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平成23年7月8日 神田雑学大学定例講座N0558


恐竜研究の曙 女化石やメアリー・アニング


目次
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メニューの先頭です 1.はじめに 恐竜の雑学
2.私とメアリー・アニング
3.メアリー・アニングはどんな人?
4.メアリー・アニングの活動
5.どんな化石をメアリー・アニングは見つけ、それはどこにあるのか
6.メアリー・アニングの凄さ
7.参考文献



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1.はじめに 恐竜の雑学

   今日は恐竜研究というお題をいただきましたので、最初恐竜の雑学を少しお話しして、それからメアリー・アニングの話に入りたいと思います。
マメンティサウルス模型 恐竜とは何か、ここに恐竜の模型がございますが、なかなか恰好いいでしょう。
これは1988年にロンドンの自然史博物館に行って、中国の恐竜の展覧会を見たときに買ってきたものです。精密な模型で百分の一になっています。
これは長さが19m マメンティサウルスという中国で出た恐竜で、マメンティという谷間があるのですが、そこから出たのでマメンティサウルスと言われています。
色が塗られていますが、恐竜の色はわからないので何色でもいいのです。だからこういう色です。ですからピンクの恐竜でもいいのです。なぜならピンクでないという証拠もないのです。(笑い)

 恐竜は学名でダイノサウルス(Dinosaurus)。ラテン語でダイノは恐いという意味です。ザウルスは竜ですから、恐竜という訳はかなりいい訳だと思います。
矢島講師が板書した恐竜の語源  このDinosaurusという言葉を作ったのは。リチャード・オーウェンという人物で、チャールズ・ダーウィンの学問上の敵だった人です。
これが英語になりますとuが無くなって複数形でdinosaur(s)となります。ですから英語では単数ではダイナソウと発音をします。
この恐竜をオーウェンは「絶滅した大型の陸に棲む爬虫類」と定義しました。
そのおかげで、恐竜はこういう4つ足で歩く大きなものとこういう風に尾を上げて前脚は小さく後脚2本で立って歩くものの2種類になります。

 陸に棲むと定義したものですから、幻のネッシーみたいに首を水面から出して泳ぐ首長竜Plesiosaurusの仲間や、いるかにそっくりの泳ぐ魚竜Ichthyosaurus、空を飛ぶ翼竜Pterosaurusは恐竜ではないのです。
日本で見る恐竜図鑑にはみんな載っていますが、すべて爬虫類ですが学名ダイナサウルス(恐竜)ではないのです。

 たぶんオーウェンはこんなにみんなが恐竜大好きの時代が来るなんて想像もしていなかったので、当時わかっていたこの2種類を恐竜にしたのでしょう。
首長竜のTシャツを見せる矢島講師 そのあとアメリカの砂漠から凄い量の恐竜の化石が出、そして中国のゴビ砂漠からも沢山出て、それから恐竜の大騒ぎになりました。

 日本の恐竜は1978年まではいないとされていました。樺太には日本竜という4つ脚の恐竜が出ていたのですがね。
今日はこんなTシャツを着てきました。これはなんだと思います?
これは恐竜でも魚竜でもなくて首長竜です。これが日本にもいたことが分かってきました。
今回地震に遭いました双葉町からフタバスズキ竜と名付けられた首長竜の化石が出ました。

 恐竜は陸に棲む動物です。しかし中生代の陸の地層は日本にはほとんどありません。あっても地震などで地層がぐしゃぐしゃになってしまっています。
それでずっと長い間恐竜は日本にはいないとされていたのですが、1978年に突然発見されたのです。
発見なさったのは私のミジンコ研究の先生です。
宮古のちょっと北に茂師(もし)というところがあるのですが、ここは化石がたくさん出るところです。ですから日本の化石の研究者は必ずそこに行くのです。私も行きました。でも誰も恐竜を発見しなかったのです。

 茂師(もし)のどこで恐竜が発見されたかといいますと、茂師(もし)で一番大きな旅館の裏の崖からです。
化石の研究者はみんなこの旅館に泊まるのです。そこのお手洗いがあって、そこに立っていると、窓の向こうに崖が見えるのですが、その崖から出てきたのです。(笑い)
私も学生時代から見ていましたが誰も気が付かなかった。
その崖がだんだん崩れてきてその化石はますます露出してきたのです。
茂師(もし)竜と名付けられたのですが、それはマメンチサウルスによく似たタイプの恐竜でした。

 1978年私は研究室で電話当番をしていたら、電話がリーンと鳴って、「おめでとうございます」と言われたんです。それで先生は一躍有名になりました。
 面白いもので、出ないと思われていたときは出ないのですが、ここで出たということが知られてからは色々なところで発見されるようになりました。群馬も出てる、九州も出てる、丹波も出ています。
まあ現実には発見するのは大変で一山さらって、こんなちっぽけな骨のかけらが一つ発見されるというたぐいの話です。でも出ると大騒ぎになるのです。
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2.私とメアリー・アニング

 さてメアリー・アニングの話です。
「恐竜研究の曙」と副題をつけましたが、メアリーは残念ながらこの恐竜は発見しておりません。
魚竜と首長竜と翼竜の化石をたくさん発見しています。
吉川惣司・矢島道子共著『メアリー・アニングの冒険』 私はメアリー・アニングのことを、今日の講座に来ていただいてそこに座っていらっしゃる吉川惣司さんと一緒に書いて本にしたのですが、発売するにあたって悩みました。
メアリー・アニングは恐竜を発見していない。しかし恐竜というタイトルがないと本は売れない。
それで「恐竜学を開いた女」として恐竜は発見していないが、恐竜への道は作った人ということにしたのです。

 何度も言いますが私はミジンコの化石の研究を大学時代からずっと続けています。
世の中の人は化石というと恐竜だと思っている。でも私は小さなミジンコの化石が面白い。
それで私は、恐竜は敵であるとずっと思っていまして、恐竜のことは全然勉強しないし興味も持たないで来ました。
ところがある時期ミジンコの化石の研究でちょっと行きづまりまして、「ミジンコ化石の研究の歴史の研究」に方向をチェンジしたのです。

 そしてヒルゲンドルフという明治のお雇い外国人を調べ始めたのです。
それはミジンコの仲間の海ほたるにヒルゲンドルフという名前が付いていたからです。
調べているうちに、彼が日本で最初に森鴎外などに進化論の授業をしていたということを発見しました。
それまでの定説は大森貝塚を発見したモースが日本で最初の進化論を講義した人と言われてきましたが、私が森鴎外のノートなどを調べていて発見したのです。

 この調査をもとに、ヒルゲンドルフが日本で集めた生き物の標本を里帰りさせて、日本で展覧会をやりました。
その展示には今の天皇皇后両陛下も見に来ていただくなど驚きもありましたが、その話は別として、その展覧会用に解説ビデオを作りました。
9分くらいのビデオで100万円かかったのですが、そのシナリオを書いてくださったのが吉川惣司さんというプロのシナリオライターだったのです。それで吉川さんとのお付き合いが始まりました。

 1997年に私はイギリスに行くチャンスがありまして、その時吉川惣司さんはすでにメアリー・アニングに興味を持っていろいろ調べておられました。
 恐竜に興味がなかった私が1997年に吉川さんから知らされたのは、メアリー・アニングはほんの10歳くらいの時に、恐竜の、本当は恐竜ではなく魚竜なのですが、その化石を発見した少女だったということでした。
吉川さんはアニメーションのシナリオも作っていらっしゃいますから、心ひそかにメアリー・アニングのアニメーションを作りたいと思って調査をしていたのです。
そして私がイギリスに行くといいましたら、吉川さんが頼むからメアリー・アニングに関係するものがあったら何でもいいから調べてきて貰えないかと言われたのです。
97年の時点ではメアリー・アニングについてはほとんど知られておりませんで、小さい女の子が恐竜を見つけたという話だけがあったのです。

 それでイギリスへ行きました。97年の国際会議はイギリスの有名な化石学者の生誕200年という記念もありたくさんの人が集まりました。
その会議の途中でフィールドに見学旅行に出かけました。
ロンドンから南へどんどん行くのですが、フィールドといっても泥んこのぐちゃぐちゃの見学旅行だったのですが、フィールドで説明を聞いているうちに、どうして言ったのか分らないのですが、私が突然「ここにメアリー・アニングは化石を採りに来ていますか?」と質問したのです。
そうしたら説明していた学者の方が目を丸くして吃驚してしまって、「メアリー・アニングに興味があるんですか?」と聞かれたのです。

 そして「自分はメアリー・アニングについて長い間研究をしている。そしていま論文を書いたばかりだ。」と言うんです。
それでその論文を送るからと言って、雨がジャージャー降る中で名刺を交換したのです。
そして日本に帰ってからその人はなんとこんなに厚い論文を実際に送って来たんです。
そしてその説明をしてくれた人はイギリスの科学史学会の会長で大変な大家であるということが後でわかったのです。
 
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3.メアリー・アニングはどんな人?

 科学史学会の会長さんはヒュー・トレンズという人なんですが、吉川さんとこれは大変だということになって1998年から吉川さんを連れてイギリスへ行き、その方に再会し、メアリー・アニングの生まれ故郷に行ったりしているうちに、「恐竜は敵だ」と言っていた私もメアリー・アニングに巻き込まれてしまったのです。

メアリー・アニングの博物館にある絵  この絵を見てください。ライム・リージスというところにあるメアリー・アニングの博物館にある絵です。
この絵が一番メアリー・アニングという人かということを表していると私は思います。

 メアリー・アニングは1799年、18世紀の最後の年に生まれて1847年、19世紀の中ごろ、47歳で亡くなりました。
ライム・リージスというイギリスの南の海岸で生まれ、育ちます。お父さんは大工でしたが若いうちに死んでしまい、彼女は貧しい中で育ちました。
そしてライム・リージスという町から一回だけ3日ほどロンドンに遊びに行ったことを除いて、町から出たことのない女の人でした。
そんなことを知っていれば「メアリー・アニングがここに化石を掘りに来たんですか?」なんて馬鹿な質問は、絶対しないのですが、無知とは恥ずかしいものです。
熱演する矢島講師
 ライム・リージスというところは化石がいっぱい出るのです。そして景色のきれいなところで、昔の熱海のような避寒地になっており、有名人が避寒に滞在する町でもありました。
彼女は貧しかったので、この町に避寒にくる有名人たちに化石を売って収入を得るために化石を掘りました。
お父さんも化石を掘って収入の一部に充てていたそうで、彼女にも小さいうちから、そういうことを教えていたのです。
お父さんが亡くなってからは、彼女は本格的にそれを仕事とし、10歳頃から女化石屋になったのです。
化石屋という商売も珍しいですが、女の子がなるというのも、当時としては奇異なことでした。 

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4.メアリー・アニングの活動

 ここライム・リージスでは魚竜、首長竜、翼竜の化石がいっぱい出てきます。ウミユリとかベレムナイトとかも出てきます。
ちょうどその時代は、化石の学問では「巨人の時代」と言われていまして、イギリスにバックランドとかオーウェン、それからセジック、コニベア、マーチソン、マンテル、デ・ラ・ビーチという偉大な化石の研究者が輩出した時代でした。
その時代に素晴らしい化石をどんどんどんどんメアリー・アニングは採って、研究者たちに持ってくるわけです。ですから町の人からは変わった女の人がいたという記憶になっているのです。
最後は借金と乳がんに苦しみ47歳で亡くなっています。
いま述べた有名な研究者たちはみなメアリー・アニングの世話になったのですが、亡くなった後はみんな忘れてしまって、彼女の記憶は世の中から消えてなくなります。

 近年、さきほどのヒュー・トレンズという人が堀起こして、凄い女がいたということを知らしめたというわけです。
時代は19世紀です。
女の人は暑くても今みたいに肌をだすことなんて出来ない時代です。
ぶかぶかのペチコートでぶかぶかのスカートで靴もごつい靴を履いて、フィールドでハンマーを持って化石を探すわけです。
帽子は山高帽をかぶっていますがこの意味は分かりません。

 この絵を描いた人は誰かというと実はメアリー・アニングが密かに恋していた、デ・ラ・ビーチという研究者の描いたものです。
この時代は自由恋愛なんかないですから、心に秘めた恋人にこの絵をかいてもらったメアリー・アニングの気持ちを考えると胸が痛い気がします。

イギリス地質図とライム・リージス風景

 左はイギリスの地質図です。
ライム・リージスというのはこの一番南岸、茶色に色づけされているジュラ紀の地層部分、フランスに面した海岸にあります。黄色と緑は白亜紀です。

 この地質図はとてもきれいだと私は思うのです。
地質図に色をつけるのを世界で一番最初にやったのはイギリスなんです。自分の国の地質図が一番きれいになるような色を彼らは決めたんだと思うのです。
これを地質学後進国日本は使わざるをえないので、日本の地質図は真っ赤になりまして、とてもきれいとは言い難いものになっています。

上の右2枚は夏のライム・リージスです。とてもきれいで別荘が散在するきれいな町です。
どなたか『フランス軍中尉の女』という映画を見た方はいらっしゃいますか。あの映画にはこの港の防波堤が出てきます。
作者のジョン・ファウルズはこの町に別荘を持っていて、ここで構想を練ってこの作品を作ったそうです。
メアリー・アニングを彷彿とさせる女性主人公の映画です。
足元は全てアンモナイトの化石
 ここはきれいなばかりではありません。化石がたくさんあります。
この写真の男性の足元の白い丸いものは何か、これはすべてアンモナイトの化石です。
アンモナイトを踏まないと歩けないというところです。
日本ではほとんど有りません。樺太にはちょっとあります。
しかし固い岩の中に埋まっていますから取り出すのは結構大変です。
ここは世界自然遺産になっていて、採ってはいけないんですが、「採ってはいけません」なんて全然書いてありません。

 こんなところに生まれ育ったメアリー・アニングはこれを掘って研究者のところに持ち込み商売をした。
そして時代は化石学勃興の時期でもあり、研究者は争ってそれを買ったという時代だったのです。

 この町の博物館に行きますとメアリー・アニングの展示があります。

博物館でのメアリー・アニング展示風景

ここに行って初めて知ったのですが、ここはメアリー・アニングが生まれ育った家の跡だったのです。
海のすぐ傍ですから大嵐になると波をかぶる。貧しかったですからそういう場所にしか住めなかったのです。 メアリー・アニングのお墓
そしてこれが近くの教会にあるメアリー・アニングのお墓です。
イギリスは独自のイギリス国教会がありますね。多くの人がイギリス国教会の信者ですが、しかし非国教会の人たちもいます。
メアリー・アニングは非国教会の家に生まれまして、なぜか途中で改宗し、国教会系の教会にお墓があります。

 この教会には美しいステンドグラスがあります。 教会にある美しいステンドグラス
メアリー・アニングに世話になった化石の研究者たちがお金を出し合って、寄付して作ったといわれています。
ですからメアリー・アニングも死んだ直後にはまだ世話になったと思ってくれる研究者がいたのですね。
すこし救われた思いがしました。  


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5.どんな化石をメアリー・アニングは見つけ、それはどこにあるのか

 一番ありますのがロンドンの自然史博物館です。
昔は大英博物館の自然史部門だったのですが、サッチャー首相の時に独立しました。
建物はとてもきれいでしょう。青っぽい石と黄色っぽい石を上手に組み合わせて、ナチュラルな質感で美しい配色を作り出しています。

ロンドンの自然史博物館とメアリー・アニング展示

 ヒュー・トレンズさん達が頑張って今ではメアリー・アニングのコーナーもあります。
これはメアリー・アニングの肖像画です。
日に焼けないように帽子をかぶり、ハンマーを持って、だぶだぶの服を着て、そして化石を入れるバッグを提げています。
ここに犬がいます。そしてそこを左手でメアリー・アニングは指さしています。
何をしているのでしょう?
実はこの犬の下にアンモナイトの化石があるのです。

 先ほど言いましたようにいっぱいアンモナイトは有るんですが、なかなか採れない。
すごくいいなと思ったら、鶴嘴とかを使う男手を沢山呼んでこないと掘れません。
それで犬を助手として、アンモナイトを見つけたら、犬にそこの上に座っていろと命じて、人手を呼びに行くのです。
それは商売敵に先採りされないための防衛策でもあります。
そして人手を連れてきて犬のいる場所の下のアンモナイトを掘ったのです。

 この肖像画も有名な方が描いたものですが、先ほどのデ・ラ・ビーチの描いたメアリー・アニングとどちらが彼女をよく表しているか、比較してみてください。
私は説明的なこの絵よりデ・ラ・ビーチの絵の方がメアリー・アニングの気持ちが感じられるようですきですが皆さんはどうですか?

 そしてこれが首長竜です。すごく大きいですね。

ロンドンの自然史博物館展示風景

右側のものはメアリー・アニングが発見した首長竜です。
ちょっと曲がっていますが、ひれとか全ての骨が揃っていまして、保存が非常にいいです。

 メアリー・アニングは非常に保存がよいきれいな化石を発見するので有名でした。
メアリー・アニングが10歳くらいの時発見した首長竜はあまりに素晴らしいので初め偽物ではないかという話が出て、フランスのキビエという有名な研究者に送って、調べてもらったくらい素晴らしいものです。
これは先ほど説明した、恐竜という言葉を作ったオーウェンという人が買い取ったものです。

 メアリー・アニングの発見した化石は素晴らしい保存状態のものであっただけでなく偽物とかでっち上げというようなことが一つもなかったのでした。
こういうものは売れてきますと、偽物、それからでっちあげというのですが、違うものの化石をくっつけるものが増えてくるのですが、彼女はそういうことが一つもなく、評判がよかったのです。

彼女はこういうものを発見していながら、彼女の業績は死んだあとは消えてなくなったのです。
そしていま顕彰し直していますから、自然史博物館のものには、これは「メアリー・アニングが掘ったもの」という説明がちゃんと出ています。

 オックスフォード大学の自然史博物館にもメアリー・アニングの標本があります。

オックスフォード大学の自然史博物館展示風景

ここにはバッテランドという研究者がいまして、彼がメアリー・アニングから買い取ったものです。
この博物館も非常にきれいで、ハリーポッターの映画のロケなどでも使われていましたね。

右の真ん中に掛かっている魚竜はドイツで発掘されたもので、メアリー・アニングの標本ではありませんが、その上にある魚竜の顔とか下の魚竜の顔などはメアリー・アニングの発掘したものと研究されていますが、オックスフォード大学ではまだ確定ではないのかそのような表示はしていません。 
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6.メアリー・アニングの凄さ

 メアリー・アニングは色々な人に化石を売ったのですが、彼女の凄さはなんなのでしょうか?
彼女は学校教育もほとんど受けておりませんので自分で自学自習をしました。
化石の知識を身に着けないと自分の掘った化石がどのくらいの価値があるのか、自分自身が知らないと化石屋は成り立ちません。
彼女は英語だけでなくフランス語の論文も自分で読む。そして自分の化石のどういうところが素晴らしいかということをよく知っていたと言われています。
そして研究者に、「今度掘った化石はこういう風に素晴らしいから、こういう値段で買いなさいとやるわけです。

そうしますとライム・リージスの小さな町で有名にもなってきて、サクソニアの王様が化石を買いに来たりするわけです。
するとその町では彼女は疎外されるのです。
非常に優秀ですが疎外されていて、お付き合いは研究者としかない。
そのうちに最初にお見せした絵を描いたデ・ラ・ビーチに恋をしてしまったみたいなところもありまして、ますます保守的な町の人々に疎外され、自立して行くのです。
 そんなメアリー・アニングの生き方をライム・リージスに住んでいたジョン・ファウルズという現代作家が大好きになってしまって、彼女を題材にして小説を書くのです。
それが先ほど話した『フランス軍中尉の女』という本で、それが映画になっているのです。

 「フランス軍中尉の女」とはどういうことかと言いますと、イギリス人はフランス人が嫌いなんです。
小説ではライム・リージスという町でフランスの船が難破して、船員が怪我をして、若い女がその船員の面倒を見るが、怪我が治るとそのフランス人は帰るのです。
その時に面倒をみた女性はそのフランス人に恋をしていて、彼が再び戻ってこないかと、防波堤の先端でフランスの方をずっと見ている。
町の人は、イギリス人が嫌いなフランス人を好きになった変な女がいるという風に冷ややかに見ています。
彼女は父親が死んでしまったので貧乏するのですがフランス語も話せて、家庭教師などをやって生活を続ける。
そこにロンドンから若い化石の研究者がやってきて、彼女に惚れてしまう。そしてロンドンに彼女を誘うが、彼女はその途中でいなくなってしまう。
そして何年か後で彼女が一人で自立して生活していることが分かるという話です。

 メアリー・アニングはフランス語も読めて、わけのわからないことを知っていて、町の人たちとは縁のない研究者と親しく話している変な女の人、そして有名になっている女、そういう人を保守的な町の人々は嫌うのです。

   そしてデ・ラ・ビーチというお金持ちの身分違いな男と恋をするのですが、デ・ラ・ビーチは同じ身分の令嬢と結婚してしまう。
いろいろ悩みのあったメアリー・アニングは、ますます自立して化石を掘り続けるのです。
そんな彼女のことを知れば知るほど、この『フランス軍中尉の女』にはメアリー・アニングの素晴らしさ、凄さが形を変えて出ていると思います。

 デ・ラ・ビーチはメアリー・アニングに惚れられているということは半分くらいは分かっていて知らんぷりをしていたのだと私は思うのですが、素晴らしい絵を残しています。
研究者の目でジュラ紀のライム・リージスを描いたものです。

(画像をクリックすると大きな図が出ます)

デ・ラ・ビーチの描いたジュラ紀のライム・リージス
 これはすごい絵です。
この絵にはメアリー・アニングがライム・リージスで見つけたものだけが描かれています。
それらがどんな風にして生きていたのかを復元して描いた絵であります。
魚竜が首長竜を食べています。
首長竜はウンチをしています。
また魚竜は魚を食べています。
そして魚はまた小さい魚を食べています。
ウミユリもいます。
アンモナイトは生きているときはタコのように浮いていたんではないかと考えられていました。これは生きているアンモナイトの想像画です。
空には翼竜が飛んでいまして、植物は今のイギリスにある植物ではなく化石から判断した、もっと南のアフリカに近いところの植物が茂っています。
そして亀の化石やイカの化石も出ていますし、鰐の化石もでていますので、全部書いてあります。
それから首長竜が翼竜を捕まえて食べているところも描かれています。

 これは今の言葉でいいますと生態系、何が何を食べているかということを全部復元しておりまして、糞の化石まで生態系に入れ込んでいる画期的な絵です。
それともうひとつ面白いのが、水面を表面から見た絵と水面下を横から見た絵が混在して立体的に書かれていることです。
こういう描画法は初めて採用されたものです。

 いま博物館に行きますと昔の生物がどういう風にして生きていたのかをジオラマとかパノラマといった形で展示していますが、それの起源の絵です。
上から見たのと立体的な表現も加えた画期的な絵なのです。

 デ・ラ・ビーチはなんでこれを描いたのでしょう。
メアリー・アニングは30歳を過ぎて、お金が無くなりました。
化石を掘るにも人夫を雇ったり、きれいにクリーニングしたり、きれいな額に入れたりするのにお金もかかるのです。
それで化石の研究者達は相談して、年金が出るように取り計らったのです。
それからデ・ラ・ビーチはこういう絵を描いて、それを印刷してその売り上げをメアリー・アニングにあげたと言われています。
フンまで書いてある、それも実際の化石にもとづいた絵なんてそうありません。
メアリー・アニングにまつわる思いも感じられることもあって、私の大好きな絵です。
お話はこのくらいにしたいと思います。(拍手)

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7.参考文献

 参考文献を上げておきます。さらに詳しく知りたい方は参考にしてください。
キャサリン・ブライトン(せなあいこ訳)『化石をみつけた少女−メアリー・アニング物語』評論社, 2001年, 32頁.
H.B.ブッシュ(沢登君恵訳)『海辺のたから』ぬぷん児童図書出版,心の児童文学館1,1977年,253頁.
デボラ・キャドバリー(北代晋一訳)『恐竜の世界をもとめて』無名舎,2001年,418頁.
デニス・R・ディーン(月川和雄訳)『恐竜を発見した男−ギデオン・マンテル伝』河出書房新社,2000年,490頁.
ジョン・ファウルズ(沢村灌訳)『フランス軍中尉の女』サンリオ,1982年,417頁.
H. S.,Torrens,” Mary Anning (1799-1847) of Lyme; 'the greatest fossilist the world ever knew”, the British Journal for the History of Science, 28(1995) , p. 257-284.
矢島道子「メアリ・アニング(Mary Anning1799-1847)研究に学ぶこと」『化石』66号(1997年),34-41頁.
吉川惣司「自然科学者メアリー・アニング−古生物学の偉大な素人たち」千葉県立中央博物館編『恐竜の足跡と謎の先カンブリア生物』(1996年),64-65頁.
吉川惣司・矢島道子『メアリー・アニングの冒険』朝日選書,2003年,339 頁.




文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:臼井良雄


本文はここまでです



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