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平成23年4月15日(金)神田雑学大学講演 NO546 

参加者全員の放談会




三上学長挨拶
3月11日の東日本震災の影響で、ちよだボランテアセンターの夜間の使用が出来なくなり神田雑学大学の活動を休止しておりましたが、昼間の2時に切り替えて再開の目処がつきました。

懇談会の様子

本日は再開の手始めに、参加者全員の放談会を企画しました。90分を参加者の数で割って、ひとり3分程度で、好きなことを話していただければと思います。 私は、いま学長と名乗っておりますが、別の名刺には雑学大学伝道師という肩書きがついていまして、雑学大学をやりたいという人が現れたら全国どこへでも指導にいくつもりでおります。みなさんのお知り合いで、そういう人がおられましたらご紹介ください。

山本重夫山本重夫
徳島県の生まれで、関東で45年関西で8年、現在は横浜に住んでいます。神田雑学大学を知った経緯は、東京オリンピックの前の頃、多分「智和会」と呼んでいた多様な趣味を語る一つの集団があり、この会は各種の趣味を持つ人間が集まってそれを披露(自漫)する会でもありました。

世界の島旅行や極地旅行など旅行趣味の人、東南アジアの民族衣装収集を趣味とする人、各種楽器の収集家、鉄道のマニア(現代流では乗り鉄や撮り鉄など)灯台・岬マニア(日本や世界の灯台写真を集めている、岬の先端で写真を撮る)、変わったところでは世界の缶詰ラベルを収集している人々がいました。

このような趣味の人野海に私も何回か参加した経験がありました。また、このような趣味の一つに「覚える・記憶する」ことを趣味とする人達がいました。この覚える・記憶は~この事象を知らなくても決して恥ではない(しらなくて当たり前)知っていたとしても日常役に立つことはない~といったものを対象とするものでありました。

私は転勤になって東京を離れたため、知和会のその後を知らず、最近になってこの会がどうなったかを調べているなかで、神田雑学大学の存在をしり、学長の三上さんに電話で入会をお願いした次第です。

趣味として古くから「旅行」「登山」「神社仏閣めぐり」「昭和の古い流行歌の歌詞集め」などですが、現在では殆んど過去形で表現するのが正しいような状況です。最近の心境と動向ですが、近年年をとるとともに記憶力が急速に弱まってきました。古くからの記憶の中にあるものが物忘れで失われ、また新しい物事を記憶することも従来より時間と労力が必要になってきました。

この「物忘れ」と「記憶力低下」に抗うために、その昔興味を持った「覚える・記憶する」を実践しています。最近では70歳すぎて、奥の細道の全文記憶を試み、大凡記憶できている状態ですが、少しでもトレーニングを怠ると思いだすことができない状態です。昔の覚えには「教育勅語」(古いでしょう)などがあります。

神田雑学大学への期待ですが、多様な人々の講演に期待するとともに、会員同士の交流をより活発に、そして会の交流もより活発になることを希望しております。

山之内昭彦山之内昭彦
この1~2年、毎回とはいきませんが殆んどの講義を楽しんできました。地震でどうなるかと思いましたが再開できてなによりでした。地震の当日、たまたま金曜日で雑学大学のある日でしたが、新宿の懐かしい武蔵野館で映画を見ようとしていました。そのとき、私は3階にいましたが、かなり揺れました。私も愚図なほうで外に出ようとしましたが腰が抜けたようで、数人の人と留まっていました。その間5、6分から10分ぐらいに感じました。

呆然として,ここでじたばたしても仕方がない、覚悟を決めるかと思ったら、やっとおさまりました。その後、テレビや新聞でいろいろ報道されるので少し冷静に状況を把握することが
できるようになりました。

大場勝大場勝
私は無学な人間でたいしたことはできないのですが、割合大きなことを考えています。家内などは呆れて相手にしてくれないような状態ですが、わたしが今取り組んでいることはサハラ砂漠の緑化という問題です。かいつまんでいいますと
(一)サハラ砂漠緑化の原点

1. 朝日新聞に今世紀末の流量予測ナイル川は14%増加とあり。
2. インドネシヤのバリ島は、島の頂上近くでも稲刈りの隣で、田植えの光景あり。
3. 栃木・群馬県の雷雨の源は日本海の両県の地上の水分がプラスである。
4. アフリカのナワクランドでは、雪解期間だけ砂漠が緑化する。
5. 晴天の日が多い香川県に、徳島県の吉野川の水を注ぎ、約2万トンあった溜池の
  70%が不要になった現実があり
6.エジプト政府は東京都ほどの面積を緑化しており、一部好採算はあるが今一歩の
  感あり。

(二)アスワンダム下流の水を平野に注ぎ、落雷・降雨を期待し,再揚水して隣の砂漠 
   に流す。サハラ砂漠全体の緑化が望め、人類の地球改造の道が開ける。

(三)香川の10倍プラス付随費用計3兆2750億円、明石大橋5兆、原子力空母
   3兆6000億円、であり地球改造資金と考えれば安い。

(四)組織は株式会社(特殊法人も可)として出資を募り、配当(開業前配当可)=
   借入(実日銀・特殊銀行も)・支払利息とすれば出資者の損益ゼロ。税金不要。
   財政赤字とは関係なし。(企業なので)

(五)工事の前の政治折衝は当然として、メリットは日・エ半々として、100年間
   賃貸等が考えられ農地・工場用地

(六)現在三角州地帯は地下水位対策の必要があり、付随費用として750億円。

(七)メリット 地球にやさしく温暖化防止、国民総参加型企画で士気高揚、雇用増
   で景気高揚、国産食料も。

梁川美恵子梁川美恵子
簡単に自己紹介させていただきます。私は東京生まれ、東京育ちです。
趣味は音楽と絵画鑑賞《これは若い頃20歳代のころです》今の趣味は海外旅行です。その中間が彫金金とバードカービングです。これは恥ずかしながら止めているに等しいです。
でも学校は一応美術学校を出ました。それから彫金学校は3年ぐらい通いました。
音楽は、あるオーケストラの1stバイオリンをやっていたこともあります。

美術館を建てたのは父が猛反対したのですが、古い家で沢山の作品を抱えて、先のことを考えるとどうしようもないので、父を何年がかりで説得し、姉と相談して家の跡に美術館を建てることにしたのです。兄弟は3人ですが、兄は東大の経済学部を出ているのに一切協力せず逃げてしまいました。やっと父もその気になって、家を全部取り壊し、近所のマンションに引っ越しして出来上がるのをひたすら待っておりました。が、運悪く完成を見ずして父は亡くなってしまいました。

でも父親の意志をついでなんとか姉と二人で開館に漕ぎつけました。昭和60年の事でした。地下にはこじんまりしたコンサートホールも作り,1階2階は展示室、3階は住まいで私ひとりで住んでおりました。でも音楽ホールの方は良かったのですが、場所が大道路から入った住宅地にあったものですから、お客さんの入りが少なくなんとか頑張りましたが平成元年、3年間で閉館しました。

それで多くの作品は父の出身地である函館に相談を持ちかけ、作品を寄贈し管理を委託することになりました。私は管理するという名目で毎年函館に行っております。あちらからも学芸員の方がお見えになられます。でも昨年はちょうど20年の見直しの節目の年になりましたので全部寄贈することになったのです。

まだ私の家にはいくらか作品は残っておりますが、これから更に今後の事を考え身の回りのものと同じく考えて整理していかねばなりません。パソコンのOutlook Explorerのほうで梁川剛一で引くと沢山出てきますのでお時間があったらおご覧になってください。なにかまたお聞きになりたいことがありましたら金曜日の雑大の日にお尋ねください。 

吉野健二芳野健二
こちらでは二度ほど、世界旅行記の話をさせていただいています。生まれも育ちも京都です。サラリーマンで鉄鋼メーカーでいろいろ転勤もしましたが、今回の地震で被害の多かった釜石に3年ほどいたことがあります。娘も釜石生まれで非常に愛着をもっております。

多くの友人や知人がおりますが最初の2~3日は殆んど連絡がとることができませんでした。最近気がついたことを2、3メモにしてみました。新聞を隅から隅まで読んで、私なりの結論めいたものを申し上げンすと人工物に頼らない。

自然と寄り添う。身の丈にあった生活をする。これは、やや口はばったいのですが60過ぎリタイアして,大体この方針でやってきたということが出来ます。なるだけ少年時代に戻ってみよう。自分が10歳、20歳のとき戻ってみようという考えで、この10年やってきました。

私は昭和15年生まれですから10歳のときは昭和25年、20歳のときは昭和35年ですから、その時の状況を思い出してみれば、いまの生活がいかに無駄が多いかよくわかります。機会があって世界のいろいろな国を訪れてみましたが、いってみればアメリカと日本が異常なんだといえると思います。先進国といわれるヨーロッパでさえ、非常にモデレートな地味で控え目な生活をしています。アフリカやアジアでも、そとから見ると非常に貧しいのですが、住んでいる人は決して自分たちが不幸だと思っていません。わたしも、これから先、こんな考えで生きていこうと思っています。

穐田豊穐田 豊
私の名前はちょっと難しいのですが、のぎ遍に亀と書いてカメと呼びます。歌舞伎に詳しい方はおわかりでしょうが千秋楽の案内に出てきます。よろしくお願いします。私は1927年の生まれで、仕事は今二つしています。今日も仕事を途中で抜け出してきたのですが、動いているのでなんとか健康を保っています。 健康のことで、私は最近、細胞の検査をしてきました。これはドクターもあまりよく知らないのですが健康の根源は細胞にあり、年をとるにしたがって細胞にサビがたまると元気がなくなるということです。

以前からやろうと思っていたのですが、時間と保険がきかないので費用の問題があって躊躇していたのですが思い切ってやってみました。結果は6割にサビがあってあと4割頑張らないと健康にはならにといわれました。普段からたべものとか運動には気をつけているのですが、先生から「あなたは癌の兆候はでていないから頑張りなさい」といわれました。

佐藤俊雄佐藤俊雄
私が雑学大学に入学したのは、新聞でみた記事で、たまたま三上さんのことが載っていましたので是非参加しようと思ったからです。私は東京の下谷の生まれで戦争中は小学校六年のとき学童疎開で、上野の忍ばずの池の近くにあった学校から福島県の磐梯山の近くに行きました。昭和20年3月のB29が300機来た大空襲にで焼けだされ東大の霊安室に逃げ込みました。

今回の3月11日は、たまたま雑学大学のある金曜日でしたが、たまたま地下鉄に乗っていて地震にあいました。電車の中でしたのでひどい揺れは感じませんでしたが、地上にでてみると全ての交通はストップで被害の大きさを実感しました。ただ空襲のときな悲惨な情景が頭に焼きついていますので、命がけで逃げた体験にくらべれば、これくらいのことはなんでもないという気持ちでバスを待ちました。神田雑学大学の他に野草を楽しむ会というのに入って楽しんでいます。

百瀬千春百瀬千春
今日はじめて参加させていただきました。趣味のことを話します。今回地震のことで停電とか節電のことがいわれていますが、趣味は山登りなんです。自然の中でくらしているので電気を使わないという生活には慣れています。家ではベランダにテントをはって寝袋で寝ています。涼しいし夜景も見えるし、魚を焼くときは七輪で炭を使って焼いています。

七輪はとても温かいので一昼夜は持ちます。水を貯めているので、お風呂に入るときはペットボトルにいれて湯たんぽにしたりしています。

私達は20キロから30キロの荷物を担いで小屋に泊らずに過ごすので、自分に必要なもの、必要でないものを仕分けて水は2泊3日で4リットルほど準備します。ですから自分は一日にどれくらいの水を必要とするかが頭に入れて生活しています。今回のことでも、そんなに慌てることはなく懐中電灯がなくても水をつかって電気をおこすとか、汚い水でも飲料水に変える薬品など東急ハンズに行けば売っています。

温かい洋服もありますし、そんなに困ることなく過ごせると思います。皆さん、物のない時代に生きたという体験がおありで、それを若い人達に教えていただければ、そんなにうろたえることはないと思います。山登りでは土地と雲と風を見るんです。そのなかで自分がどのような立場にいるかがわかります。これからもいろんなことを教えてもらいたいと思います。

橋本 曜橋本 曜
私がこの会に入って11年になりますが、3回目からの講演は殆んど聞いています。これまでの5百数十回の講演のなかで記憶に残るものが百ほどあります。その中で特に記憶にのこっているものを二つ挙げますと、一つはアルメニヤの話をした中村さんの話が印象てきでした。

アルメニヤ人の奥さんが作ってくれたアルメニヤの料理を食べながら話をききまひたが、アルメニヤはキリスト教国でありながら神様がほかにたくさんいるのだそうです。 キリスト教は一神教ですから、ほかにいない筈なのに居るのだそうです。

アルメニヤってご存知でしょうか。トルコの隣で黒海に面した、つまり文化がここから入ってくるんですね。それでほかの神様も入ってきたのだと思います。もうひとつはたばたさんと云う方が、木の文化・石の文化という話をされて、我々日本人は木の文化に慣らされていますが、西洋は一般的に石の文化で、単位は三百年単位で考えていまうが、木の文化は三十年ほどで考えています。

それを聞いて、なるほどそうだったのかと改めて感心しました。最近、日本の文化というのも外国で評価されだして、特にフランスあたりでは研究がさかんなようです。たまたま最近フランスの大統領が来日しましたが、これは原発事故についての協力申し入れのことが主目的であったにせよ、今後いろいろな面で日本文化を紹介する機会が増えていけばいいなと考えています。

今村 猛今村 猛
今年の1月に入会させていただきました。新参者ですので自己紹介させていただきます。生まれは新潟県の魚沼市です。今千葉県の松戸市で会計事務所をやっています。趣味は将棋、クラシック音楽などですが、どれもたいしたことありません。還暦を過ぎるころから何故か学問に目覚めまして会計のことについて、いくつか雑誌にも掲載してもらいましたし本も書いています。

100年後とはいいませんか30年後、50年後にも評価される本を書きたいとおもっています。まあ宝くじにあたるより、確率は高いかと思っています。平平凡凡になるより、何かの知識を身につけたいと思って入会させていただきました。よろしくお願いします。

大貫いち子大貫いち子
茨城県の古河市というところで生まれ育っています。今住んでいるのは栃木県の南端の野木町というところですが、そこが茨城県と栃木県と栗橋の埼玉県と、館林、岩舟にも近い五県ののようなところです。先日の地震のときは、ちょうど栃木県の佐野市というところにいて、少し山の方まで車で入っていました。地震の時はハンドルがとられてタイヤがパンクしたのかと思いました。

前の車も後ろの車もすごく揺れていたので、私は大病して杖をついているのですが、それを置いて電柱や鉄塔のない畑のなかに逃げました。他の人にとっては歩いているようにみえたかも知れませんが私にとっては駆けたのです。畑の上なら安全と思って駆けたのですが、いまから考えると、なぜ杖もなく駆けれたのかと不思議に思います。

早坂光平


早坂光平
今日、ほかの行事と重なったもので半分ずつ出るということで遅れてきました。
私は盛岡の生まれで無口で控え目な男であります。今日は特にお話することはありません、



鈴木一郎鈴木一郎
鈴木一郎と申します。私は日立製作所に入社して、原子力研究所の近くに最初の家作ったので、今回の地震は身につまされた気持ちです。

力学の慣性の法則とうのがありますが、人間の気持ちにも、よくあてはまる法則でして、私はここにいる三上さんと一緒に神田雑学大学を立ち上げたのですが、その金曜日の、会社が終わってひといきついてから少し勉強して、その後で一杯やろうという趣旨で、最初は飲み会つきでやっていたのですが、最近になって、全く現役の感揚げの考えであったことに、最近気がつきました。

私はつい一年ほど前胸椎を患いまして歩くことが出来なくなりましたが、最近は杖を持って、なんとか歩けるようになりましたが午後6時開演ですとラッシュの電車にも乗れませんし、帰りの時間も気になって出席し難ったのですが、午後2時からだと非常に好都合です。

吉祥寺の神田雑学大学の本店があって、阪神大震災の前後でしたが、そこで「ネッ 探偵の優雅な一日 」というタイトルでお話をしたことがあります。そのとき、こんな地震はもう経験することはないだろうと思っていましたが、現実に起こってしまいました。身体を鍛えることで話もし胸椎を痛めることなど、無いだろうと思っていたのに患ってしまいました。

得猪外明得猪外明
地震のとき、たまたま国会図書館でちょっとしたことを調べていました。とりあえず外にでたら案の定電車は全部とまっています。帰宅難民になることは分っていたのですが東西南北の感覚がわからないのです。新宿にでても無駄だと思って、おまわりさんに教えてもらって皇居の前に出ました。

当日雑学大学の講演がある筈だった千代田図書館にいったら早々と閉館になっており、やむを得ずここのボランテアセンターにやってきました。たまたま他の団体が行事で来ていた人が5~6人おり、そこで夜明かしすることに決めました。他のグループが用意していた料理が山のようにあり、近所からワインなど買ってきてテレビを見ながら恵まれた難民でした。

趣味の話ですが、長年にわとりの鳴き声の収集をやっています。最近受けたカルチャーショックでベトナム人に聞いた鶏の鳴き声は○を三つ書いておわりです。(もっとも短い髭のような記号が二つついていますが)これがコケコッコーで発音ウ―ウーウーというのだそうです。中国人に聞いたら漢字で(あたりまえですが)喔(ウ―)です。同じ音が民族によって違って聞こえるということが興味を持った原点です。これが発展して日本語はどうして出来たか、日本人はどこから来たか、何故人間だけがことばを持っているのかと疑問が拡大してとめどなく範囲が広がってきました。

三上卓治三上卓治
私は青森県板柳町出身ですが、私の兄嫁が93歳でなくなって、そのお葬式がありました。私は7人兄弟の末っ子ですが兄嫁は長男のお嫁さんです。とてもきれいな人で、私が小学校6年生ごろの時に、暗幕を使ったカメラで写真をとったりしていたのですが、あまりの美しさにシャッターが切れなかった思いでがあります。

身体が弱かったにもかかわらず93歳まで長寿を保ったひとでした。その人のお通夜は息子が商工会議所の会長をやったりして名士だったので、盛大に行なわれましたが、退屈な御経や説法を聞いているうちに、喪主からお前に会いたいという人がいる、といわれて行ってみると、かなり御老齢できれいなおばあちゃんで気品のある人でした。

私に挨拶して「わたしを覚えておられますか」といわれました。実は私はこの人にラブレターを出したことがあるのです。そのラブレターをわたし60年間持っていましたとわれたのです。61年に旦那にみつかって破り捨てたそうです。お通夜の晩なのに、私はなにかほのぼのした気持ちになりました。

中台 昭中台 昭
新聞を見て、毎日のように福島の原発事故の様子が報道されるのに胸が痛みます。かって東京電力のご招待で福島を見て、宮城県の東北電の男女川電発を見学したので、その時は東京電力の車内で東京電力の人がさかんに「原発は安心よ」と強調されましたが、周辺はなにもない所に関わらず東京電力が立派な道路が作り、たくさんの固定資産税を納めている旨説明がありました。

現地の人も、そこでかなり雇用され地域振興に役だっていること、草ぼうぼうの原野にサッカ―場を8面ほど作り、土地の人にタダで使ってもらい、宿泊設備も作って泊りがけで利用してもらっているとのことでした。いいことばかりで地震があるまで東京電力は素晴らしい会社だと思っておりました。のれから男女川へ行きましたが、そこは崖の上で、津波の話はひとこともでませんでした。

使った水もきれいにして海に流され、近くに餌をまくと魚がよってくる状態で、これを食用にしているとのことでした。新聞をみると、この復興にざっと4兆円かかるといわれています。一口に4兆円といいますが、おととしの民主党が公約したこども手当は5兆円かかりますが、そのうち2兆円は扶養家族手当をやめたりしてねん出していますので実質3兆円ぐらいの出費になります。

私は神田で税理士をやっていますが、かって美智子妃殿下の実家が相続税を納められなくて不動産を物納され、それを東京都が買い上げて今、公園になっています。昭和天皇がお亡くなりになった際税金が問題になったのですが皇居や三種の神器は国有財産ですから税金はかかりません。ただ個人の動産は相続税の対象になりますがその評価は1兆3千億円ぐらいだったそうです。民主党が財源もないのに三兆円もかかる子供手当に拘っているのか理解できません。

了 



文責:得猪外明
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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