させたいと参加してくれたのです。

最近では、ゆとり教育の影響でしょうか、是非参加させたいという学校が増えてきました。
10年前は、いったい何だったのか、とつくづく思います。という風に、お祭りは古い形式だけで行っているのではなく、常に時代を取り込みながら変化しているのです。冒頭に申し上げたように、地域社会のお祭りは是非とも参加して戴きたいのです。祭りは地域共同体にとって、自分たちが共同社会を営んでいるという意識の再確認の場でもあるのです。それを、忙しいからとか、馬鹿騒ぎに付き合っていられないからマンションの窓から高身の見物だよという感覚ではなく、地域社会の一員として、祭りに本当の価値を見出して戴きたい。恐れずに、人々の交流の輪の中に飛び込んでください。

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(11)神田祭古写真と戦後の復興祭

神田祭古写真と戦後の復興祭

これは、スイスの通商使節団の人が描いた神田祭の絵です。神田大明神と書いたらしい幟が見えますが漢字が読めません。大江山の鬼退治の附け祭を描いています。大江山は神田祭の附け祭の中でもハイライトの一つでした。産経新聞に、バルーンで造った鬼の首が報道されました。これは、日本には鬼退治をした源頼光とか、坂田の金時などのスーパースターが登場する古い物語がたくさんあるのですというメッセージを子供たちに神田祭から送っているのです。一つの文化事業として神田祭を見直して欲しいものです。

ケロロ軍曹この附け祭のスタートは平成13年の神田祭に巨大な赤ちゃんを出しました。これは江戸時代にあったものではなく、たまたま愛子内親王のご誕生に合わせたように、時代を予感させるような曳き物として制作されました。古いものばかりでなく、今人気のアニメをという注文に応えて作ったのが、「ケロロ軍曹」というバルーンを平成21年の神田祭では作ってしまったのです。大江山物語にしろ、大鯰にしろ、面白いけど子供たちは理解できないでしょうから、理解できるものとして、アニメの「ケロロ軍曹」になりました。子供たちは当然大喜びでしたが、伝統的な大人には少々不評もありました。

江戸時代に立ち返って、祭りの本質とは何かというと、先ほどの神田祭の絵巻物でご覧になったように、着ぐるみ、縫いぐるみ、蝶々の格好をした町人たちがいましたね。当時最先端のことをやっていた、と同じことを現代でやるとアニメになる。頭の固い方からは不評でしたが、子供たちには喜んで戴きました。

お祭りの運営というのは、とても難しい面があります。神田の人は喧嘩っぱやいので、文句も多かったのですが、今になって「ああ、中々よかったね」といわれております。子供たちの様子を見ていると、大江山の物語りを語るより、アニメの方が分かりやすかったかなと思います。色々な形でマスコミにも登場しました。この新聞写真では、子供たちがマスクをしてケロロ軍曹を曳いています。時代相を表していますね。バサラとか伊達男などは、一種のアバンギャルドとして、当時としては目立った存在だったでしょうが、今の祭りに突拍子もない格好で参加する人は、昔のバサラや伊達男と同じです。

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(12)現代の神輿を中心とした神田祭
また平成21年には、秋葉原のメイドの女の子たちがコンピュータの部品で作ったお神輿を担いできて、喝采を浴びました。これはいい、悪いではなく、若い人たちはそれなりに一所懸命で、何かを求めて祭りに参加しようとしているのです。私は、お祭りに全く無関心な人々でも、参加して下さること意義があったと思うのです。正統派のお神輿大好きな若者たちからは、メイド神輿に対しては批判が沢山でました。俺たちの神輿と一緒にしてくれるなと、責められました。

こんな多彩な神田明神の祭礼を、皆様には見てきて戴きました。祭礼は、宗教的な要素、政治的な要素、文化的な要素が入り混じって受け継がれてきています。それが、さらに変化を加えながら現代社会の中に息づき、それが継承されている。私たち人間としての生と死のドラマを、祭礼は包含していることに気づいて戴きたいと思うのです。

この中かに、神田出身の方はいらっしぃますか?
神田でよく見られる葬儀のしきたりをご存知でしょうか?
お祭り好きの故人でしたら、お棺の中には愛用の祭礼半纏を入れます。そして、鳶の頭が木遣りを歌って見送りをします。葬儀は町会長が仕切って、故人がお祭りに対して如何に働いてくれたかを述べ、神田祭のために生き、お祭りの節目ごとに人生を刻んでいくという神田っ子の生き方を最高の言葉で称えるのです。

この写真は古いお祭りの写真です。戦争が終わって神田の人は何を真っ先にしたかというと、焼け野原の町中で「復興祭」を実施しました。俺たちは、まだ死んでいないのだと叫んでいるようでした。復興には女性の活躍がありました。昔は、女は神輿に触るなでしたが、戦後は女神輿が実現しました。

私の最初の問いかけ、「お祭りに参加していますか?」には数人の方しか挙手はありませんでした。今社会的に問題になっている生と死の「無縁社会」はそんなところから、始まるのではないでしょうか。人は死に、いつかは直面しなければならない。神とは何か、仏とは何かということも含めて、お祭りというものが持つ精神文化の奥深さ、それは、人と人の繋がり会いの絆の文化であることを知って戴き、感動と喜びを共にする祭りというものを、ぜひもう一度見直して貰いたいのです。神田の祭りを通して、『現在と過去と未来』のお話をさせて戴きました。

ご静聴有難うございました。
終わり



文責:三上卓治
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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