現在位置: ホーム(1)講義録一覧(2) >ことば遊びとことわざ
WEBアクセシビリティ対応

ページの先頭です

ページの先頭です

平成23年11月25日 神田雑学大学定例講座NO577 


ことば遊びとことわざ、講師 山口政信(明治大学)
 


メニューの先頭です 目次

画鋲
1、ことば遊び
2、ことわざ
3、洒落と地口と地口行灯



メニューに戻る(M)
山口政信講師1、ことば遊び
言語遊戯とも称されることば遊びは、幼児から後期高齢者に至るまで、日常茶飯に見られるコミュニケーションの一形態である。2歳半の幼児においても、時として同じ音のことば
(同音異義語)や、似た音のことば(類音異義語)を連続して話すことがある。また、豊かな来歴を有する人にあっては、一休さんのトンチ話を聴くにつけ、心の故郷へとタイムスリップすること想像に難くない。

ことば遊びは記紀の時代から現在に至るまで、生きるための活力となり、人と人との間を潤す触媒の役割を果たしてきた。このことから、人類が存続する限り、ことば遊びも生き続けることは間違いない。 そのジャンルは多岐にわたるが、その代表例には「折句」「回文」「尻取り」「謎なぞ」「早口ことば」などがある。本日は「譬え、もじり、秀句、語呂(語路)、シャレ」などを複合的に捉え、地口を主たる用語としてパロディーの面白さを論じてみたい。

メニューに戻る(M)
2、ことわざ
<古い・教訓的・短い・寓意>が、ことわざの四本柱だといえよう。一般論としては妥当であるが、この表記には該当しないことわざも数多い。いうまでもなく、ことわざは日に日に新陳代謝し、いまや「創作ことわざ」という名称が市民権を得て積極的に創り出されている。「赤信号みんなで渡れば怖くない」(ツービート)、「亭主元気で (1) がいい」(CM)、「石橋をたたいては (2) ない」(西堀栄三郎)、「石橋は叩いて飛び越える」(五代目坂東玉三郎)などがその代表例である。創作こそが遊びの原点であり、遊び心が創作を躍動させるのである。

ところで、ことばを定義するには、ことばを用いなくてはならない。このことばは常に流動していることから、ことばの定義は難しい。それでもなおかつ試みることが、私たちの進歩に欠かせない。ことわざは感性的論理であるとする庄司は「自立した短文句」といい、図像・立体物にことわざを見出した時田は「17音の俳句より短い言い回しで、森羅万象を言い表してしまう言語芸術」という。

「最短の文芸」とする山口は、創作ことわざにメタ認知機能を見出し、体育・スポーツ教育における「わざ言語」としての有効性を論じてきた。パラグライダーにおける離陸のコツを「飛ぶなら (3) な」といい、「攻めれば狭く守れば (4) 」では攻守の精神性をサラリと表現しているのがその例である。

このように、ことわざは〈わざ化したことば〉であるが、その根源には事のしわざ(仕業)がある。すなわち〈こと・言〉は事であり、<わざ・技>は業でもある。この理は『花伝書 序』
(世阿弥)において、<事態>を<ことわざ>と読ませ、現代語では<芸>と訳されていることからも類推できよう。
メニューに戻る(M)

3.洒落と地口と地口行灯
「シャレは、少し誇張していうと、日本人の文芸的表現における最も特色のある技法である。というよりも、むしろ文芸的発想の原点であるといってもよいであろう」(鈴木棠三)。
同音異義語、類音異義語によることば遊びは、日本語の特徴がいかんなく発揮されている。その代表格がシャレ(洒落)である。それは、日本語の音節(約15の子音+5つ母音)は少なく、必ず母音で終わることに起因する。(「ん」は除く)。この数は、無限とまでいわれる英語とは比較にならないほど少ない。しかも日本語は長く伸ばすと、すべてに母音が生まれる。これを開音節といい、<おばさん>を伸ばせば< (5) さん>になるなどの妙味?が潜在している。

熱心に話を聞いている受講生

シャレはことばだけに限らない。衣服のおシャレ(身なり)は万人の知るところだが、人柄や動作(身のこなし)もシャレていなければ (6) で、お里が知れようというものである。かつては「落とし噺」といわれた落語の多くは、「地口オチ」「間抜けおち」「途端オチ」「ブッツケオチ」が占めている。古今亭志ん生の「火焔太鼓」には、次のようなマクラがある。「(エー・エヘン)落語というものは、(エー)シャレが固まったようなものでしてな。シャレというものが世の中にはどれほど活躍するか知れません」。

元来、地口(上方では口合)は雑俳の一つであった。これらの句が特徴の似た音調や語勢でありながらも、元句や本歌とは異なった意味を創造するとして定着し、地口と呼ばれるようになったとされる。伝承地口には、「笑う門には (7) 来る」「笑う所へと福来る」「笑う家に福来る」いった、ことわざを元句としたものが多くある。よく知られる例には「わらう顔には(8) きたる」があるが、このほかには「洗う甕には鮒来たる」「洗う顔には浮く光」「洗う顔へは婿来る」などがある。
         
地口は今も盛んに創られている。以下は私が関わった学生の作例である。
<麻生が西向きゃ小沢は東><悪政民に帰らず> <菓子を見てカロリーをみず>
<看板に (9) あり><おどる米国東を知らず><昨日のヒラリー派は今日のオバマ派><農薬口がおかしい><悪銭身を飾る><鬼に赤ん坊><答えあれば努力なし>
<枕高く駄々こねる朝><年金泥船><胃の中の蛙外界を知らず><姥の耳に念仏>

<思い立ったが締め切り><恋は計算の内><弘法にも見栄の張り合い><ぼうぼうにも髭のあやまり><猿も気落ちする><竿にも (10) にも掛からない><捕った狸は皮ジャン用><どんぶりの味比べ><ない髪は刈れぬ><鳴らぬケータイ身を焦がす><猫の毛も借りたい><猫の手じゃ足りない><飯は熱いうちに食え><もめんにきぬごし><排水のリン>。なお、以下のように、母音がすべて同じ句を語呂(語路)といい、「地口オチ」は「語呂オチ」ともいわれる。

笑う顔にはふぐきたる、飯は熱いうちに食え、もめんにきぬごし

(元句)・・・「背水の陣」 「逆もまた真なり」
(母音)・・・ hai sui no jin gyaku mo ma ta shin na ri
(母音)・・・ hai sui no rin gyagu mo ma ta shin na ri
(創作)・・・「排水のリン」(学生) 「ギャグもまた真なり」(桂文珍)

・「道灌」・・・「ああ、角〔歌道〕が暗えから提灯借りに来た」
・「らくだ」・・・「ああ、冷酒〔火屋〕でもいいからもう一杯・・・」
・「源平盛衰記」・・・「おどる「おごる」平家は久しからず」

そのシャレも、元句を知らねば「新聞カンブン」である。笑えない奴とは、橋脚に譬えられる両者間に、関係性の橋を架けることができない無粋な人をいう。そこで、ひよどり越えを覚悟し、壇ノ浦に橋をかけてみると、「おごる平気は久しからず」「おごる兵器(兵約)は久しからず」との句が誕生した。

ことわざはこのようなことば遊びの中に溶け込んで伝承され、創作されながら今日に至っているのである。なお、写真等についてはパワーポイントでお目にかけたいと考えている。

山口政信講師、よしだえつか理事長、三上卓治学長
   
 ―了―




文責:川上千里
会場写真撮影:川上千里
HTML制作:和田節子


本文はここまでです


このページの先頭へ(0)

現在位置: ホーム(1) 講義録一覧(2) >ことば遊びとことわざ



個人情報保護方針アクセシビリティ・ポリシィ著作権、掲載情報等の転載、リンクについて連絡先

Copyright (c) 1999-2011 kandazatsugaku Organization. All rights reserved.