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神田雑学大学 講演抄録 第555回 平成23年6月24日


    講義名 からゆきさん−教科書が教えないもう一つの日本史―


講師名 大場 昇

 

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はじめに

1.からゆきさんの歴史的な意味

2.からゆきさんの今日的意味

3.からゆきさんの示唆する将来的意味




講師 大場 昇さん

はじめに

 みなさん「からゆきさん」というとどんなことを想像されるでしょうか。 いまの若い人達は殆んど知らないのですが、からゆきさん(唐行きさん)とは、19世紀後半から、東アジア・東南アジアに渡って娼婦として働いた日本人女性のことです。




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1.からゆきさんの歴史的な意味

1.からゆきさんの意味?
 唐行き、の漢字をあてます。からゆきさんを多く出した長崎県の島原地方、熊本県の天草地方などに関係があるようです。かっての日本では外国といったらひっくるめて唐(中国のこと)天竺(インドおこと)と呼んでいたので、外国へ行くことは“唐行き”だったのです。

ただ当時は“からゆきさん”という言い方はされず醜業婦、賤業婦、密航婦、島原族、天草女などと新聞や本には出ています。娘子軍(じょうしぐん)といわれることもあります。(もともとは、女の軍隊の意味です)世界無宿、と呼ぶ人もいます。からゆきさんをもじって“ジャパゆきさん”がうまれました。

2.いつ?
 江戸時代の末期から明治・大正・昭和の初め頃までの話しです。

3.どんな仕事?
ほぼ世界中といっても大げさでない程,各国の娼館で働いていました。 からゆきさんとして有名だった北川サキの、大正中期から昭和初期のボルネオの例では、娼婦の取り分は50%だった。「返す気があってせっせと働けば、それでも毎月百円ぐらいずつ返せたよ」という。 普段の客はさほど多くないが港に船が入ったときが、どの娼館も満員で、一番ひどい時には一晩に30人の客をとったという。一泊10円。泊りなしで2円。  

4.だまされたの?
 一番多いのは、だまされて売られたケースでしょう。女衒(ぜげん)と呼ばれた人商人(ひとあきんど)(人買い人売りを業とする物)に「シンガッパ(シンガポール)のホテル奉公は大きなゼニになるぜ」などとことば巧みにだまされたのです。

そして外国の貨物船の船員などとグルになって、下関や門司、長崎や口之津、あるいは神戸、横浜や清水の港などから密航させたのです。それにかかった費用と称して、当時のお金でおよそ500円ぐらいを本人の借金とさせたのです。

それを返すために、売られていった地でどうしても稼ぎをしなければならなかったのです。ちなみに、今も密入国や偽造のパスポートで日本へやってくるジャパゆきさん(男も含めて)たちは同じ額ぐらいの手数料を払っているようです。次に、自分の意思で渡った人も少なくありません。

同じ村の知り合いや親戚に連れだされたり、大金を手にして着飾って帰ってくる成功したからゆきさんを目のあたりにして「あたしも」と自分の一存で決める者もいました。ことに島原・天草でそういう話を聞きます。  

5.なぜ、そんな仕事を?
まず第一に貧困です。当時の日本は貧しい人が多く,カネを稼ぐために娘たちがあてにされました。また、日本には室町時代から続く公娼制度(女性を廓に閉じ込める管理売春)があり、親が娘を売って、受け取った金で生計をたてていく風景は珍しくなかったのです。国が、そういう権限を親に認めていました。家や親兄弟のために苦界に身を沈める娘は親孝行、と世間はみるのが普通でした。からゆきさんの場合は、稼ぐ場所がたまたま国の外であったということです。

6.どこの縣の人が多いの?
受講生の皆さん 全国各地からでましたが、特に西日本に多く、海に面している地域に目立つようです。なかでも島原や天草からは沢山出ていきました。このあたりは唐天竺(からてんじく)に向けて海が広がり、古(いにしえ)より唐人(とうじん)、南蛮人(なんばんじん)紅毛人と異国からの船が行き来し“異人歓待”の風が生まれてきたようです。海を渡ることを恐れない気風が生まれてきたのです。海は“終わり”ではなく“始まり”にしたのです。距離的にも、東京へ出るより上海の方が近いぐらいなのです。

7.世界の各国でどんな風に思われていたの?
異国人相手の仕事だったので、異国人に語ってもらってみよう。「日本の女は従順で正直で親切だ。外人の女のように悪辣な取引をしない」「日本娘は第一にあきらめが良く淡白だ。第二に金をむさぼらぬ。第三に盗心がない。第四に親切だ」とロシアの青年たちが石光真清に言ったそうです。

陸軍の密偵だった真清は,日露戦争の陰でひっそりと咲くからゆきさんを「曠野の花」という本に描き、平成10年にはNHKでドラマ化されました。同じ舞台のシベリアはブラゴヴェシチェンスクという街で、親日家として知られるチェーホフはからゆきさんと一夜を共にしました。「絶えず笑みをうかべている。笑いながら、口ずさみながら・・・」と知人への手紙にあります。作家が登場したのでもう一人、サマセット・モームの作品を見て見よう。

「ニ―ルマックアダム」はシンガポールが舞台です。ニッポンムスメの描写があります。「目元にはにこやかな笑みが溢れ、彼女らは部屋に入るとまず、低く頭をさげ、それから行儀よく鄭重な挨拶の言葉を囁いた」実によく気が利いて、と書いています。ほんの数例だが、こういう話から受けるイメージは、貧しい家に生まれ、騙されて売り飛ばされた醜業婦人――という連想とはちょっと違う部分もあるのではないでしょうか。

8.家族とは連絡がついていたの?
家への仕送りができていた娘は勿論消息がつかめていたが、ある日突然いなくなって、送金どころか生死さえ分らない娘も少なくなかったのです。またからゆきさんの多くは貧しい家庭に育ち、満足に小学校にも通えなかったので、読み書きは出来ないし、できてもひらがなとカタカナだけというケースが大半で、手紙のやりとりは難しいのが一般的でした。

“中戻り”といってゆとりが出来てからは、からゆきさんの中には、国をでて10年後、あるいは20年後に郷里に一度帰る者もおりました。家を修理し、墓を建て、小学校やお寺に寄付をしたりして、再び売られた先へ舞い戻っていくのでした。 

9.外国のことばは話せたの?
著書の世界無宿の女たちの本を見ながら講演をされている大場 昇さん 自分が売られていった先の国の言葉を覚えないと娼売にならないので、覚えようと務めたに違いありません。13、4〜17、8歳ぐらいで売られた娘が多いので、わりと早く言葉を身につけたようです。しかも、各地を転々とするケースも少なくなかったので、いろんな国や民族のことばに通ずる者もいました。

太平洋戦争で日本軍が東南アジアの各地に攻め込んでいった際、老からゆきさんたちが通訳にかりだされた話はあちこちに残っています。白人が娼館の前を通りかかると、「カミンサ―」と声をかけました。“Come in,sir”のからゆきなまりです。そこから彼女たちは“カミンサ―”というニックネームをもらいました。

10.どんな暮らしぶりだったの?
娼館での日常生活は、基本的に日本と同じでした。食べるものも、着るものも可能な限り日本風でした。その要求にこたえるために、いろんな商売の男たちが次々に海を渡りました。“女の財産は着物”の時代だったので、呉服屋などは有卦に入っていたのです。

明治の世になって、まず国を飛び出していったからゆきさん。それを追っかけておとこからゆきともいわれる男たちが一旗あげようと出ていったのです。日清、日露の戦役のとき軍艦や大砲などの、少なくない部分がからゆきさんからの仕送りで賄われた、というのはあれこれの本に見かける説です。  


私が各国に散らばる日本人墓地にあるからゆきさんの墓を調べて、一体いくつぐらいで亡くなったんだろうと平均寿命を出してみたら21.6歳でした。これは昔ふうの“数え”の歳であって、今風の“満”の数え方でいくと20歳ぐになります。半分ははたちそこそこで死んでいってることになります。

売られて4,5年でマラリヤなどの風土病、性病、肺病,阿片などで若い命を散らしていったのです。故国の家族は命日を知ることもなかったでしょう。仕送りがこなくなると、何かあったのでは、と案じるだけだったでしょう。 日本人墓地に墓を建ててもらったからゆきさんは、私の考えでは100人に一人、多くて二人くらいのものだったでしょう。

ほとんどはそこいらで焼いて埋めるか、海や密林に放り投げるか、だったといいます。まだ息はあるのにワニのえさに売られた娘も少なくない、と語った人もいます。身請けされて、現地人や中国人、あるいは白人の妻となったり、セカンドワイフにおさまったりする者もたくさんいました。日本人同士で所帯をもった者もいました。

太平洋戦争のはじまりと同時に日本に戻された者も多いのですが、戦中・戦後も異国にあって,誰しらずひっそりと世を去るからゆきさんも多くいました。現在ではどの国にも、生存しているからゆきさんはいないと思われます。



2.からゆきさんの今日的意味

1.貨幣経済の浸透で現金がなければ生きていけない。即ち人は(金)の高い方へ流れるということです。相違点はジャパゆきさんは生きて帰る、自分の意志で出国する、家族との連絡がついているということです。

たとえばロシア。ウクライナあたりの女性は金めあてに日本にやってきます。現地は貧しくて仕事もないからです。同じことが中国東北地方の貧しい女性がでかせぎで都市にでてくるのと同じです。

2.日本の風俗業・援助交際との比較では共通点は現金です。相違点と云えば自分の意志でこの世界に飛び込むこと、周囲の人はそれを知らないということです。

3.アジアの中には現代のからゆきさんもいます。例えばネパールのタマン族の少女 たちは大勢インドの公娼窟に売られてきて、殆んど金を貯めることもできず、何年かたつと故郷へ帰っていきます。シンガポール周辺の島々の女性も、貧しいがゆえに今も都に働きにきています。これは現代て的な問題でもあります、とにかく彼女らの出身地には現金収入の道がないのです。



3.からゆきさんの示唆する将来的意味

1. (差別)→貧困→教育→職業→貧困→教育―職業 からゆきさん、ジャパゆきさん共通の問題として貧困があります。貧困なるゆえに教育を受けさすことが出来ない→いい職業に就けない→結局身体ひとつで稼げる職業につかざるをえないという宿命的なものがあります。 日本も総中流意識から格差社会にかわりつつあり、中国でも共産党一党支配のなか驚くほどの格差社会がうまれています。

2.この貧困が無くならない限り国際間格差は広がって行き、先進国と後進国に二局化はなくならないでしょう。アジアだけで年間200万人が娼婦になっているとい言われます。ユニセフ発表では自宅に帰れないストリートチルドレンが一億人以上といわれています。絶えない、からゆきさん問題を考えると、人間は本当に平等なのか、自由なのかと考えさせられます。

大場 昇さんの著書「世界無宿の女たち」

資料
   1.「世界無宿の女たち」大場昇 文藝春秋  「からゆきさん」森崎和江
   2.「マレ―蘭印紀行」金子光晴  「廣野の花」石光真清
   3.HP「からゆきさんの小部屋」 www.karayukisan.jp
                                
完了 


文責:得猪 外明  写真撮影:橋本 曜  HTML制作:上野 治子
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