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平成24年2月17日 神田雑学大学定例講座NO588 

「視覚障害者の世界」、講師:河野泰弘(こうのやすひろ)、介添い 塩田恭子




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画鋲
講師略歴
1 はじめに
普通の学校生活
東京でひとり暮らし
私の料理法
私とパソコン
コンサートや落語も聴きに行く
冒険!バンジージャンプ
腕時計
ガイド役の塩田さんとの会話
朝日新聞「天声人語」(2009年1月4日より)
2 視覚障害者のコミュニケーション
▼手話のご挨拶(イラスト参照)
塩田恭子さんによる手話
心のバリアフリーを




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河野泰弘(こうのやすひろ)講師
講師略歴

1982年、アメリカ・カリフォルニアに生まれる。32歳。中央大学法学部卒業後、文学部に学士入学し、心理学を学ぶ。現在、盲聾者通訳介護者として活動、都内小学校での指導。

著書に『視界良好』(北大路書房)、『ディスコミュニケーションの心理学』(東京大学出版会)がある。

1 はじめに

私の生まれた国は、アメリカのカリフルニア州でした。生まれたときのことを母に聞きますと、身長が30cm、体重は800gの未熟児だったそうです。生まれながらまったく目が見えませんでした。3歳のとき日本に帰り、小学校から大学まで普通学級で勉強しました。

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普通の学校生活

勉強はすべて点字で習いました。私は5歳くらいで点字を覚えましたので、小学校へ入るころは、クラスの健常者の同級生と同じくらいのスピードで点字の教科書が読めました。教科書は、私が住んでいた下北沢のボランティアの方々が作ってくれました。その頃、使っていた点字教科書をお持ちしたので、どうぞ触りながら回覧してください。私が実際に使っていた理科の教科書です。

この中に、図が印刷されているページがありますが、ボランティアのみなさんが、図形をプラスチックで盛り上げてくださったので、全盲の私でも、触れることで物や動物の形を知ることができました。紙の裏から針で穴をあけたり、紙テープを張り合わせて高さを出したり、して立体感が出るように工夫されています。このような教科書で勉強することができました。

点字

試験のときはどうしたと思いますか? 私が答えを点字で打った紙を、文字に翻訳してくれる方がおられて、先生はそれによって採点をします。そのようにして学習しました。

体育の授業は、私ができる種目は参加していました。運動会のときは、クラスの中で脚の早い生徒と、手を繋いで走りました。ドッチボールは、チームの生徒の腰に掴まり、一緒にボールを避けていました。水泳大会は、私が泳ぐときだけ、コースロープを張ってくれました。私が他のコースに間違って入らないようにするためです。他の生徒と同じように、25mのプールで泳ぐことができました。そのようにして私は、普通の小中高へ進むことができたのです。

放課後はクラスの友達と、田圃のあぜ道を散歩しながら下校しました。学校の近くは田畑が多く、虫がたくさんいたので、休日には虫にくわしい友達とトンボを捕まえたりしました。羽根をつかんで、よく観察しようとしたら、トンボに指先を噛まれたこともあります。また、友達の家で、音を頼りにテレビゲームで遊んだりしました。私は目が見える人たちの集まりにも参加していたので、アニメやマンガにも親しんでいました。そんなふうに、学園生活を送ることができました。

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東京でひとり暮らし

高校を卒業したとき、私は大学進学を考えました。そのとき、郷里を離れて東京でひとり暮らしをしようと決意しました。私も両親もとても不安だったのですが、両親は反対せず、東京へ出してくれました。

そして、東京でひとり暮らしを始めたのですが、慣れるまで2、3カ月かかりました。炊事・洗濯は、実家で母の手伝いをしがら覚えていたので、複雑な作業も不便を感じないで、すぐ慣れました。炊事をしたり、洗濯をしたりするうちに、自分なりに工夫しました。

熱心に話を聞いてる受講生

話は戻りますが、中学生の時、友達から「靴下の左右の色が違っているよ」と注意されたことがあります。私はびっくりしました。左右の靴下のサイズも形も同じで、触感も同じものでしたから。しかし、柄が違っていたのですね。

家に帰ってから考えました。いつも左右同じ柄の靴下を履くにはどうしたらいいか。
私は、洗濯する時に、左右一緒に輪ゴムで束ねればよいと考えました。すなわち、靴下を脱ぐときは一足まとめて輪ゴムで束ねておくのです。そのまま洗濯機に入れ、干す時にはじめて輪ゴムを外す。こうすれば、左右色違いになることはない、と思いました。ところが、先日、旅行した時、同じ間違いをしてしまいました。中学生の頃、友達に注意されたことを思い出して、恥ずかしく思いました。

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私の料理法

ひとり暮らしをしながら大学を卒業しました。ここで、私の料理法をご紹介しましょう。野菜炒めの準備で、まな板の野菜を切る時は、左手で野菜の切る感覚をつかんで包丁を使います。5mmあるいは1cmかなと確認しながら、野菜を切っていきます。

次に、ガスレンジに火をつけると、周囲があたたかくなります。そのうち、オリーブオイルの焦げる匂いがしてきます。野菜に熱が伝わると、匂いがさらに強くなります。ここで、フライパンを回して、熱が全体にゆき渡るようにします。野菜を炒める時、私は音を頼りにしています。炒めるとジュウという音が聞こえるのですが、しばらく炒めていると、その音が少し小さくなる時があります。これは、水気が少なくなったためで、炒め上がったことですから、この時に調味料で味付けをします。お皿に盛りつける時も、フライパンの位置とお皿の位置を確認して、気をつけながら行います。

「ひとり暮らしをして、不便なことはありませんか?」と、よく聞かれます。私は、「そんなに不便は感じませんが、たまに大変なことがあります」と応えます。それは、小さなモノを床に落とした時です。例えばクリップを床に落とした場合、軽いですから音がしません。どこに落ちたかわかりませんので、両手で床を撫で回して、見つけるまで数分かかります。そんな不便もありますが、ひとり暮らしを楽しんでいます。

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私とパソコン

私はパソコンもやります。私はモニター画面が見えませから、画面の内容を誰かに読んでもらう必要があります。無料・有料のシステムを利用して、コンピュータに音声で読んでもらうのです。インターネット上の新聞を読んだり、情報を検索したり、電子メールも読んだりしてくれます。私からメールを送ることもできます。

画面を読んでくれるソフトは、漢字もちゃんと説明してくれます。例えば、「かわ」という文字がありますが、一つはサンズイの河で、もう一つはサンボンの川です。「かわ」という文字を選ぶと、河川(かせん)のかわか、皮(かわ)のかわか、訊いてきます。「川」を選ぶと、音声ソフトは(さんぼんかわ)と読み、「皮」を選ぶと皮革(ひかく)のかわと読んでくれますから、正しいほうを選びます。このように、私は、ソフトの助けを借りながら、メールを出したり、ホームページを作ったりしています。

点字の電子手帳を説明してる河野講師 今日お持ちしたのは、点字の電子手帳です。少し重たいのですが、A5判の書籍の形をしており、下部に細い金属棒が埋め込まれています。文字を打つと、金属棒が突き出で点字の形を作りますから、指で触って情報を確認します。

私はこの電子手帳を使って、読みことも書くこともできます。これは特別なメーカーがつくっているIT機器で、価格は20万円以上しますが、性能がいいので重宝しています。パソコンに繋いで、アクセシビリテイといってコンピュータ音声を聞いたりできるほか、インターネットから点字情報をダウンロードすることもできます。

コンサートや落語も聴きに行く

私は、小中学校へ出かけて、教育相談員の仕事や、盲聾の方の相談相手もしています。私は、外へ出かけることが好きで、あちこち歩き回るのですが、人に訊きながら、かなり遠くまで行きます。みなさんに助けてもらっています。私のほうから声をかけることも多いですし、迷っていると「どうかなさったのですか」と訊いてこられます。

「○○駅へ行きたいのです」「このあたりに本屋さんはありますか?」など、遠慮なくいいますと、快く誘導してくださいます。数年前、羽田空港から飛行機で島根までひとり旅をしました。コンサートや落語を聴きに行くこともあります。

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冒険!バンジージャンプ

昨年末、関東地方で唯一バンジージャンプができる「よみうりランド」で初挑戦しました。急に思い立って行ったのですが、一緒に行った方が、バンジージャンンプを作ったグループのひとりで、ひょっとしたら断られるのでないかと心配しましたが、そんなことはなくて、20mくらいの高さから飛び降りました。数秒間の落下でしたが、下から風が吹き上がってくるのを感じました。あっという間に終わってしまいました。

(「怖くなかった?」と会場から)いえ、怖くはなかったです。その時の様子をDVDにしてくれるサービスがあったので、お願いしました。バンジージャンプへ向かう階段を上る時も全然怖くなかったのですが、あとで家族に見せたら、顔が引きつっていたそうです(笑)。

蓋を開けた状態の時計腕時計

私はいつも腕時計をしています。どうやって時間を知るかというと、腕時計には蓋がついていて、蓋を開けると5分刻みに目盛りがついており、それに触ると、いま6時35分だとわかります。この腕時計は、指で針を触るので、時々狂うことがあります。そのため、声で時間を教える時計もあります。しかし、電車の中や音楽会の会場とか、音が出ると困るところでは使えません。

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塩田恭子さんガイド役の塩田さんとの会話

最近、手を引いて案内をして下さる方が非常に多くなりました。気軽に手を差し伸べて下さる方が増えたなあと感じます。全盲の私が飛行機に乗って、遠くまで出かけられるのは、みなさんのおかげだと思います。今日、いっしょに来て下さっている塩田恭子さんは、いつも私のガイドをしてくれています。

ここに白い杖があります。白杖(はくじょう)といい視覚障害者の印です。直径2cm、長さ1mほどで折り畳式になっています。塩田さんといっしょに歩くときは、私が塩田さんの腕につかまって歩きます。

階段があるときは、上りか下りかわからないので、塩田さんが「上り階段です」あるいは「下り階段です」と教えてくれます。信号を渡るときは、信号の手前で立ち止まり、「まだ赤なので、少し待ちましょう」「もうすぐ青になります」と教えてくれます。

それ以外のところでは、「今日はよく晴れているけれど、風が冷たいですね」とか、花屋さんの前を通ると、「薄紫色のスミレがきれいに咲いています」「梅はまだ咲いていません」「寒いからまだつぼみです」などと説明して下さるのです。そんな会話をしながら歩いています。

もし、道で視覚障害者に出会ったら、気軽に声をかけて戴きたいと思います。そのとき、軽く肩や腕に触れて声をかけて下さると、視覚障害者はとても安心できます。まわりの様子をお話して歩いて戴くと、有り難いなあと思います。

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朝日新聞「天声人語」(2009年1月4日より)「朝日新聞より使用許諾受領済み」

生まれつき目が見えない河野泰弘さん(28)が、著書『視界良好』(北大路書房)に書いている。「メールが届くといつも、封を切って手紙を取り出すような気持ちになります。今度は誰がどんなことを・・・・・」。差出人、件名と一字ずつかみしめていく▼パソコンは普段、画面を音声で読み上げるソフトで操るが、メールだけは機械で点字に換えて読む。字を追いつつ、相手の胸中までが見えてくるという。

その点字を考案したルイ・ブライユがフランスに生まれて、きょうで200年になる▼3歳で失明、盲学校にいた15歳の時、軍の夜間伝令を参考に3×2で並ぶ点字をあみ出した。六つの点で字や記号を表す方式はやがて世界に広がる。(中略)▼面識のない人と、見えない世界を一部でも共有できるのは、19世紀の偉人のお陰である。点字、手話、外国語。伝え合う手段は、人生と社会をずっと豊かにする。

今年は点字考案者の生誕200年なのであって、点字そのものの200周年ではない。それでは、点字はいつできたのか。点字の誕生を厳密に「この瞬間」と確定するのは難しいだろうが、ブライユのアイデアは1825年ごろには固まっていたようだ。点字は視覚障害者の文字ではあるが、視覚に障害のある人がみな点字使用者というわけではない。中途失明者が点字を習得するのはなかなか困難だろうし、点字とは別の情報伝達手段も進んできているので、点字に頼らなくても済むという場面も増えている。現在では点字を使いこなしているのは、視覚障害者の一部に過ぎないだろう。

河野さんの著書『視界良好』表紙

河野さんの著書『視界良好』表紙
「点字200周年」の2025年には、状況はどうなっているだろうか。点字を使う人の割合はさらに減っているかもしれないが、点字がなくなってしまっているなどということはあり得ない。

メールだけは点字で、と河野泰弘さんが言うように、音声に置き換えられない奥深さが、点字にはある。目が見えなくても、読み書きを学び、主張し、創作できるようになった。



河野さんの肉筆(『視界良好』より転載)

代替えテキストはこちらをご覧ください。


河野さんの肉筆(「視界良好」より転載)

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2 視覚障害者のコミュニケーション

今日は、手話通訳の塩田恭子さんと津田芳子さんの3人でやってまいりました。塩田さんと初めて会ったのは6年前、東京都主催の聾唖者向けの通訳介助者講習会でした。アメリカのヘレン・ケラーのような聾唖者は、日本に2万人以上おられるといわれています。私と塩田さんは盲聾者の通訳をしています。ここで盲聾者のみなさんが使っているコミュケーションの方法を学びました。その講習会で私も手話を教えていただくことになりまして、津田さんに習いました。

手話をしている三人、左から津田芳子さん、河野講師、塩田恭子さん

手話というコミュニケーションは、見て覚える手段ですが、私は生まれつき目が見えません。そこで、さきほど申し上げた講習会で、触手(しょくしゅ)手話を習いましたが、私も手話ができるようになるとは思っていませんでした。

笑顔で手話をする津田芳子さん盲聾の方で触手手話をお使いになる方は、例えば日本手話をお使いになっていて、途中で病気や事故で手話が使えなくなった方などが、触るという手段でコミュニケーションができるようになるケースが多いようです。

私自身も目が見えなくても、触ることで情報伝達ができることを知って、塩田さんや津田さんに教えていただきながら、勉強を続けています。
最近、テレビなどでも盲聾者関係の番組が増えてきました。ご覧になる機会がありましたら、盲聾者のコミュケーションがどのように行われるかを知っていただけたら幸いです。

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▼手話のご挨拶(イラスト参照)

こんにちは、ああよかった、おはようございます、なーに?、おだいじに、ありがとう、さようなら

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塩田恭子さんによる手話

私たちは、吉祥寺で活動している手話ダンスサークル「ボヌール」を14年前に始めて以来、いろいろなイベントに参加してきました。毎月第4土曜日、午後2時半から午後4時まで、JR吉祥寺駅前のコミュニティセンターで、ダンスを通して手話を勉強しています。

武蔵野市立第四小学校教育相談

2005年12月からは、指点字やローマ字式指文字を習い始めて、手話ダンスの素晴らしさ、手話の奥深さをさまざまな方に味わっていただいています。ディズニーランドに招かれて、「It's a small world」(小さな世界)を踊らせていただいたり、国際障害者年に三越主催で菅原洋一さんと共演したこともありました。

ディズニイランドでのステージ

みなさんからご覧になって、河野さんの左にいらっしゃる津田芳子さんは聾者の方ですが、他の聾の方と触手手話で挨拶したり、会話をしたりしておられます。津田さんは、私と一緒に「ボヌール」という手話教室を作りました。

三越本店「文化センター手話教室」
彼女は耳が聞こえないことがとっても寂しいと思っていました。三人のお子さんがおられるのですが、ご主人もまったく聞こえないため、大変だったと思います。子育てで心身ともに疲れ果てて、どうしていいかわからなくなって、自殺することも考えたこともあったそうです。しかし、子供たちの将来を考えて、今は「ボナール」の活動を頑張っています。

笑顔で手話で話をしている津田さん笑顔で河野さんを見つめてる河野講師と、塩田さん

神田教会で手話講座したこともあります。そのとき、教会のシスターさんが、津田さんの聴覚障害を知って「音が聞こえないのは寂しいとおっしゃるけれど、あなたには、神様が下さった明るい笑顔があるじゃないですか」と励まされたそうです。

ボヌールスタッフ

私が、河野さんと最初に会ったのは、京王線の車中でした。「私は目が見えません」と言われたので、「こんなにきれいな目をしているのに?」と思わず言ってしまいました。
「ボヌール」は河野さんと津田さんと私の3人がスタッフです。

猫のイラスト手話で「Thank you」
それでは、日本手話をご披露いたしましょう。聾の方が対象ですが、手話を行う最初は相手に「コンニチワ」とやります。

すると、「コンニチワ」と挨拶が返ってきますから、聾の方だと判断ができて手話の会話が始まるのです。世界各国に手話がありますが、基本形はだいたい同じです。
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河野講師心のバリアフリーを

おわりに、みなさんにお話したいことがあります。肢体障害者、視覚障害者、聾者など、いろいろな方がおられますが、それぞれ光る能力をお持ちです。それをお互いに認めあって行くことがこれからの社会で大切なことではないかと私は考えております。バリアフリーという言葉があります。

点字ブロックや、エレベーターの設置とか、設備面のことが中心に表現されておりますが、私は「心のバリアフリー」が大切なのではないかと感じております。それぞれを認めあい、尊重しあう社会になって行くことこそが、ほんとうの心のバリアフリーだと思うのです。





文責:三上卓治
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


本文はここまでです


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