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2011年8月12日 神田雑学大学定例講座No.561

和錠の文化史 講師 鶴岡道夫



メニューの先頭です 目次

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はじめに
1.錠前の歴史
2.アジアの錠前の進化
3.和錠の誕生
4.和錠の種類と産地
5.蔵の歴史
6.蔵の錠前
7.蔵の錠前の例
8.神社錠
9.神社とお寺の錠前の見どころ
10.宝尽くしと鍵


はじめに

鶴岡道夫講師の写真  江戸時代に出現して、盛んに生産され、明治時代以降はピタッ見かけなくなった和錠。
そのしっとりした鉄味、ずっしりした重量感、表面に施された装飾など、見る人を圧倒する存在感があります。

 和錠のルーツは紀元前の中近東地方といわれ、宗教や文化と一緒にシルクロードを経由して中国・朝鮮・日本に伝播されてきました。これが日本文化に溶け込み神社錠や和錠に進化し、またお守りとして、鍵を持った弁財天やお稲荷さんなどもいます。
 文化史の面から和錠を語ります。

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1.錠前の歴史

 世界の錠前の歴史は古く、紀元前2先年のエジプトやアフリカにさかのぼることができます。はじめは王の墓の入り口や館の入り口などに悪魔除けとして飾られた呪いのようなものでした。同型のものがアフリカでは現在も使われています。
 その後、貴族たちが富と権力のシンボルとして、また装飾品として競って高価な錠前を求めました。現在のように防犯用に家の外側から錠前を掛けるようになったのは、個人が財産を持つようになってからで、ずっと後のことです。

 韓国民族博物館で「定木と横木」というものを見たことがあります。
これは李朝時代済州道で使用されていた、一種の戸締り道具でした。家の入り口に設けた、馬の障害物レースに使用するものに似た、両側の柱に3本の横木(かんぬき)が掛けられるようになっている。家の主が少し出かけるときは、一番したの横木を掛けておき、半日程度の外出時は,下2本の横木を掛け、遠くまで出掛けるときは、3本の横木を掛けていたそうです。

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2.アジアの錠前の進化

 錠前の進化はヨーロッパとアジアでは大きく異なります。それぞれの起源がどこであるのかまだ明確でありませんが、ヨーロッパ錠の原型はローマ・ギリシャあたりで、アジア錠の原型は中近東であろうと考えられています。
 それがインド地方に伝わり、そこからシルクロードを通って中央アジアから中国唐に伝播していったものと、仏教とともにネパール・チベットに伝播していったものがあります。
 但し5C頃、東西貿易が活発化し中国の錠前がローマからヨーロッパへ伝達され、一方ヨーロッパの錠前がアジアから中国へと伝播されていたことは自然です。
 当時からヨーロッパの錠前にもアジア錠の板バネ構造のものがあり、アジアにもヨーロッパ錠の鍵を回す構造のものがありました。

 古代の錠前は鉄製のため風化が激しく、残っているものは少ないのですが、これらの地域では、最近まで、その原形をとどめているものが使用されていました。
 開閉の仕組みは簡単で、横から鍵を差込、松葉形の板バネをすぼめて開ける仕組みになっています。
 錠前の仕組みは変わらなくてもスタイルやデザイン,意匠はその地域の時代や文化を反映して、それぞれ特徴のあるものが作られました。特に錠前に刻まれた文様に宗教の影響が強く現れています。

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3.和錠の誕生

講演会場風景

 日本の錠前で現存する最古のものは大阪羽曳野市「野々上遺跡」出土の飛鳥時代の海老錠です。海老の形をしているのでそう呼ばれています。
 ほぼ同じ時代に中国唐から伝わってきた海老錠が正倉院の御物として現在も保存されています。室町時代までは、基本的な変化はなく海老型のものが続きましたが、戦国時代頃からは金属加工技術が発達し、日本独特の錠前は産まれました。これがいわゆる和錠です。
 仕組みの原理はアジア系と同じ板バネ式のものですが、明らかに四角くなり左右対称と形になっています。その後、鍵穴が横から前面に変わりました。

 武士社会から商人社会に入り、富の蓄積が始まり、次第に商品や富を納める「蔵」が建並び、それを守るための錠前が重要なものとなりました。
 江戸時代に入り、平和な時代が続いて、従来の刀鍛冶がやがて錠前師となり、商人の要求に応じて競って立派な錠前を作るようになりました。

和錠の例1  錠前を形や意匠で分類すると7種類に分類され、このうち3種類は全国共通で、4種類は特定の地域で生産されています。とくに砂鉄の産地や刃物の産地では藩を挙げて名錠作りを振興しました。
 阿波、土佐、因幡,安芸は有名であり、藩策として独特の錠前作りを奨励し、藩外不出の商品となりました。和錠の最盛期です。刀とおなじように銘がきざまれているものがあります。


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4.和錠の種類と産地

(1)阿波錠・・阿波(徳島)
 蜂須賀小六(1585)が領地の開墾耕作奨励で、農機具鍛冶集団「鍛冶屋原」を作りました。藩の富国策として「藍染」作りを奨励し裕福になった清算農家をはじめ、加工業者,商人達は藍蔵や金蔵に富の象徴として立派な錠を競って飾りました。
平和な時代になり刀鍛冶や鉄砲鍛冶集団も需要急減で和錠の生産に力を入れました。
 大振りで肉厚、重量感があり鉄味もよく、意匠にも遊び心があふれています。
主に藩内のみで流通されましした。阿波人形浄瑠璃の影響からか、からくり仕掛けの錠前が多いようです。(銘)鍛冶屋原、阿波任兵衛

和錠の例2 (2)土佐錠・・土佐(高知)
 高級な刃物産地、刀鍛冶。素材も刃物用の「玉鋼」を用いました。鉄味のよさは日本一で“お染錠”とも呼ばれます。頑丈精巧で無駄のない美しさがあります。
前面に縦縞状の段差があるのが特徴です。藩外に出しませんでした。
(銘)土州修口、本家喜久


(3)因幡錠・・因幡(鳥取)
良質な砂鉄の産地です。表面は鍛造でなく「ろう付け」薄くて軽いのです。正面が膨らんで裏は平らです。僧侶の座禅した姿を想像させ堂々とした風格を漂わせています。
昭和初期に民芸運動家の柳宗悦により見出され、健全で簡素な美、てずれ、使い込みが味わい深いとして有名です。(銘)因用林兼之作

(4)安芸錠・・安芸(広島)
鍵穴の部分が表裏とも球形に膨らみ、ひき蛙のお腹を連想させるところから別名“どんぴき”錠と呼ばれています。鍛造でずっしりと重く頑丈な作りになっています。 (銘)法安(鍔鍛冶)

(5)水戸錠・・水戸(茨城)  (銘)水戸勝一
(6)南都錠・・大和国(奈良) (銘)南部住一重作
(7)船型錠・・日本各地
(8)海老錠・・日本各地
(9)太鼓錠・・日本各地
(10)神社錠・・神社仏閣専用、金鍍金、現在も造り続けられている。
(11)形象錠・・主に箪笥や手箱などに用いられ、動物や魚などの形をしたものが多いです。
      素材は主に銅,真鍮。
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5.蔵の歴史

講演中の講師  蔵の歴史は古く、彌生時代の高床式の穀物蔵から始まり、奈良時代には正倉院や地方の国府の正倉、寺院の経倉、宝蔵などが生まれ、戦国時代には武器庫や書物蔵、米蔵などが築かれました。福井県一乗谷の朝倉氏の館から、ちぎれた錠前や投棄された鍵束などが発掘され、宝物の争奪があったことを物語っています。
 江戸時代に入り産業や商業が発展すると、質蔵や金蔵、酒蔵、味噌蔵、藍蔵から嫁蔵、蔵座敷,見世蔵なども立ち並びました。

 一方庶民は長い間守るべき財産もなかったため、錠前などは必要とせず、せいぜい「心張り棒」程度で良かったのです。明治に入ってようやく必要になった時には、すでに外国から「南京錠」が入っていたために和錠を利用することはありませんでした。
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6.蔵の錠前

和錠の例3  おおきい漆喰造りの蔵は夜戸、外戸、昼戸と三重四重に厳重に守られていました。
「夜戸」は分厚い漆喰で作られていて普段は開けてありますが、簡単な鉤金具を掛け、閉める時には豪華な錠前を飾った。豪華な錠前については前述したので省きますが、江戸時代に入り商工業が繁栄して、競って独特な錠前(和錠)が造られました。
 特に阿波、土佐、因幡、安芸錠が有名です。
 ちなみに蔵の扉に掛ける頑丈な錠前は「せつい錠」と呼ばれました。

 「外戸」はケヤキやヒノキなど頑丈で豪華な木材で作られており、厳重な錠前をかけるようになっています。戸の中段端に頑丈な錠前を埋め込み、その閂を柱の穴に差し込んで閉める仕組みです。閉める構造は和錠と全く同じで、松葉形板バネを鍵ににより絞って開錠します。
 錠前には複数の鍵や金具を組み合わせたカラクリや開けるとベルが鳴る仕掛けなど手がこんだものがあります。
「外戸」にはさらに蔵戸錠が付いています。蔵戸錠は戸の下方に組み込まれた日本独特の錠で「落とし」とも呼ばれています。これを開錠するとL字型の鍵は「落とし錠」とも呼ばれ、簡単な仕掛けで古くから蔵のほか、神社や寺などにも使用されていた。

 平安時代の「有職故実」に見られるように、念入りに戸締りをするときには、蔵錠と「落とし」の両方を取り付けるのが一般的のようでした。
「外戸」は美しさを競うところでもあり、木材の材質以外に鉄や銅板で鍵穴周辺を飾りました。
 この錠前飾りは鶴亀、恵比寿、大黒、布袋、宝船,鳳凰など、おめでたい図が彫られ豪華さを競った。

「昼戸」は昼間仕事で家のものが自由に出入りできるように鍵を掛けず、木製で上半分が格子になっている軽い戸です。このほか、蔵に栓錠というのがあります。錠を掛けるときに柱側に錠前ごと挿入して、鍵を引き抜くと、板バネが開いて閉まるようになっています。
 これも日本独特なものです。
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7.蔵の錠前の例

 江戸時代には豪華な蔵が競って作られ、錠前が富の象徴として、その蔵を飾りました。
 川越や栃木は蔵の街として有名ですが、当時の錠前は見つかっていません。いずれも南京錠にとって代わられて大変残念です。当時のものは郷土の博物館に保存されていません。

■ 宮城県丸森町の中心部を阿武隈川が流れ、「船下り」や江戸時代末期より昭和にかけて栄えた豪商「斎理屋敷」が当時の繁栄を今に伝えています。
 斎理家は江戸時代から土地の大地主で資産家。その蔵の種類も膨大で、「店蔵」、「嫁の蔵」「生業の蔵」、「住まいの蔵」、「童の蔵」、「時の蔵」「納の蔵」、「支えの蔵」、「守りの蔵」「習いの蔵」と10種類あります。
 中でも「嫁の蔵」は最も立派な造りで、「宝蔵」、「刀蔵」とも呼ばれ使用人は入ることも許されませんでした。
「生業の蔵」は太物やご祝儀用の組膳などを収納していました。「時の蔵」は「質蔵」、「宝蔵」と呼ばれ、骨董品が収められていました。また一時銀行としても使用されていました。
 蔵の中には高級調度品や刀剣、骨董品などが大量に眠っており、伊万里焼や尾形乾山などの皿もありました。
和錠の例4  敷地内には屋敷神として神仏が12ヶ所もあります。これらの蔵には技巧を懲らした立派な錠前が掛かっています。錠前を造った錠前師の銘が刻まれているものや、カラクリ錠もあります。昭和62年に七代目の当主が無くなられて、斎理の直接の血統が途絶え、近年村おこしとして屋敷を復活させようと,斎理家鍵のありかを聞き、近くの田圃から蔵鍵を掘り出し、その鍵で解錠を試みましたが、カラクリ錠で、どうしても解けず、ついに壊して蔵を開けたそうです。

■ 北海道江差町は江戸期のニシン漁最盛期には「江差の五月は江戸にもない」といわれる程繁栄を極め、北前船交易によりもたらされた江差追分などの伝統芸能や生活文化が数多く伝承されています。  ここの道指定民族文化財にもなっている横山家には天明6年以来、現地において漁業、商業,廻船問屋を営んでおり、母屋と四番蔵にはニシン最盛期のころに使用されていた生活用具が展示されています。  ニシン御殿には伊万里焼皿などのほか、立派な四国阿波の錠前が残されています。
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8.神社錠

 神社やお寺で使用されている錠前は日本独特の形をしており、味わいがあり、ひとつひとつ見ていくと、なにか意味があるように思えます。神社の社殿には必ず錠を取り付けねばならないという規則があり、単に防犯用でも、神様や仏様を閉じ込めるものでなく、神社の祭事に何か関係があるのでないかと思い、全国の主な神社・寺院を巡り歩いています。

 神社錠前は一般家庭用と違い、特殊で非常に数がすくないため手に入りにくく,もっぱら見て歩いて満足しています。(写真26)は奈良春日大社御本殿の宝庫(807年創建重要文化財)に掛けられている鑰(やく 錠前)で紐で封緘されています。
鑰匙(やくし 鍵)は古くは役所に保管されていたという厳重さでした。
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9.神社とお寺の錠前の見どころ

 神社の鳥居には錠前はなく、拝殿の扉も落としがある程度で,正殿の祭壇に立派な神社錠が掛けられています。末社にも立派な錠前が掛けてあります。
 お寺の門には内側から木のかんぬきが掛かり、横にあるくぐり戸に落としがあります。
 本殿も落とし程度で、別棟の経蔵や宝蔵に立派な錠前が掛かっています。
 中国や韓国のお寺では寺門に立派な錠前が掛けてあり、本殿には錠前が掛かっていません。
 神社錠は「しゅのぎ錠」(社を守る錠)とも呼ばれ、海老の型をした海老型錠と船底の形をした船形錠の2種類があります。錠はいずれも横から挿入して、松葉形の板バネをすぼめて開錠します。

 材料は鉄や銅,真鋳、あるいは鍍金で彫金が施された装飾的で構造は左右対称型です。
海老型錠は大小ありますが型は全国共通です。船型錠には関東型と関西型があり、関東型は箱型で中央に神紋が入っているものが多いようです。
 神紋には、八幡宮は「巴」、出雲大社は「亀甲」、天満宮は「梅鉢」、稲荷神社は「抱き稲」あるいは「鍵の立会」などがあります。関西型は船型に箱が付いています。但し現状は関東だから箱型の錠を使用しているわけでなく、両方を自由に使っており、船型の方が多く見受けられます。
 神社錠前は現在も造り続けられています。小さい社では重厚な錠前の代わりに、飾り用に小さい朝鮮双龍錠や簡単な錠前金具を掛けているところもあります。
御神輿も移動式神社であり御神体には錠前がかけられています。
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10.宝尽くしと鍵

 宝尽くし絵の中に蔵戸錠(落とし)を開ける鍵(落とし鍵)が加えられているように、古くから錠前あるいは鍵は富の象徴として認識されていました。そうした宝尽くしの文様は着物の図柄や皿の文様をはじめ多くの祝儀の品々に使われています。
 宝尽くしは打出の小槌、丁子、隠れ蓑、隠笠、宝巻、金嚢、分銅、宝珠、七宝、丁板、珊瑚、熨斗などが代表的なもので、これらを組み合わせて用いられています。
 宝尽くし絵の中から、宝鑰(蔵戸鍵)をみつけるのもひとつの楽しみです。
 宝尽くしではありませんが鍵が寺社の絵馬や弁財天、道具類などにも使われていて、鍵が生活の中に溶け込んでいたことがうかがえます。

 錠前は古くなると新しいものと取り換え、古いものは溶かして素材として再利用されていたので、当時のものは僅かしか残っていません。神社錠は古い型を守って造り続けられていますが、いわゆる和錠は現在造れる人がいないそうで、消滅の一途にあります。
文化財として是非残していくべきと思っています。

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文責:得猪 外明
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:大野 令治

本文はここまでです


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