2003 2 15
神田雑学大学 第2回「土曜講座」

「太平洋戦争への途」

講師  河部 煕

目次

講師紹介
−太平洋戦争への途−その「遠因」を探る
 NHK「その時歴史が動いた」でとり上げられた3人の外務大臣の記録
 明治時代の仏人画家ビゴーの目で描かれた日本、日本人
 「黄禍論」の解説
時代を語る軍歌・流行歌(自作ビディオ)  

<講師紹介>

講師の河部 煕(かわべ ひろむ)さんは、パソコン通信時代からNifty-Serveの 熟年世代の会議室「メロウフォーラム」の会員で、ハンドル名は「並木路」 (ハンドルの由来は愛唱歌「人生の並木路」より)。 大正13(1924)年生まれ。太平洋戦争に海軍予備学生として1年参加した戦中派。 戦後は、精密器械メーカーで、事務のコンピュータ化を行い、後に独立して 計算センターを経営した。ワープロ歴、パソコン歴、は創世期、黎明期から、パソコン 通信は1995年から。今回は講演以外に趣味で自作された軍歌・流行歌のカラオケ ビディオ画像を放映していただきます。


−太平洋戦争への途−その「遠因」を探る
NHK「その時歴史が動いた」でとり上げられた3人の外務大臣の記録
    (1) 陸奥宗光
      その時
        明治27(1894)年7月16日
        日英通商航海条約調印
      番組のあらすじ
        明治維新を成し遂げた日本。しかし近代国家として脱皮するには大きな壁があった。欧米諸国と結んでいた不平等な条約である。この条約の改正に成功した外務大臣・陸奥宗光の決断を描く。幕末の日本は、欧米諸国と結んだいわゆる不平等条約によって、関税を自由に決められず、国内で外国人が起こした事件を裁くことができなかった。この不平等条約を改正し、欧米諸国と対等な立場に立つ。それが明治日本の悲願だった。多くの外務大臣が改正に挑戦し、欧米と交渉したが次々に挫折する。なぜ陸奥一人、この難題を成し遂げられたのか。陸奥は、坂本龍馬と師弟関係を結んだり、新政府転覆計画をたてて獄中生活を送るなど、波乱の前半生を送った。さらに40歳からはロンドンに渡り猛勉強を続ける。人間の機微が分かり、知識・教養を兼ね備えた陸奥は、イギリスとの熾烈な交渉の末、不平等条約改正を勝ち取った。陸奥の書簡や外交文書などを基に、陸奥の決断によって、日本が不平等条約を改正し、近代国家の仲間入りを果たした瞬間を描く。

    (2) 牧野伸顕
      その時
        1919(大正8)年4月11日
        ベルサイユ講和会議、日本提出の人種差 別撤廃案、採決の時
      番組のあらすじ
        パリの一角で日本代表団は立ち往生していた。1919年。第一次世界大戦の戦後処理と国際連盟の結成が話し合われた会議の場のことである。日本は、アメリカ、イギリスと並ぶ世界の大国の一員と認められ、牧野伸顕ら外務省の精鋭を送り込んだ。にも関わらず、日本代表団は、思うように発言できない。欧米のやり方に戸惑い、「サイレント・パートナー(沈黙の隣人)」と揶揄される。  屈辱の中、牧野たち日本代表団が打ち出したのは「人種差別撤廃」という提案だった。「平和な世界を作るためには、人種差別 があってはならない」というこの理念は、国際連盟の思想とも合致した理想的な提案のはずだった。  ところが、オーストラリア、イギリスが反対。アメリカも国内選挙の都合から、日本案をつぶそうと画策する。しかし、リベリア、アイルランドなど西洋列強の圧力に苦しむ国の応援に勇気づけられた牧野は、必死に食いさがる。  そして決議の時が来た。大国の思惑がぶつかり合う会議の場で、日本全権団が必死に格闘し、大国のエゴの前に敗れさる姿を描く。

    (3) 松岡洋右
      その時
        1940年9月27日午後1時15分
        日独伊三国同盟が締結される
      番組のあらすじ
        ヨーロッパで第二次世界大戦が始まって1年後、日本はヒトラー率いるドイツ、ムッソリーニ率いるイタリアと軍事同盟を結んだ。 この後日米関係は破局への道をたどり、翌年開戦に至る。日本はなぜ、アメリカと対立し仮想敵国とする同盟を結んだのか。 この同盟締結に中心的役割を果たしたのは、当時の外務大臣・松岡洋右。アメリカ西海岸で青春時代を過ごした松岡は、「アメリカ相手には力を見せつけることが肝要」と考えた。 松岡は、反対派の説得を行い、ドイツとの秘密交渉を進めた。松岡が作成した極秘史料には、松岡がソ連をも同盟に加えた4国協商によってアメリカに対抗しようとした構想が記されている。しかしその構想はやがて破綻し、日本は破滅への道を進むことになる。日独伊三国同盟の締結に秘められた松岡の思いと、日本の運命を変えた瞬間を描く。

    (4)解説と私見
      英国は「日本を仲間にするため」でなく「東洋の番犬にする」ために画策した。 人口の急増→海外移民受け入れに対する米国の拒否反応→中国大陸への進出(満州国建設)が 一連の歴史の流れ。日本は人種差別を無くす為に戦争をやった、と言っても間違いではない。 松岡洋右が外相だったから、戦争になった、という説もあるが、国民は松岡を支持していたので 別の人が外相だったとしても戦争になったかもしれない。米国は変な国、自分で言出した国際連盟に 参加しなかった。京都の環境会議でも同様。黄禍論:日本がアジアの諸国を率いて欧州を侵略してくる、 ことを懸念する論旨。戦争を始めた遠因は「黄禍論」にあった。

仏人画家ビゴーの作品、などから判る当時の日本、日本人に対する諸外国の見方
(日本人にとっては「無念の歴史」といえる)

(1)朝鮮を巡る利権争い

    中国と日本の争いを見守るロシアの図

(2)戦艦「定遠」
    軍歌「勇敢なる水兵」に残された逸話、日清戦争の黄海海戦(明治27年)で清国軍艦「定遠」の砲撃で被弾した水兵(三浦虎次郎)の遺言「まだ定遠は沈みませんか」は明治19年に長崎で起きた暴行事件への無念の思いが込められていた。

(3)英国商船の海難事故
    明治19年に起きた英国商船の海難事故で乗船していた日本人が救助されずに死亡した。

(4)5大国クラブへの参加
    第一次世界大戦後に戦勝5大国により開催されたベルサイユ講和会議にシルクハットにモーニング姿で現われたが、ゲタ履きの日本人。

(5)ビクトリア女王治世60周年記念パーティ
    諸外国の人たちに混ざって日本人も祝賀の歌を歌っているが歌詞が逆さま。



「黄禍論」について
    「無念の歴史」を調べていて「黄禍論」に辿りついた。黄禍論について解説したい。

    欧州には13世紀にモンゴルに侵略されたときの恐怖が残っており、それが日清日露戦争における日本の勝利を見て蘇えり、このままでは日本の指導する劣等な黄色人種によって、

    優秀な自色人種の欧州が侵略される恐れがあるから、日本を牽制しようという声が起きた。

森鴎外

黄禍論概要(明治36年)

ゴビノー日く「黒人は獣に近い所が多い。感情は極端で残虐な事をする。開化する力も開化せらるる力もない。黄人は感情は極端ではないが、意思は弱くて、頑なで、逸楽を求め、欲張りである。理解力は高くもなく低くもない。生命や自由を少しは重んじる。概して黄色人は万事が中等だ。他を開化する能力はないが、開化せられるだけの能力はある。白人は美を知る。意志は非常に強く智力に優れている。自由を専び、栄誉を知る。他を開化することができるが、これは自人の専有能力だ。」

「黄人に対する白人のいかに吾人を軽侮せるかを知らしめんと欲す」

岡倉天心

東洋の理想(明治36年)

アジアの兄弟姉妹よ!今や東洋は衰退の同義語になり、その民は奴隷を意味している。われわれの温順さは異国人のあざけりであり、商業の名のもとに好戦の徒を歓迎し、文明の名のもとに帝国主義者を抱擁し、キリスト教の名のもとに残酷のまえにひれふしてきた。ヨーロツパの栄光はアジアの屈辱である。「黄禍」の幽霊は、西洋の罪悪感がつくりあげ たものである。東洋の静かな凝視を「白禍」にむけようではないか。われわれはたがいに孤立してきた。さあ、共通の苦難という大洋のなかで溶け合おうではないか。私は諸君に暴力や侵略をよびかけているのではない。諸君の勇気に訴え、自覚を求めているのである。

カイゼル

日露戦争批判(明治41年)

世界は地球上の人類の運命を決するところの大危機が近づいていることを知っている。アジアと西洋、白人種と黄色人種との間に何が来ねばならぬかを誰も知っている。第一回の戦争(日露戦争)は不幸にして西洋は勝たなかった。ロシアが負けたことは遺憾だが、ロシアは白人のための戦争をしたのだ。 日本人は白人を悪魔のように憎んでいるが、日本人が悪魔であることは簡単な事実だ。我らに対する危険は日本ではない。日本が支那を統一しアジアの頭目になることは、世界を脅威するところの最大の凶事だ。

近衛文麿

英米本位の平和主義を排す(大正7年)

黄人と見れば凡ての職業に就くを妨害し、家屋耕地の貸付をなさざるのみならず、甚だしきはホテルに一夜の宿を求むるにも白人の保証人を要する所ありと云うに至りては、人道上由々しき問題にして、仮令黄人ならずとも、筍も正義の士の黙視すべからざる所なり。即ち吾人は来るべき講和会議に於て英米人をして深く其の是非を悔いて傲慢無礼の態度を改めしめ、黄人に対して設くる入国制限の撤廃は勿論、黄人に対する差別的待遇を規定せる一切の法令の改正を正義人道の上より主張せざる可からず。

幣原喜重郎外務大臣

排日移民法(大正13年)

米国は日本人種の劣等を理由として排斥条項を可決した次第ではない。彼等の云う所は日本人と米国人とは恰も油と水との関係である。何れが優等とも劣等ともいうことは出来ないが、油は水と一体になることが出来ぬものである。即ち日本人は米国に同化せざるものである、同化せざるものを米国の社会組織中に入れることは米国の将来に禍を為すものであるということが、日本人排斥論の最も重要な前提となって居るものと認められる。尤も我々は日本人不同化性の前提が、今日迄何等確定的事実に依って証明せられざる所の一片の独断的見解なることを信じ、其の趣旨は既に日本政府の米国政府に送りたる公文書中にも大体説明してある所である。

ヒットラー

我が闘争(昭和2年)

今後、かりに欧米が滅亡してアーリア人の影響が日本に及ばなくなったとしよう。その場合数年で日本の科学と技術は泉が枯れ、70年前の眠りに再び落ちてゆくであろう。かって遠い昔に日本文化は外国の影響によって覚醍されたのであるが、外からの影響が欠けてしまうと、其の文化は化石化し、硬直してしまった。ある民族が文化を他人種から本質的な基礎材料として受け取り、同化し、加工しても、それから先き、外からの影響が絶えてしまうと、またしても硬化するということが確実であるとすれば、このような人種は、おそらく「文化支持的」と呼ばれるが、決して「文化創造的」と呼ばれることはできない。

竹越与三郎

動く満蒙(昭和3年)

到る処の植民地に於て人心が皆動揺して、ヨーロツパ文明即ち白人に対する反抗心が強くなってきた。ヨーロツパ人は、これを反逆と称して居るが、自分達が世界を我が物と思っておる甚だ無礼千万な言葉である。有色人種の動揺の原因は、アメリカのウイルソンが民族自決を唱えたこともあるが、遠く其の原因を求むれば、日本が東洋の一隅に勃興して、ヨーロツパの勢力を負うて立った所のロシアを叩き潰したと云うことが最大の原因である。今後日本の態度に付いては列国が十分監視しなければならぬという議論が非常な勢力を以ってヨーロツパに行われ、白人を統一して有色人種に対する戦線を整理せんとしつつある。(昭和6年満州事変)

松岡洋右

動く満蒙(昭和6年)

ブラジルへの移民も一年に数千しか行けない。八十万も毎年増えて居る日本内地の人口間題には大して足しにはならぬ。国内を見ても外政を見ても息が詰るというような感じがする。吾々は息を吸うだけの余地を求めて居る。大和民族は最小限度に於いて生存権を主張して居る。世界の平和を祈念するに於て、日本国民は何国人にも一歩も譲らぬ。併し窒息死に至らば、世界の平和も何もない。然るに徒に世界の平和に籍口して自分の生存権さえも之を主張し得ないというのが今日の外交である。国民が幣原外務大臣から聞きたいのは、赤裸々なる我が外政の実相と、之に対する対策とであり、「事態の推移を唯注視して居る」というような腹 にも無い泰平無事を装うような説ではない。

荒木貞夫陸軍大臣

日本の神聖な任務(昭和8年)

インドは三億の人口を有するが、英国の圧政治下に惨憺たる状態であり、重大な危機に面している。・・・極東における事態がかくの如くである以上は、自他共に認めて東洋の盟主でありとする日本が、そしてその神聖なる任務が隣邦を救うことにある以上は、座して黙すべきであろうか。・・・東洋における諸国は白人種の圧迫の下にある。しかしながら覚醍せ る日本は、かれ等の暴虐と圧制をこれ以上許しておくことは出来ぬ。 日本精神はその性質上、七つの海にまたがって宣布され、五つの大陸にまで押し広めらるべきものである。その進路を妨げるものがあれば力によってこれを排除せねばならぬ。

昭和天皇

大東亜戦争の遠因(昭和21年)

この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず。黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還付を強いられたこと亦然りである。

かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上った時に、之を抑へることは容易な業ではない。


私(河部)の結論

「太平洋戦争は何故起こったのか」「それを止められなかったか」を調査していった結果、 その遠因が「黄禍論」に基づく「人種差別」にあることが判った。
時代を語る軍歌・流行歌
         勇敢なる水兵    「・まだ沈ますや定遠は」
         馬賊の歌      「・支那にゃ四億の民が待つ」
         流浪の旅      「・いずこの土地の土と終わらん」
         船頭小唄      「・どうせ二人はこの世では」
         昭和維新の歌    「・混濁の世に我立てば」
         麦と兵隊      「・遠く祖国を離れ来て」
         父よ貴方は強かった 「・泥水すすり草をかみ」
         太平洋行進曲    「・仰ぐ誉れの軍艦旗」
         若鷲の歌      「・七つボタンは桜に碇」
         同期の桜      「・血肉わけたる仲ではないが」
         海征かば      「・大君の辺にこそ死なめ」

テキスト制作:田口和男 写真撮影:田口和男 HTML制作:田口和男