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平成23年2月18日 神田雑学大学定例講座N0544


千代田図書館トークイベント 戦前期の発禁本のゆくえ


目次
イラスト画像の画像
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司会者挨拶
1.はじめに
2.戦前期の発禁本のあらまし
2-1.内務省管轄の出版警察の領域
2-2.なぜ、処分されたか
2-3.私が発禁本に取り組んだ理由
2-4.発禁本の定義
2-5.発禁本の種類
3.戦前期の発禁本のゆくえ
3-1.内務省納本図書の流れ

3-2.発禁本の日本国内所蔵を探す
3-3.アメリカに渡った発禁本
3-4.内務省警保局検閲コレクション
3-5.翻訳コレクション(戦前期の邦訳本)
4.発禁本の現在を探して 小林多喜二著『蟹工船』の場合
5.まとめ
6.質疑応答



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プロフィール

  大滝則忠講師
1968年に国立国会図書館職員に採用されて直ぐ、仕事を通じて戦前期の発禁本のテーマに出会い、これまで本務のかたわら、一貫してこのテーマに取り組む。国立国会図書館には36年余を勤務し、元副館長。現在は、東京農業大学の教職・学術情報課程で司書養成の教壇に立つ。1944年生まれ、東京教育大学文学部(社会科学科)で法律政治学を専攻

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司会者挨拶   千代田図書館企画森田さんより

 今回の講演は、現在館内で展示中の、戦前の出版検閲を語る資料展「浮かび上がる検閲の実態」に関連した連続講演会の第2回目となっております。前回は1月28日に安野一之先生にご講演いただきました。
 本日は「戦前期の発禁本のゆくえ」と題しまして、講師に大滝則忠先生を迎えております。
 先生はもと国立国会図書館の副館長であり、現在は東京農業大学の教授として教鞭をとっておられます。先生は戦前の出版警察の発禁本についてご研究をされていらっしゃいまして、近年ではアメリカ議会図書館に所蔵されている、戦前日本の検閲コレクションについて調査を行っておられます。今回のご講演ではその研究の一端をお話していただきます。
 それではお待たせいたしました。大滝先生お願いいたします。


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1.はじめに

 皆さん、こんばんは。多くの方にお集まりいただいたことを感謝申し上げます。
この企画は神田雑学大学と千代田図書館の共催ということを伺っております。神田雑学大学はこの10年以上、講演会を毎週金曜日に連続してなされているということで、今日は544回目とか、そういう風に地域で生涯学習のためにご活躍されているNPO団体と、新館の開館以来、全国区で有名になっている千代田図書館という、地域の公共図書館との共催講座でお話させていただく機会を得ましたことは非常に光栄です。

 私はこういう閲覧室という空間でお話させていただくのが初めての経験で、少しドキドキしています。図書館の閲覧室は静かな空間であるということは、長く図書館で仕事をしてきた私の身に染みており、開館時間中の閲覧室でお話させていただくなど、恐れ多いことで、利用者の方々のご理解が無ければできないことであります。今日は1時間半ほど、いろいろ音がでますが、ご利用中の皆さまにはよろしくお願いいたします。  私は国立国会図書館に36年余勤めまして、現在は東京農業大学で教壇に立っています。ここは理科系の大学なので、そこに司書養成課程があるのかとよく疑問をいただくのですが、現代の最先端の「農と食と環境」の諸分野を学びながら、司書資格を取りたいという熱心な学生に対して、図書館のことを話しております。
大滝講師講座風景
 のっけから物騒な話ですが、授業で学生に「図書館の本というのは無くならないと思うか?」と質問をしますと、学生は「えっ!?」とした顔をします。
それだけ、図書館にある本は無くならない、自分が必要な本を図書館でいつでも手に取ることができるという信頼があるわけです。その後、「図書館の本も実は無くなるんだ」という話をし、無くなる危険性があるからこそ、社会の支援と理解があり、図書館関係者の不断の努力があって、図書館にある本が永く使えるようになるのだということを話するわけです。
 今日は戦前の本についてお話しますが、一般的に戦前の本は、全国的な所在において充分にあるとはいえないというのが現状だと思います。一般にその状況で、まして戦前には発禁本という一群があり、これは流布を禁じられた本、読むことを禁じられた本でしたので、もともと目にする機会が少ない本で、その所在を探すことは難しいということになります。

 一般的な戦前の本の状況としては、例えば東京都立中央図書館の前身である日比谷図書館は太平洋戦争の末期、昭和20年5月25日の空襲によって蔵書21万冊が焼かれています。その直後、終戦の8月15日を迎える時期であっただけに、なおさらその焼失が惜しまれてなりません。
 東京ではそれ以前にも関東大震災によって、多くの本が無くなっております。
例えば、東京帝国大学の図書館は炎上全壊し、内外の蔵書80万冊が焼失しました。そのほか九段には、大橋図書館という私立図書館がありました。ここは博文館という戦前の一大出版社の社主である大橋佐平さんとその息子の新太郎さんが高い志で開設し、蔵書を集めて一般に公開していました。ここも関東大震災の被災によって、それまでの蔵書9万冊を焼失しております。
 東京にはこのほか、この千代田図書館の前身である市立駿河台図書館などの東京市の図書館がありました。
上野には「上野の図書館」、今の国立国会図書館の前身である帝国図書館があり、ここは幸い大震災や空襲の被災を免れました。
 これからお話する国立国会図書館に残る本は、上野公園の中の帝国図書館が幸いにして被災を免れることができたから、国民の共有財産として現在も存続できているわけですが、そういう風にして蔵書が伝わるということの難しさがあるのだということを、実感として強く思っており、そんな気持ちで今日の話もしてみたいと思っています。

 特に戦前の本については、これからお話する内務省への2部納本のうちの1部(副本)が、当時の帝国図書館に交付されていましたので、国立国会図書館では、その蔵書をもとにして「近代デジタルライブラリー」というプロジェクトにより、明治期から大正期のものへとネット上に画像で順次公開しています。
 ですから、皆さんが自宅のパソコンからインターネット接続して、明治期の17万冊、その後の大正期以降のものも著作権処理ができたものから追加されておりますので、自宅でご覧になれる状況になっております。是非ご利用いただきたいと思います。

 ただ、国立国会図書館の蔵書だけでは、それでもまだ充分ではないといえます。
私も在職中に国立国会図書館の書庫の中を仕事で廻っていましたが、もう本の角が丸くなるくらい使われ、擦り減って傷んでいる本もあります。
1冊の本が100年以上使われ続けるということはかなり過酷な状況だと思います。
そういう点では全国にあるそういうコレクションを貴重なものとして継承しなければならないことを痛感しております。そういうことから、この千代田図書館が所蔵する内務省の委託本の存在と、千代田図書館が取り組んでおられる今後の活用という取り組みは、非常に意味があることであると思っています。

 お手元の配布資料ですが、今回は少し量が多く、20ページの資料を準備させていただきました。
全部をお話する時間はありませんので、これをかいつまんで説明することになります。
そのうち8ページまでが今日お話するシラバスです。9ページからは、発禁本の例として『蟹工船』という本が検閲で処分された状況を一覧したもので、12ページからは、その検閲の動きがこれまでの資料の中でどのように記録されてきたかをまとめています。
 18,19ページは、戦前の発禁本についてそのような書誌や文献リストがあるかということをまとめています。戦前のいわゆる発禁本が、どういう書名で、誰の著編で、いつ、どこから出版されたのか、何ページで、どの大きさの本、という基本的な情報、そしてそれぞれの本がなぜ禁止になったのかの理由が重要な情報ということになりますが、ご覧いただくように、これまでのものには、なかなかそれらを十分にリストアップしたものがないということがわかると思います。

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2.戦前期の発禁本のあらまし

 戦前の内務省は強大な官庁でしたが、警察行政も担っていました。
警察行政の一端として出版警察行政の分野があったのですが、その根拠法としては、出版法と新聞紙法の二元的な法体系から成っていて、一般の本だけでなく雑誌・新聞・通信類も対象に含めて、内務大臣を最終責任者として検閲が行われていました。
法的には内務大臣の権限として行政処分ができるということであったのですが、日常的に全国に張り巡らされた、中央集権的な警察組織の全体がこれに関係していました。

 実際の検閲は、内務省警保局の図書課の係員である属官等の人たちが行っていました。
一方、関係の実務は、中央から任命された地方長官(道府県知事)のもとで、警視総監・警察部長-保安課長(特高課長)-警察署長-巡査という指揮命令の系統の中央集権的な警察組織が担当していました。
未だ内務省に納本されていない地方出版物などもあり、第一線が見つけて、「こんな本が地元で出されているが、処分が必要でないか」という内容で、知事から内務大臣あてに伺うというような文書も残されています。

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2-1.内務省管轄の出版警察の領域

 出版警察における検閲事務は、内務大臣-警保局長-図書課長(後、検閲課長) -事務官-属官という指揮命令の系統のもとで、図書課長が責任者となり、実務としては事務官(係長)と属官(係員)が主体になって判断が行われ、図書課長の決裁により行政処分が出されていたようです。
それを基本にして、その上で、実際には警察組織の全体が関わっていたということです。
実際の検閲がどのように行われていたのかを知ることができる例を下の図に掲げました。

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

列強の軍備競争への書き込み  これは『列強の軍備競争』という本での検閲例なのですが、検閲担当者は、納本されたものの表紙見返しにこういう書き込みをしているわけです。
 上に図書課長、事務官の押印があって、その下に属官の人がいろいろ意見を書いています。各所にある書き込みが読みにくいので番号をふって書き出してありますが、この本の場合、担当者の意見では「これは不問でいいのではないか」ということで「不問相成可然哉」と書いてあります。
ところが上の方の書き込みで、事務官の決裁意見は「禁止」ということになっています。ここで見えるように、実務上の事務官の権限は検閲行政の中で大きなものがあったことが伺えます。
 ここには警保局長の印もないし内務大臣の印もないのですが、結局それは、権限が担当者に授権されていたということなわけです。
検閲されたいろいろな現物をずっと見て行きますと、大正期には警保局長の決裁印はあるものも比較的ありますが、ほとんどは図書課長止まりで判断が行われていたようです。中には、内務大臣の決裁印があるものも、ごく少数ながら現存しています。
 このように、検閲はあらゆる出版物が対象になっていましたが、本の検閲についての根拠となる法律は出版法で、内務大臣が発売頒布禁止(いわゆる発禁)処分を下すことができるというものです。
これは強力な権限で、それに伴って、発売頒布禁止処分だけでなくそれにまつわる、いろいろな副次的ともいえる作用を生みだしていたということだと思います。

 その一つが例えば内閲制度で、あらかじめ伺いを出して、OKを取ったところで出版手続きに入る、ということが認められた時代もあったわけです。
出版社の側からみると、せっかく出版にこぎ着けたものが発売頒布禁止処分になると、経済的な打撃をこうむることになり、内閲でパスできることはリスクを回避するメリットがあったと推測できます。
しかし、それがあまり多くなると図書課が大変ということもあったのでしょうか、そういうことも廃止されました。

 出版法第3条に次のような条項があります。出版の3日前までに届け出るべしというものです。

出版法第3条 文書図画ヲ出版スルトキハ発行ノ日ヨリ到達スヘキ日数ヲ除キ3日前ニ製本2部ヲ添へ内務省ニ届出へシ

 そして、安寧秩序を妨害する、または、風俗を壊乱すると認める出版物は、内務大臣が発売頒布禁止処分を出すことができるという法的根拠が下記の第19条です。

出版法第19条 安寧秩序ヲ妨害シ又ハ風俗ヲ壊乱スルモノト認ムル文書図画ヲ出版シタルトキハ内務大臣ニ於テ其ノ発売頒布ヲ禁シ其ノ刻版及印本ヲ差押フルコトヲ得

 そのほか、出版物に関する取締諸法令として、出版法以外に刑法の規定や治安警察法などの法律の中にも関係条文があります。
その一例として、治安警察法からの抜粋をあげます。この条文を根拠として、「治警処分」という行政処分が行われ、図書館の蔵書にも適用されました。

治安警察法第16条 街頭其ノ他公衆ノ自由ニ交通スルコトヲ得ル場所ニ於テ文書、図画、詩歌ノ掲示、頒布、 朗読若ハ放吟又ハ言語形容其ノ他ノ作為ヲ為シ其ノ状況安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムルトキハ警察官ニ於テ禁止ヲ命スルコトヲ得

 司法処分では戦前でも、被告と原告が法廷で争うという手続きがあるわけですが、これら行政処分は一方的なもので、現在のように行政処分に対する不服審査を申し立てられないところで、こういう仕組みが執行されていました。 
  
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2-2.なぜ、処分されたか

  なぜ、処分されたかということですが、法的には「安寧秩序妨害(紊乱)」と「風俗壊乱」という2つの理由に大別されます。しかし、明治期から昭和前期にかけて、執行の実態はいろいろと変化してきています。


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2-3.私が発禁本に取り組んだ理由

講演中の大滝講師   ここで、ちょっと、私がなぜ発禁本について関心を持つことになったのか、お話しておきます。
私は大学を卒業してから、国立国会図書館にご縁があって就職できたのですが、そこで最初に配属されたのが閲覧部図書課というところで、明治時代から収集した内外の本を保管して、利用者のリクエストに応じて書庫から本を出すという仕事をしていました。
そういう中で、どうも国立国会図書館の中に「見ることができない本」があるようだという問題意識が出てきました。
 戦後では『チャタレー夫人の恋人』のように裁判で刑法第175条にいう猥褻出版物だと認定されたものも所蔵していますが、そういうものは誰にも見られるというわけにはいきません。

 国立国会図書館の蔵書は国民の共有財産ですから、主権者である国民が見たいという本は、国立国会図書館は利用提供するという原則があります。ただし、例外的なものもあり、それらの扱いについては内規を定めて、利用者にその旨を説明して対応しているわけです。

 私自身は学生時代に憲法、特に表現の自由について興味を持って勉強していましたので、そう いう関心の延長線上で、この「見ることができない本」があるということに関心を持つようになりました。
こうして、ちょうど40年前に、戦前期の帝国図書館における閲覧禁止本についてのレポートを、公刊されている国立国会図書館の実務研究誌に掲載させてもらったというのが、一番最初の発表でした。このような経緯で、今も遅々ながらも取り組んでいるわけです。

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2-4.発禁本の定義

  そこで、当初、「発禁本」というのは、文字どおり「発売頒布禁止処分」の対象になった「図書」ということで考えていたのですが、ところが調査を続けていくうちに、もっと広く対象を考えて、さまざまな種類から成っていた処分の結果、流布が禁止または何らかの制限を受けたものも一体として、「発禁本」の世界を考える必要があることが分かってきました。

 「削除」とか「次版削除」というのは分かりますが、「本版訂正」は何か? 
これは今出版するなら問題のある箇所を切ったり貼ったりしなさいというもので、これに対し、今回はパスさせるが、次の版を出版する際は訂正しなさいという「次版訂正」「次版改訂」「次版警告」などもあるのです。
 現存している文書や現物への書き込みを読みますと、次に見られるようなさまざまなレベルの「発禁本」があることが分かってきました。

・狭義:「発売頒布禁止処分」の対象になった「図書」
・広義:「削除」「次版削除」「本版訂正」「次版訂正」「次版改訂」「次版警告」「絶版警告」「次版改訂方警告」「次版改訂方注意」「次改方注意」「治警方警告」「絶版方警告」「絶版警告」「厳重警告」「治警処置」「厳重注意」「注意」「指導的注意」「省令牴触」「総動員機密牴触」「軍機保護法牴触」「内閲」「分割還付」等の種々の「処分」の対象になった「図書」 + 「宣伝出版物」の部類の一部 + 出版法適用の「雑誌」+ 図書館での閲覧禁止・制限本

 ここには「宣伝出版物」も処分の対象に入っていますが、これには、1枚ものから50ページに満たないようなものが含まれております。
また、「図書」なのか「雑誌」なのか、どの法律を根拠にして処分されたのかの判断が難しいものもあります。

 そのほか、記録として公にされていない「図書館での閲覧禁止・制限の扱い」とされた本のグループもあり、同じ取締思想のもとで、利用者が本を自由に読むことができない実態があったのだということが分かります。
以上のような広義の「発禁本」の総タイトル数は、戦前期において、少なくとも約11,000点以上があったと、私は見積もっています。

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2-5.発禁本の種類  (3タイプの類別)

 これらは秘密裏に処置されて、リストアップされていますので、実態の把握と分析が難しいのですが、3つくらいのパターンがあっただろうと考えられます。

 すなわち、第1類が「発行時点で処分された」もの。これは昭和3年(1928)以降『出版警察報』という月刊誌が出されていまして、現在では復刻版で見ることができるのですが、当時は一般人が目にすることができない、こういうもので内務省は全国の取締担当者間の周知を図っていたわけです。もちろん、処分時点で個々の通達・通牒類も出されていて、当局の担当者にとっては、処分があったという情報が分かります。

 また、この分野に関する二次文献としては、明治・大正期については斉藤昌三編『現代筆禍文献大年表』、昭和期については小田切秀雄・福岡井吉編『昭和書籍雑誌新聞発禁年表』という、それぞれ大変な労作が出ています。

 第2類としては、発行時には不問扱いであったが、後日に遡って禁止されたものです。これは昭和15年(1940)7月に、神田の古本も含め、「左翼出版物」に対する大規模な取り締まりが行われます。また、これ以降の19年、20年に至るまでの遡及処分の流れが出てきます。  そのほか有名な宗教弾圧で、大本教関係とか、キリスト教関係で大規模な処分があり、明治・大正期から読まれていた本が遡って禁止されるということもありました。

 第3類としては、図書館における閲覧禁止・制限本ということで、帝国図書館はじめ、私立大橋図書館、大阪府立図書館、深川図書館保留図書などの実例があります。各図書館と地元の警察との連携のもとでこういうリストアップが図られて、現物が別置されていました。

発禁本の類別

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3.戦前期の発禁本のゆくえ

3-1.内務省納本図書の流れ

 次に、戦前期の発禁本のゆくえということなのですが、まずは内務省の納本図書の流れを見ていただくことが手っとり早いと思います。
 前提として、一国の出版物を一か所に集めるという納本制度は、戦前期においては検閲の目的で、内務省が担当していました。
納本しないと無届出版物ということで、それだけで発売頒布禁止処分等の対象になったということです。

 同じ「納本制度」という名称が使用されておりますが、戦後は国立国会図書館が担当して、公刊された出版物を納本していただくというお願いをしております。
これは、戦前とは思想的にも実際的にも隔絶した目的に基づく納本制度です。現在の納本制度は、国の中央図書館が国内の出版物を集めさせていただいて、その情報を国内外に発信しながら、国民の共有財産として保存し、利用に供するというものです。
同じ「納本」という言葉を使っていますが、戦前と戦後では全く目的が違っております。

 戦前期の出版物は、内務省に2部納本された後、検閲を受けて問題がないものの2部目(副本)が帝国図書館に交付されるという流れになっており、帝国図書館では、それらを「内交」本と名づけていました。このように、戦前の納本制度で集められた本の大きな部分が、現在の国立国会図書館の蔵書のもとになっていることは事実です。

 内務省から帝国図書館に交付された本は、まず甲部と乙部等に分けて扱われました。
それらのうち、図書館資料として目録作成して保存し、一般向けに利用提供したものは、甲部扱いのものだけです。
乙部扱いのものは、当時、簡易目録を作成して書庫に入れたままで、一般向けに利用提供されませんでした。
これら乙部扱いのものは、まず、明治百年の時点で明治期のものが国立国会図書館で再整理されて目録が刊行され、それまで探せなかったものが多く利用できるようになりました。
その後、大正・昭和前期の乙部扱いのものも順次に再整理され、現在では、明治期からのすべて蔵書がNDL-OPACというコンピュータ目録で検索できるようになっています。

 こういうことで、戦前に内務省に納本された本のすべてが当時の帝国図書館で閲覧できるようになっていたというわけではないという事情はご理解いただけたと思います。

 このように内務省への納本2部のうちの2部目(副本)が図書館に交付されるという扱いがとられたのは、明治8年(1875)に、帝国図書館の前身である当時の東京書籍館(しょじゃくかん)から内務省に依頼して認められて以来のことです。
日本の国立図書館は、明治5年(1872)に書籍館として創設されていますが、その後に経過があって、それと断絶する形で、明治8年に東京書籍館が発足します。
すなわち、東京書籍館→東京府書籍館→東京図書館→帝国図書館の変遷を経て、現在の国立国会図書館に引き継がれた明治期以来の蔵書は、明治8年以降に収集されたものということになります。
一方、初期の納本制度は、著作権法との関係で文部省の准刻(じゅんこく)課というところが担当していたのですが、明治8年から内務省が所管して、もろに検閲のための納本制度ということになったわけです。
明治26年(1893)には出版法が公布されますが、それまでも出版条例という形でずっと切れ目なく納本の制度と検閲は行われてきておりました。

 ここに戦前の納本の流れを図解したものを下に掲げました。この概念図は、今日もお出でいただいている、大塚奈奈絵さんという国立国会図書館の現役の方が最近の実務研究誌に発表されたものを借用させていただき、本日のテーマに関連したことを付け加えたものです。
 この図を見ていただきますと、左から右にかけて流れがあるのですが、出版法により内務省に2部納本がありまして、それが検閲される。そして、検閲後、処分があるものと無いもので分かれ、処分の無い本はそのうちの2部目(副本)が帝国図書館に交付されています。
正本(1部目)の方は内務省が持っていたわけですが、これが関東大震災で発禁本も含めて全部が焼けてしまいました。これは出版警察当局としても大変困ったことだったろうと思います。
 検閲の結果で、発売頒布禁止等の処分が下された本には、これも正本と副本があるわけです。
その正本については内務省が保管し、副本についても当初は内務省が保管していたのですが、関東大震災による焼失後、その経験に鑑みて、昭和12年(1937)になって帝国図書館からの発禁本も移管してほしいという依頼を内務省が受け入れて、遡って大震災後の発禁本の副本が帝国図書館に移されます。

 ちなみに、この昭和12年の同時期には、大震災では文部省にあった博士論文も焼けてしまった反省から、大震災以降の博士論文も帝国図書館に移管され、現在も国立国会図書館においてご利用いただけるようになっています。
また、このような関東大震災による被災後の経緯があって、内務省納本のうち、処分なしの正本も一部が東京市立図書館に対して「内務省委託本」として移管委託されたという流れが出てきたものと理解できると思います。

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

戦前期の発禁本の流れ  

 さて、発売頒布禁止等の処分を受けた納本の1部目(正本)は内務省に保管されていたのですが、戦後GHQが進駐してきた時に接収が行われて、最終的に米国議会図書館(LC)に移されます。
 こうして、この図の一番右側にあたる資料群が国立国会図書館の所蔵として現在まで伝えられているものですが、一方、議会図書館の所蔵になっているものもあるということになります。この間の経緯をまとめると下記のようになります。

■内務省納本図書(正本) ⇒ 内務省書庫に保管 ⇒ 大正12(1923)年9月1日の関東大震災により焼失 ⇒ (大震災後の分) ⇒ 内務省に保管 ⇒ 一部が(昭和期)内務省委託本 ⇒ その一部が千代田図書館に現存
■内務省保管図書の戦後の流れ:GHQによる接収 ⇒ ワシントン文書センター(WDC)⇒ 米国議会図書館(LC)に移管されて現存

(注)参考文献
・大滝則忠「戦前期出版警察法制下の図書館――その閲覧禁止本についての歴史的素描」『参考書誌研究』2号、p.39-53(1971)
 http://rnavi.ndl.go.jp/bibliography/tmp/02-05.pdf
・大滝則忠・土屋恵司「帝国図書館文書にみる戦前期出版警察法制の一側面」『参考書誌研究』12号、p.14-32(1976) 
http://rnavi.ndl.go.jp/bibliography/tmp/12-09.pdf

・浅岡邦雄「検閲本のゆくえ――千代田図書館所蔵「内務省委託本」をめぐって」『中京大学図書館学紀要』29、p.1-21(2008)
・和田敦彦『書物の日米関係――リテラシ一史に向けて』、新曜社、2007.2、406p 特にp.183-213「第5章、 占領軍と資料収集――接収活動と資料のその後」
・和田敦彦 「流通・所蔵情報をとらえる文学研究へ――米議会図書館所蔵の占領期被接収文献について(特集文学としての情報/情報としての文学)」『日本文学』57巻1号、p56-67(2008.1)
・吉村敬子「米国議会図書館日本課のWDCコレクション」(特集・戦争と文化財・資料――その略奪と行方)『Intelligenceインテリジェンス』(10)、p.12-19(2008.8)

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3-2.発禁本の日本国内所蔵を探す

 発禁本の日本国内の所蔵機関を探すには、現在では、ほとんどの図書館目録がコンピュータ目録(OPAC:オーパック)として公開されていますので、自宅からでもインターネットを通じて検索することができます。

 国立国会図書館が所蔵する内務省移管本の特徴は、多くの発禁本も含まれていることです。しかし、それらは一部を除いて基本的に副本ですから、検関原本(正本)で、検閲官の書き込み等があるものは相対的に少ないわけです。また、国立国会図書館で未所蔵のものもあり、そういうものは大学図書館や公共図書館等の所蔵を広く探すということになります。
 それから先ほど申しました、旧大橋図書館の蔵書にも留意する必要があります。そこには関東大震災後から戦時中までの18万冊が蔵書としてあり、現在、芝・増上寺に隣接する財団法人三康文化研究所三康図書館に引き継がれています。特に戦前の本を探す際には、この、旧大橋図書館本の調査は不可欠です。
 これらの蔵書は下表のように、いずれもコンピュータ目録を通じて検索が可能になっています。大学図書館にあるものは国立情報学研究所の総合目録(NACSIS Webcat)で便利に検索できます。
ただし、戦前の本を多く所蔵している早稲田大学図書館のように、この総合目録に参加していない大学図書館もありますので、その分は早稲田大学図書館のコンピュータ目録(WINE)などで別に調べることが必要となります。

国立国会図書館(NDL)総合目録ネットワークシステムは、都道府県立、政令指定都市立図書館と国立国会図書館が所蔵する和図書の総合目録(ゆにかねっと:http://unicanet.ndl.go.jp/)で、65館(2010年3月末現在)からデータ提供されておりますので、これらをご利用いただくこともお勧めいたします。
また、各都道府県内の公共図書館の所蔵については、都道府県ごとにOPACの横断検索システムのサービスが行われています。先ほどの三康図書館の所蔵は、同館のホームページにアクセスすることになります。

発禁本を国内でネットで探す
 
 また、公共図書館や大学図書館などの公的機関に所蔵されているものの中に、関連する特別コレクションが含まれている場合があります。
さまざまなテーマを極めたものも多く、私財をなげうって生涯をかけて関連資料を収集し続けた個人コレクションなど、先人の努力の成果を利用させていただくことができます。
それらの特色ある関連のコレクションのほんの一例としては次のようなものがあり、検閲原本ではありませんが、発禁本でも現存している、他になかなか発見できない資料を探すために役立つものになっています。

発禁本特別コレクションのいろいろ

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3-3.アメリカに渡った発禁本

 占領期にGHQによって接収されてアメリカに渡ったものの中には、内務省本のほか、旧満鉄本等が含まれます。
占領期の日本からワシントン文書センター(WDC)に運ばれ、そこから米国議会図書館(LC)に移管されています。
 いわゆるWDC図書コレクションは27万点あったといわれているのですが、一部は米国内の6大学へ移管されたり、また一部は廃棄されたりして、冊数は減少しているようです。WDC図書コレクションの大雑把な構成を、推測も含めて、下表にまとめました。

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

WBC図書コレクション  

  発禁本との関係では、米国議会図書館所蔵本に一部が含まれていることが知られていました。その一部が、既に国立国会図書館に返還されおり、国立国会図書館の請求記号に「特501」がつくグループとして1,062冊を閲覧することができます。

  この返還に際しては、国立国会図書館でも戦前期の内務省から移管された発禁本を所蔵しているという認識で、内務省刊行の『禁止単行本目録』に収録されている書名から個々に所蔵調査し、国立国会図書館で未所蔵のものだけを返還してもらうということになりました。
この『禁止単行本目録』は、取締当局によって明治期から昭和の戦中期まで、時期を追って分冊刊行されたもので、議会図書館の蔵書としてあったものを複製して調査に使用しましたが、現在はその大部分が複刻刊行されています。
議会図書館で、日本から未所蔵と通知されたものに、通知無しのものでも気づいた分を抜き出して加えて、マイクロフィルム撮影を行った上で、現物の返還が昭和51~53年(1976~78)に行われました。

  そこで、以上のような経緯であった結果、WDCから議会図書館に移管された発禁本のうち、特に検閲処分の痕跡のある内務省納本の正本で、検閲原本であったものが、そのまま議会図書館蔵書として現存しているということが、明らかになってきたというのが実情です。

  議会図書館には、「内務省警保局検閲コレクション」という資料群がありまして、その中の請求記号が「MOJ-75A」というグループが最大の注目の対象です。他に「翻訳コレクション」というグループもあり、この中にも発禁本が含まれているということで、この2つのコレクションが、海外にある発禁本コレクションとして、まず注目すべきものとなっています。
私は、2009年夏に議会図書館で正味19日間をかけ、まずは「MOJ-75A」のグループのすべてを現物調査してきました。

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3-4.内務省警保局検閲コレクション

 内務省警保局検閲コレクションは、議会図書館のオンライン目録で「Naimusho Keihokyoku censorship collection」と入力すると検索できます。
 この「MOJ75-A」の1,286冊を全部見ますと、その中で処分が有ったものが 1,027冊、そのほとんどに検閲とか処分の痕跡があります。
そして、既存の発禁本リストにも見当たらない88冊も、この中にはありました。また、日本国内で所蔵機関が確認できない136冊の現物も含まれていました。

 それから、昭和l5年(1940)7月以降の左翼出版物の遡及禁止処分の対象とされたもの289冊も含まれていました。
その多くに新たな「禁止処分可然哉」の書き込みがあり、これは当初の出版の時点では「不問」「参考」の扱いのものが内務省に保管されているのを、担当官が見直して再検閲の結果、改めて処分決定したことを示していると考えられます。
 そのほか、帝国図書館受入印のあるもの5冊も含まれていました。この中には例えば、岩波文庫版のジイド著『ソヴェト旅行記』があって、私が国立国会図書館でこの本を探した時には、欠けていた本でした。今回の調査でそれが出てきたわけで、「あっ!現存しているんだ!」と一種の感動を覚えました。

 米国議会図書館が所蔵しているこの「MOJ75-A」のグループは、議会図書館と国立国会図書館の共同プロジェクトとして、いまデジタル化の取り組みが始まっているところです。劣化が進行している資料も多いので、デジタル化によって資料保存が図られると同時に、それらのデジタル・データが日本国内でも閲覧できることになります。
 なによりも日本の出版文化財への国民のアクセスを保障する取り組みであり、大いに期待して完成を待っているところです。

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3-5.翻訳コレクション(戦前期の邦訳本)

  これも米国議会図書館にあるのですが、日本語に翻訳された本を、簡易目録を作成して大体テーマによってグループごとに整理している資料群です。その中に488冊の旧内務省の検閲の痕跡のあるもののグループがあって、この中には処分本も混在しているだろうと考えられました。
ともかく、まずは「MOJ75-A」のグループがデジタル・データで、日本国内でも見られることが必要ですけれど、いずれはこの翻訳コレクションの部分も日本国内で見られるような段階にしていただきたいと希望しているところです。

  議会図書館が所蔵しているものについて、おおよそ以上のようなことですが、そのほかの在米資料としては、戦後占領期の検閲本を所蔵しているメリーランド大学プランゲ文庫の中にも、旧内務省の蔵書が含まれていて、内務省の「永久保存」印が押してあるものが見当たるということをご報告しておきたいと思います。


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4.発禁本の現在を探して 小林多喜二著『蟹工船』の場合

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

蟹工船の禁止処分経緯 ここでは、「1冊の発禁本」について、一口に「現存しているものを探す」といっても、なかなか難しいということの一例として、小林多喜二著の『蟹工船』の例をご紹介させていただこうと思います。
『蟹工船』は、戦前期の発禁本として高名なもののひとつですが、いくつかの版が重ねられており、それぞれ内容に変更が加えられています。
 そのそれぞれについて、当局がどのように判断したか――発売頒布禁止の処分か削除の処分か、中には処分対象にならなかった版もある――を確認し、処分されたものが、どこに現存しているかを探すことになるということです。

 もともと『蟹工船』の初出は、雑誌の『戦旗』誌上に昭和4年(1929)5月号と6月号の2回に分けて掲載され、そのうちの6月号の分が雑誌を取り締まる新聞紙法に基づく発売頒布禁止処分を受けています。
この初出については、『定本小林多喜二全集』第4巻についている手塚英孝さんによる「解題』中に、「検閲への配慮から全編にわたって、字句の伏字がかなりおこなわれた」と紹介されています。
 その後、雑誌の出版社の戦旗社から、昭和4年9月に本の形で初めての出版が行われました。
それを含め、戦前期において、6つの出版社から11の版が、単行本の形や、他の作品との合冊の形や、全集の中に1編として収録される形で、刊行が重ねられました。それらを概観できるように作成したのが、お手元の一覧表です。

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

蟹工船出版の経緯   『蟹工船』が発禁本となる過程は、いわばホップ、ステップ、ジャンプの三段跳びのようであったようです。
 一覧表の最初、版⑴が本の形で出版された最初なのですが、これは「一九二八年三月十五日」「蟹工船」の作品2編を収録したもので、禁止になります。
その理由は「一九二八年三月十五日」が悪いからだということで、ですから、そもそもの当初は、禁止のターゲットが「蟹工船」ではなかったということなのです。
 次に版⑶を見てください。版⑴がホップだとすると、今度はステップに移ります。
版⑶は、版⑴の改訂版という位置づけですが、すぐに発売頒布禁止の処分を受けたことが当時の内務省刊行の目録に載っているので確認できます。
版⑶の内務省検閲原本が米国議会図書館に現存しており、今まで国内では見ることができなかったものです。

 その現物上に検閲担当官が残している書き込みを見ると、最終的に2月15日付で発売頒布禁止処分を受けているのですが、これはもともと2か所の削除を行えば出版できるという、削除処分の扱いであったにもかかわらず、出版社が指示どおりにしないので、結局、禁止処分となったという経過が明記されています。

 その書き込みのある表紙の写真が下図です。
その左側の(2)のところに手書きで「昭和五年二月十五日付決裁(削除命令ヲ遵奉セザルヲ以テ禁止)」とあります。
そして右の(1)の部分には、「削除処分モノ/第二十一頁「天皇陛下」ナル文字及ビ第一二三頁「献上品」ナル文字ト次頁ノ附随文字削除/昭和五年二月八日決裁」の手書きと担当者認押印が見られます。

蟹工船への書き込み"

 すなわち、21ページと123ページ以下の一部分を削除すればパスできるとされたものが、その指示を聞かなかったので結局、禁止になったことが分かります。
この経過はこれまでの関係文献には出ていない、初出の事実を示すものだと思います。
 それからちょっと謎めいているのですが、一覧表に版⑵とある出版物があって、内務省の検閲を受けないままに流布されたらしいものが存在していたことを示しています。この版⑵の「後記」には、雑誌『戦旗』での検閲事情が次のように述べられています。

――初版「蟹工船」は「蟹工船」と「一九二八年・三月一五日」の二篇をその内容としてゐた。共に「戦旗」誌上に発表されたものである。改訂版を発行するに当つて「一九二八年・三月一五日」はその全部を削除するの止むなきに至った。「三月一五日」そのものが、現在の検関制度治下では発売頒布を禁ぜられるものとなっている。兎も角、我々は「蟹工船」の再版を急いでゐる。簡単に右の事情を、読者諸君の前に明らかにして置くと共に、我々の真意がかゝる障害に逡巡して終るものではないことを附言する。――

 改訂版は、本来、出版法の条文に従えば、内務省に届け出なくてはならないのですが、これは届け出ないままに刊行したのでしょうね。
そして一覧表の版⑷に行きますと、これには検閲の痕跡がないというか、該当ページの一部分にあらかじめ×××の伏せ字を用いて出版されています。問題部分をあらかじめ伏せ字にすることによって、刊行時はそのままパスできたものと考えられます。

 次のジャンプに当たるのが、昭和7年(1932)刊行の版⑺の小林多喜二全集と、昭和8年(1933)刊行の版⑼の改造文庫版の禁止です。
 当時の取締当局側の月刊誌『出版警察報』に記載されている処分理由を引用しますと、「本書は「蟹工船」及「不在地主」の2編を含み、是等の小説は嚮(さき)に出版せられたる際不問に付せられたるものにして、且つ特に不穏なる箇所は多く伏宇を用ひて居るが、尚階級闘争を煽動し、且つ不敬に亘る点及昭和7年4月11日の記事差止事項に該当する記事あるを以て現下の社会情勢に鑑み今回新たに禁止処分に付せられたるものである」とあります。

 そしてジャンプの最終到達点が、昭和15年の左翼出版物一括禁止ということで、「蟹工船」という作品を収録している単行本や全集類で、それぞれの刊行時点では問題とされなかったものが、遡及して禁止の対象になったという経過です。
版⑻と版⑽がそれに該当します。

 さらに、戦時末期になって、版⑵、版⑹、版⑾が、地元警察署とのやり取りの結果、図書館において閲覧禁止の扱いとなったことにより、「蟹工船」という作品を含むすべての本が、公的には読者の眼前から抹殺されてしまったということになります。
なお、版⑷は、内務省納本(副本)が帝国図書館に交付された後、前述した乙部扱いとなって書庫に入れられ、初めから利用者が閲覧請求できない状態となっていました。

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5.まとめ

 私の以上のような経験からいっても、発禁本の現在を探すということはなかなか奥深いものだというのが実感です。

 その大きな理由としては、発禁本についての正確な書誌が存在していないことがあり、個々の書誌的事項を正確に記録することが今後とも大きな課題となります。 講座風景
 これまでの「発禁本研究」は、個人蔵書を基盤として行われていたように思います。
個人が私財を投じて発禁本を集め、それをもとに考察をまとめて発表がなされ、われわれはそれらから学ばせていただき、新たな研究や考究への契機が与えられることになったといえると思います。

 例えば、先駆者として有名な斎藤昌三さん、膨大な発禁本収集をなされた長尾桃郎さん、発禁本を広く収集して実証的な執筆活動を精力的に重ねられている城市郎さんはじめ、多くの先人の業績に、われわれは多くを学ばせていただいてきているわけです。

(注)参考文献
・斎藤昌三編『現代筆禍文献大年表』、粋古堂書店、1932、432p、23cm
複製版:『斎藤昌三全集』第2巻、八潮書店、1980.12、432p、22cm
・梶原正弘・沖野登編『近代日本における発禁本とその周辺探索:特輯』、大阪、浪速書林、1980.12、191p、26cm(浪速書林古書目録;第10号)
・別冊太陽『発禁本』、平凡社、1999-2002、全3冊、29cm――内容:1.城市郎コレクション(1999.7、296p);2.地下本の世界(2001.6、204p);3.主義・趣味・宗教(2002.2、295p)
・別冊太陽『城市郎の発禁本人生』、平凡社、2003、207p、29cm  

  そして今後のことですが、これまでの個人蔵書による研究にプラスして、公的蔵書、すなわち国の内外の図書館等の所蔵本を基盤とする研究が、多面的に行われることが期待できます。
 
  最近の成果としては、紅野謙介さんの『検閲と文学:1920年代の攻防』(河出書房新社、2009.10、219p、河出ブックス;004)があります。
また、米国ペンシルヴァニア州立大学で比較文学を講じているエイブル(Jonathan E. Abel)さんという研究者が、新しい角度から日本の検閲についての研究成果をまとめていらっしゃいます。
そして、中園裕さんが『新聞検閲制度運用論』(清文堂出版、2006.6、442p)を出版されておられます。この本では新聞・雑誌の検閲が扱われていますが、図書に関する研究にも大変に参考になる貴重な成果だと思います。

 戦前の発禁本については、図書館のコンピュータ目録(OPAC)を検索することにより、ネット上で所蔵や所在を調査することが容易になっています。
また、ネット上で内務省検閲の原本へのアクセスができる範囲が広がってくることも期待できます。風俗禁止関係のように書名のみが手がかりとして残っていても、現物が現存してはいないだろうと思われるものも多いわけですが、大雑把にいって戦前の安寧・風俗関係の発禁本の全体で約11,000点以上のうち、検閲原本とそれ以外も含めて、少なくとも約7,000点規模は、公的蔵書として、各所に現存しているだろうと、私は推測しています。

 今後の課題としては、戦前期の発禁本へのアクセスが誰にでも可能になるという状況を作ることだと思います。
ただし、それには前提がいくつかあって、まず戦前期の検閲関係の基本文書がより明らかになること、次に個々の発禁本に関する正確かつ詳細な書誌的事項が明らかになること、そしてその上で公的蔵書にその所在を確認できるということが、大きな課題になっていると思います。
 質問を頂戴したいと思いますので、以上とさせていただきます。詳しくは配布した資料をお読みになっていただきたく思います。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

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9.質疑応答

質問:アメリカと日本の検閲資料のお話でしたが、旧植民地、満州や朝鮮、その辺に同じような資料が残っている可能性はどうなのでしょうか?

応答:これから調査対象にすべき領域だと思っています。例えば、月刊の『出版警察報』という基礎資料が、現在も3号分が欠号になっています。処分に関する原通牒や『出版警察報』の欠号の分、さらには処分の対象になった本が旧植民地に残っていないかどうか、まず国内を探した上で、国外の調査にも今後取り組まなければならないと思っています。

質問:戦前は、パンフレット程度の出版物でも、納本の義務はあったのでしょうか?

応答:ありました。それからマッチのラベル(「燐票」と呼ばれていました)に至るまでです。印刷物という概念のものすべてが検閲の対象だったことがわかります。

質問:小林多喜二の『蟹工船』について、沢山の実例をご紹介いただいたのですが、その中で版⑵に新たな謎があると先程おっしゃいましたが、最初に掲載された雑誌『戦旗』の読者網というのはかなり組織されていたはずなので、初めから書店を通すのではなく、読者網を通じて流すことを目的にこの版は作られたのではないかという見解もあります。版⑶から版⑷にかけて、『蟹工船』は3万部から3万5000部くらい流布されたと言われておりますので、多分そういうことだったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
それともう一つ、図書館での閲覧禁止ということですが、私も大学に所属していて、そういう資料を見たことがあるのですが、地元の警察署や文部省からの通達が図書館に来ていて、それ該当する本があるとそれを届け出て、ガラス扉のケースに鍵をかけて、なおかつ検索用のカードケースの中から該当本のカードを抜き出して、その本を所蔵していることが分からないようにするという処置が取られていたそうです。
それは帝国図書館とか戦前の公共図書館でも同じような処置がとられたのでしょうか?

応答:最初の『戦旗』の読者網を通じた頒布というのはそういうことだったろうと思いますし、ご紹介をありがとうございました。
そして閲覧禁止・制限本については、戦時中のものだけではありません。
国立国会図書館で確認できる最も古い実例として、帝国図書館では大逆事件の際に大量のいわゆる社会主義文献をそう扱いました。
図書館の公開目録から所蔵記録を無くして、一般利用者には見ることができない状態にして、一方、現物は隔離して所蔵することだけは続けていたわけです。旧大橋図書館や、他の公共図書館の実例でもそうなっていました。
場合によっては地元の警察から「押収する」といわれたらしいですが、図書館としてはそれには抵抗して「閲覧には出さないで、厳重に保管する」という条件で、書庫に保存していたそうです。それらが戦後に閲覧できるようになったわけです。

質問:マッチのラベルまで納本義務があったというお話があった一方、『蟹工船』のお話では版⑵の場合とか、本来納本義務があったものが、結局納本しないでなんとか出してしまったということがあったように聞いたのですが、実際に納本の強制力というのはどのくらいあって、そこから逃れているものはどのくらいあるのでしょうか?

応答:私の印象では納本義務というのは絶対的なものだったと思います。
絶対的なものではあったが、そういう中でも逃れたものがあるということだろうと思います。
戦旗社の場合は雑誌『戦旗』の販売網を持っていたので、それを単行本の流布の際に、違法であるものの利用したのだろうと想像できます。
『戦旗』の編集者であった山田清三郎さんが戦後の懐古談として『プロレタリア文学風土記』と題する本を出版していますが、その中には、そこらの機微に触れる記述も出ております。
雑誌の場合、本とは別ルートの検閲ですが、弁護士の正木ひろしさんが『近きより』という個人雑誌を戦時中に出されていましたが、最新号ができてきたら直ぐ、当局が押さえに来る前に郵便局に事前にお願いしておいて発送してしまうというウルトラCを発揮していた、という話も後日談で知ることができます。

質問:雑誌と図書は違ったのですか?

応答:同じような検閲を受けたのですが、雑誌は、出版法による図書のように3日前までに納本という規定はなかったので、こういうことができたのでしょうね。

質問:遡及して禁止になったというお話がありましたが、個人所蔵の本で禁止されていなかった時に買った本を持っていて、その後遡って禁止になった本を、自宅に警察が来て見つかってしまったというような場合はどういいうことが起きたのですか?

応答:個人蔵書については図書館のように網羅的に取り締まられることは無かったのですが、実際には特定の人の下宿の本棚を調べられて、そういう本があるとその嫌疑が深まったり、本を没収されたりする扱いを受けたという記録が幾つか残っています。
また駅とか集会場とか多くの人達が集まる場所にはそういう本が置いていないかどうか、警察が定例的に調べに行って報告をしなければならないという手続きに関する記録もあります。
もちろん図書館も定期的ではないものの、監視の対象に入っていたという記録も残されています。

質問:図書館などは遡及して禁止された本の情報を知ることはできると思うのですが、当時個人はそういう情報をどうやって知ることができたのですか?

応答:図書館にとっても網羅的に知ることはできなかったようです。
例えば月刊の『東京堂月報』などには、この本は新たに禁止になったというような情報が収録されており、これらの流通目録などで部分的に知ることはできたようですが、図書館にも系統的には取締当局の情報が入ってきていなかったのです。
ですから、図書館は法律を遵守してやっているつもりでも、気づかずに発禁本を所蔵して閲覧に出しているような法律違反を犯してしまっているのは、社会教育機関として大変遺憾なことだと、当時の図書館関係の会議などでも問題になっていたという記録が残っています。
これらの事情については、配布資料に記載されている「図書館と読む自由」と題する拙稿に実例を載せておきましたので、後でお読みになってください。

質問:発行日の3日前に納本したということですが、例えばこんなに厚い本でも、検閲官は3日以内に読んだということですか? 
それから、そんな大変な仕事を内務省図書課では何千人のスタッフでやっていたのですか?

応答:最後のご質問は、前回の安野一之さんの講演のレジュメにきちんとまとめられていますので、読んでみてください。
納本の3日前ということは非常に厳格で、ある月の5日に発行するなら同月2日に納本するのでは駄目で、3日前を厳守して同月1日中に納本せよなどという詳しいマニュアルで関係者に対する周知が図られています。
そしてこの3日間で検閲官が処理し、禁止であれば発行日前に押さえたわけです。
そして印刷所の住所と責任者名も奥付に必ず明示することになっていましたから、そこにも手配したと思います。

司会:そろそろお時間が来てしまいました。質問はこれまでとさせていただきます。大滝先生ありがとうございました。(拍手)



文責:臼井良雄・大滝則忠
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:臼井良雄


本文はここまでです



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