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平成24年1月20日 神田雑学大学定例講座NO584 

政治と生物学のはざまで

船橋市放射線量調査・対策を例にして

原発のイラスト

講師 朝倉幹晴

船橋市議会議員無党派・駿台予備校生物科講師




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画鋲
講座企画・司会 吉田源司理事
▼放射線量調査対策と被災者支援
1.千葉県船橋市を含む首都圏広域放射性物質汚染対策の取り組み
2.5月28日・29日、放射線量自主測定へ
3.船橋市議会質問
4.そのほかの活動
▼生物学(自然科学)と政治のはざまで




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講座企画・司会 吉田源司理事

大阪の橋下知事が大きな注目を浴びていますけれども、本日お呼びした朝倉幹晴氏は、それよりも早く、千葉県船橋市において政治改革の先鞭をつけられた方だと思っております。船橋市は、千葉県の中で、千葉市に次ぐ第二の都市です。その船橋市の中で、この朝倉先生ほどユニークな議員さんはいません。とてもユニークな発想をお持ちで、いまだに自家用車を持たず、選挙運動は自転車を使って、幟を持って船橋の中を駆け回っておられます。市民の要望を受けて活動なさっている一方、東電の株主総会などにも必ず出席して、鋭い発言をしておられます。やがては県会議員か市長、はたまた国会議員に進出されるか想像できませんが、大きな展開点を迎えていただければと思って、お呼びいたしました。

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朝倉講師▼放射線量調査対策と被災者支援

2011年3月11日の大震災から、ほぼ1年のあいだ、船橋での放射性物質の調査と対策について取り組んできました。まず、行政とどのようなせめぎ合いがあったのかということを含めて、その活動についてご報告します。そして、私がこのような仕事に入った経緯など、個人史も交えながら、政治と生物学のはざまで考えながら活動していることをお話します。政治と生物学というのは、なかなか結びつかないと思いますが、実は結びついているということをお話したいと思います。

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1.千葉県船橋市を含む首都圏広域放射性物質汚染対策の取り組み

東日本大震災・原発事故

3月11日に大震災が起こり、その直後に福島第一原発が事故を起こしました。原発に溜まった“圧”を吐き出すために、ベントという手段が行われ、そのときに出た放射性物質が、3月15日と3月21日に首都圏に飛来しました。15日午前には、福島から首都圏に向かって吹いた風によって飛来し、午後には風が北の飯館村の方向になり、広範囲に汚染されました。そして22日にもう一度、飛来しました。

これらが、いまも首都圏に残存している放射性物質、セシウムです。国はSPEEDI(放射性物質がどのように拡散していくかを把握するシミュレーション・プログラム)の結果を公表しませんでした。それによって、首都圏の人間は対処をすることができませんでした。特に子どもたちは、外出を控えるだけでも影響が大きく違ったのにも関わらずです。

私は、インターネット上のFacebookで、写真を載せながら、さまざまな情報を発信しています。ここに、「子育て世代はじめ多くの人を困らせてきたSPEEDI情報秘匿。情報を国民に秘匿しながら(問題の3月15日、子どもたち含む首都圏・福島県民は被曝回避対策できず)、3月14日に米軍には情報を出した事実。国民よりも米軍が大切というこの国の情けなさ」と書きました。じょじょに3月11日、15日に関する責任問題が追求されています。いま開かれている調査委員会の中で、以下のような証言がありました。このような大切な情報が、インターネット上にはどんどん出されています。

Youtube上の映像を紹介 

http://www.youtube.com/watch?v=r115TF092FU 

2012年1月16日、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会において
・米軍に対しては、支援を仰ぐためにSPEEDIの情報を提供した。情報公表という認識ではなかった

・国民に対する情報公表については、災害対策本部全体、文部科学省などと相談をしながら検討していてタイミングを逃したという説明がなされた(注・抄録作成者による要約)

政府が日本国民に対して正式に情報を公表したのは、4月の下旬でした。しかし、米軍に対して3月14日には伝えていた、ということです。聞くところでは、横須賀の米軍基地からは、ほとんどの艦船が引き上げていたそうです。やはり、米軍や在日のアメリカ人には、危険だという話が行っていたのでしょう。ほかにも、フランス人などには、大使館を通じて話が行っていたようです。しかし、日本国民に対しては、情報は秘匿されていたわけです。

金町浄水場ヨウ素検出による発覚、そして千葉県柏市の汚染報道

首都圏に放射性物質が来たという事実を国民が鮮明に知ったのは、3月22日でした。金町浄水場で放射性ヨウ素が出たという新聞に報道され、その後、「週刊現代」をはじめとする週刊誌が、「首都圏にもホットスポットがあり、放射性物質が飛来しているのではないか」「千葉県柏・流山あたりが非常に放射線量が高い」ということを伝えるようになりました。

4月22日・24日には、統一地方選挙がありました。私は、「震災と原発事故があるから選挙どころではない、延期すべきではないか」という主張しました。実際、浦安選挙区では、県議選を延期しました。しかし、船橋市はじめ千葉県全体では、要求が受け入れられず、選挙が実施されました。私も、選挙を行うと同時に原発問題に対応し、できるだけ情報を集めました。

千葉県の公式発表は、木更津の測定局のデータに基づくものです。そこでの数値が、0.1μSv/h以下です。ここで基本的な数値は、0.1μSv/hというのが、原発事故以前の自然放射線の値です。千葉県の公式発表では、千葉県には放射性物質が飛来していない、ということになります。

同じ頃、柏市の東大キャンパスで行われた測定では、0.4μSv/hくらいでした。自分で買ったガイガーカウンターで測定したところ、船橋では0.2くらいでした。木更津が0.1μSv/hで、柏が0.4μSv/hだとすると、その中間に位置する船橋が0.2μSv/hだというのは、妥当な数値だろうと思います。精度があまり高くないガイガーカウンターなので、少しでも多く測ろうと思いました。

子育て世代の放射線量自主測定とツイッターによる情報交換

子育て世代の中には、秋葉原やインターネットで、もう少し精度の高いガイガーカウンターを買い求め、測定を始めた方がいました。その人たちが、Twitterで情報交換を始めました。先ほどお見せしたFacebookは、携帯で操作するのが困難ですが、Twitterは、携帯に馴染んでいます。子育て世代の主婦層は、家にパソコンがあっても見ている時間がない。しかし、携帯ならば見ることができるので、ひんぱんに携帯のメールをやりとりしています。Twitterは、非常に便利なツールです。(私のアカウントは@asakuramikijharu)

Twitterは、つぶやくという意味で、140文字以内で「つぶやき」を書くものです。原発事故以前は、その日食べたごはんや行った場所を、お互いにつぶやき合うようなツールでしたが、原発事故以降の情報公開に非常に大きな威力を発揮し、ここで子育て世代が繋がっていったのです。そこで、自分の子どもや船橋の子どもを守るために情報をつぶやいている人たちがいます。20名くらいの人が、お互いに情報交換しながら放射線量についての話をしてきました。

講義中の部屋の様子

こうした自主的な情報交換を応援していたのが、野尻美保子さん、勝川俊雄さん、早野龍五さん、早川由紀夫さんなどの科学者です。彼らが放射線量などの見方などについての情報を発信してくれ、子育て世代が繋がっていき、私もその中に入っていきました。ただし、ガイガーカウンターは、機種によって値がだいぶ異なります。市民がガイガーカウンターによって測定し、たとえば船橋市夏見の側溝で1μSv/hという数字が出たので掃除をしてくれと通報した人もいました。

しかし政府は、昨年5月、6月の時点では、これをほとんど無視していました。理由は主に2つあります。1つは、先ほど言ったように千葉県の公式見解は市原局の測定データに基づくもので、行政の公式データとしては対策をとる必要がなかったということ。もう1つは、ガイガーカウンターの精度が低いから信頼できないという口実でした。

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2.5月28日・29日、放射線量自主測定へ

調査要請になかなか動かない市 


 市がなかなか動かない状況のなか、私は、大学時代の友人である箕輪はるかさん(慈恵医科大学)に測定機は何がよいかと相談したところ、食品用の密閉タイプは100万円以上するので無理だろう、シンチレーション式サーベイメーターという、空間線量を計るガンマー線測定機ならば、50万円なのでぎりぎり買えそうだ、ということになりました。

市議会議員には、年間88万円の政務調査費が出ます。この問題の重要性を鑑みて、年額の半分を使って購入することにして、5月中旬に注文しました。しかし、生産が間に合わず、実際に手元に来たのは8月末でした。原発の現場対応や福島の調査のために、大学の研究室が持っているものはすべて出払っていて、新しく生産するのも困難な状況でした。そのため、8月末まで待ったわけです。

その間、箕輪さんに来ていただいて測定しました。ここに、実際にカウンターを持参しました。ヨウ化ナトリウムが入っておりまして、入ってくるガンマ線を補足して測定します。スイッチを入れて、音が出る設定にしておきますと、ガンマー線の本数が、おおよそ音の頻度でわかり、数値が画面に出ます。正確に計るためには、まず1分間静置安定させてから、30秒を3回測り、その平均値を出します。正式なやり方は省きますが、ここの室内は0.08μSv/h、つまり原発事故前の室内の標準的な値ということになります。

箕輪はるかさんをお呼びして自主調査

5月28、29日に1泊2日で測定を行いました。船橋の地形をご紹介しますと、下総中山駅が一番西側、つまり市川寄りにあります。次に西船橋駅があって、津田沼駅は千葉寄りの東側です。北は、白井市に近いところに小室があります。私が西部にいるので、西側から測定を行いました。はじめは0.1μSv/h程度で、原発事故前の0.8μSv/hから0.12μSv/hという数値と、変わりませんでした。

若干の緊張感が走ったのは、行田東小学校で、溝の表面線量を計ったときです。放射線量の測り方は、2種類あります。正式には地面から1mのところで計り、子どもへの影響は50cmのところで計ります。また、放射性セシウムは表面に沈着するので、表面計測をする場合があります。ここで0.24μSv/hという数値が出て、船橋西部にも放射性物質が飛来していて、場所によっては溜まっているのではないかという感触を得ました。ただし、1日目は表面線量の最高値が0.26μSv/hで、それほど深刻なレベルではありませんでした。

2日目は、津田沼駅から始まり、北に向かって千葉県東部の測定を始めました。津田沼駅など、比較的海に近いあたりでは、西部とさほど変わりなく、0.12μSv/hくらいでした。再び緊張感が走ったのは、千葉県の東部と北部の間に位置している坪井森林公園でした。ここで、表面線量で0.39μSv/h、空間線量で0.18μSv/hという値が出ました。

住んでいるところによって、放射線量に対する感触は変わってきます。福島では、1μSv/hを越えていなければ低いと感じる市民も多いのです。しかし、船橋で関心を持っている人にとっては、0.2μSv/hを越えると高いという印象です。その感覚からすると、明らかに高い傾向がわかったわけです。さらに北に行って、一番最高だったのが、豊富小学校の裏門、落ち葉のたまった側溝でした。ここで、表面線量で0.55μSv/h、空間線量で0.28μSv/hという値が出て、船橋でも、北部を中心に放射性物質が来ているということがわかりました。

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3.船橋市議会質問

以上の測定結果のデータを示しながら、6月10日の市議会で質問を行い、対策を求めました。議会の質問は、圧力という一面があります。最初の千葉県および船橋市の公式見解は、「市原測定局で高い値が出ていないので対策をする必要がない」というものでした。しかし、私がデータを示して質問をすることによって、市として測定をするということになりました。市が11カ所の測定を行った結果、北部が高いことがわかり、対処が必要だということになりました。

ただし、その仕方については見解が分かれ、積極的な対処が行われませんでした。たとえば、私が一番強く指摘した豊富小学校の側溝で、落葉を掃除すれば線量が下がるので掃除をしてほしいと求めたのですが、掃除されないまま時が過ぎました。配布した資料(朝倉幹晴 議会・諸活動報告書「あさくらだより」夏秋号 通算75号)に、場所ごと
の細かい放射線量計測結果と掃除の効果を示してあります。

→以下サイトの地図掲載 http://www.at-ml.jp/?in=56731

0.55μSv/hでも高いと思っていたのですが、梅雨も過ぎた7月10日に測ったら、1.2μSv/hという非常に高い値が出ました。

首都圏広域に飛来した放射性物質には、ストロンチウムも含まれていると言われますが、量が多いのは、主にセシウムとヨウ素でした。ヨウ素は半減期が8日なので、最初は水道に出ましたが、だんだんと放射性物質が崩壊し、もうほとんど残っていません。これから私たちがつきあわなければならないのは、放射性セシウムです。セシウムは、木の表面や土に付着したものが雨に流されて落葉に溜まり、側溝に溜まって、今は下水に流れています。あとから解釈すると、これらは雨の流れと見事に一致しています。梅雨で側溝にかなり溜まっていったと言えます。

1.2μSv/hという高い数値が出たので、翌日に教育長に行って掃除するよう求めたんです。その翌日に学校教員によって掃除がされました。追跡調査が必要なので7月11日に改めて計ったら、線量は低下していました。

掃除したものはどこにやったかとよく聞かれるんですが、このときは、まだ方針が曖昧だったので、燃やしてしまったようです。いまは、放射性物質が出た場合は、現場で仮置きをしておくことになっています。小学校で発見されたものならば、校庭の裏の子どもが近づかないところに、袋に入れておく。大量に出た場合には市が仮置き場を作っていますので、そこに持って行きます。最近、議会で論争になったのは、下水処理場の汚泥です。船橋で出た放射性物質は、現在、富津に持って行っているんですが、富津では反対運動が起きています。私としてはやはり船橋で出たものは船橋で仮置きすべきだと言ったんですが、そうはなっていません。

このように、放射性セシウムがたまっている場所については、除去すればその場所の放射線量は減ります。そうすれば子どもの被曝量も減るので、対策を求める取り組みをしてきました。6月の時点で市が11カ所の測定を始めました。学校や保育園ごとに測定しないと保護者としては安心できないので、学校ごとに測定するべきだと主張してきましたが、なかなかやりません。8月になって、ようやく全学校で測定をしました。柏のホットスポットなどの現状が週刊誌で報道されたことも背景にあります。

また、副市長がTwitterを利用していて、子育て世代のTwitterのつぶやきを丹念に見ていたため、副市長サイドからも対策がとられたということもありました。8月の全校測定では、校庭の中央と園庭の中央と砂場の中央だけ計りました。しかし、側溝に放射性物質が集まっているので、隅の方の掃除をしなければダメだということを9月の議会で主張して、最近は隅まで全部やるということになりました。このように市がいろいろと動くようになったので、私自身ががむしゃらに動かなければならない状況は、改善されてきています。

自主測定グループ「ふなばしンち測定隊」結成

市と測定や対策のあり方についてせめぎ合いをしていた頃、一つの大きな動きを起こしました。自主的にガイガーカウンターで測定を行っていた子育て世代と、私が購入したシンチレーション式サーベイメーターを共有して、要望に応じて放射線量の測定をする「ふなばしンち測定隊」を立ち上げました。

市が積極的でなくとも、要望があれば、私を含む隊員が計測に行くという態勢を作りました。しっかりHPを作り、計測法についてもアナウンスをしました。測定するととても感謝されます。当初は、要望が殺到して隊員がガムシャラに動くことを想定していたのですが、最近は市も測定、測定器貸し出しを始めたので、月に2、3回程度の測定になっています。

ふなばしンち測定隊HP http://funabashi-nchi.net/

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4.そのほかの活動

東京電力の株主総会へ
物事は、早めに早めにスタートしておかないと間に合わない。例えば、このシンチレーション式サーベイメータ-を注文したのは5月で、8月末に手元に届きました。市は同じものを遅れて6月に注文したので、8月末から9月にかけて船橋市内において精度の高い測定をしたデータは私のシンチレーション式サーベイメーターだけということになり、9月市議会において対策を求めるにあたって、非常に力を発揮しました。5月に決断していなければ、対処がもっと遅れていたでしょう。

JRの株主総会にずっと出席して、バリアフリー化について発言してきた経験から、6月にある株主総会に出るには、3月中旬くらいまでに株主になっておかないといけない。株主登録・認定を、3月中旬から下旬に各社が行うためです。3月11~20日は予算委員会や震災の緊急対応で大変でしたが、とにかく東京電力の株主にならないと発言できないので、たしか3月18日に株主になりました。各自治体で測定を行っているが、本来その費用は、東京電力が負担するべきだと発言しました。

船橋に避難した中学生のために
「災害支援ボランティアがんばっぺ学習サポート部会」


原発事故によって強制避難地域となった20km圏内から、着の身着のままで首都圏に避難してきた方々がおられます。船橋市の公式データで、船橋に避難している人は80世帯くらいだとされています。実際には、もう少しいらっしゃるかもしれません。この80世帯のうち、約半分の35世帯が行田団地にいらしています。行田団地は私の住んでいるすぐ近くで、私も以前、住んでいたこともあります。

西船橋駅から比較的近くで空いていたため、公団が積極的に受け入れました。ただし、団地の入居期限が6か月限定なので、例えば4月に入って来た人は、9月までは無料だけれども10月から家賃が発生するということでした。まだ東京電力からの補償もない段階で無料措置を半年で打ち切るのは問題だと考え、避難されてきた方々と一緒に国土交通省に交渉した結果、1年に延びました。都営住宅では2年に延びたという話も聞いていますので、さらに延期できるかもしれません。

最初は、被災者の生活面を中心に動きましたが、小中学生を連れて避難してきている人が多いと聞きました。私は予備校でずっと仕事をしてきたこともあり、福島の保護者の方から子どもたちの勉強が心配だと聞いて、「がんばっぺ学習サポート」部会で学習支援をしています。最初は私がすべての科目を見ていたのですが、Twitterとfacebookで協力者を募った結果、全科目のスタッフがそろいました。特に中3は、2月の高校入試に向けて最後の追い込みをしているところです。

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▼生物学(自然科学)と政治のはざまで

10歳のとき、公害をやめさせるために考えたこと

私は1962年、薬害サリドマイドが起こった年に生まれました。サリドマイドは四肢が短くなる薬害ですが、この被害の話を私は子ども時から聞いていました。10歳のとき、小学校の体育館に集められて「空がこんなに青いとは」という映画を観ました。喘息で苦しんでいる大阪の子どもたちの映画で、そのうちの一人が沖縄に転地療法をします。喘息の原因である排煙について、工場に子どもたちが抗議します。抗議と言っても歌を歌って抗議するんです。私は、非常に感動すると同時に、公害はひどいと思いました。

朝倉幹晴著書「生物学」そこで、2つ考えました。公害をやめさせるために、1つは、自分が政治家になって経済活動を止めてしまえばいいと考えました。10歳の考えですから「経済活動を止めさせる」とまでは極端ですけれども。もう1つは、科学者になって公害の研究をしようと考えました。後者のほうが現実的なので、だんだんと自然科学の道を歩み始めました

小4の時は「公害研究」という高い理想を持っていたんですが、その後、時代に流されたところもありました。愛知県に住んでいた中学3年生のとき、1978年の中日新聞で、「公害は終わった」というキャンペーンがなされました。
その理由の1つとして、1972年にあった公害国会を受けて工場排水に対する対策がなされました。

また、工場排煙のうち、四日市の喘息の原因ともなった硫黄酸化物を排煙脱硫装置で除去する装置が設置されました。これらによって、水質汚染と大気汚染が減りました。もう1つは、ガソリン車の排気ガスについて、1975年に三元触媒ができたことです。ディーゼル自動車排ガスの問題は残りますが、ひどい公害は少しずつ減ってきた。そこで、新聞で「公害が終わった」というキャンペーンを読んだ私は、「公害が終わったのなら公害の研究者にならなくてもよいかな」と思ってしまったんです。

1980年代、東大駒場寮の寮委員長を経験して

高校時代は、アニメが流行っていて、私はアニメおたくになりました。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」にハマって、東大に行ってロケットを飛ばそうと思うようになりました。1981年に東大の理科1類(工学部系)に入ったら、同学年に柳田理科雄さんがおられました。この方は、『空想科学読本』という、ウルトラマンなどSFアニメの矛盾点を科学的に指摘するという、変わった本を書いています。

「ウルトラマンがマッハ3で飛んだら、流体力学的に首が飛ぶに違いない」とか、アルプスの少女ハイジがブランコを漕いでいる角度を計って「単振動だったら、ハイジが底面に来たときには、高速過ぎて飛び出すに違いない」ということを書いて、科学に関心を持ってもらおう本です。このように東大理科1類はオタクの巣だったんです。

そんな環境にいた私が、なぜ政治に関わるようになったかというと、東大駒場寮の存在が大きかったです。当時、東大の学生が駒場に2学年で7,000人いたんですが、そのうち400人が学内の古い寮に住んでいました。この寮は、いわゆる東大闘争という激しい学生運動の雰囲気の名残を残していた。

ここが、私にとって政治の学校のようでした。私は寮委員長も務めて、大学当局が寮費の値上げをしようとしたとき、寮委員会で反対運動を行いました。その反対運動に対する対処で寮内が二分し、意見対立が起こりました。私は穏健派でしたが、ラジカルだった人のトップに泉房穂くんという人がいて、泉くんが先日、「日本標準時」の兵庫県明石市長になりました。

 私のいた1980年代の駒場寮には、東大闘争の時のようにヘルメットをかぶっての暴力衝突などはないんですが、激しい論争をやりあう世界がありました。それまで、アニメおたくだった私は、そこで政治の世界に関わるようになったわけです。

1986年4月26日、チェルノブイリ事故の衝撃

そのあと大きい影響を受けたのは、私が農学部にいた1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故です。実は、入学当初は、理科1類(工学部系)にいたことからもわかるように、科学技術に対して楽観的でした。「科学技術を発展させれば人々は幸せになるんだ」と単純に思っていました。ところが、チェルノブイリの原発事故を知り、科学技術が暴走すると生態系を破壊するということを思い知り、「科学技術の負の面を見なければならないと思うようになりました。ちょうどこのころ、エコロジーということが言われるようになって、その頃から私は急速に環境派といいますか、科学」技術の問題点を指摘するようになりました。

そんな私が影響を受けた友人に、「錯ちゃん」という愛称の人がいます。錯ちゃんは、理学部の化学科で、錯体(キレート)という化合物の研究をしていた人です。錯ちゃんは、脱原発に取り組むために、原子力業界内部から学ぼうと原子力工学科に転科し、今も原発の問題を指摘する技術者・研究者として現在も活躍しています。ずっと会っていなかったんですが、3.11をきっかけに彼女とも再会しました。

311前の動き~癌対策、数学教育への取り組み ~

朝倉幹晴講師市議会議員をしていると、時期的にメリハリがあります。物事には集中して行う時期と、拡散してさまざまなことをやる時期があり、私はこれを「集中と拡散」とととらえています。

2007~08年にかけて、私の子どもがちょうど学童保育に行っていたこともあって、学童保育・放課後ルームや通学路の問題など、小学校の低学年から中学年の安全と環境をどのように守るかという問題に取り組みました。2009~10年には、ある程度学童保育などが整備されたこともあると思いますが、あまり強い要望が来なくなりました。

そのとき私は、いろいろ思うところあって、いろいろなことに着手して走り始めました。まず、予備校で医学部受験生を教えてきた経験から、癌対策について質問をするようになりました。癌対策基本法もありますし、船橋市立医療センターにも癌緩和ケア病棟が始まっていました。

癌対策を本当に進めるとしたら、若いうちから癌に関心を持ってもらわないとならないと考えたんです。そこで、癌を擬人化・アニメ化して表現した。キャサリン・キャンサーというキャラクターと癌の物語を作って、コミック・マーケット(コミケ)という若者のオタクの祭典に行って売ったりしました。若い世代にアニメで癌について訴えたという報告を日本癌学会で行おうと思っています。このように、真面目な世界とオタクの世界を行ったり来たりしていました。

同時に、予備校講師をやってきたことから、数学教育について提言しようと考えました。3月11日の大震災の直前に私は、「数学の美しさを子どもたちの人生の友に」などという、少しマニアックなチラシを書いていました。

私は、基本には理系ですが、いろいろな方向に拡散して、いろいろなことをやってきた。それが一気に、大震災と原発事故で10か月余り、「朝倉=脱原発・放射性物質対策」というくらい、原発と放射性物質対策一本で動いてきました。

一見異なる世界がつながる ~計画停電のグループ分け把握の情報ルートは?~

「拡散」したときに体験したものが「集中」するときに役立つということ、あるいはまったく別の世界で経験したことが意外なところで役に立った経験をご紹介します。2011年3月の「計画停電」、実際には無計画停電で、非常に困ったんですが、3月14日夜に、菅首相と海江田経産相が記者会見をして、翌日から5グループに分けて計画停電をすると発表しました。しかし、5グループがどこなのか、わからなかった。公式ルートで調べようとしても、全然わかりません。そのときに、アニメの縁で知り合ったコミケ系オタクの人たちに「計画停電の時間帯と場所のリスト、ありませんか?」と聞いたら、一発でメールが返ってきた。

これに基づき、地元の市民の方々に計画停電グループをいち早くお知らせできました。

オタクの人たちには理系の研究者も多く、優れた情報網を持っていてわからないことを質問するとパッと答えが返ってきます。このようにして、仕事をするうえで、意外にも?オタクネットワークが役立っています。拡散していろいろな世界と付き合っておくことは、それ自体が楽しいということもありますが、不思議なことに、まじめな仕事のプラスになることもある。

放射線研究者=原発推進ではない

それと、動いて初めて気づいたことがあります。原子力ムラといわれる、原発を推進する人たちがいますね。今でも大きな力を持っているんですが、原子力や放射線の研究者は原子力ムラなのかといいますと、違います。机上の空論として設計図を書いている工学者には原発を推進しようとしている人も多いんですけれども、実際に放射線を扱っている人は、実は被害者という面もあるんです。

原発・原子力に関わる研究者には2通りあって、設計図だけ書く人と、現場作業に行く人に分かれます。現場作業に行く人は、被爆をするんです。事故があると、自分が被曝しながら調査しなければならないので、実は潜在的には、心情的に原発を嫌がっているという話を時折聞いております。正面から見て、原子力関係者だから原発推進派だというように一概に見てはいけないということを感じています。

理系の考え方と手法を政治に生かす

政治の世界では、おそらく市議会議員の8、9割、市の当局者8割が文科系のため、あまり理系の認識で議論することがありません。今回の原発事故では、理系の認識が非常に役に立ちましたし、市の政策には科学技術に関わるものはたくさんあるにもかかわらず、掘り下げられていないと思っています。理系の手法を持った人に、もっと市議会議員をやってもらいたいと思います。

現在、「理系・無党派地方議員連盟」というものを作って、獣医師など理科系の経歴で市議会議員をやっている人たちのルートを作っていこうと思っています。政治家養成塾としては、野田首相が出た松下政経塾などが有名ですが、そういったものとはちがって専門性を生かした仕事をしていきたいと思います。旧来型の市議会のイメージではない、市議会を目指したいと思います。

ヨーロッパなどでは、専門職従事者が、専門性を生かしながら市議会議員をやっている例があります。日本はそうではない場合が多いですし、政党所属の人が多いですが、また別の道があるということを示したい。今まで、理系の人は政治にあまり関心を持たず、文科系の人に任せておけばよいといったところがありましたが、これからは理系の若手が、政治で活躍できるように後押ししていきたい。



講座企画・運営:吉田源司
文責:八幡有美
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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