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平成24年2月3日 神田雑学大学定例講座NO586 

英語教育におけるバリヤーフリーを目指して「ろう者・児とともに歩む」講師:三澤かがり・板谷美樹 


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画鋲
1.ろう学校の非常勤講師として英語指導
2.手話をはじめたきっかけ
3.ことばの定義について
4.聞こえないということ
5.聞こえない人と手話の厳しい歴史
6.手話を使ってどのように英語を勉強しているのか
7.クレオールでの活動
8.板谷美樹さんのお話


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三澤かがり講師

1.ろう学校の非常勤講師として英語指導

こんばんは。聴覚障害英語サークル「クレオール」の三澤かがりと申します。話を始める前に、申し上げておかなければいけないことがあります。言葉とは難しいものだと思いますが、障害についてお話をするときに気をつけておかなければいけないことは当事者の受け取り方だと思います。

今日は「雑学」としてお話をみなさまに聞いていただくのではなく、一つの知識を得て、次に生産的につなげていただくきっかけ作りになればと願っています。「雑学」ということばを聞いたときに、障害を持つ方たちの中には「自分たちの生活を雑学としてとらえているのか」と捉えられてしまうことは避けなければいけません。その意味からも、みなさまより少しだけ聞こえない人たちの世界を知っている者としてお話をさせていただきたいと思います。

聾=耳が聞こえない、唖=口がきけない耳が聞こえないことを「ろう」といいますね。漢字では図のように書きますが、どうしてこのように書くのでしょうか。龍の耳は牛の耳に似て描かれますが、実際は聞こえないから、聞こえない人のことを「聾」というといった説があります。真偽のほどはともかく、以前はこの文字に唖という漢字をつけて「聾唖者」と言っていました。

この「唖」というのは口がきけないということです。「聾唖者」というのはつまり、耳が聞こえず、口がきけない人という意味になります。なんとも残酷な響きだと思います。最近では、この「唖」を取って、ろう者と呼ぶことが多いのです。ろう者は耳が悪いために、自分の声や話したことがフィードバックされず、声を出すことを次第にしなくなる、あるいは言語獲得以前に失聴した人の場合、体系だった音声による伝達手段を身につけられないために声を出さないということがあります。

12歳で聴力を失った人の手記からの抜粋を読ませていただきます。

「私はたぶん、聞こえないことによって、話すこともできなくなるだろう。言葉というものは一度聞けばわかるというものではないし、話すということは話しながら、聞き手の反応を見ながら正しい発音、話し方を維持していくものではないだろうか。聞くことも話すことも経験を必要とし、聞こえなければ発音の調整が困難になっていく。声を出さなければ、当然機能は低下し、声は出なくなる。私は自信を持とうとしても、持てない状況に置かれている」

一人ひとり、その状態や程度は違っていますが、今、私は聴覚障害をもつ人たちと関わりを持ちながら毎日生活しています。今日はその関わりから知りえたこと、感じたことや思いをお話させていただきたいと思います。

三澤かがり講師と板谷美樹講師


現在、東京都立中央ろう学校と葛飾ろう学校で非常勤講師として英語指導をしております。6年前に「クレオール」を立ち上げ、学校が終わった放課後の夕方、あるいは夜間に学習会を持ち、または土曜日などに英語を学びたいという聞こえない成人の要望に沿った指導をちよだボランティアセンターでしています。日曜日は、手話通訳の活動や福祉関係あるいは通訳関係文書の翻訳作業をしていますので、文字通り聞こえない人たちとともに歩んでいるような気がします。

聞こえる人たちは英語を習いたいと思えば、学習する場所はいくらでもありますが、聞こえない人たちが勉強できるところはほとんどありません。よく聞かれることに「聞こえない人にどうやって英語を教えるのか?」という質問があります。「聞こえない=音声言語が理解できない」と思っているようですが、そうではありません。「英語の手話で教えるのですか?」というお尋ねもよくありますが違います。「英語の手話」というものはありません。手話は国それぞれ異なっていますので、アメリカ手話・イギリス手話・中国手話・ドイツ手話というように、国それぞれ独自の手話があり、同時にそれはその国の音声言語とは体系が異なった言語となっています。日本語英語がないのと同様です。

「聞こえない人に英語を教える」というのは、みなさんが英語を学んできたように(特に英文法)英語のしくみを手話で行うだけのことです。聞こえの程度によってできる人もいますので、英語の音読もやりますが、細かい発音を聞き分けることが難しいので、一つの手がかりとして発声方法などを説明する場合もありますし、読み方をカタカナで表記することもあります。

講義中の部屋の様子
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2.手話をはじめたきっかけ

私が手話を始めたきっかけをお話ししたいと思います。
ほとんどのろう学校の教師はろう学校に配属となり、その後、生徒に教えながら手話を身につけていきますが、私の場合はある難聴児との出会いで手話の世界に入りました。
私は、幼少時アメリカに暮らしていましたが、当時は帰国子女を受け入れる学校がほとんどありませんでしたので、日本に帰国後は地元の公立学校に入学し、英語をすっかり忘れてしまいました。

高校卒業後、日本女子大学英文科に入り、英文学専攻でしたが、その中のゼミで言語学や英語教授法に興味を持ち、いずれは英語を教えたいという思いがありました。ただ健常児に教えることにはあまり興味がなく、英語を学ぶのに困難がある子供に教えたいという漠然とした思いだけがありました。なんとなく、キーワードとして「英語」そして「社会福祉」という思いが心の中にくすぶり続けていました。しかしその二つがどのようにドッキングし、どのような仕事につながっていけるのかは長い間わかりませんでした。そのくすぶりに少しの風を送り込み、火をおこしたのはある聴覚障害児との出会いでした。

結婚しまして、子育てと家事をしながら、細々とでしたが英語を苦手とする中高生の指導をしていました。みなさん普通に聞こえる子供たちが通ってきました。そんなあるとき、近くの公立中学へ通う中学生がお母様と一緒に、英語を教えてほしいと来ました。その前に学校の先生から電話があり、「英語学習がなかなかうまくいかない生徒がいる。学校の勉強だけでは対応できないので、フォローしてもらえないか」とお話がありました。それまでその学校からは何人も生徒さんが来ていらしたので、「どうぞ」とお受けしました。切る間際に先生が「そのお子さんは少し聞こえにくいのですが。」とおっしゃいました。「えっ?」と思ったのですが、その時はあまり深刻に考えませんでした。

会った私はショックを受けました。中学二年生でしたが、私の問いに答えるのはすべてお母様でした。お母様と私のやりとりは彼の頭上を飛び越えていて、その間の彼の目は宙を泳いでいました。最後にお母さんに促されて「どうぞよろしくお願いします」そういった声に自分が引き受けたその重さに愕然としました。

私は叔母が難聴なので、聞こえない人が手話で話をするのを見ていましたから、「手話はしないの?」と何気なく聞いたところ、お母様から「いいえ、この子は手話は使いません」ときっぱりと釘を刺されました。今では手話をする聴覚障害者を不思議そうに、奇怪なものでも見るように見ることはしなくなってきましたが、20年ほど前は手話を覚えると日本語の力がつかないという考え方がまだ根強く残っており、聴覚に障害のあるわが子が手話を使うことを拒む親御さんが多かったと思います。

その男子生徒は、半年ほど通って来ました。その間、筆談と口話(こうわ)の読み取りで進めていきました。その後、次第に休みがちになってしまいました。あとで学校の先生にうかがったところ、学校に来られなくなったというお話でした。このことは私にとって大きな澱となって心の中に残りました。そしてその時、大学の時に、漠然と考えていた英語と社会福祉のドッキングということが鮮明になりました。それは「聞こえない子どもに手話を使って英語を教えよう」というものでした。

そこから、手話の学習が始まりました。手話は一つの言語ですから、大変奥の深いものです。私たちが中学生から学校では週に5、6時間の授業を費やしていても英語の習得はなかなか難しいものです。手話も習得するのに大変な時間と労力を要します。初めは一つひとつの単語を覚えるのが楽しく、週1回の講習会を楽しみに通いました。ところが、回を重ねるごとに次第に難しくなってきます。

言語を学ぶというのは、表に現れる語彙、文章、情報内容を読み取ったり、表出したりするという作業だけではありません。その言語の背景にある文化、歴史、土壌をも含めて学ぶことなのだということは、みなさんはご存知だと思います。手話も同じで、聴覚障害とはどういうことか、それによって引き起こされる社会的不利益、不便は何なのか、聴覚障害者が歩んできた歴史、おかれている現状を学んでいくことが非常に大切です。

最近、スティーブン・ジョブズの「将来につながる点と点をつないでいくことはできないけれど、過去に歩んできた点と点が繋がって今があるのだ」という言葉に感動したのですが、まさに自分の場合もそれが言えると感じます。アメリカで生活した私が、叔母が友だちと話すときに使う手話を見て、「英語」と「福祉」を結びつけた仕事がしたいと漠然と思い、それから10年以上の歳月を経て、難聴児と出会い、手話を学び始め、今このように日々聴覚障害者に英語を教えていることを思うと、まさにそれぞれの「点」と「点」がつながりあって今の道に続いているのだと痛感しています。 
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3.ことばの定義について

ここまでお話して、みなさんは、私が「聞こえない人」とか「ろう者」とか「聴覚障害者」とか、いろいろな言い方をしていることにお気づきかと思います。ここで少し、表すことばについてお話します。

板谷美樹講師と三澤かがり講師

「聴覚障害者」は、英語でいうと「Hearing Impaired」となります。耳が聞こえないあるいは聴覚に障害を持つ人のことです。この聴覚障害者の中には「ろう者」といわれる方と軽度難聴から重度難聴をもつ「難聴者」といわれる方々や、成長してから失聴した「中途失聴者」といわれる方々が含まれます。 医学的には、両耳が100dB以上の聴覚障害者を「ろう」と言いますが、その言葉には文化的な側面も含まれ、手話をその言語とする人を「ろう者」というとの考えもあります。

ろう者自身は、自分のことを「ろう者」と誇りをもって言いますが、その程度がまちまちであることを考えると私自身いまだに「ろう者」とくくることができず、「聞こえない人」と表現してしまいます。両耳で70dBになると身体障害者手帳が交付され、日本にはこの交付を受けている聴覚障害者は約36万人ですが、「耳に不自由を感じる」という人は全国で600万人とも言われています。

一口に、「聞こえない」といっても、その程度はさまざまです。補聴器を装着してかなり聞こえるようになる人もいれば、まったく効果がないために補聴器をつけていない方もいらっしゃいます。聞こえなくなった年齢もさまざまです。遺伝的な要因もあれば、胎児のときの事故に起因するもの、母親が妊娠中に風疹に罹り、胎児に影響を及ぼすということもあります。

1965年、沖縄で風疹が大流行しました。その結果、風疹による聴覚障害児408人が誕生しました。この子供たちが中学生高校生となる6年間に限定したろう学校も作られましたが今は廃校となっています。山本おさむの「遥かなる甲子園」は、このろう学校の野球部の生徒たちが、甲子園への県予選に出場するまでの苦難と苦闘の物語です。

突発性難聴といって、成人してから聞こえなくなる人もいます。原因はストレスによるケースが多いと言われています。耳鳴りがその前兆症状としてありますので、耳鳴りを決して軽んじないようにお願いします。そのほか、高齢による老人性難聴があります。

聴覚障害のある部位によっても聞こえ方が異なります。外耳、中耳までの障害は「伝音性難聴」といって、音を伝える空気の振動を感知しにくいものもありますし、内耳、聴神経の障害によって、音を脳に伝える道が何らかの形で阻まれている「感音性難聴」もあります。

聴覚障害の種類

この両方が混在している場合を「混合性難聴」と言います。このように、聞こえないすべての人が同じ状況にあるわけではないということなのです。伝音性とは音を伝える部位が障害を持っています。鼓膜のうしろにある中耳の耳小骨までに何らかの機能障害が起きている場合を伝音性といいます。この場合は補聴器をつけることでかなり改善が期待できます。ところが、それ以降の感音性の内耳や聴神経の障害になりますと補聴器をつけても効果が少ないのです。

音は外耳道を通って鼓膜を振動させ、その振動は鼓膜についている耳小骨に伝わり、そしてカタツムリのような形をした三半規管の一部にある蝸牛という中にとても細かい毛が生えていて、振動がその毛に伝わり、そこから蝸牛神経と呼ばれる聴神経に伝わって脳に届きます。これが聞こえるという仕組みです。

そして先ほどから言っておりますdB(デシベル)ですが、これは音圧を示し音圧の高い音ほど大きな音となります。聞こえの程度を表すdBはこの音の聞こえの状態を表しています。聞こえが「40dB」と言えば、オージオグラムという機器で40dB以上の音が聞こえるというわけです。

(デシベル)一聴力を示す単位

0~20dBは正常です。
30~40dBは軽度難聴、50~60dBを中度難聴、70~90dBを高度難聴といいます。
そして100dB以上になりますと医学的には聾(ろう)と区分されます。
70dB以上の高度難聴では人の怒鳴り声が聞こえない、100dBではガード下にいて頭の上を走る電車の走行音が聞こえない状態です。
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4.聞こえないということ

聞こえないと何が不便なのか、どういう事例があるか考えてみましょう。聴覚に身体的な機能不全を持っている聞こえない人たちは、その日常の生活を営んだり、社会生活を送るときにさまざまな不便や不利益を経験しています。例えば、お湯が沸いた音、玄関のベルの音、目覚ましの音が聞こえません。車のクラクション、自転車のベル、電車内や駅の放送などの生活音が聞こえないことは命にかかわる危険もあり、大変な不便だということがお分かりいただけると思います。

目覚ましをセットしてもベルの音は聞こえません。さて、あなたはどうするでしょうか? 今では携帯電話などにバイブ機能がありますので、それを使っている方が多いようですが、そのほかに聴覚障害者のための機器がいろいろとあります。以前はカーテンを開けておくとか扇風機やクーラーのタイマーをセットしておくなど、工夫していたという話を聞きます。
学校では音声の情報が入りにくいので、先生の言っていることがよくわからずに、学問を受ける権利が損なわれてしまいます。

聞こえない人のほとんどは、聴覚機能の不全という一次障害を持っているだけで、声は私たちと同じように話せる機能をきちんと持っています。ところが、自分の声がどのようにまわりに聞こえているか、自分で認識できないため、声を出すことに臆病となり、やがて出さなくなります。使わなければ当然、機能は衰えてきます。「私はこう考えている」「こうしてほしい」「こうやりたい」と自己主張する手段がない状態を想像した時、自分自身(自我)を確立することの難しさは容易に想像できると思います。

それが積み重なることによって「聞こえない自分はどのような存在なのか?」「この社会に生きていていいのだろうか?」というところまで感じるようになってしまうケースもあるのです。これはアイデンティティの喪失と呼ばれて非常に大きな問題です。

耳が聞こえないと何が不便?

また、聴覚障害者は非常識だという言葉を聞くことがあります。なぜでしょうか? エレベーターに一番最後に乗ったとき、ドアが閉まらず、まわりの人があなたを見ています。どうしてでしょうか?重量オーバーでブザーが鳴っているのですから、最後に乗った1人が下りるというのが、一般常識ですね。でも最後の人が聞こえない人だったら、どうなるでしょうか。そうです。聞こえないため、どうしてじろじろ見られているかわからないのです。

わからずにじっとしていると、舌打ちをしながら、ほかの人が降ります。ここで、まわりの人は「最後に乗って、ブザーが鳴っているのに下りないで、ほかの人を下ろさせた非常識な人」というように見てしまいます。聞こえない人は、そうした失敗をくり返しているため、混んだエレベーターには乗りたがりません。少しでも混んでいると次のを待ちます。でも、ここでまた聞こえる人は思うのです。「ボタンを押したくせに、少し混んでいるからといって乗らないなんて、わがままなんだ」と。見ただけでは障害を持っているとはわからない、障害者のつらさです。
  
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5.聞こえない人と手話の厳しい歴史

聞こえないから、音声によって自分の思いを使えられないから、手話を使うわけですが、聴覚障害者がみんな手話を使えるのか、というとそうではありません。そこには、聞こえない人と手話の厳しい歴史があるのです。

ろう者の歴史「障碍者は家の恥」

「障害者は家の恥」と考えられ、家の外に出してもらえない時代が長くありました。家の中では、聞こえない子どもと親と間だけで通じる独自の「ホームサイン」があり、昔はそれでコミュニケーションをとっていたのです。時代の流れとともに、障害者にも教育が必要だということで、日本では1878年に、最初のろう学校が京都に設立されました。最初の生徒数は31人だったそうです。

当時は、手話を使って授業がされていましたが、次第に、ろう学校では、手話で教育する方法と口話法という、ろう児に発音を教え、相手の口のかたちを読み取らせる教育方式の2つの流れに分かれ、長い間、論争や対立がありました。これは、日本に限ったことではなく、世界の国でも、そうした流れがありました。

1880年、ミラノで開かれた国際ろうあ教育会議で、口話法が優位と宣言され、手話法や手話は影の立場に追いやられました。日本でも1933年、文部大臣が、ろう学校の教育法を口話法に転換させ、授業では手話を使って教えることができなくなりました。その頃、小中学生だった聞こえない人たちは、当時の学校の様子をよく語ってくれますが、授業中に手話を使うと後ろ手に手を縛られ、声をだすように強く言われたそうです。

授業中は使用を禁止された手話でしたが、聞こえない人たちにとっての言語ですから決してなくなることはありませんでした。私たち健聴者が、日本語という音声言語を話したり聞いたりしているのと同様に、手話は聞こえない人の大切なコミュニケーション手段なのです。このような「手話の暗黒時代」を経て、聞こえない人たちが自分の権利を主張するため、自分の耳の代わりや声の代わりをする手話通訳者を必要とするようになって、その数もどんどん増えてきました。

2006年12月、国連において「障害者の権利に関する条約」が採択されました。これは「あらゆる障害をもつ人の尊厳と権利を保障するための人権条約」で、その中に「手話は言語である」と明記されています。これはろう者にとって大変画期的な文言です。日本は国内法が整備されていないため、条約の署名はしましたが、批准にはまだ至っていません。すこしでも早く批准されることを心待ちにしています。

私は手話を学ぶうち、聞こえない人たちに英語を教えたいという気持ちがますます強くなっていきましたが、「通訳ができるくらいの手話の技能を身につけるまでは」ということを自分に課していました。地域の手話通訳者の試験に合格して、ろう学校で教えたいと考えていた頃、あるろう学校の校長先生から「手話ができる英語教員免許を持っている人を探している」とお話がありました。

非常に理解のある方で、「いままでは口話教育だったけれど、これからは手話をやらなくては子供たちは伸びない」と考えていらっしゃいました。その当時、ろう学校では手話を使った英語教育があまりされていませんでした。ですから初めてろう学校の英語の授業を見学に行った時は、ショックでした。中3なのに、中1の教科書を繰り返しやっていました。先生は教科書を読み、生徒はそのあとを続いて音読するだけです。その発音は不明瞭で、生徒はただひたすら授業が終わるのを我慢して待っているようでした。

初めて担当した子供たちやその親御さんから、「ろう学校の英語は普通校の進度より大幅に遅れていると聞きますが、本当ですか?」と心配そうに聞かれました。その時、私は「あなたたちが卒業する時には、健聴の生徒と同じくらいの実力を持てるようにしますから、ついてきてください」と言いました。今考えると大きなことを言ったものだと思いますが、その約束は果たすことができたと自負しています。

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6.手話を使ってどのように英語を勉強しているのか

ろう学校の授業の様子をビデオに撮ってきましたので、雰囲気を知っていただけるかと思います。

授業コンセプト―DVDを放映-

私はろう学校の英語授業では、英語の背景にある文化を学ぶことによって、さらに楽しく学べるのではないかと思います。英語を楽しみながら覚える一つの方法はクイズ形式です。英語を習い始めの頃に使う教材としてパワーポイントの動画を作成しました。

クリックするたびに隠されている絵が表れて、それが何かが分かったとき、絵と同時に英語のスペルで名前が表示されるものです。
そして、障害をふまえた指導法の実践が必要になります。ビデオで見ていただいたようにひたすら板書をします。手話で表すだけは頭に入らないので、視覚的なあらゆるツールを総動員して教えます。

視覚教材の例として、いくつかのパワーポイントの映像教材をご覧いただきたいと思います。日本語と手話で説明することは当然ですが、このような教材によって、現在進行形や現在完了形の概念が覚えやすくなります。

聴覚活用と視覚教材

  たとえ障害を持っていても子どもたちはそれぞれに夢を持っています。以前とは違い、弁護士や薬剤師や医者になる道も開けてきました。その夢をサポートするためにも、これからも子どもたちの英語力を育て続けたいと思っています。

英語教材、現在進行形、走る、働く
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7.クレオールでの活動

最後に、「クレオール」がやってきたイベントのいくつかをご紹介したあと、聞こえない立場の体験談を恵泉女学園大学2年生の板谷美樹さんにお話いただきたいと思います。
家とボランティアセンターでやっている英語指導は、私が個人的にやっている活動です。クレオールでは、夏になると、もっと英語を楽しんで勉強してもらいたい、視野を広めてほしいという観点からアメリカの学生を呼んで、日本の聞こえない子供たちと交流してもらっています。

アメリカに行って勉強したり、交流できる機会が持てる人は限られています。お金や時間の余裕があれば行かれるかもしれませんが、そのように恵まれた環境にみなさんあるわけではなりません。そこで、みんなが平等に交流ができる場を作りたいと思い、日本国内で英語や異文化に親しむ企画を進めています。アメリカから、ろうの高校生を呼ぶ場合にはお金がかかりますので、いろいろなところから助成を頂いています。2年前には沖縄に行きました。アメリカの子供たちも沖縄の現状を初めて見て、日本の中にアメリカがあるとビックリしていました。日米双方の子供たちが、多くを学べるこのような機会をこれからもできる限り持ちたと思っています。
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板谷美樹さん

8.板谷美樹さんのお話

恵泉女学園大学2年の板谷と申します。生まれつき耳が聞こえません。聴力は先ほど説明がありましたが100dBです。非常に重い聴力障害です。幼稚園(週に一日)と小学校は健聴学校に通いました。そして中学部と高等部はろう学校に6年間通いました。今は普通の大学の恵泉女学園大学へ健常者と一緒に通っています。

はじめはとまどいました。ろう学校の場合は、手話で情報が得られますのでコミュニケーションは問題がなかったのです。非常に楽しく過ごすことができました。しかし、大学に入りますと、みんなまわりは健常です。まわりの話が、まったくわからなくなりました。障害者に対する理解もまだまだですし、情報保障も十分なものではありませんでした。

情報保障というのは、例えば授業でもパワーポイントのスクリーンを使って行うのですがおわかりになりますか? 耳の代わりに、講師の話がまったく聞こえない場合は、手話がありませんので口を読みとらなくてはいけません。でも、その口が読みとれる先生と読みとれない先生がいるんです。大きな口をあけて話してくれる先生ばかりではありません。

ですから、PCノートテークといって、パソコンで先生の言ったことを文字で起こしてくれるノートテーカーがいるんです。手話通訳が大学の講義に入って、またはノートテーカーが大学の授業に入ってくる、それは講義内容の情報を保障してくれる人という意味で、そのようなしくみを情報保障というのです。

大学では情報保障もなくて、手話もみなさんできませんですから、とりあえず一生懸命、口話(こうわ)でコミュニケーションを取りました。たまに手話を使ってほしいなと思って言ったりすることもあるんですが、一年生の間は、それは望むべくもなく、非常に落ち込みました。一年生ですから自分のことで精いっぱいですし、私自身も大学生活に慣れるということで精いっぱいでした。

わからないことがあって悩んでいるとき、私自身がボランティアとしてフィリッピンに行きました。他のメンバーは、私が耳が聞こえないということを理解していませんでしたし、手話ももちろん知りません。
そういった壁がたくさんあって、情報も得られず、フィリピンに行って気づいたことは、自分がこういうふうに苦しむのは耳のせいなのか、ということでした。私が聞こえないからこんなに苦しい思いをするのだと今も思い続けています。
聞こえない人間として生きていくのか、聞こえる人と一緒に生きていくべきなのか、いまだに迷っています。

ろう者の世界だけで生きて行くのも悔しいですし、そんな葛藤がつづいています。それは簡単に解決できない問題だということはわかっていますけれど、障害のある人間として生きていくのではなく、一人の人間として生きて行きたいと思っています。まとまりのないお話になったかもしれませんけれど、聞いていただいて、ありがとうございました。

聴覚障害英語サークル「クレオール」ブログ
http://blog.canpan.info/creole/



講座企画・運営:吉田源司
文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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