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平成24年4月20日 神田雑学大学定例講座NO597 

「千代田図書館と日比谷図書文化館の歴史」講師:菅谷 彰(シェアード・ビジョン代表取締役社長)



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画鋲
講師プロフィール
1.千代田図書館のジェネラルマネージャーに
2.図書館人の思いと私の思い
3.激動の千代田・日比谷の80年と明治大正昭和
4.がけっぷちのサプライズ戦略で奇跡の復活
5.千代田区立特別館・日比谷図書文化館のスタート
6.時代が求め出した図書館資料における教養の価値とその再興




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菅谷彰講師講師プロフィール
1950年東京生まれ。1974年東京大学工学部化学工学科卒業。20年の化学会社勤務を経て02年に現在の会社を設立。その後PFI、指定管理者案件に幅広く関与。現在、千代田図書館のゼネラルマネージャーであり、共同事業体のメンバーとして日比谷図書文化館の運営の一翼も担う。

趣味:変わったことを企画すること。ボーイスカウトとパイオニア精神、読書。

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1.千代田図書館のジェネラルマネージャーに
今日のテーマですと、本来は千代田図書館の新谷迪子館長がお話をするべきでしょう。新谷さんがお話すると本と図書館運営という内容になるでしょうが、私は千代田図書館のジェネラルマネージャー(以下GM)という立場から、図書館経営の話を中心にしていきたいと思います。千代田図書館は5年前より民間運営されている図書館で、民間企業3社が千代田区から仕事を受託して運営しています。その3社でうまく運営するために、野球の大リーグを真似てGM制度が必要だということで公募されたのです。その結果、私がずうずうしくも立候補いたしまして、GMになっております。

私は図書館を運営した経験があるわけでもありません。たんに図書館好きであったことと、もともと公共事業の民営化を支援するコンサルタント会社をやっています。シェアード・ビジョンというのが私の会社ですが、「運営の企画」をする会社ですから、どうせ運営の責任を問われるなら私がGMをやって企画だけでなく運営もやってやろうということで引き受けたのです。

この千代田図書館は、日本で一番民営化が進んでいる図書館ということになっています。それを我々がなしとげた生々しい過程、図書館の歴史と現在の公共事業の民営化の実態、そして私がひたすらうちこんでいる「内田嘉吉文庫」の物語という3つのお話をさせていただきます。
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資料片手に講義中の菅谷講師2.図書館人の思いと私の思い
図書館としては、日比谷図書館の方がはるかに有名ですが、千代田図書館の方が歴史は古いのです。120年前の明治20年ころから一ツ橋の地にあった大日本教育会という施設の中にできた図書室が千代田図書館の前身です。

その当時の言葉でいう「通俗図書館」、一般的な人が自由に利用できる初めての図書館が、千代田図書館の前身です。一方、都立中央館であった日比谷図書館は有名です。120年の歴史を持つ図書館と大きなブランド力を持つ図書館が、数奇な歴史のあやを織りなして今日に至っているのです。

今日お持ちしたのは『千代田図書館80年史』という、ある種有名な本です。図書館資料としてこうした本が作られていることは非常に画期的だと思います。昭和43年に千代田区が発行し、書かれたのは鈴木昌雄さんという方です。筆名を鈴木理生さんといい、『千代田区史』など数多くの江戸本を書かれている作家で、千代田区役所の図書館総務係長をなさっていた方です。

東京都の図書館史、千代田区の図書館史を詳細に調べられ、非常にきちんとした本でして、歴史の本というよりは図書館人がどういう思いで図書館を運営してきたのかという読みものとしても大変面白く、いまでは古書店でもなかなか入手できないものです。私はもともと、小川小学校から日比谷高校まで、ずっと千代田区の学校にお世話になった関係もあり、千代田区に非常に思い入れがあったものですから、数多く手がけた公共事業民営化の仕事の中でも、千代田図書館の運営はどうしても取りたいと思いました。入札に勝つためには図書館について勉強しなければなりません。

千代田区内の図書館を歩いて、いいネタがないかと探して出会ったのが四番町図書館にあったこの本です。じっくり読んでいくうち、涙を流しました。ここに述べられている図書館人の思いに共感したのです。80年という歴史の中で、設立の過程、関東大震災による試練、本の喪失とその復活、戦前・戦中・戦後と必死に本を守り、戦前の統制・検閲の時代をきりぬけ、戦後に多くの図書館が焼けてしまい、進駐軍による言論統制があり、保存が難しくなった本群を守りぬくなど、非常に思いのこもった読みものでした。

実際の入札に応募しようとなったとき、千代田図書館をとりまく環境にはいろいろ困難な状況がありました。千代田図書館は、戦前に繁栄したのですが、戦後に千代田区民の人口が減少し、利用率が下がってきました。公募の段階で、旧千代田区庁舎の奥に千代田図書館はあったのですが、なんとなく雰囲気の悪い図書館になっていたのです。そのような図書館が、20階建の新庁舎ビルに移転し、それも1階ではなく新庁舎ビルの9Fと10Fに移って営業するという立地を考えると、一般の下馬評では日本一閑古鳥が鳴く施設になるだろうというものでした。

そういう下馬評に対し、入札に勝つため、「がけっぷちのサプライズ戦略」といってもよいような魅力ある図書館作りの企画を考えたところ、それが通ったのです。いま、図書館の運営をしていて、「本って人を動かす力があるものだな」と実感しています。ですから、図書館の歴史や本の歴史を感じながら運営しています。
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3.激動の千代田・日比谷の80年と明治大正昭和

「千代田区図書館80年史」より

千代田区には、紅葉山文庫と昌平坂学問所という大きな蔵書の潮流がありました。国立国会図書館もあり、もともと蔵書のある地域だったのです。千代田図書館は明治20年、一ツ橋の地に大日本教育会ができ、その一室に大日本教育会付属書籍館というかたちで図書館ができました。そのころは蔵書が1万冊もあれば立派な図書館でした。こういうところから発展して明治40年くらいまで運営していた。明治43年、東京市がちゃんとした図書館を作りましょうという計画のもとに日比谷図書館ができました。

その結果、一ツ橋にあったものも東京市立図書館の分館として編入されました。東京の市立図書館は、当時の小学校などに併設された分館を多く持っていましたが、東京市立図書館ができたときに、独立館と呼べるものは日比谷と一ツ橋と深川になります。明治43年はどんな時代だったのかといいますと、明治4年に廃藩置県が行われ、明治22年に大日本帝国憲法が出て、明治43年は辛亥革命が起こって日露戦争が終わったころです。戦争に勝って、いろいろなものが発展する基盤ができた時代です。

ところが、大正に入って関東大震災が起きます。このとき、日比谷図書館は無傷でしたが、一ツ橋の図書館はほんの少しの本を残したまま全焼してしまいます。その結果、駿河台の地へ移転したのです。いま、日比谷図書文化館に来ている「一ツ橋本」という一群の蔵書がありますが、これは一ツ橋から駿河台に移ったとき、仮設の図書館に置かれたいろいろな寄贈本が「一ツ橋本」と呼ばれて残ったもので、明治から大正初期の本がそのほとんどを占めています。駿河台に、こうして独立の図書館ができ、立派な図書館として発展しました。いまの中央大学のある場所です。そこに昭和8年、あとに説明する「内田嘉吉文庫」が入ります。本来は日比谷図書館に入る予定が、日比谷の書庫がいっぱいだったので駿河台図書館に入ったようです。

内田嘉吉は、慶応3年神田に生まれ、外国語学校ドイツ語科、そして帝大を出たあと逓信省に入り、日露戦争のころは逓信省の管船局長だったお役人で、台湾民政長官や逓信次官を経て、最後は台湾総督までなった人です。博覧強記の海外情勢に通じた国際人で、大変な読書家・蔵書家として有名で、彼が亡くなったとき、友人たちが彼の蔵書を惜しんでお金を出しあって整理し、それを東京市に寄贈したのです。当時としては非常に貴重かつ重要な本を多く含んだ蔵書でした。しかし、戦後は植民地支配の歴史などの蔵書が多く、こういう傾向の本は見ないようにしようということで、ほとんど顧みられないまま閉架書庫に置かれっぱなしになっていました。

第2次世界大戦で、日比谷図書館は焼けてしまいます。ただし、重要な本は疎開していましたから無事でした。当時、日比谷にあった府立一中、いまの日比谷高校の生徒たちを動員して大八車で多摩地方に運ばれたそうです。一方、駿河台図書館は焼けずに残りました。本当かどうかは知りませんが、アメリカ軍は、神保町には浮世絵を含めた文化遺産があるから焼夷弾を落とすのを遠慮したといわれています。

そうして、戦前の蔵書は、東京都の図書館としては千代田図書館の前身である駿河台図書館と京橋図書館に残っているのです。しかし、図書は閲覧すると傷みます。京橋図書館は残った本を閉架で大事に保存したので、古い形態のまま残っています。逆に千代田図書館に残された駿河台図書館の本は、どんどん閲覧させましたから痛みがひどく、大半は再装丁されています。図書館の歴史からみると、長く読まれてこき使われた本は再装丁されるのが当たりまえの時代であったといわれています。

1000冊の本を年間20万人が読むと、すごく痛むので本の端を削られて形も小さくなっているそうです。ある意味、文化財的価値は落ちてしまいますが、本の中身やコンテンツは変わっていません。戦後区政改革で、千代田図書館は区立になり、日比谷図書館は都立のまま昭和30年に再建されています。千代田図書館は、その少し前に駿河台から九段下へ移転しています。そのお金は駿河台図書館の跡地に校舎を拡充した中央大学が出しています。

戦後、昭和30年以降は本がブームになって、九段下に千代田図書館ができたときは、建物の外に長蛇の列ができたとあります。私が日比谷高校に行っているときも、日比谷図書館に入るにはいつも行列で、図書館は並ぶものだという時代があったのです。戦後の歴史で特筆すべきことは、千代田図書館が「千代田自由大学」という学習会を定期的に開いていたことです。戦後、千代田図書館の中に「千代田学芸講座」ができて、その当時の有名人が数多く講演を行っています。例えば、上原専録、中野好夫、都留重人、清水幾多郎、五所平之助、大内兵衛、大河内一男、亀井勝一郎、草野心平、和歌森太郎など、錚々たる方々が担当しています。

講義中の部屋の様子

こちらの神田雑学大学と同じように聴講料無料・講師謝礼無料だったようです。先ほどの鈴木理生さんがこの交渉をなさったのです。鈴木さんは、この講座をやり続けたために、千代田区役所内で大反発を受けまして、鈴木さんが辞められたとき、千代田区役所の組合は、「鈴木さんがやってきたことはとてもやれません」と、この自由大学はなくなってしまいました。その後、鈴木さんは、江戸本の作家として有名になります。その後、千代田区役所出身で異色の人物としては、役者の役所広司さんがいますね。

鈴木さんが辞められたころから、区民の人口減もあって千代田図書館は利用者数が減少し、あまり人に知られない図書館になっていったのです。日比谷図書館も広尾の都立中央図書館ができてからは、大事な本はそこに移転され、かつての繁栄は見られなくなってきます。各区の区立図書館が大きく伸びた一方、利用者がだんだん減って、昔は年間180万人くらいいた利用者が、一昨年は年間60万人くらいになっていました。
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4.がけっぷちのサプライズ戦略で奇跡の復活
都と千代田区で進めた日比谷図書館の都から区への移管話があります。5年前に千代田図書館の民営化の公募が行われたのですが、そのころすでに日比谷図書館を千代田区に移管しようという計画がありました。千代田区区役所は都との関係も深く、わりとスムーズに決まるかと思われたのですが、同時期に千代田区役所の移転という話がおこりました。千代田区役所というのは、PFIというプライベート・ファイナンス・イニシアチブというイギリス型の手法による民間がお金を出して施設を建て、それを運営し、そこに区役所が入居するという方式で運営されています。

現在の千代田区役所の建屋は、上の10階部分が国の役所、下が千代田区役所になっているのですが、そういうPFI事業が公募になりまして、結果的には清水建設を代表とするコンソーシアムが取ったのです。そのときに図書館部分も移転したのです。建物ができ上がる前に、図書館部分の運営が民間公募になりました。それはユニークな公募でした。当時、正直いって千代田図書館は都内23区の中でもかなり下位に位置する図書館でした。それにも関わらず公募内容には、「日本一の図書館を作る」とありました。それを書かれた方は、国立国会図書館から来られた方で志が高いのです。

指定管理者制度というものが始まって、公共事業の民間運営ということになったものの、なかなか民間らしい運営ができないという実態がありました。私は、そういう民間運営を支援する会社を経営しておりまして、いかに変わった民間運営を公共施設の中に入れるかという仕事をしていました。普通、コンサルタントが実際に事業を運営することはないのですが、この千代田図書館の場合は、自ら変わったものを作らなければならないという覚悟で参加しました。

もともと旧千代田図書館には、一部業務の受託企業さんがいまして、そこに強力IT企業さんが加わったグループが本命でした。2番手が図書館受託最大手企業、3番手に有名書店さん、4番手に地元の有名書店さん、そこへ5番手としてサントリーパブリシティサービスさんとビアックスさんと組んで、私ども無名のシェアード・ビジョンが連合体で参加して、提案書を書いたところ落札したのです。

熱弁の菅谷講師なぜこういうチームが通ったのか? 図書館の場所が人集めには向いていないものですから、閑古鳥が鳴くだろう、人気を集められないだろうということに対し、私どものチームは「山ほど人を集めます」という提案したのです。サントリーさんも図書館業務は初めてでしたが、パブリシティ、すなわち広報力の強さがあります。ひたすら広報して山ほど人を集めようという大胆な計画を実行に移しました。千代田区の住民は少ないですから、対象は大量にいる周辺のビジネスマンです。ひたすら企画をたくさん作りました。

その結果、初日の入場者5000人。もともと年間利用者が20万人くらいだったのですが、年間利用者80万人の図書館にしたのです。千代田図書館は変わった企画をたくさん入れましたから、賛成する人もたくさん出ましたが、アンチも山ほどいました。まず、「本を貸さない図書館」という宣伝をしました。なぜ本を貸さないかというと、千代田区は出版屋さんの山ですから、図書館と利害が反するわけで、千代田区で頑張るためには「本を貸さない図書館」という宣伝が一番支持を集めるだろうという下世話な考え方です。

実際には、貸すような本をあまり持っていなかったのです。古い図書館ですから閉架のなかには珍しい本も山のようにあるのですが、開架できるきれいな本はあまりなかったのです。そこで、あえて「本を貸さない図書館」と宣伝することによって話題を集めたのです。出版界の方も図書館業界の方もたくさん見学に来ましたが、「あれくらいコンセプトが変わっているんじゃ、しょうがないわね」と、今さら文句をいっても仕方がないという感じになりました。

なぜ人が来たかというと、いかによりよい環境を作るかということに最大の注意を払ったからだと思います。滞在型図書館というコンセプトで、快適な空間がタダで使えるものですから、ビジネス系の滞在者が非常に多い、朝から行列ができる図書館になりました。初日に5000人が来て、千代田区のエレベーターが大混雑して顰蹙を買い、その結果、一本のエレベーターを図書館専用にするという予想外のことになりました。以来、マスコミがどんどん記事を書いてくれ、1日平均3000人前後は利用者がいる図書館になりました。

総務省や経産省から表彰も受けました。一番評価されたのは、「新しい図書館利用者層を作った」ということです。ビジネスユースの方々、サラリーマンの方々は、従来は図書館をほとんど利用していなかった。それを「夜10時まで開館しています」「ペットボトル持込み可」「携帯電話使えます」というビジネス空間と同じような環境を作って呼び込んだのです。ペットボトルを持ち込ませると事故が起きるという心配はありますが、5年間事故ゼロです。

いかにいい利用者を引っ張り込むか。勉強熱心で一生懸命なお客さんは不作法をしないものです。3カ月を過ぎたころからお客さんの層が揃ってきて、モラルの高い図書館空間になってきていると喜んでいます。座席は1日で3回転から4回転くらいしているようです。夕方は学生さん、夜はサラリーマンで午後9時半くらいまで、ほとんど空席がない状態が続いています。本が少ないので勉強空間を与えているだけではないかという意見もありますが、千代田区としては住民が少なくて、オフィス街の人たちへのサポートも重要と考えていたので、その面で成功したともいわれています。

「日本一の図書館」ができたかどうかは別にして「マスコミ露出度日本一の図書館」ができたことはたしかです。いろいろ話題を作って、年間20回くらいは新聞に掲載されるようにしています。例えば、図書館の中で靴磨きをできるなんていうことも話題にしています。もう一つは、地域との連携です。「図書館の中の古書店」として古書店の本を陳列する場所を作って、1カ月ごとに入れ替えてもらったり、NPO法人神田雑学大学さんと定例講座を連携しまして、「無料講座」を定期的に開催したりしています。図書館空間をつぶして無料講座を開いている図書館はあまりないと思います。
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5.千代田区立特別館・日比谷図書文化館のスタート
そんな変わった図書館を作ったせいか、日比谷図書館も千代田区で運営するという話になり、かなりリニューアル費用をかけてやろうということで、都立図書館が千代田区立の特別館ということになりました。この運営には、クロスした2大勢力がぶつかり合いました。出版界の雄2社と印刷業界の雄2社が戦うという事業受託の競争が起きました。厳しい戦いの結果、小学館グループの小学館集英社プロダクションを中心に大日本印刷を構成員とするチームが僅差で勝利し、それに私どものシェアード・ビジョンが加わっています。

ひとつの図書館を舞台に1兆円企業が競争するというのも時代が変わってきたことを感じますね。日比谷図書館は、日比谷図書文化館と名称も変え、昨年11月にリニューアルオープンしました。私どもの会社は、年間1億円くらいの売上しかない社員10人くらいの会社で、1兆円企業と同じ立場ではありませんので、ここでは4Fにある内田嘉吉文庫を中心とする特別研究室とコンベンションホールを運営しています。

コンセプト作りを中心にユニークな運営部の分をやらせていただいていると嬉しく思っています。お手もとの日比谷図書文化館のパンフレットも変わっていて、いろいろ批判も浴びていますが、普通の図書館のように蔵書がたくさんあるなんてことは書いてありません。交流と触発の空間、要するに日比谷図書文化館で楽しい空間、快適さを追求しよう、窓際で本をゆっくり読もう、いろいろなイベントを楽しもうと訴えています。

ここで一番変わったイベントは、12月に図書館を挙げて各種の語らいをするというイベントを行い、音楽も題材とするということで音楽バンドも加わって、300人ほどのお客さんを入れ、建物が振動するくらい音楽をやりました。そこに竹中平蔵さんがみえたというおまけもあったのですが、これも従来の公共施設ではできないことで、民間受託しているからできることでしょう。

千代田区立日比谷図書文化館もともと日比谷図書館にあった蔵書は、そのほとんどが都立中央図書館に移管されていますから、日比谷も蔵書は少ないのです。蔵書を売りものにした運営ができないので空間を売りものにしているというのが正直な気持ちです。あれだけよい環境の読書空間は、日本ではなかなかないのではないか、雰囲気のよさで日本一を追いかけようと思っています。ここは日比谷図書文化館という名前を付けて、従来の図書館的発想から少し変え、日比谷ルネッサンスというコンセプトを打ち出しました。

ルネッサンスとは日比谷の復興という意味で、余談ですがインターネットで日比谷ルネッサンスとひくと、日比谷高校の学力がアップして東大進学率が上がったと書かれていまして、自分の母校なものですから、その点も含めて学力レベルの向上に役立ちたいという気持ちもあります。
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6.時代が求め出した図書館資料における教養の価値とその再興
少し真面目な話をします。これは、「日経マガジン」という雑誌が書いてくれた「民主導、変わる図書館」というタイトルで、私の会社が運営している日比谷図書文化館4Fの「特別研究室」に関わる記事です。図書館になぜ、研究室なのかと思われる方もいらっしゃると思いますが、私のアイデアも多く含まれています。

民主導、変わる図書館

もともと千代田図書館の閉架書庫にあった「内田嘉吉文庫」をこの日比谷図書文化館4Fに持ってきて開架で閲覧できるようしました。私は、内田嘉吉文庫との出会いの感動を重ね合わせながら、日本を考える先達としての蔵書構成が非常に優れていると思っています。もちろん、いまとは時代背景が違うのですが、昭和8年当時に国立国会図書館の弥吉さんという方が整理をし、幸田露伴の弟さんの幸田成友博士が監修している、その当時の国際政治に直面した資料の山です。

普通なら国立公文書館に入るようなものかなというようなものも多い個人の蔵書です。しかし、当時の明治の官僚は、いまとは違って書生をたくさん抱えて、自分のところに全部ブレーンがいました。内田嘉吉は、東大法学部を出たあと逓信省に入り、管船局長までなり、後藤新平のあとの台湾総督府の民政長官をやっている後藤新平の弟分みたいな人です。後藤新平はその後、満鉄の総裁をするわけですが、満鉄の企画を内田嘉吉がやっている。そして、後藤新平が台湾を出て満鉄に行くと、内田嘉吉が逓信省を出て台湾の民政長官になる、そんな関係にずっとあるのです。

台湾の民政長官のあと、内田嘉吉は逓信省の次官になったり、台湾総督になったり、東京商業学校の校長をやったり、化学工業協会の会長をやったり、沖電気の役員をやったりしています。一番印象的なのは、関東大震災が起きたときに復興院総裁に後藤新平がなりますが、そのブレーンが内田嘉吉です。役職上は台湾の総督をやっているのですが、台湾には行かず、内田嘉吉率いる都市研究会という若いブレーンを使って復興院の復興計画をずっとまとめている。

後藤新平は、これらのブレーンの作った案を提案するのですが、国家予算の10倍くらい費用のかかる案は国会を通らず絞られます。でも、絞られた結果として昭和通りや永代橋ができて、日本の都市計画が作られるのです。いま、私たちが見ることができる内田嘉吉文庫は、そういう活動を支えた素材の塊です。16000冊もあって、そのうち10000冊が洋書なので読むのは大変です。でも、雰囲気を味わうだけでも、頭がよくなったような気がします。そういうものが教養ではないのかなと私は思うのです。内田嘉吉文庫は、日本の貴重書、珍しい本の集まりであるという意味で、戦前から有名でした。

私はこの文庫に出会って、なぜ稀覯書なのか考えてみました。これは軍事機密の塊のような本の群です。貴重書といってもシェークスピアの初版本という類のものではありません。内田嘉吉文庫の貴重本は、例えばコロンブスのアメリカ発見の記録のようなドキュメンタリーの山です。それから海外の地図書・海図書の山です。ある時代には、シーボルトが日本地図を持ち出して捕まったように軍事機密だったものです。スペインやポルトガルの王たちが、自分たちのお宝のルートはどこにあるのかということを書いてある本の山です。現実に発行されている本の冊数も少ないし、本自体は立派で、金持ちや貴族の間しか流通していなかった本の山という意味においても貴重なのです。

そういう本を内田嘉吉は、仕事上かき集めたのです。植民地政策や海事政策を立案する上で、過去のヨーロッパがアジアで行った植民戦略などの記録を集めた。それと非常によく似た蔵書構成を持っているのが、東洋文庫の中のモリソン文庫です。モリソン文庫と内田嘉吉文庫の蔵書には多くの貴重書の重なりがみられます。一番違うのは、東洋文庫は、われわれ一般人はさわれません。内田嘉吉文庫はだれでも特別研究室に行けば、さわって読むことができる。

そうした実に画期的なことを実現したのです。ただし、内田嘉吉文庫の本は、多くの人がさわってきていますから、多くの本が再装丁されています。モリソン文庫の本は、古い装丁を保っていますが、さわると壊れそうです。そうしたことを軸に内田嘉吉は公開しています。内田嘉吉文庫の中で、洋書以外にも私が面白いと思っている資料があります。日本の近現代史って学校で教えてくれない、ほとんどは空白です。内田嘉吉は、日露戦争当時も海事行政を支えて活躍していましたが、第一次世界大戦後、台湾の民政長官でありながら、国民海外発展策という本を書いています。

第一次世界大戦後、南方にあったドイツの植民地の島々を日本は巧妙に手に入れています。その政策の親玉みたいなことをしています。日本の海外進出の中で手に入れるのに一番お金のかかっていない地域です。内田嘉吉文庫を見ると、昭和初期までのいろいろな海外政策についてはすべて綿密な調査資料がありますが、ここに資料がないのはその後行われた負けた戦争です。

資料があるということは、いかにきっちり調べていたかという結果です。例えば、インドネシアに関しては非常に多くの資料があり、フィリピンについてもあります。インテリジェンスの本質というのは、こういうものではないでしょうか。常に先を見通しながら必要な資料を集めている。それらに裏打ちされたものが教養です。戦争に関係なくても貴重な本だと思っているものに、群書類従のワンセット全冊があります。昭和天皇が皇太子としてイギリスへ遊学したときにお土産に持参した際、増刷されたセットの一部です。

江戸時代の原本の版木を使って復刻しています。そのとき増刷したセットは159部ですが、そのワンセットがあります。光栄記念という朱印が押してある本です。こういう日本の歴史や文化にも詳しく触れながら政治を考えていたのだなあということをうかがわせる教養書群になっています。そういう教養書群をじっくり味わい読んでいただくために特別研究室を作りました。この「日経マガジン」にも書いてあるのですが、「近現代史の闇を照らすものとデジタル資料としての得失」という大事な話があって、今後の発展はこれら資料のデジタル化になるのかもしれません。

最後に私がいいたいのは、「頭のよくなる? 空間の設置、1500円の超贅沢」ということです。この特別研究室は有料の空間です。2時間300円、1日いて1200円。それに交通費を加えると1500円くらいというわけです。図書館人がこういうことをいうと顰蹙を買うのですが、あくまで民間人の発想で作らせていただきました。実際にめったにない蔵書構成になっています。和書洋書が混ざって分類順に配架され、座席もネット環境も完備され、日比谷公園の緑をみながら勉強できるという最高の空間を作りました。

最近、大学教育でも教養ということが見直されていると聞きますが、そういうことの一助になればいいなあと思っています。最近は、知識を得るのもお手軽で、グーグルで調べて、原典に当たることなく本にしたりしてしまいます。一方、本の現物に触ることが図書館でも難しくなってきています。そこをなんとかクリヤーしてみたいと思っています。

もうひとつ面白いのは、先日、国会図書館の方が見て行かれたのですが、再装丁はされているけれど中身の本文の保存状態が非常によいというのです。たしかに戦後60年、ほとんど人目に触れてこなかった本群ですから。デジタル化を行うにしても中身の本体が劣化していると、きれいにデジタル化ができないそうです。紙ベースで良好な状態で残っていることは大事なことで、長年忘れられていた本の価値といってもよいと言われました。




講座企画・運営:吉田源司
文責・会場写真撮影:臼井良雄
HTML制作:和田節子


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