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平成24年1月27日 神田雑学大学定例講座NO585 

私の世界旅パート3(完結編)、講師 芳野健二


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画鋲
講師プロフィール
1.はじめに
2.アジアの旅
3.我ら日本人とは何か
4.次は北アメリカに入ります。
5.メキシコ・中南米、南米に入ります。
6.ついにオセアニアに来ました。
7.世界旅では色々な趣味が役に立ちます。
8.アメリカ分析 アメリカの人口変化
9.アメリカ分析「アメリカの膨張」、「アメリカへの移民」
10.最後にアメリカ大陸と日本への海外勢力の脅威の比較
11.私の世界旅終りにあたって
12.番外 先人の旅


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芳野健二講師

講師プロフィール

京都生まれの京都育ち鉄鋼メーカーで全国を巡った後、やや早めのリタイアー、少年に還る。旅行、スケッチ、映画、歴史書などの趣味に徹するとともに、地域社会のボランティアに工夫を凝らす日々。

1.はじめに

芳野健二です。神田雑学大学でのお話はこれで3回目ですね。昨年は色々身辺にありスキップさせていただきましたが、一昨年の5月と11月、ヨーロッパ、アフリカと回ったお話をし、素晴らしいHPを作っていただいて、コピーをとって家宝にしています。ここで終わってしまいますと世界の真ん中辺で終ったということになるので、もう一回やって、アジアと南北アメリカ、それとオセアニアの旅のお話をし、そして最後に世界の旅が終わったという意味で、三つほどの事を述べたいと思って準備してきました。地球の半分を約一時間でやり、残りの30分で集約ということで、かなり至難の技に挑戦します。

私はサラリーマンでしたが、人生は一回きりだという気持ちが他の人より大変強いのか、充実した人生を送りたいと、人生を3つの要素と三段階に分けたのです。3つの要素とは
「学ぶこと」であり「楽しむこと」であり「社会へのなにがしかの貢献」であります。今日の話題の「世界の旅」は私にとっての「楽しむこと」の第一番です。

熱心に話を聞いている受講生

もう一つの三段階というのは、人生80年、実は乾電池でいうと90%を使いきって残量10%くらいになっているのですが、かねがね45歳前後から、オール会社員とか組織の人間とかではなくて片足はなるべく抜いて、いろいろな見聞が出来ればいいと考え、その中で「世界の旅」があったし、「美術館巡り」があったり「濫読」があったりしてきたのです。60歳を過ぎまして、リタイヤ―いたしまして、本格的に両足をそういう「楽しみの世界」や「学ぶ世界」に入れてまいりました。そんな御蔭で年に1、2回、合計重ねると約40回ほど、50か国くらいの国々を旅をしてきました。これは一昨年と殆ど変っていません。

ラブラドールのはなちゃん昨年は実は3.11以降家の中にじっと閉じこもっておりました。今日の話に関係のない写真が右に貼ってありますが、これはラブラドールの「ハナちゃん」という私の家の愛犬でありまして、これが昨年の5月から後脚が効かなくなりまして、それから介護生活に入りました。、たまたま三日前に亡くなりました。享年15歳の犬生を全うし、人間換算で言うと103歳くらいになります。今日は追悼講座のような気持ちでここに立っています。

三段階目の70歳以降は足し算ではなく、引き算の人生といえるのではないでしょうか。今日はアジアを駆け足で歩いて、そのあと「日本人とは、日本語とは」という話をさせていただいて、アメリカ大陸へ行きまして、北アメリカでは「アメリカがいかに形成されてきたか」という議論をさせていただき、中南米では、コルテスやピサロにやっつけられてメタメタになりましたが、これらのアステカやインカの国々が日本とどう違っていたのかという議論をさせていただきます。そして最後の20分くらいで、「私の旅」ではなくて「先人の旅」を私の濫読の知識でご披露したいと思い、どんな本が面白く共感したかということを「世界の旅・歴史本リスト」ということで説明させていただきます。
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2.アジアの旅

エジプトとモロッコはアフリカ編で話しましたが文明の発祥の地であるメソポタミアとかペルシャなどアラブ圏は旅したいのですが残念ながらまだチャンスがないのとやや危ないということでまだ行けておりません。
2-1.まずトルコです

左から、ガラダ橋、アヤソフィア寺院、芳野講師のスケッチ

左は1900年ごろの写真のガラーダ橋です。雰囲気は今も全く変わらないです。右の方はアヤソフィア寺院です。私のつたないスケッチです。私の世界旅というのは私の写真とスケッチと、これまたつたない短歌、俳句で構成されています。ややこじつけなのですが、このアヤソフィヤ寺院では「あ」の母音を踏んでいます。
「アヤソフィア 赤き壁背に 赤き柿」 (笑い)

実は柿が一杯なっていたのです。「あ」の音で明るい感じが出ていますでしょうか?
トルコといえばケマルパシャです。日本の明治維新を参考にしてトルコを改革したと言われますが、おそらく明治維新の沢山いる元勲たちを束にして合わせたくらいの人物です。非常に大胆なことをやっています。政教分離、婦人参政権、それから軍政改革、教育改革、国語改革でアラビア文字からローマ字に切り替えました、そして生涯独身でしたからモテたようです。

左からフェリーの中の写真、カッパドキア
上左はトルコのダーダネス海峡を渡るときのフェリーの中の写真です。
「弟妹の 礼にと我にネックレス さしだし笑みし 十五の乙女」
可愛い乙女が私にお礼だといってネックレスをくれたという素晴らしいいい思い出があるんです。非常にみなさん日本びいきです。それから右2枚はカッパドキアです。

カッパドキアにいらっしゃった方はいますか。凄いですね。月世界というか魑魅魍魎の世界というか、そこで一首。ギョレンメの前にたたずむ羊飼い「月世界 旅する如き 心地しつ ふと横見れば 犬ぞたたずむ。」

この頃は我が家にハナちゃんがやってきた頃なので、ハナを思い出したものです。右はギョレメというところで、この穴ぼこの空いているところは住居です。そしてこういう羊飼いというのでしょうか、素晴らしい面構えをした人が多かったですね。日本の今の閣僚なんかをみてもこういう凄みのあるキリットした顔の人がいませんね。

トルコのこのあたりは歴史的にはキリスト教のパウロの活躍の場所です。
パウロの巡礼(地図)

「エフェソス人に与える手紙」とかパウロ書簡をこの辺を歩きながら書いたのですね。キリスト教とはイエスを素材としたパウロ教ではないかと私は思っています。

2-2.次はインドに入ります。インドは1995年に行きました。これはお札ですが、13の公用語が印刷してあります。私が行った翌月、ラジブ・ガンジーが殺されています。お母さんのインディラ・ガンジーも殺されましたね。最近のインドの経済発展の中で中島岳志というひとがなかなかいい本を書いています。「インドの時代」です。インドの国民会議派というのは結構汚職と隣り合わせなんですね。そういう問題とイスラム教徒の関係、シーク教徒との関係が大変なのです。

これはニューデリーの女子学生ですね。なかなか雰囲気のある私の好きな写真です。(画像略)これがアグラです。自転車に子供たちが5人くらい乗っています。これはベナレスからカルカッタへ行く途中で4時間も列車がなんの連絡もなく止まりました。いつまでも動かないということで、大変な思いをしました。それを見に来ている子供たちを撮りました。美しさと汚さが混在しているのでインドは好きになる人と嫌いになる人が両極端だと言われますが、私はどっちかというと好きなんです。   

ガンジス川、二枚目は牛がレールの上を歩いている

これは例のガンジス川の斎戒沐浴、明け方の4時半ごろ、灯篭流しをして祈っているところです。右は汽車の窓から写真を撮ったんですが、牛が悠々とレール上を横切っています。ダイヤ通りに列車を運行するのはインドでは無理ですね。このあたりの歴史的な旅で有名なのはアレキサンダー大王です。アレキサンドリアという都市が世界には5つくらいあります。エジプトからインドまで、まあ征服していくアレキサンダー王はいいでしょうが、ついて行く人は大変だったと思います。へとへとだったでしょう。

アレキサンダーの東征

2-3.次はタイです。これはアユタヤの街です。ここはすばらしい所で朝起きて思わず絵を描いてしまいました。でも昨年は大水害で大変でしたね。アユタヤの中にはこういう古い涅槃仏などがあります。

タイの街、涅槃仏

2-4.そしてベトナムへ参ります。ベトナムの首都はホーチミン市、昔のサイゴンです。なぜかみんな大きなマスクをしています。相当排ガスが大変なのでしょう。この犬と目が合ってしまいました。ばちっと私を見ていますでしょう?ちゃんとまたがって足を踏ん張って運転するような格好をしていますよね。下図左はフエです。昔の都です。京都に匹敵します。次は隣町のホイアンで私が読んだ歌。「タオさんの 祖父の話はこの国の めぐりし道の 縮図なるらん」

マスクをしてバイクを運転している、フエ 、ホイアン

タオさんは日本語の達者なインテリですが、その人のお話を屋台に座って飲みながら聴いたのです。おじいちゃんも大変なインテリでフランスへ留学した。戻ってきたらフランスが負けて日本軍が占領していた。それで日本軍の仕事をした。そうしたら日本軍が負けてしまった。そして米軍が来た。それで米軍の通訳をした。ところがアメリカは負けてしまった。今度は解放軍に国賊といわれて再教育され、失職してしまった。そういう運命のおじいちゃんの話でした。

下はハイヴァン峠というベトナムの北と南を分ける峠です。このあたりはベトナム戦争の激戦地でした。今では最も美しい峠になっています。下の真ん中はニヤチャンという昔のバオダイ帝の別荘のある村ですが、これは屋台の散髪屋です。

ハイヴァン峠、ニャチャン屋台の散髪屋

2-5.次はシンガポールとバリ島です。ボブ・ホープの映画が1950年くらいにここを舞台にありました。私は映画も好きで色々な昔の映画のポスターも集めて持っています。珍道中シリーズです。バリ島はイスラムのインドネシアでめずらしくヒンズーの魅力的な世界です。

映画のポスター、風景画

2-6.これはフィリッピンです。コレヒドールへ行きました。もう一枚貴重な映画ポスターを見て下さい。これは1950年ごろの「コレヒドール戦記」というジョンフォード監督、ジョンウェイン主演の作品です。ここは日本との戦争のあとがたくさん残っています。

コレヒドール戦記のポスター

2-7.さて次は中国です。中国そのものはチベットとかシルクロードを除くと最近様子がだいぶ変わっていると思います。これは1987年に行った時の写真です。みんな人民服ですね。

人民服姿の人たち、莫高窟(モーガオクー)

これが上海ですが当時は農協のおじさん達という感じでしたね。これは洛陽ですがやはり人民服です。当時はこういう感じでした。西安の先はシルクロードです。2007年に行きました。上の右端は莫高窟(モーガオクー)です。

上海の落葉

これは三蔵法師で有名な鳴沙山です。それから陽関です。玉門関です。この中で漢詩をおやりになる方はいますか?私は漢詩の吟咏が趣味です。今日はこのあたりで咏われた涼州詩を歌いたいと思います。

涼州詩「葡萄の美酒 夜光の杯・・・・・・・」
―朗々と右の涼州詩を歌う。―
左は異民族の笛の音がどこからと聞こえる、異郷に来ている兵士たちの気持ちが良く出ていて人気がある詩ですよね。

下の絵はウルムチで見たミイラです。3870年前の身長88cmの少女です。コーカソイド、白人だったそうです。ここはコーカソイドとモンゴロイドの接点なのですね。

ここに描かれているのはクマラジュー、この人はクチャの出身でインド語つまりサンスクリット語が解かるシルクロード人で中国に初めて仏典をもたらし翻訳した人です。

これはカシュガルのちょっと奥の方の部落のバザールです。雰囲気がありました。ここで石榴(ざくろ)を買いました。石榴とかナツメヤシとかあり、石榴の実が大粒の涙の様で印象的でした。そこで一首。
「大粒の 涙の如し カシュガルの 赤き石榴の実の光りいて」これは遠景を描いたものです。

ざくろのスケッチ

手前はタクラマカン砂漠、向こう側が天山山脈です。列車が走っています。

タクマラカン砂漠

カシュガルは中国の一番奥です。そのまた奥に分け入って道が繋がっているのです。それが5カ国くらいとの分岐点になるのです。そこで一首。

カラクリ湖「カシュガルの 奥の細道 玄奘も マルコポーロも 歩み入りにき」 これも詩吟でやるときは2回繰り返します。ちょっとしつこいですからやめましょう。(笑い)そしてこの一番奥地まで行くとカラクリ湖という湖があるのです。ここは感動でした。富士山と同じ高さです。向こうに見えるのは7700m、と7500mの山です。私が見た中で一番高い山です。

私もここでは、ここをマルコ・ポーロも玄奘三蔵も通ったのだと実感して感動しました。ここしか通る場所がないのですから。ここのこの辺をあるいた世界の大旅行家、マルコ・ポーロと玄奘三蔵の軌跡を描いた地図を載せます。

玄奘三蔵の軌跡を描いた地図

2-8.今度はチベットです。これはドイツ人のハインリッヒ・ハラーという人が1944年戦争を避けてチベットに逃げ込むのです。そして少年だったダライ・ラマに会い世界を教えるのです。これはブラッド・ピット主演の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」でした。

「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のパンフレット、他

チベットでは修行者のディベートと信者の五体投地には感動しました。喧嘩をしているのではないかと思うほど激しいディベートを延々と寺の庭でやっているのです。鳥葬の現場は見れませんでしたが、あれがその場所だというのは見ました。チベットは景色もいいですが、そういう宗教的精神が印象深いですね。チベットでは珍しく長歌を作りました。見て下さい。

スケッチと長歌

2-9.次は台湾です。台湾は2010年にはじめて行きました。女房の母親が小学校の時台湾の南端之ピントンという所にいたというので、住んでいたところに行きましょうということで訪ね訪ねて行きました。まず昔の小学校に行きました。そうしたら若い先生が古い日本統治時代の資料を出してくれました。校訓です。「天皇陛下には忠義・・・」ですからね。
ここでもさっきと同じように、長歌を作りました。これも見てほしいですね。
色々台湾の方々と話して感じたことなどを織り込んで作りました。

(画像をクリックすると大きな画像が出ます)

長歌

日本語の上手な年配の方も多く、台湾は印象深かったです。

2-10.韓国です。慶州などなんとなく飛鳥時代の日本を連想させる遺跡が多く印象的でした。3枚ほど絵を並べます。

慶州三枚の絵
アジアはこれで終わりです。早いですね。
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3.我ら日本人とは何か

資料は配付しました「日本語の源流」と「縄文と弥生」を使います。どの資料から採ってきたのかはもうごちゃごちゃです。15冊ほどの本を読んでまとめたものです。まずは「日本語の源流」ですが入ってきた時代順に(1)から(7)まで順番を付け、川の流れのように図示してみました。(1)はアルタイ系の言葉が、地続きだったせいもあるのでしょうか入ってきます。

日本語の源流日本語の文法の骨格、SOVですね。私は(主語)あなた(目的語)を愛する(動詞)のような順番の言い方はこのころから入ってきているようです。

次に2番目に南方からマレーシアとかカンボジアの方から来た人たちが基本語である山とか川とか花とかいう言葉を持ってきたらしい。これは5000年から7000年前の縄文時代の事です。

それから弥生時代の南中国系、江南、ビルマ系の人たちが身体語、目とか歯とか手とか耳、鼻、口などの言葉を持ってきます。4番目が北方騎馬民族、これは鉄などとともに支配階級として入ってきます。これは三世紀から五世紀ごろです。

中国語では馬はマですよね。馬はもともといなかったのでしょう。言葉といっしょに入ってきたのでしょう。牛は朝鮮古語だそうです。そして5世紀から13世紀にかけて漢語が入ってきます。最初が南方系の呉音、次が漢音、最後に唐音が入ってきます。例えば明治の明の読み方は漢音ではメイですが呉音ではミョウ、唐音ではミンとなります。

そして最後にキリシタン文化が入り西洋文化が入って言葉が増えます。では私達が今日使っている現代日本語はというと、やまと言葉が約5割、漢語が4割、ヨーロッパ外来語が1割という構成になっているそうです。ちなみに英語は古いアングロサクソン語が5割くらい、御隣のフランス語ラテン語的なものが3、4割、残りがギリシャ語とかアラビア語です。アルコールなんていうのはアラビア語ですね。前置詞なんかはギリシャ語が多いです。それから縄文と弥生ということで比較してみました。先に縄文があって弥生は後から来たのですね。髭が濃い縄文系とのっぺりした弥生系の顔を並べそれぞれの時代の遺跡の分布を色で示しました。

(クリックすると大きな画像が出ます)

縄文系の顔と弥生系の顔
血液型でもO型は南方からやってきたそうで、分散していってどちらかというと北の方に多いです。そしてB型は北方系からやってきてやっぱり北の方に多い。A型は南中国からやってきてどちらかというと西日本に多いようです。

色々弥生と縄文では違いがあるようで、例えば酒を飲んで酔っ払うと、「あっ弥生だ」とか言うほど縄文系は酒が強いそうですね。耳垢がじくじくしていると弥生系とかしみが多いのは縄文系とかいいます。サッカーで言えば長友とか川嶋はどちらでしょうか?独断と偏見ですが縄文系ですね。長谷部とか内田などジャニーズ系は弥生系ではないかと思います。深く考えないでください。偏見ですからね。

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4.次は北アメリカに入ります。

まずこれはツインタワービル。私は9.11の半年後に行きましたが、本来ならここにあるわけです。「消え失せし 双子のビルの 空青し 憎しみ持ちて人は何処へ」ニューヨークにサークルラインという観光船があるのをご存知ですか。ここから出てマンハッタン島をぐるっと船で回ってくれる観光ルートです。この船上から撮った写真です。これは万延元年の遣米使節団の一行です。新見豊前守や小栗上野介なんかが行っています。77人が行ったようです。
遣米使節団の一行、福沢諭吉と写真屋さんの娘さんのツーショット写真

詩人ホイットマンが書いた「ブロードウエイの華麗な行列」の詩と使節一行の写真です。右は福沢諭吉がサンフランシスコで写真屋の娘さんと撮った写真です。

スケッチ画、自由の女神、講師親子のツーショット写真

これは自由の女神。松明を掲げた如くペットボトルを掲げているのは私の次女です。そして右は私と息子です。これはシンシナティで撮ったものです。明治の初めからアメリカのプロ野球は今のような状況があったのですね。

ブルックリンブリッジとハドソン川のワシントンブリッジの絵右はイーストリバーのブルックリンブリッジとハドソン川のワシントンブリッジの絵です。ここをこの前飛行機が抜けて着水したんですよね。

実に大変な忌まわしきツインタワーのテロもあったし、奇跡のような着水もあったということで描きました。

これは国連です。武器を捨てようというモニュメントでしょう。右は私の好きなノーマン・ロックウェルの壁画が国連ビルにあるのです。ここに字が書いてあるのですが、マタイ伝の7章から「自分がやってもらいたいことを他人にせよ」と書いてあるのです。マタイ伝には右のほほを打たれたら左のほほを差し出せ」とも書いてありますね。でもブッシュなんかやってきたことはまるで逆でしたね。「やられる前にやっつけろ」ですからね。これはひどいと思いました。

国連ビル、ノーマン・ロックウェルの壁画

私の好きなファミリーツリーの絵もあります。海賊がいたりネイティブアメリカンがいたりして、今日の私達がいるという絵です。アメリカは本当に民族の渦ですね。色々な人種が集まって国を作っています。混血もすごく進んでいます。

(画像をクリックすると大きな画像になります)

タガーウッズ、バラクオバマ、ユル・ブリンナー、アンソニー・クイーン

オバマ大統領は何者か? 御母さんがスコットランド系、イングランド系、チェロキー、お父さんがケニヤからハーバードに留学してきた頭のいいケニア人で、向こうに正妻がいたり、何回も結婚したりして、オバマの自伝などでは「あいつは・・・・」なんていう感じでアフリカの異母姉と話していますね。左はタイガーウッズです。タイ、中国、黒人、白人、インディアンの混血です。愛人多数、慰謝料650億ですからね。

アンソニークイーン、ユル・ブリンナー、それぞれユニークな混血です。ボストン、ワシントンこれは省略します。下左のデトロイトには1985年仕事で行きましたがアメリカの一番ひどい時でした。街はとても歩けない。歩いている人は浮浪者だけでした。

シカゴ

上はシカゴです。シカゴは建築の町といわれていて面白い建物が沢山あります。

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5.メキシコ・中南米、南米に入ります。

メキシコ5-1.メキシコです。 「白き神 悪鬼と化して ひたすらに 黄金奪いし宮殿もなし」ということでここはかってあった宮殿も何もないんです。白き神と書きましたが、始めてみた白人を神様だと思ったのが敗因だったのです。

下はピラミッドです。左側はティオティワカンです。月のピラミッドの頂上から太陽のピラミッドを望んでいる絵です。右はユカタン半島にあるチチェンイツアのピラミッド。これは造形的にも素晴らしいものです。

ピラミッド

5-2.こんどはグアテマラです。同じくマヤ遺跡で下はティカール遺跡とです。
「雲海と 樹海のなかに見え隠れ ティカール遺跡 千年の夢」そしてアンティグアという古都には富士山によく似た山が背景にありました。
「石だたみ 富士に夕陽の アンティグア」

アンティグアの富士に似た山、ティカール遺跡

5-3.今度はジャマイカです。治安が悪かったのですがレゲエの故郷で魅力的な島でした。カリブ海にはめずらしく、ここは英国の植民地でしたから英語圏です。

鳥、他


5-4.そしてエクワドルです。
文字通り赤道の下の国です。右端の絵には斜めに赤い筋が入っているでしょう。これが赤道だという私の想像図です。実際にはこんな筋はありませんよ。(笑い)

5-5.そしてペルーです。
フジモリさんの写真です。新聞からとりました。今は罪人になっていますね。娘さんはがんばっていますが。昔ペルーの日本人は苦労したのです。その苦労の末、頂点に立ったのがフジモリさんでした。さて歴史の評価はどうなるでしょうか。右の絵はクスコです。

フジモリさん、クスコ

クスコは古い町で京都に似ていますね。魅力的な街です。マチュピチは雨が降っていて一枚しか描けませんでした。この段々畑は面白いと思いました。
「雲かかる峰を背にして 石積の 神殿の跡 沈黙のな か」下はリマの国立博物館にあったインカの遺物です。大胆なデフォルメです。足と顔しかない壺なんてピカソもびっくりですね。上はナスカ絵の近くの子供です。子供ながらたくましさを感じます。

インカの遺物、男の子と女の子

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6.ついにオセアニアに来ました。

エアーズロックの頂上、夕方の遠景、オルガという岩山

オーストラリア、左はエアーズロックの頂上です。広いのです。真ん中はエアーズロック夕方の遠景。右端の絵はエアーズロックのすぐ近くにオルガというこれまた存在感のある岩山があります。荘厳です。

次はニュージーランドです。

ニュージーランドの美しい風景

美しい国です。地震があって温泉があって湖がきれいです。マオリ族がネイティブです。先般ちょっとイギリスの事を調べるチャンスがあって調べていたら、イギリスはずいぶんひどいことをしていますね。例の奴隷貿易でしょう。それから19世紀になると阿片の三角貿易でしょう。17世紀は海賊行為ですね。そしてクック以降のオセアニア支配です。ニュージーランドには王様はいなくて、各地各地に族長的な存在がいたのです。イギリスは彼らとワイタンギ条約というものを結びます。英語とマオリ語での内容が全然違っていたのです。

話は中東に戻りますがイギリスはユダヤ、とアラブ、フランスとの間では3枚舌を使い、ユダヤ人にはイスラエル国家を作るから金を出せ(バルフォア協定)、アラブ人にはトルコを一緒にやっつけましょう、その代わり独立国にしましょう(フセイン・マクマホン協定)、フランスには喧嘩を止めましょう。シリアをあなたにあげます(サイクス・ピコ密約)と。これが今に至る紛争の原因です。9.11の遠因でもあります。
こんなことでようやく世界旅は終了です。

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7.世界旅では色々な趣味が役に立ちます。

篆刻(てんこく)皿回しを前回ご披露しましたが今回は篆刻です。篆刻をしている方はいらっしゃいますか?大きさは小さいものですが味があります。長持ちします。外国から来た人が家で食事をしたときに15分くらいで彫れるので彫ってあげるのです。外国語のものと漢字のものを二つ彫ってあげるのです。私の小さな国際貢献です。右の「篆刻は世界を結ぶ」は彫ってあげた方々の国別篆刻です。

一例をあげればマルコ君というドイツ人の写真家はMARCO と丸ですね。
右はシルビアというメキシコ人で娘がホームステイでお世話になった人です。SYLVIA と知美です。美を知るとはいい名ですよね。

佃煮「天安」の店先でのSYLVIAさん、知美さん、他一枚

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8.アメリカ分析 アメリカの人口変化

(画像をクリックすると大きな画像になります)

遷移(せんい)を地図上で表したもの

これはアメリカの人口の中心点の遷移を地図上にあらわしたものです。1790年から2010年まで次々と西に移ってきているのが分かります。そしてこの地図の上を見て下さい。黒く塗られた部分がネイティブアメリカン、インディアンの居住区です。赤い部分が白人たちの土地です。その侵していく速度は凄いです。アメリカはこんなに短期間で変わっていったということが理解できますね。

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9.アメリカ分析 「アメリカの膨張」、「アメリカへの移民」

(画像をクリックすると大きな画像になります)

アメリカの膨張、アメリカの移民私なりの理解ではアメリカはインディアンの土地を無理やりに奪い、黒人奴隷の労働力を使い、そして移民たちの能力を使って、今日の強さがあると思うのです。国土も出だしは120万キロ平方メートル、日本は38万キロ平方メートルです。それがあっという間に、増えます。

ナポレオンはフランスでは英雄視されていますが、ここでは失敗しましたね。あっさりとルイジアナを譲っているのです。たぶんヨーロッパの覇権競争で手が回らなかったのでしょうね。テキサスはいちゃもんをつけてメキシコからとってしまいます。

明治の後半にはフィリッピンまでスペインからとって領土にしてしまいました。そういいうことでスタート時より8倍増えて、いまや日本の25倍になりました。

それから移民が1800年代からざーっと増えて10年毎に500万、500万、900万と入ってきた。アイルランド人、ドイツ人、イタリア人、北欧、東欧、ロシアと次々に新参者がやってきました。今日では白人7割、ヒスパニック13%、黒人13%、アジア人4%というような比率になっています。

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10.最後にアメリカ大陸と日本への海外勢力の脅威の比較をしてみました。

スペイン人コルテスは1519年、400人の部下を連れてアステカの王モンテスマの所にやってきて、あっというまにアステカ王国を征服してしまいます。これには不幸なことがいっぱい続いたせいです。白人を白き神と思った。海からやってくるから神だと思ったのです。同じ思想は沖縄にもあります。ニライカナイといいます。ですから沖縄の人はペリーなんかが来た時も丁寧に扱っていますが国際情勢が幸いして植民地にはならなかったのです。ペリーは植民地にしたかったようです。このような悲劇の中でひとつ救いがあるのはラス・カサスというスペイン人の神父がこれを徹底的に糾弾していることです。真ん中はピサロです。

コルテス、ピサロ、ザビエル

彼はたったの108人でペルーに行ってインカ王アタワルパをだますのです。
まあ悲劇の始まりはアタワルパというバカ殿様がいたことですね。当時日本は信長の少し前の時代で足利将軍の10代目くらいで何もできなくなっているでしょう、ああいう時代や応仁の乱の時代にヨーロッパ勢力が来たら同じようなことが起こったかもしれない。しかし日本には頑強な武力があったから抵抗はしていたでしょうね。しかしその数10年後の島原地方の殿様の有馬氏は長崎をイエズス会に寄進しているのです。

寄進ということは長崎は「香港」になったのです。たしか秀吉がこれを無効にしています。信長と秀吉がまず日本の独立をキープしたと言えると思います。これで3回にわたった私の世界旅はようやく完結です。ご静聴ありがとうございました。

11.私の世界旅終りにあたって

最後に私の世界旅の軌跡を見ていただいて終わりにしたいと思います。

私の世界旅

12.番外 先人の旅

番外編として「先人の旅」を私の濫読の知識でご披露したいと思い、どんな本が面白く共感したかということを「世界の旅歴史本リスト」ということで説明させていただきます。

(画像をクリックすると大きな画像になります)

世界の旅丁史本リスト

◎のついている本は特にお薦めしたい本です。

なお「ザビエルから漱石までー西洋との出会い五百年―」というような題で、秋以降、語らせていただく機会があればと思っています。(以上)




講座企画・運営:吉田源司
文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


本文はここまでです


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