現在位置: ホーム(1)講義録一覧(2) >"音楽はバリヤーフリーだ

WEBアクセシビリティ対応

ページの先頭です


平成23年1月7日
神田雑学大学定例講座N0538


音楽はバリヤーフリーだ   講師 貝谷嘉洋


目次
イラスト画像の画像
メニューの先頭です 司会大空メイより貝谷さんの紹介
1.はじめに
2.筋ジストロフィーとは?
3.筋ジストロフィー者としての半生
4.貝谷嘉洋の生活状況
5.自立生活とは
6.何故NPOを立ち上げたか
7.ゴールドコンサート



メニューに戻る(M)

司会(神田雑学大学理事 大空メイ)より貝谷さんの紹介

    皆さんこんばんは。今日は本当に素晴らしい方をお招きできました。今日ここにこられた方は凄くいい年になると思います。
なぜなら貝谷さんから頂くパワーには底知れぬものがありまして、今年一年皆さんは大きく飛躍することになると思いますので楽しみにしていてください。

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

講師貝谷嘉洋氏     昨年の10月3日、東京の国際フォーラムで第7回ゴールドコンサートが開かれました。ゴールドコンサートは日本人のみならず世界中の障害を持たれた方たちが集まって開かれる音楽の共演です。昨年はデンマークからエイバイト・クロー氏が来日なさいました。この方も貝谷さんと同じ筋委縮症でゴールドコンサートを始めたきっかけになられた方なのです。

    貝谷さんは2003年に日本でゴールドコンサートを始められました。日本では欧米の国々に比べるとノーマライゼーションと言って健常者と同じ社会活動を営む実例が遅れています。その打開の第一歩となったのが、今日DVDでご覧いただくゴールドコンサートなのです。

    貝谷さんは1970年に岐阜県にお生まれになりました。そして10歳の時に筋ジストロフィーと診断され、14歳の時に自力で歩行が困難になりました。
その後関西学院大学を卒業後アメリカに単身渡られ、1999年カリフォルニア大学のバークレー校、ゴールドマン政策大学院を修了されました。
そして2000年にはジョイスティック車によるアメリカ一周の旅行を達成され、帰国後その車で新規運転免許を取得され、いま日本中を走り回っていらっしゃいます。

    そのことを書いたご本があります。『ジョイステック車で大陸を駆ける』という本です。その他に『看護漫才』、『魚になれた日』の著作を今日はお持ちくださいました。
貝谷嘉洋氏著作

貝谷さんは2001年に「NPO法人日本バリヤーフリー」協会を設立されました。
そして2003年には障害者の音楽コンテスト「ゴールドコンサート」を主催されました。
2005年には上智大学の博士号を取得されています。
今はNHK厚生文化事業団と障害福祉省の専門委員も務めていらっしゃいます。
今年は10月15日に東京国際フォーラムで第8回のゴールドコンサートが開かれますので、是非皆さん参加なされてください。それでは貝谷さん、宜しくお願いいたします。

メニューに戻る(M)

1.はじめに

    皆さんこんばんは。日本バリヤーフリー協会の貝谷嘉洋と申します。
まず珍しいものをお見せしたいと思います。私の乗っている車椅子見たことある方はおられますでしょうか?これはリクライニング式電動車椅子と一般には呼ばれているのですが、まずどんな機構があるかということをお見せしたいと思います。

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

リクライニング式電動車椅子を操作する貝谷講師 私の握力は2kgくらいしかないので、ちょっとした力で動く、この手元スイッチで背中の持たれ加減とかを動かすことが出来ます。

    電動でこういう姿勢制御をするというのは勿論、自分で起きたり寝たりが出来ないからです。
また同じ格好で座っているとお尻がすごく痛くなるので、圧力を後ろや前にずらすことによって、長いこと座っていることが出来ます。足の方も動きます。
足も同じ格好をしているとしびれてしまいますし、普通の人のように足を組みかえたりが自分で出来ないので、こうやって片足ずつ動かすことが出来ます。
そしてこうやってスイッチを押すと椅子自身が高くあがり、175cmの立っている人と同じくらいの高さまで上がる上下機能がついてます。

    前後左右に動くのは、身体に負荷をかけないためだということは分かりますが、何でこんな上下機能があると思いまか?

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

立っている人と同じ目線まで昇がる電動車椅子 それには色々な理由があるのでしょうが、一番の目的は健常者と視点が同じ位置で話せることです。
要するにコミュニケーションが取りやすいと言う事です。
日本ではそういうことは見過ごされていて、たぶん車椅子の人はいつも立っている人を見上げる形でコミュニケーションをとっているのです。それは変じゃないのと誰かが言いだしたんでしょうね。日本ではと言いましたが、ちなみにこれはスウェーデン製でぺルモビールという会社が出しているものです。日本でもようやく代理店が出来て、たぶん30台くらいは出回っていると思いますが、欧米ではこれが一番売れている標準的なもので、車で言ったらトヨタみたいな車椅子です。

    ではこの車椅子に乗っている私自身のことを少し話したいと思います。
僕は筋ジストロフィーと言う病気で、これは筋力が著しく弱くなる進行性の病気です。
僕の場合見かけがっちりしていますので、「なにかスポーツをやられているんですか」とか聞かれるのですが、僕は全然歩けないので車椅子に乗っていますし、上半身も持ち上がらないんです。
    まず筋ジストロフィーについてお分かりにならない方が多いと思いますので、まず触れてみたいと思います。
メニューに戻る(M)

2.筋ジストロフィーとは?

    これは遺伝性の病気です。
遺伝子に傷がついてなるというものなんですが、三分の一くらいが突然変異ということで、生れる時の何らかの事故みたいなもので遺伝子に傷がついて発症するということが多いようです。
どなたにも起こることがある病気なのです。

    わが国には約1万人暗い患者がいると言われます。筋ジストロフィーは筋委縮疾患のなかの一つのもので、筋委縮疾患の患者は約10万人くらいいると言われています。
筋ジストロフィーはその中でも重度の病気でわりと若年、子供のころにかかる人が多い病気です。たとえば筋委縮症の一種でALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気がありますが、これは年配になってからかかって、急に進行して、しゃべることも難しくなるという病気で、筋委縮症にも色々な病気の種類があるのです。

    筋ジストロフィーの場合タイプによって発症年齢、進行の速さが違います。
一番重いものでは子供のころにかかって、二十歳の頃には寝たきりになるというもので、人工呼吸器を使用して生活するようになります。
これまでは寿命が20代とか言われていたのですが、人工呼吸器が普及したり色々薬が出来たりで、今は30歳から40歳くらいまで生きる場合も多くなってきました。 
  
メニューに戻る(M)

3.筋ジストロフィー者としての半生

    私は今40歳になりまして、厄年でもあり本当に慎重に生活して行かなければと思っているのですが、これまでどんな生活をしてきたかを振り返ってみたいと思います。
物ごころついた時6歳、7歳のころにはもうすでに自分の中では他の人より筋肉が弱くて違うなということを感じていました。

    そのとき親も同じことを考えていたと思うのですけれど、その時に親がやったことは、東海自然歩道の毎週のように歩きにつれて行かれました。運動神経が鈍い子だから頑張れということで連れていかれたんでしょう。
筋力が弱いので上り坂を登るのが大変で、本当にゆっくりゆっくりしか登れないんです。負けず嫌いだったもんですから下りになると勢いづいてダーッと下るという風でしたね。
駆けっこも普通の子の倍くらい時間がかかるし、親はやっぱりおかしいと思って専門のお医者さんに連れて行ったようです。
講演中の貝谷嘉洋講師

    10歳の時に筋ジストロフィーだという診断を受けます。
当時は20歳くらいまでしか生きられないだろうと医者の方から言われたと思うのですが、それが分かってしばらくして僕は囲碁を習うことになりました。
父親が囲碁の先生を近くから連れて来てくれて、毎週日曜日習い始めました。身体はたぶん使えなくなるから、頭を使う何かをということで囲碁だったのでしょうね。
そしてその頃から父親は僕に「理論物理学者になれ。」と言いだしました。身体を使わないで頭を使うだけで仕事が出来るのは理論物理の世界だということで、小学校の頃はずっと言われ続けてきましたね。

    それから僕はパソコンを12歳の頃から買って貰っていました。今から30年前のことです。
これも身体が動かなくなるからコンピュータみたいなものを扱えということなんでしょうが、当時小学校でパソコンを持っていた子はいなかったですから、そういう意味では恵まれていたと思います。

    筋ジストロフィーは成長期、小学校の高学年から中学生にかけて病勢が進行するものなんですが、僕の多分にもれず14歳には完全に歩けなくなりました。
歩けなくなるとトイレ介護が必要になります。それから学校時代僕はトイレをだれに介護して貰うかという問題を抱えて暮らしてきました。
小学校、中学校は、同じ大学の付属の小中学校でしたので、中学校に入る時も筋ジストロフィーだということは分かっていたのですが、何も言われずに普通学級に入学したのですが、高校進学時に受験拒否に合うことになります。

    もう歩けなかったので車椅子に乗っていたんですが、当時岐阜県の教育委員会が、車いすは受け入れられないということで、公高校への受験は駄目だということを言われました。
僕もそうだったんですが、親にしてみれば今まで一緒の中学校でやってきたわけだし、勉強もすごく出来たわけではないのですが、ある程度は出来たので普通学校に入れたいということで奔走してくれたんですね。たまたま父親の後輩のお父さんがある公立高校の校長先生をやっていたので、そこに頼みこみに行きました。
教育委員会はたしかに強いのですが、学校と云う所は最終的には校長先生が力を持っているようで、受け入れてくれるということでその高校に行きました。

    その頃は完全に御手洗いの介助が必要だったんです。
誰かに僕の身体を持ちあげて貰って便座に置いて貰い、ズボンを下ろして貰うことをしないといけない状況だったんです。
それを誰がやるかということで、僕としては出来るだけ友達にお願いしてやりたか ったんですが、やはり学校側は何かあったらどうするんだ、友達が手伝ってもし事故にあったら誰が責任を取るんだということを言いだしまして、基本は親が介護して下さいということになりました。
父親は仕事をしていますから、その頃から母親が学校までやって来てトイレを手伝って貰うということをしていました。

    大学は関西学院大学が当時バリアーフリーで有名で、アメリカンフットボールのスター選手が練習中に大けがをしたというこで、それ以来車椅子の受け入れが良くなった学校でした。
そこを受験してそこに入学することになるんですが、関西学院大学は神戸に近い所ですから、家からは通えません。どうしても介護が必要なので単身で行くわけにはいきませんでした。
当時はヘルパーの仕組みなんかもなく仕方がないので父親は岐阜で仕事をし、母親が私に連れ添って西宮に引っ越すということにしました。

    大学にはいま学生の有償ボランティアというものがあります。
例えば学校でカバンから物を出して貰ったり、図書館に連れて行ってもらったりとか、御手洗いに連れて行って貰ったりとかの介護を、学校側が紹介してくれる、同じ大学生のボランティアで自給700円とかで手伝ってくれるという制度です。
そういうのはまだ無く、介護が出来るのは母親のみでしたから、大学時代は殆ど母親の介助を受けました。実際は同級生に御手洗いのお願いをしたこともあるし、やってもらってはいるんですが、やっぱり気がねするんですね。相手の貴重な時間を奪ってはいけないなんてことを考えて遠慮してしまうのです。
    当時は色々悩みましたね。車椅子ということで弱い人というふうに周りの人からも見られて、色々な私的な飲み会などには呼んで貰えないとか、淋しい思いをした時代でした。
プロジェクターで説明中の貝谷嘉洋講師

    進路について考えている時、カリフォルニア大学のバークレー校のことを知りました。
カリフォルニアのバークレーという街にあるのですが、この街は街中に車椅子の人が溢れているところです。かなり重度の障害の方も一人で生活しているという、そういった場所です。
大学卒業後はそちらに移って大学院を目指すということをしました。

    ずっとそれまで22歳まで母親に介護をして貰っていて、急に独りでアメリカに行って介護者を見つけて生活をするということなんですけれども、母親が偉かったなあと思うのは、一言で言えば子離れが出来たということです。
通常重度障害のお子さんがいる親御さんはずっと二人三脚でそれまで介護なされていますから、やっぱり子供を一人でどこかにやるというのは非常に大変なことだと思うのですけれど、母親は僕がこういう街があって、こういう所で住んでみたいということに対して非常に理解を示してくれたんです。

    僕と同じように重度の障害を持って大学に行っている人達には沢山あっているんですが、そういう人達に限って親はすごいしっかりしているので、親がなかなか子供を突き放せない。
親御さんだって最後まで介護出来るわけじゃないのだから、どこかで突き放さないといけないんですが、それが出来ない方が結構多いなあと私は思っています。
バークレーに行って、ご紹介いただきましたように大学院で行政学修士の資格もし、片手で運転できるジョイステッィク車で全米一周をしたりとか自主自立の生活を楽しみながら過ごしました。

    帰国後は30歳の時に東京都でNPO法人日本バリアーフリー協会を旗揚げ、また別途介護事業も立ち上げたりして、今はゴールドンサートという活動を中心にやっています。  
 
メニューに戻る(M)

4.貝谷嘉洋の生活状況

    東京都で独り暮らしをしています。
自宅兼NPO法人のオフィスで、同じ建物の同じフロアーで生活しています。
現在ほぼ一日中介護が必要です。国の制度を使い20時間の介護を受けています。寝返りや食事においても介護が必要です。

    日中の半分は横になって生活しています。これは普通の人よりも非常に疲れやすいんですね。
外出すると疲れてしまうし、座っているだけでも足腰に負担が来ますので、日中の半分は横になって生活しています。身体が湾曲してくるという症状があるので、それを抑えるためでもあります。

    この病気は客観的にみれば進行性ですし、どんどん筋肉が弱っていくものなので、非常に重度な病気だと言われるのですけれども、僕自身の感触としては、もう子どもの頃から付き合っていますから、病気とは感じず、どちらかというと体質とか要素の大きなものの一つではないかという捉え方をしています。
メニューに戻る(M)

5.自立生活とは

    僕のような重度の筋ジストロフィーの人が一般社会で生活していこうとするとまず親の全面的な支援が必要です。
いろんな意味で金銭的な支援も勿論必要ですが、学校にかけあうとか、周りを動かす努力が必要で、また最後は子どもを突き放すという子離れも必要です。
そういう支援が無いと今の日本では、施設とか自宅に閉じこもるという生活になってしまいます。日本ではまだまだ社会的な支援をしていく制度が整っていないということです。

    先程から自立生活ということを何度も言っていますが、ここで今私が感じている自立生活とは何かと言うことを改めて紹介したいと思います。
私は一日、一週間、一か月、一年、数年という人生設計そのものを自分の意思で決めています。これは必ずしも経済的に自立してということではないのですが、意思を持とうと言うことです。

    それから介護者を自分で管理するということです。人間必要なのは衣食住と言われますが、これからは介護の介を加えて、衣食住介ではないかと思っています。
誰でも身体が衰えてくると介護が必要になることが多くなっています。僕は子どもの頃からというか介護者がいなくては生きていけなかったので、介護者は必須のものでした。
自立生活で介護者を自分で管理するということは考えてみれば当たり前のことで衣食住すべて自分で決めて自分で運営して行くわけですから介護もその一つとして当然自分で管理するべきものだろうと思うのです。

    管理には4つあって、まず雇用です。
こんな介護者を探しています。時給はこのくらいです。と云う風に広告を出すわけです。そして面接し雇うことです。
そして訓練。面接をして採用になった人に介護をする上での心がまえを教えないといけませんし、仕事内容も教えないといけません。
そして勤務時間管理が必要です。それから最後に評価ですね。
これはあまり言われていないのですが、要は良くやってくださっているので昇給しましょうかという部分での勤務評価が必要です。

    実際に日本の制度はこうなっておらず、全て間に入った介護派遣業者が管理をすることになっています。
アメリカだとか北欧では障害者本人がこの4つをやるということが一般的になっているのですが、日本では自立支援法はまだ整備がされていません。
介護保険の方も全てケアマネージャーが管理することになっていて、障害者本人が管理する制度にはなっていません。
自立生活をする上で、行政給付補助金は勿論必要ですが、自分の所得、財産を合わせて経済的自立は必要条件でしょう。
実際には日本ではこれも難しいのが現状です。
僕の場合はNPO法人を立ち上げて、自分で事業所を立ち上げてということをしていますが、かなり色々なことをしないと経済的自立は出来ません。

    とはいいますが、日本の環境は後進国に比べると自立は可能な状況にあると思うのです。
高度な医療があります。私は心臓が弱いので色々な薬を飲んでいますが、かなりこれで体調が安定して、急激に悪くなるということもありません。
それから発達した新機種が多いです。この車椅子は海外製ですが、東京都の制度で補助がで売るのです。これは値段にして250万円くらいしますが、東京都は半分を負担してくれます。
それから介護者の能力の高さです。バークレイでは現地の介護者をお金で雇って介護して貰っていたのですが、日本人の介護者の能力は基本的に高いと僕も感じています。アメリカ人の障害者で日本に留学している人も、そう言いますね。

    そういう意味で日本の環境は最低限の条件は整っているんですが、実際には日本では自立生活はそんなに進んでいないんですね。
これには色々理由があると思うのですが、やっぱり障害者高齢者は弱者だから保護されるべきだという意識が日本では非常に強いことがあると思います。
それから家族が介護をするべきだという観念も通常、強いです。
障害者にそんなことをさせては可哀そう、そういう観念が日本人にはあって、自立を支援する制度がなかなか発達しないのだと思います。

    私が自立生活をして良かったことは、まず家族との良い距離感が出来たことです。
母親が介護していた時は喧嘩したりとかぶつかりあったりということはあったんですが、いい距離感が出来て、僕も親孝行をしないといけないなということを思えるようになりました。
それから僕はお酒とか好きなんですが、あまり飲んでばかりいると身体を壊しますし、一人で生活を始めて自己管理をせざるを得なくなって、健康が前よりは増進したと思います。

    それから介護者は親ではなくて一般の方を雇用するという関係ですので、必要なことはやってもらうということで関係性が健全になりました。
自分のやりたいこと以外はやってもらいませんし、やって欲しいことだけをやってもらうので気がねがありませんね。

    そして家族や施設職員といった管理者がいないので、恋愛をする機会が増えます。これは自立生活をしたかった大きな理由の一つだったんです。
それから人の管理、金銭の管理を自分でやりますので、頭を使い続けることが出来、ボケ防止にも繋がっていると思います。
それから家族や施設にいるとなかなかスケジュールを自分の思う通りに決められません。
自分で仕事をする上で自立生活をし、スケジュールが自分で調整出来ることは必須だと思います。

    自立生活の際、緊急時の対応が必要とはよく言われますが、これも携帯電話とかIT機器などを使うことにより、危険を未然に防げると考えています。
皆様もこれから自分の介護をしてもらう人が必要になる場合があるかもしれません。
その時自分の介護者の管理は自分でするくらいの心意気を持って生活すると、自信を持った生き方が出来ると思います。   
メニューに戻る(M)

6.何故NPOを立ち上げたか

    アメリカで7年くらい生活したんですが、その後日本でNPO活動をしてきました。何故NPO活動をしたかったかということをお話します。
米国では行政学修士は政府ではなくNPOに就職するのが一般的でした。すでに米国では行政官僚になるような人達はNPOに就職して行政に関わる仕事をするのが一般的だったのです。
現代は価値観が多様化しているので公平を原則とする行政では必要なサービスが提供しきれないということなのです。
    日本でもそうだと思いNPOに注目しました。NPOは非営利会社でから普通の会社のようにお金を稼ぐのが目的ではなく、自立と言う価値を創出したかったということです。    

メニューに戻る(M)

7.ゴールドコンサート

    ゴールドコンサートは障害者の本格的な音楽コンテストです。過去7回開催されています。設立の趣旨は一般の方々に障害者や自立支援の必要について理解して貰うことです。

    一見すると障害者のミュージシャンに出る機会を提供しているので、そちらが主な目的と思われるのですが、実は一般の方々に演奏を聴いて頂いて、先程申し上げた一般の方々の障害者に対する意識とか観念を変えて行きたいということを目的にやっています。
グランプリ受賞者は次の会にプロのミュージシャンと共演と云う権利を得ます。
毎年東京国際フォーラムのホールCで行っています。

    企業さんは30社くらいが協賛して下さり、予算規模としては1500万円くらいです。当日は観客の方、ボランティアの方合わせて1500人くらいの方が参加して下さいます。
メジャーデビューといって、大手のレコード会社からデビューする人も今まで2人出ており非常にレベルが高いと言うことで障害者の最高峰の音楽祭として定着して来ているところです。

    では映像でその模様を紹介してみたいと思います。これは昨年の10月3日に行なわれた時の録画です。

DVD放映
DVD画像より撮影ー1

DVD画像より撮影ー2

DVD画像より撮影ー3

    最後にプロの方と去年の優勝者のかたが一緒にコラボレーションします。
障害者活動には色々な活動があると思うのですが、シンポジウムを行ったりとか、色々な場所に出かけて行ってシュピレヒコードをあげることとか色々な運動の仕方があると思うのですが、僕は音楽を選んだのです。

    ずいぶん前、僕はデンマークのグリーンコンサートを見学したんですが、それで感銘を受けて日本版をやりたいという気持ちになりました。
デンマーク筋ジストロフィー協会というNPOが主催している音楽界で20万人を集める大きな野外コンサートです。筋ジストロフィー協会を運営するための活動の資金集めが主な目的です。

    障害者にとって音楽は老若男女を問わず参画出来ますので障害者にとってバリヤフリーと音楽と云うのは相性がいいということがあります。
それから色々な人が関わりやすいということで、企業の方、福祉の方、行政の方、芸能界の方、教育分野の方々も関わって下さり易いのが音楽と言う媒体だと感じます。

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

DVD中で決意を語る貝谷講師
    今後のゴールドコンサートなんですけれど、一人でも多くの方に障害者のことを理解してほしいということが趣旨なのですから、規模を拡大して行こうと思っています。
いま国際フォーラムでやっていますが、前回も入場希望者の方が溢れお断りした方々が出るくらい、人気が高まっているので、今後は規模を拡大して行きたいのです。
チケット代、飲食物、グッズの売り上げによって、コンサートに関わる費用を賄うようにしていきたいということです。
先程のデンマークのグリーンコンサートが究極の目標なんですが、将来は収益が上がる事業にしていきたいと思っています。

    私は最初に話しましたが、非常に恵まれた環境で、やりたいこともなんでもさして貰ったし、アメリカのも留学するという機会を得ましたし、いろんな国のいい所を見て来たんです。こういった経験を生かす使命があると思っているんです。

    障害を持つ方のいろいろな立ち位置はまだまだ難しいものがありますが、環境が整っているにもかかわらず、意識の面で追い付いていないというところがありますので、このゴールドコンサートという活動を通じて、障害者をどんどん引き揚げて行きたいと思っていますし、多くの皆さんに関わっていただくことによって、障害者について理解して頂いて、すこしでも障害者の自立が拡がっていくようになればいいなと思っています。
つたない話でしたが私の話は以上です。(拍手)



文責:
臼井良雄 会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:臼井良雄


本文はここまでです



このページの 先頭へ(0)

現在位置: ホーム(1) 講義録一覧 2010〜2012(2) >音楽はバリヤーフリーだ



個人情報保護方針アクセシ ビリティ・ポリシィ著作権、掲載情報等の転載、リ ンクについて連絡先

Copyright (c) 2005-2007 kandazatsugaku Organization. All rights reserved.