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NPO法人 神田雑学大学 定例講座 2013年6月21日  No652  


講義名  生きてこそ今

講義名  実践社会からの提言


講師 白川好光

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講師紹介

(吉田悦花 NPO法人神田雑学大学 理事長)

講師の白川好光さんを紹介している吉田悦花理事長 本日、お招きしました白川好光講師には、2013年3月16日に開催された三郷市市制施行40周年記念事業「雑学大学フォーラム」で 初めてお目にかかりました。

この「雑学大学フォーラム」は、「先輩の雑学大学に学ぼう」ということで、創立6年目を迎えた「みさと雑学大学」と三郷市の協同事業として開かれたものです。 「話す、聞くによって豊かな知識と学問で人の繋がりと協調性を高め、未来への生活向上をはかるとともに 『雑学大学』の問題点と課題を議論するため、『雑学大学フォーラム』を開催する運びになりました。

つきましては、先輩であられる神田雑学大学の経験とご指導をお願いしたい(みさと雑学大学)ということで、 私は、NPO法人神田雑学大学理事長としてお招きいただきました。 当日は、北区雑学大学、吉祥寺村立雑学大学、東京雑学大学、みさと雑学大学、そしてNPO法人神田雑学大学という、 市民主導の学びの場である「雑学大学」の代表が勢ぞろいしました。

ちなみに、「雑学大学フォーラム」が開催された瑞沼市民センターは、元小学校で、4階の扇形の階段教室になっている音楽室で開かれました。 ここは、東日本大震災による福島第1原子力発電所の事故で、福島県広野町の500人の被災者の避難所となったところで、 皇太子殿下雅子妃殿下もお見舞いにみえました。

「雑学大学フォーラム」は、まず、木島・三郷市長代理の祝辞、つづいて「みさと雑学大学」菅原・副理事長のご挨拶、 コーディネーターは西尾・三郷市生涯学習課課長。5つの雑学大学の発言を雑学大学発展のために生かしていきましょうということで、 私はパネリストをつとめました。 2時間にわたる「雑学大学フォーラム」終了後、にこにこしながら私に声をかけてくださった参加者のおひとりが、白川さんでした。 秋田弁の温厚な語り口で、「ぜひ、神田雑学大学でお話させていただきたい」と有り難いお申し出をいただきました。

お手もとのレジュメ資料にありますように、白川さんは、家業の建築不動産業のかたわら、 各地で講演活動をされ、新聞やNHKラジオや単行本など、さまざまなメディアで生き方論や体験論を展開されております。 本日、白川さんの講座が実現し、お話をうかがうのが私もとても楽しみです。どうぞよろしくお願いいたします。


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講師プロフィール

講師の白川好光さん 秋田県北秋田市阿仁生まれ。母4人、父3人という7人の父母に育てられ、中学卒業後、 16歳より大工の修業に入り、20歳で上京、24歳で独立。建築不動産一筋40年。平成16年、58歳で代表取締会長に就任。

「小さな経営 大きな安定」という経営哲学を掲げ、経営論・社員教育・子育て論・生き方教育などをテーマに、全国各地で講演を行い、 子供から大人までさまざまな相談を受けて指導を続け、小中学校の非常勤講師もつとめる。NHKラジオ深夜便「こころの時代」に 「私の小さな天職」「4人の母への讃歌」として出演。主な著書に『先に進む道』『生きてこそ今』『母への子守唄』『人生の参考書』がある。


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1 生かされて生きて

私は、埼玉県三郷市で建築不動産の会社を営んでいます。秋田県北秋田市出身で、中学を卒業して以来、世の中の荒波にもまれ、 社会学と実践を通して生き抜いてきました。

建築不動産業という、一見、教育とは離れた、むしろ荒っぽいといわれる現場で仕事をしてきた長い人生経験をもとに、 いつしか教育機関への訪問の機会を与えていただくようになりました。落ちこぼれといわれ子ども、引きこもりや 不登校の子どもたちから成人まで、多くのみなさんに人間教育をして社会に送り出すなかで、各方面から依頼をいただくようになったのです。

そこで、きょうは、私の波乱万丈の人生、生き方を通して得た人生哲学が少しでもみなさんのお役立ちに立てばと思い、 「生きるヒント」をお話して、今を生きる有り難さ、感謝の心をお伝えできたらと思います。

あれは、昭和51年春、私が30歳のときのことです。取引先の不動産会社が倒産、夜逃げしたという知らせに、しばらくは動くこともできず、 ただ沈黙の時間が流れた。今から37年前、2400万の被害を負うことになったのだ。

私は、秋田から20歳で上京して、24歳で独立、仕事の調子が上がってきた矢先の事件である。建売販売業者の請負をして、 次男が誕生して自宅を新築した直後であった。ショックで落ち込んだが、家内から、「裸で秋田から出て来たのだから、また裸でやり直せば といわれ、どれほど勇気が湧いたことか、はかりしれない。

幸い親会社は死んでも、私は死なない。仲間も離れず、逆に心配して寄って来てくれた。まわりの方々も「頑張れ」と激励してくれ、 資金面での応援もしてくれた。このことがなかったら、私の成長はなかっただろうと、今でも感謝している。

「失敗から学ぶ経営哲学」として、それからは、親会社から仕事をもらうのではなく、自分で人のためになる販売会社を始めようと、 宅建取引業の試験を受け、注文住宅から建売販売まですべて手掛けた。30歳という若いときに、他人から不幸を押しつけられても、 あきらめなかったこと、苦難を乗り切ったことが、社会学や経営学の原点を学ぶチャンスとなった。

人間、努力と気力と体力と信頼さえあれば、 立ち直りのチャンスをつかむことができる。やればできる、何事もやらねば、未来の光なし。

今日の失敗を肥やしにすること。恨んでも嘆いても始まらない、自分の心の考え方次第でチャンスは生まれる。波乱万丈の人生からこそ、 強さが生まれる。知能の発達と知識を体得することができる。実践と経験の社会は、学校の教科書にはない、私にとって最高の勉強となった。

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2 行動にチャンスあり、不動にチャンスなし

気力と活力があふれた気持ちになるのは、他人でもなく、まわりの助言でもない、すべて自分自身の考え方と行動にある。何事も自分の考えが精神面を高め 、肉体的に動くことが気力と活力につながっている。気力は、活動的に堪え得る精神力と根気があってこそ、みなぎるもの。活動のもとになる力が上回ってこそ、 人間の積極性が生じる。

何かというと理由をつけて動かないでいると、無気力化する。動けないとか、やる気が起こらないとか、行動をしようともしないのは、精神面の問題が多い。 人間、いざとなれば、何でも行動してやる気にもなれるはず。無気力な子どもがいるとしたら、もしかしたら親の育て方に責任があるのではないだろうか? 無気力は、物事を成し遂げようとする意志に欠けているのではないか?

人生で大切なことは、目的をつくること。そして目標に向かっていきいきと生きることが、人間を変える。目的と目標が定まれば、 夢が生まれる、夢に向かうことができれば、未来の成功へと進むであろう。つまり、行動にチャンスあり、不動にチャンスなし。

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3 生い立ちの7人の父母たち

私は、父母の不倫の関係から授かった生。生みの母親はわからず、養子に出されて、生みの親、もらいの親、そして育ての母は2人という、 計4人の母に育てられ、父も3人。宿命のいたずらか、私は少年時代、脊髄カリエスという障害に苦しんだ。 でも、7人の父母の愛情に助けられて今日があると思っている。 4人の母に対する思いは、私の心の中にずっと住み着いている。

いまでも、母の形見の蛇の目傘と鏡台とタンスが遺っている。大正14年生まれの育ての母の形見である。おそらく戦中戦後の嫁入り道具であろう。 もらい子を育てるという、集落の噂に耐えながら、生活苦に負けずに育ててくれた育ての母の鏡台を見るたび、この鏡をのぞいていた母、 戦後の日本の混乱の中、口紅も化粧もあまりできなかった母を思い出す。女として、どんな思いで鏡をのぞいていたのだろうか?  雨の日の赤い蛇の目傘も、母の若き頃のうれしそうな顔を想像する。

もし、育ての母が、または父がいなかったら、私は今ごろどのなっていたか、 生きていたのか? 私の宿命と運命も変わっていた。白川家にもらわれ、さまざまな人々に助けられての今の人生。 こうして生かされてきた自分がいる。7人の父母への感謝は、死ぬまで消えることはない。もし死んでも、魂になってもまだ消えはしない。 親ありて子は育つ。ありがとうを何べんいっても、恩返しは永久にできないでしょう。

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4 家庭環境が子どもの心を変える

人間は、人との出会いによって運勢が変わる。わが社の社長が、中学1年のとき、父親が運悪く蜂に刺されてこの世を去った。 それ以来、母を助けてがんばって、高校にも行かず、大工の道に入り、私が会社設立すると同時に入社してきた、それが現社長である。 16歳の少年が、社会にもまれて、苦労と努力と汗と血で、20歳で中古住宅を持つ。25歳で新築住宅を建てて、お母さんを呼び寄せて親孝行をする。 少年時代から10年もしないうちに。実にがんばり屋である

私も、16歳のまだあどけなさが残る少年時代に秋田から上京した。幸福をめざし、未来を夢見ていた。人並み以上に、闘志と根性と熱意があった。 修業時代に何度怒られても、いじめられても立ち上がる根性は、小さな体に宿って、目標と夢に支えられていた。 現社長も、入社して41年後には、優良会社の社長にのし上がった。彼を育てた私も、想像もつかないことであった。 もし、彼の父が元気で生きていてくれたら、高校に進んで大学にも行っていたかもしれない、今以上の生活だったかもしれない。

ただ、いえることは、人間の出会いが、今の幸せと成功を導いたのでしょう。 もしも、厳しい修業に耐えられず、怒られて田舎へ引っ込んでいたならば、今の愛する奥さんにも、2人の子供にも恵まれることはなく、 人生は大きく変わっていただろう。家庭環境が、子どもの心ばかりか、人生も変える。彼を見ているとよくわかる。

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5 小さな経営 大きな安定

人生には、忘れることのできない人の恩は、一度や二度はある。でも、人間の記憶は、そんなにたいしたものではない。 痛手や苦難のときに受けた恩も、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ということも多い。人様を手助けしたことは、本来見返りなど求めないものだけれど、 いつまでも忘れなかったりする。

一方、他人の恩はすぐ忘れてしまう。ああしてやった、これもやった、という見返りを求めない、利を求めない心を「無功徳心」という。 私は、この歳になっても忘れられないことがある。中学を卒業したとき、大工の訓練学校への入学を拒否されたとき、中学校の校長が、 その学校へ直談判しての許可が出たことだ。脊髄カリエスの障害がある私は、校長の保証人でようやく入学できた。 あのとき、健康面で不許可のまま、他の職についていたら、今の私は消えていただろう。

もうひとつの恩は、20歳のとき、右も左もわからず、茨城に土地を買ったときのこと。土地ブームに、 不動産屋から押し付けられた88万円の物件を契約したものの、銀行が貸してくれるというから買ったのに、いざとなったら貸してくれなかった。 信用がない20歳の私に、農家のおじさんが保証人になって借り入れてくれた。それを2年で2倍にして返した。 不動産への興味と商売の利益をこのとき知った。そのおじさんに対する感謝は、今も忘れてはいない。 盆と正月には、つけ届けは欠かさなかった。

人生には、瞬間の判断で良運が舞い込む。あのとき、校長が訓練学校と交渉してくれなかったら、私は何の職業についていたか?  あのとき、土地を買えなかったら、今の不動産業にはなっていなかったかもしれない。「人生、まわりに起こったすべてのことは、 自分の使命の道しるべ」という。ひとりでは生きられない、他人の助けに甘んずることもある。すべて幸運が呼んできてくれるものだ。 その恩を一生忘れてはならない、心に刻み、石に刻む。自分の他人への恩は忘れても、人の恩は一生忘れてはならないものだ。

熱心に講演をされている白川好光さん 人生のなかで、裏切られたり、地獄を味わったりするような苦い経験にあうと、何年にわたって怨みが追いかけてくる。 そんな経験、みなさん、ありませんか?  そんな嘆きや怨みを聞かされることがたびたびある。

あの倒産がなければ、あのときお金があったなら、と嘆きが続く。たしかに、自分がその立場だったら同じように、うらみごともいいたくなるでしょう。 それを逆境として超えて成功する強い人間もいるが、それは世の中で50%はいるか、どうか?  おそらく、時代状況と年齢も大きく影響するだろう。

若いときの「火事場の馬鹿力」もいいけれど、老いては、跳ね返す力も薄くなる。私が20代で独立してまもなく、 紹介された会社の倒産で、とても痛い金額が引っかかってしまった。債権者の方々が押し寄せ、事務所の備品やらすべて運んでいった。 さらに、きのうまでお世話になっていた社長に「バカ野郎、金返せ」など、いいたい放題、恩とか義理の消えた社会の怖さを見せつけられた。

そのとき、私は、「社長、がんばってよ」といった。その社長が3年後に復帰したとき、 「あのとき、白川さんだけが、あたたかい言葉を掛けてくれた。 今度、おまえに仕事を全部出すから協力してくれ と。憎しみや怨みだけを持って相手を責めるのではなく、「恩を以って怨みに報ず」が、わが社の発展となった。怨みの相手に対して、 広い心で恩徳を持って報いることは賭けかもしれないが、仇に恩で報いることも必要ではないか。 私の経営哲学の基本は、「小さな経営 大きな安定」、そして人を怨まずの心である。

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6 子育てと教育の基本の汗

夏に気になるのが「汗」。私たちの子供のころは、家庭にクーラーなどはなく、扇風機が金持ちの家にはあったくらいだ。 お天道様のもとでは、汗が出るのは当たりまえという感じで育った。校庭で朝礼をしても、倒れる子供はいなかったし、 教室で気持ちが悪いなどいう子もいなかった。

子供たちは、農繁期は学校休ん田植えに汗を流し、秋は冬支度のストーブの薪割り、 山に行って杉の葉を集めた。教室の勉強でも、家庭の手伝いでも、常に汗は出るのがあたりまえの時代、 汗腺は活発に作動して、忍耐強さは自然と鍛え上げられた。

しかし、近代化が進み、生まれた環境が恵まれ過ぎて、暑いといってはすぐクーラーで冷やす、寒いといってはすぐ暖める、 今の時代に使うなとはいわないが、忍耐とか我慢を学ぶには、生きた教材は腐るほどある。

あまりにも大事に育てられると、 大人になって社会について行かれず、堕落してしまう。親のすねをかじりながら入社しても、精神面の弱さが顕著だ。 きついことを子どもにやらせず、暑い寒いを避けさせていた結果、大人になっても、忍耐や我慢や根性や熱意が消えてしまったのだ。

汗をかくことで、汗腺が活発になり、体内のミネラルをうまく調整できる身体がつくられる。汗という字は、人生に欠かせない。 大切なのは汗である。汗を逃げてばかりの子育ては、社会では弱い。何事にも汗をかかせる訓練が必要と考える。 汗をかくべきときに汗をかかせるのが親の愛情。仕事もスポーツも汗の質にある、快い汗に、満足の汗、努力の汗は、 経験から学ばせるべきだ。それは、本人の健康のもとであり、生きる力の原点になるであろう。

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7 生きてこそ今

成功の秘訣は、何事も「一気呵成」に物事をするのではなく、コツコツ積み重ねること。それでこそ念願が叶う。 私の人生を振り返ってみても、たしかにコツコツ型の積み重ねは、いつになっても崩れない。 ゆったりと人生を長く見守り、計画的に目的に向かう。無理のない目標を作り、短命の夢は見ず。 晩年の幸福と夢と希望が生まれてくるのが、コツコツ型人生だ。 社会でも頂点をめざす人たちは、 「出る釘は打たれる」とはよくいったものだ。

「一気呵成」の経営には、どこかに無理が生ずる。私どもの不動産業も、まわりを見渡せば、バブル後に豪傑があっという間に消えて行った。 人生には失敗はつきもの。しかしながら、コツコツ型は、失敗したときの受け皿を先に作っている。 万が一の場合にも対応ができる経営の先読みは、一つひとつの積み重ねから学ぶことができる。哲学は、実戦と経験の積み重ねから生まれる。 経営ばかりなく、家庭の幸せのつくり方にも通じる。

聴講生の皆さん お金が儲かるとか、高収入だといっても、ムダ遣いをしていたら、いくらあっても足りなくなる。不足が出て気づいても、 あとの祭り、 株式の崩壊も競馬や競輪も、足もとをすくわれて、後悔先に立たず。

バブルの絶頂期の人々は、身の回りにいつも金運がついていると勘違いしていたのか?  それとも、地位や名誉にこだわる姿勢が壊れるのが怖かったのか? 今の日本経済は先が見えない。

私ども不動産業の建売販売も、需要が少なくなっている。社会は少子化が進み、長男は、親の財産をそっくりもらい継ぐであろうから、 これからの建売業者は苦しい。無理のない家庭設計に、社会の実践型生活を今から考えていても遅くはない。

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8 初老の青春

一生のうちに、挫折や落ち込みは、何回あったでしょうか? そのたび、考えながら対応に追われ、決断と判断によって解決して進んできた。 過去を振り返ると、苦難も中傷もあった。

たとえば、職場のいじめなども、被害者にとっては大変な打撃だろう。人々によっては小さな問題も、本人には、とてつもない激動だったかもしれない。 人生の積み重ねは、社会のいろいろな経験と体験を積み重ねていくと、判断力が敏感になる。 20代、30代、40代は、うしろを振り向かず、一直線に努力して働いた。家族のため、子供のため、車を買い、 一戸建の家に住むことが団塊世代の方々の目標であり、夢でもあった。

50代になると、少しゆとりもできて旅行もでき、娯楽も始めた。これからが、初老の青春といえる。 しかし、戦後の貧困時代の習慣が身についた生活では、なかなか派手には振る舞えない。 晩年の計画を立て、世間に迷惑の掛からないように自立をめざす。資産もほどほど、貯蓄も自分の将来のためにコツコツためている。 自分の身の丈、自分の尺度で考えながら生きること。後悔のない人生、笑って死ねる人生づくりは、己に勝つことが、世に勝つことだ。

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9 幸福感の考え方

運不運は天が定めるもの。仕事も人の出会いも結婚も、人の結び合いの運勢に左右されるようだ。出会いの一目ぼれも、 いざ結婚してみれば、悪運の苦痛の数々。 しかしながら、結婚に乗り気もなく結ばれて、子供の誕生とともに、相手の良さにほれぼれする人もいる。

人生の合縁奇縁は、神がめぐり合わせてくれたのでしょう。「運否」とは運不運の出会い、「天賦」とは天から与えられる運。 人間の力ではどうしようもできない場面が訪れたときでも、運否天賦の場合は、人生にときには賭けのときも生まれる。

この世に生きている限り、自分の限界の力を知ることも大切。その限度以上に望む場面の一か八かは運否天賦もやむ得ない人間の生き方。 人間の願望がより良い方向へ、幸福になりたい、金持ちになりたい、人々より美味いもの食べたい。 勉強も天才型になりたいとか、人間貪欲が誰しもあるものだ。そのため、人間の心に煩悩が生れて、世に対しても、社会に対しても、 人生の修行の場がこの世にあると信じる。常に悟りを開けるなら、人間らしい生き方ができるものなら、誰しも望みたいものだ。

自分の先祖代々の継続にも。運不運の子供の誕生も、結婚も運否天賦が動も見え隠れの世の定め、 小さな命の誕生が人生の終止符になるまで幸運続きは難しく、至難の業と天命でしょう、ただ、 人間には運以外の運は、努力次第で運勢が開けることが現実に起きている、ならば、自分でできる範囲内は努力するという能力を生かし、 運勢を取り込むことは絶対に大切なポイントといえよう。

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10 晩年の生き方と終止符

人間の運命は予測しがたく、自分で気をつけていても、いつ何時災難が降りかかるかわからないのが人生。 昔から「今日は人の身、明日はわが身」という。明日はわが身とする心構えは、私などの歳ともなると覚悟の上、それが宿命であり天命と受けよう。 そのためにも、昨日は人の身の生き方にも関心を持って、一日一日を慎重に気を配り、命を大切に、自分から火に飛び込むこともない。 粗末な命の使い方は避けるべき人の道。

人間の苦しみの四苦の中によく出る言葉に、生きる苦しみ、病の苦しみ、老いて行く苦しみ、死の苦しみ、この四つが四苦八苦の四つに当たる四苦の言葉は、 生まれたときから死に至るまで考えれば自然の方式の人間の天命と思える。ならば、この世の生き方は、運よく長く生きられるのなら、逆らわず運勢に任せようと思う。

考えてみれば人間の命の儚い。短い命でも満足なのか不満足かは、その人の価値観による。 長生きすれば満足ともいい切れない。先輩方の生き方、生活の仕方は、暴飲暴食はしない。 そして、膝や腰には負担のかからない均整のとれた体作りを常に管理している。人生晩年は、安定とゆとりが大切。 常につき合いが良く、みなさんから親しまれている人柄が人生には大切。嫌われものにならないこと、性格も個性も歳とともに温厚になる歳の重ね方がよい。

「世渡り孤独」にならないように気を使い、他人に気を使うことが大切だ。仲間との絆は、思いやりと気配り、人との調和を大切にすることが長いお付き合いとなる。 自分の人生は、呼吸が止まるまでわからない。今を生きる有り難さに感謝を忘れないことが大切。いつになっても家族のため、 社会のため、好きな仕事に打ち込み、誇りを持って、いきいきと楽しく生きようではありませんか。

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講座企画・運営:吉田源司
テキスト製作:吉田悦花
会場写真撮影:飯嶋重章
HTML制作:上野治子

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